Archive for the ‘信仰との出会い’ Category

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第150号より転載し、編集を加えたものです。

Kさん(40代・女性)

夫の死の悲しみを乗り越えて

「あなたが天国に旅立ってから、もうずいぶん経ちましたね。私も2人の息子たちも元気にすごしています。あなたも天国で、幸せに暮らしていますか?」

私は今、こうして笑顔で、天国にいる夫のことを想うことができます。

最愛の人を失い、一時は何も手につかなくなった私が、どのようにして悲しみを乗り越えていけたのかを、お話しさせていただきたいと思います。

余命宣告

「残念ながらご主人は、肺ガンの末期の状態です」

脇の下の腫(はれ)に気づき、念のために受けた検査。夫も同席するなかでの医師の告知に、私は愕然としました。

(何かの間違いに決まってる。毎年、人間ドックだって受けてるんだから!)

医師の説明では、ちょうど肋骨の陰に病巣があり、健康診断では見落とされていたということでした。さらに、リンパ節に転移したため、短期間で脳にまで遠隔転移。「運が悪かった」と言われました。

夫のいないところでは、「余命3カ月から半年」とも—。

まだ42歳の働き盛り。長男は中学受験を控え、次男は小学3年生です。

(どうしてなの? 私たち、何も悪いことはしてないのに。どうしてパパなの?)

頭の中が真っ白になりました。

押し寄せる後悔

夫のYとは、お見合い結婚でした。

「親孝行で優しそうな人だな・・・」。彼の誠実な人柄に惹かれました。お見合いの2カ月後には結納を交わし、翌年結婚。2人の男の子にも恵まれ、絵に描いたような幸せな結婚生活を送っていました。

それが一転、結婚13年目にして、突如苦しみのどん底に突き落とされたのです。

確かに、夫には喫煙の習慣がありましたし、発病した頃は仕事でもかなり無理を重ねていたようでした。自動車メーカーの輸出担当で海外出張も多い上、不況による人手不足で、帰宅が深夜1時、2時になることも珍しくなかったのです。

正直、「こんなになるまで、働く必要はあったの?」と会社を恨みました。

しかし何よりも、妻である自分を責めました。「毎日顔を見ていたのに、どうしてもっと早く異変に気づいてあげられなかったんだろう・・・」。悔やんでも悔やみ切れませんでした。

しのび寄る死の影

「絶対に治す方法があるはずだ」。私は連日、「ガン」と名の付く本を読みあさり、民間療法や健康食品も調べ尽くしました。しかし、必死の努力も空しく、病状は日に日に悪化。食欲も落ち、リンパ節が腫れて左腕が不自由になり、かつての元気な姿は見る影もなくなっていきました。

人前では決して不平や不満を口にしなかった夫が、ある時つぶやいた言葉が忘れられません。私に支えられながら病室を移動していた時、ふと鏡に映った自分の姿を見て一言、「みじめな自分・・・」と。

働き盛りで一線を退かなくてはならない悔しさ。幼い子供たちを遺していく不安。どれほど無念であったことでしょう。明らかに「死」に向かっている夫を前に、私はかける言葉を失っていきました。

一条の光

そんな、八方ふさがりの時です。母の友人で幸福の科学会員のTさんが、私たちの状況を聞き、『太陽の法』という幸福の科学の書籍を送ってくださったのです。

何か夫を励ます言葉が見つかるかもしれないと思い、読み始めました。

「人間は、はるかむかしから、永遠の生命をもって生きております」

「人間は、心です。魂です。ですから、死んであの世にもって還れるものは、あなたがた自身の心以外にはないのです」『太陽の法』より)

(永遠の生命? あの世? もしあの世があるとしたら、万が一、パパが亡くなっても、あの世でまた会えるってこと?)

すぐに確信は持てなかったものの、「死は永遠の別れではない」と思うと、絶望していた心が少し和らぎました。

Tさんにお礼の電話をすると、とても優しくお話ししてくださいました。「仏はいつも見守ってくださっているからね。つらいときほど、側で支えてくださっているからね」。その言葉に、どんなに勇気づけられたことでしょう。

この執着がパパを苦しめているの?

ガンの告知を受けてから1年ほど経ったある秋の日、病院へ向かう電車の中で、1枚の広告が目に留まりました。映画「太陽の法」の広告でした。

「これTさんが言ってた映画だ。観てみたいな。でも、病院に通わないといけないし、無理よね・・・」

そう思った2日後、自宅に1通の手紙が届きました。夫の元同僚の方からで、開けると、なんと映画「太陽の法」のチケットが2枚入っていたのです。

これも何かのご縁と思い、次男を連れて観に行きました。

人類の歴史を描いた壮大なストーリーに、はじめから引き込まれました。なかでも、お釈迦様が悟りを開くシーンは、今でもはっきりと心に焼きついています。

「家族を思う人間的な心であったとしても、それが執着となれば苦しみの原因となる。なにものにも執われず、小川の水のようにさらさらと流れていく境地に入っていくことだ・・・」(映画「太陽の法」より)

まるで自分のことを言われているようでした。

(「一日でも長く生きてほしい」という思い、これは私の執着なのかもしれない。この執着が、私だけでなく、パパも苦しめているのかな・・・)。

涙をこらえることができませんでした。

その後も、「もっと生きてほしい」という思いはなくなりませんでしたが、同時に、 「どうか夫の魂を救ってください」と願う気持ちが大きくなっていきました。

同じ境遇の友

幸福の科学に救いがあると感じた私は、Tさんの紹介で、東京の支部を訪ねました。支部長さんとスタッフの女性が、親身になって話を聞いてくださり、病気平癒のお祈りをしてくださいました。

そして帰り際に、「せっかくなので何かお土産を」と、小冊子の「ザ・伝道」をくださったのです。

家に帰って読んでみると、Mさんという方の手記が載っていました。

(Mさんて、あのMさん? 幸福の科学の会員だったんだ)

Mさんは、一緒にPTAの役員をしたこともあるご近所さんです。Mさんも、3人のお子さんを抱えてご主人をガンで亡くされていたのですが、信仰によってその悲しみを乗り越えた体験が紹介されていたのです。

「こんな近くに同じ境遇の知り合いがいたなんて」と、深いご縁を感じました。

ついにその時が

私が希望を取り戻していく様子を見て、夫も幸福の科学の書籍を読み始めました。『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』『仏陀再誕』。筋力が落ちて、本が持てなくなると、御法話のCDを聴きました。

「あの世はある」と信じることだけが、私たち夫婦の唯一の救いだったのです。

その年の12月、自宅で療養していた時、夫がふと言いました。

「ママ、あの世で会おうね」

夫は自分の死期が近いことを悟っていたのでしょう。その2日後に、容態が急変—。

そして、年が明けた1月2日、家族が見守るなか、夫は安らかに息を引き取ったのです。舅が「人に自慢したくなるくらい、きれいな顔だ」と言うほど、美しい死に顔でした。

安らかに旅立ったことはせめてもの救いでしたが、いざ現実に夫の死に直面すると、生身を引き裂かれる思いでした。

「パパ、息して。息してよ!」。私はベッドのかたわらに泣き崩れました。

葬儀の間も泣き通しでしたが、火葬され、炉から出てきた遺骨を見た瞬間、「ああ、これでもう元に戻れない!」と。涙があふれて止まりません。私の足元には、小さな水たまりができました。

1人じゃないからね

やがて、冬休みも終わり、子供たちは学校へ、手伝いに来ていた両親も、帰っていきました。日中、家に1人になった私は、「これで思い切り泣ける」と、「わーっ」と声を上げて泣きました。

と、その瞬間、背中から、「ママ、ママ」と呼ぶ声がしたのです。(えっ?)と思ってふり返っても誰もいません。

(今のは確かにパパの声だ。心配して側にきてくれたんだ・・・)

四十九日が過ぎるまでは、故人の魂はこの世に留まるといいます。

「私がいつまでも泣いていたら、パパは安心してあの世に旅立てないかもしれない。パパのためにも、子供たちのためにも、がんばらなくちゃ」。自分で自分を励ましました。

しばらくして、「ザ・伝道」に載っていたMさんから、電話がありました。 葬儀にも参列してくださったMさんは、私の様子を心配して、支部に誘ってくださったのです。「幸福の科学の教えと、Tさんたちの優しさに救われた」と実感していた私は、その時、入会しました。

支部の皆さんはとても温かく、とくにMさんは、「1人じゃないからね。私は100%あなたの味方だからね」と、いつも側で支えてくださいました。

夫の愛に気づいて

多くの人の愛に支えられ、生きる力を取り戻していった私は、3カ月後には仕事を始めることができました。ありがたいことに、夫の上司が私たち家族の生活を案じ、同じ会社の事務の仕事を紹介してくださったのです。

15年間専業主婦だった自分が正社員になれるとは、夢にも思いませんでした。一時は恨んだ会社に、実はずっと支えられていたのだと気づかされました。

また、実際に不況下の中堅男性の仕事ぶりを目の当たりにして、夫がいかに厳しい環境で働いていたのかを知りました。常に120%を求められ、上司から厳しく叱責される。体調が悪くても無理を重ねてしまう。家族のために身を粉にして働いてくれていた夫の愛に気づき、深い感謝と尊敬の思いが湧いてきたのです。

奇跡が起きた日

夫への感謝を形に表したいと思った私は、その年の9月、支部で夫の「永代供養(えいたいくよう)」を申し込みました。そして同月、幸福の科学の総本山・正心館(栃木県宇都宮市)で「総本山・先祖供養大祭」に参加したのです。

今思えば、それが私の人生のターニング・ポイントだったと思います。

正心館に到着して礼拝堂に入ると、運良く前の方に1、2席空席がありました。席に案内されて間もなく、突然、「本日は、大川隆法総裁より御法話を賜ります」と、アナウンスが流れました。私は、仏の説法を直接聴くという奇跡の機会に巡り会えたのです。

大川総裁が登壇されると、一瞬にして、礼拝堂全体がなんともいえない清(さや)かな空気に包まれました。

(悟りたる方というのは、こんなにも清らかで尊いものなんだ・・・)。

初めて見る大川総裁は、とても神々しく光り輝いていました。

法話は、死後の導きのお話でした。

「あの世に還って初めて、生き通しの魂があるということを知った人は、ほんとうにびっくりします」「だから、できれば生きているうちに、知っていただきたいのです。何かこの世で縁を持っていただきたいのです。教えが書かれている本を一回読んだことがある、それだけでも悟りのよすがなのです」(法話「『総本山・先祖供養経』講義」より)

仏の慈悲深さに、私はただただ号泣しました。

「パパの魂も仏が救ってくださる・・・」。夫も隣で、仏と出会えたことを一緒に喜んでいるような気がしてなりませんでした。「パパのことは、もう仏にお任せしよう・・・」。

苦しみを通して得た魂の宝

それから1年経ち、2年経ち、「永遠の生命」の確信が深まるほどに、私の心の傷は癒されていきました。

夫との死別は、本当につらく苦しい体験でしたが、この経験を通して、私はたくさんの魂の宝を得ることができました。

他の人の悲しみや苦しみ、とくに愛する人を失うつらさは、実際に経験しなければ、本当の意味で理解することはできなかったでしょう。

また、私を支えてくださる多くの人の優しさにも、気づくことができました。そして、自分もまた、大切な人たちの力になりたいと思えるようになったのです。

あなたに会えてよかった

ある時、自分の人生をふり返っていて思いました。

「私は夫を亡くしたけど、TさんやMさんをはじめ、支えてくれる人がいる。子供たちもいる。両親もいる。健康で、仕事もある。私に欠けているものを数えたら片手で十分だけど、与えられているものを数えたら、両手両足を使っても足りない。私は本当に幸せ者だ」と。

夫と過ごした日々をふり返って、私は今、心から言うことができるのです。

「あなたと結婚できて、私は本当に幸せでした。私があの世に還ったとき、笑顔で再会できるように、あなたから合格点をいただけるように、私は残された人生を精一杯生きていきます。あなた、本当にありがとう。天国でまた会いましょう」

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体験談突然の父の死―。 ウツ状態になった青年が信仰に導かれて

突然の別れ

今から3年前。私は、突然父を失った悲しみに打ちひしがれていました。

当時、私と父は2人で暮らしていましたが、ある朝目覚めると、父が家に戻っていないことに気づいたのです。

携帯にかけてもつながらず、父の会社に連絡しても、出勤していないと告げられました。
知り合いに聞いてまわっても、誰も父の居所を知りません。

警察に捜索願いを出し、祈るような気持ちで連絡を待ちました。そして20日以上経ったころ、警察から、父が事件に巻き込まれ、帰らぬ人となっていたことを告げられたのです。

(どうしてこんなことに……)

父と最後に言葉を交わした日のことが悔やまれました。父が私に「出かけてくるよ」と言ったとき、なぜか無性に父とハグをしたくなったのに、私は「うん」と答えただけで父を見送ってしまったのです。

(父さんは、もう帰って来ないんだ)
いつもそこにいた父の姿は見えず、他愛のない話で笑い合うこともできません。私は寂しさに押し潰(つぶ)されそうになりましたが、父がまだどこかにいるような気がしてなりませんでした。

真実への目覚め

父さんのように、愛に生きるよ【体験談】

父を亡くしてから、すっかり口数が減り、ウツ状態になっていた私に、ある日、仲の良い職場の同僚が声をかけてくれました。

「今度スピリチュアルセミナーがあるんだけど、一緒に行ってみないか?」
彼は、そのセミナーに参加すれば、私の心が癒されるかもしれないと思ったのでしょう。
私は、スピリチュアルな分野には、あまり関心がありませんでしたが、気分転換に参加してみることにしたのです。

同僚に連れられて訪れた先は、幸福の科学のブラジル正心館でした。セミナーには、20人以上の青年が参加しており、霊界の様子が描かれている映画「永遠の法」※が上映されました。

(あの世はこんな世界なのか……)
初めて知る世界観に興味が湧きました。

さらに、講師が説明した幸福の科学の「愛の教え」を聴いたとき、心が大きく動かされたのです。

今まで私がカトリックの教会で聴いていた愛の教えは、抽象的な「神への愛」が中心でした。しかし幸福の科学では、神から受けている愛を、周りの人々への優しい行為として具体的に実践する「与える愛」の大切さを伝えていました。この教えは、私にとって、とても新鮮に感じられたのです。

(幸福の科学に入ったら、何かすごく大切なことに気づけるかもしれない)
私はその日、幸福の科学に入信しました。

父さんの魂は生きてる!

それからというもの、私は大川隆法総裁の書籍を読んだり、支部のセミナーに参加したりして、教えを学んでいきました。

私が非常に感銘を受けたのは、幸福の科学の「霊的人生観」です。幸福の科学では、人間は皆、神仏に創られた仏の子で、永遠の生命を持った存在であると説かれています。

人間は、数十年の人生が終われば消えて無くなるようなはかない存在ではなく、自分と縁のあるソウルメイトと一緒に何度も地上に生まれ変わって、さまざまな人生経験を通して魂を磨いている。

また、人生の試練は自分を成長させるための機会であり、人生を終えて地上を去った後は、自分の心境に応じた霊界に還っていく。

そして霊界でも、神仏を目指して心の修行を続けていく―。

学べば学ぶほど、納得がいきます。
(やっぱり父さんの魂は無くなってない。あの世で生き続けているんだ!)

キリスト教では、詳細な霊界の様子や、転生輪廻の思想は説かれていないため、私は「人間は死後どうなるのか」が分かりませんでした。しかし、この教えに出合ってはじめて、「この世とあの世を貫く真実の人生観」をつかむことができたのです。

私は、父が不幸な最期を遂げたことに苦痛を感じていましたが、こうしたつらい経験も、すべて人生の糧に変えていこうと、前向きな気持ちに変わっていきました。

また、幸福の科学で学んだ「感謝」の教えが私の心を癒してくれたのです。

支部の瞑想セミナーで、父が私に与えてくれた愛を一つひとつ思い出していきました。

私と姉がまだ幼いころ、母が病気で亡くなりました。それ以来、父は働きながら、慣れない家事を一生懸命にこなし、私たち姉弟を育ててくれたのです。また、父は困っている人を見ると放っておけず、助けに行く優しい人でした。父はいつも、与える愛に生きていたのです。

(父さん、これからは僕が、父さんのように他の人に愛を与えて生きるよ―)

神仏の光を感じてほしい

父さんのように、愛に生きるよ【体験談】

大川総裁の教えが、私の心に真理の光を投げかけ、不幸の底から救い出してくれました。

私と同じように、人生の問題に悩んでいる人にこの教えを伝えたくて、いつも幸福の科学の布教誌や書籍を持ち歩き、出会った人にお渡ししています。助けを必要としている方がいたら、お話に耳を傾け、ポジティブな言葉で励まします。

「私は幸福の科学で、人生の悩みや問題を解決して、成長する方法を学んだんだ。あなたの悩みも、きっと解決できるよ」

そうお話しすると、多くの人が教えに関心を持ってくれます。家族問題で悩んでいた友人は、支部のセミナーに参加し、学んだ教えを実践するうちに家族の関係が改善。それを機に幸福の科学のメンバーになり、家族のためにも本格的に教えを学び始めています。

この教えによって人生が照らされ、どんどん幸せになっている周りの方々の姿を見るのが、私の一番の喜びです。

今、大川総裁は数多くの教えを説かれ、その教えが世界各地に広がり、多くの人の心を救っています。私は、大川総裁が現代の救世主であると信じています。

この時代に主と共に生まれている多くの人々が、主への信仰に目覚め、主の光が臨んでいることに気づけるよう、これからも教えを弘めていきます。

※『永遠の法』(大川隆法 著/幸福の科学出版刊)を原作とする、 大川隆法製作総指揮のアニメ映画(2006年公開)。

書籍で学ぶ真実の人生とは

『愛、無限』(大川隆法 著/幸福の科学出版)1 霊的人生観の必要性より抜粋したメッセージ

唯物論から愛は生まれない

愛が生まれてくる原点には、生きているものの尊さに対する無限の信頼があります。「生きているもののすべてが尊い」と思わずに、どうして愛の気持ちが湧き起こってくるでしょうか。地球や、そこに生きている人間が、宇宙の塵にも等しい、つまらない存在であるならば、どうして愛が生まれてくるでしょうか。

人間が、そうしたつまらない存在であるならば、この二、三千年、あるいは、それ以上の長きにわたる、文明・文化という名の営み自体が、わずか数十年だけ地上に生きる人間の慰み事にしかすぎないことになってしまいます。すべての宗教や道徳は、また、おそらくは哲学も、虚妄、世迷い言となってしまうでしょう。

みなさんは、自分自身や他人を、そして、生きているものすべてを卑しめる、そのような思想に、心の底から共鳴できるのでしょうか。私は、それを問いたいのです。

「いや、そうではありません。私は、人間の尊さ、生き物の尊さを信じます。その生命が無限なるものから分かれてきていることを信じます。

人間は、一時の仮の世である、この世だけの存在ではなく、はるかなる世界に永遠のすみかを持つ存在であり、この地上に幾度も生まれ変わってきては、また去っていき、また来たる存在なのです」

このように考えることができる人にとっては、他の人には苦悩に満ちた地上界が、きっとユートピアのごとく見え、まったく違った世界が展開していくでしょう。そのときに初めて、人生というものは、虚しいものではなく、積極的なる意味を持ったものになると思うのです。

したがって、真実の人生を生きるためには、その出発点として、「霊的なる人生観」を打ち立てる必要があります。これなくしては、いくら議論を積み重ねたとしても、すべてが虚しくなるのです。

それは、ちょうど、砂浜で子供が砂の城をつくるようなものです。子供の目には、その砂の城は堅固な要塞のように見えるかもしれません。しかし、やがて沖から波が寄せてきて、その上を通り過ぎたとき、砂の城は、はかなくも消え去ってしまうのです。

同様に、根本に霊的人生観を持たなければ、そのあと、高度な議論をいくら積み上げたとしても、あるいは、いくら知識を学び続けたとしても、残念ながら、それは砂の城にすぎません。やがて人生の荒波をかぶったとき、もろくも崩れ去っていくことでしょう。

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経営難、障害、すべての苦難が光に変わった!【体験談】
アメリカで、ハッピー・サイエンス(幸福の科学)の教えを弘めている、D.Eさん。その情熱の奥には、つらい過去を乗り越えて、真理をつかんだ経験がありました。
D.Eさん(アメリカ)
月刊「幸福の科学」359号より転載・編集

人生の真実を求めて

人生の希望を見つけた!【体験談】

1996年8月、私はアメリカ合衆国のウィスコンシン州に生まれました。私が6歳になるころ、両親は離婚し、母は女手一つで、兄と弟、私の3人の子供を育ててくれました。

父とは離れて暮らしていましたが、週末だけは一緒に過ごすことができ、私はその時間を、いつも楽しみにしていました。

私が16歳のときのこと。ある朝、母のもとに1本の電話がかかってきました。そして母は、父が自ら命を絶ったと私に伝えたのです。私はひどくショックを受け、父を失った孤独感と絶望感に襲われました。

(父さん、どうして……)
人は死後、どうなるのか。天国、地獄はあるのか―。その疑問に答えてくれる人は、誰一人としていませんでした。

(僕は、何のために生きているんだろう)
悶々とした日々を過ごすうち、私の口数は減り、家族や友人との関係もぎくしゃくしていきました。ネガティブなことばかり考えるようになった私は、親友にさえ、否定的な言葉を投げかけ、気付けば多くの友人を失っていたのです。そんな自分がつくづく嫌になり、自己嫌悪に陥りました。

(何を支えに生きていけばいいんだろう)
このつらい状況から救ってくれる「何か」を求めて、宗教やスピリチュアル関係の書籍をひもといたり、インターネットで情報を探したりするようになりました。

運命の映画

ある日、インターネットの動画サイトで、ふと目に入った映像が気になり、クリックしました。それは、天地創造や仏陀の悟りが描かれたアニメ映画「太陽の法」でした。

私は、そのストーリーにどんどん引き込まれていきました。2600年前のインドの地で、仏陀が弟子たちに教えを説くシーンでは、不思議と熱いものが込み上げてきて、観ていられなくなるほど……。心の内に、光が差し込んでくるような感覚を覚えたのです。まるで、暗い洞窟の中から、一気に太陽の下に引っ張り出されたようでした。

(この映画のことを、もっと知りたい!)

『太陽の法』

私は映画の原作本である『太陽の法』を購入し、じっくりと読み進めていきました。そこには、人間は魂を磨くためにこの世に生まれてくることや、肉体は死んでも魂は永遠に生き続けることなど、他の宗教では得られなかった答えが、明確に説かれていたのです。

(人は魂修行のために、何度も生まれ変わる……。じゃあ、父さんもあの世で生き続けてるんだ! もっと教えを学んでみたい)

しかし、自宅のあるウィスコンシン州にはハッピー・サイエンスの支部がなく、私は1人で書籍を読み続けていました。気付けば1年間で、50冊以上も読破していたのです。

そして2016年3月、フロリダを旅行した際に、ようやくハッピー・サイエンスのフロリダ支部を訪ねることができました。緊張しながらも支部に足を踏み入れると、信者の皆さんが温かく迎えてくれ、とても親切に私の話を聞いてくれました。私はともに教えを学べる仲間がいる幸福感の中で、三帰誓願をすることができたのです。

未来への希望が見えた!

その後、私は支部のセミナーなどに参加し、自分の心を深く見つめるようになりました。

ハッピー・サイエンスでは、自分から他の人に優しくしたり、思いやりを持って接したりする「与える愛」の大切さを教えています。

私は今まで、家族や友人に「ああしてほしい」「こうしてほしい」と、自分の要求を押し付けるばかりでしたが、それが実は「奪う愛」の心であり、自分や周りの人々を不幸にする原因だったと気付いたのです。

(僕は今まで、周りの人を大切にしていなかった。自分から愛を与えることなんて、考えたこともなかったな……)

私は、これまでの自分の生き方を反省し、家族や友人と言い争うことをやめました。そしてできる限り、思いやりを持って接するようにしていくと、周囲の人々との関係が好転していったのです。

また私は、「お金は悪だ」「豊かな人は貪欲な人だ」と思っているところがありました。しかし、大川総裁の「富」や「繁栄」の教えを学ぶうち、一生懸命に働いて、世の中のために富を還元していくことは素晴らしいことだと分かったのです。

仕事の基本は「愛」であり、仕事を通して、人々を幸福にしていくことができると学びました。すると、大学でも、アルバイト先でも、心を込めて学業や仕事に打ち込めるようになったのです。

これは私にとって、とても大きな変化でした。私は未来に希望が持てるようになり、自分自身を肯定できるようになったのです。
(この教えを学べば、みんなが幸せになれる。多くの人に真実を伝えていきたい!)

アメリカに幸福を広げたい

人生の希望を見つけた!【体験談】

数カ月後の16年10月、私にとって、さらにうれしい出来事がありました。大川総裁のニューヨーク講演会が開催されたのです。

説法の間、私はまるで天国にいるような気持ちでした。大川総裁は、次期大統領にはドナルド・トランプ氏がふさわしいと述べられ、アメリカが世界のリーダーとして繁栄していく道を示されました。

そのひと月後の大統領選では、大川総裁が説かれた通り、大方の予想を覆してトランプ氏が当選。この結果によって、世界が良い方向に向かっていくと確信しています。

私は現在、大学で、大川総裁の書籍学習会や映画の上映会を開催しており、参加者のなかから、教えに感動してメンバーになる方も誕生しています。

大川総裁が説かれる、どんな人の悩みも解決する心の教えと、世界を平和に繁栄させる政治・経済の教えを伝えることが、私の使命だと思っています。アメリカ中に伝道し、本当に幸福な人を増やしていくために、これからも行動していきます。

書籍で学ぶ幸福の科学入門

『幸福の法』(大川隆法 著/幸福の科学出版)3 愛の原理より抜粋したメッセージ

「奪う愛」ではなく「与える愛」の実践を

みなさんは、「愛」と言うと、ほとんどは、好きな男性から愛されること、好きな女性から愛されること、親から愛されること、子供から愛されることなど、愛を貰うことばかりを考えるでしょう。そして、充分に愛を貰えないので悩むのでしょう。これを解決しなければいけません。 

みんな、愛が欲しい人ばかりで、与える人がいなかったならば、この世には愛が不足してしまいます。したがって、まず愛の供給をしなくてはいけないのです。それぞれの人が愛の供給をすれば、世の中は愛に満ちてきます。奪うことばかりを考えてはいけないのです。

愛不足の社会、奪う愛の社会は、たとえて言えば、ほとんどの人が、病人のように、病院のベッドで治療を受けていて、「あそこが痛い。ここが痛い。もっとよい薬をくれ。もっと楽にしてくれ」と言っているような状態なのです。みんながそのように言っているのでは困ります。もっと医者や看護師を増やさなくてはいけませんし、薬ももっと出さなくてはいけません。

したがって、自分のできるところから愛を与えていきましょう。人のためになることをしましょう。自分が幸福になりたいと言う前に、人を幸福にしようとしてごらんなさい。そういう人が増えたら、悩みは自動的に解決していくのです。

みなさんの苦しみのほとんどは執着であるはずです。それは、「人からこうしてほしいのに、してもらえない」という苦しみであるはずです。仏教では、これを「求不得苦」といいます。「求めても得られない苦しみ」という意味です。これは、釈尊の説いた、苦しみについての教えであり、「この世では、求めても得られないものがある」ということです。

いつまでも、「こうしてほしいのに、してもらえない」というようなことばかり言っていたら、幸福な人は一人も出てきません。まず、できることからやりなさい。人に対して、与える愛を実践することです。そこから道が開けるでしょう。

与える愛を実践している人は、すでに幸福への第一歩に入っています。まず、毎日が楽しいでしょう。それから、人が喜ぶ姿を見て、自分もうれしいでしょう。人が喜ぶ姿、人が幸福になる姿を見て、自分も幸福になれるようになったら、すでに天国への第一歩に入っているのと同じです。そういう人が死後に天国へ行くのです。

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私は、自分が小さい頃に養女に出されたことを、不幸だと思っていました。しかし、幸福の科学との出会いを通して、自分自身の境遇に対する見方が全く変わり、心から感謝できるようになりました。
きょうは、私のたどった心の軌跡をお話しします。Hさん(40代・女性)

夫の浮気、離婚・・・

いまから十数年前、私は離婚しました。長年、前夫の浪費癖や夜遊びなどに悩まされてきましたが、3人の子供のためを思って、ひたすら耐えていました。

しかし、そのなかで夫の浮気が発覚。さらに長男が成長するにつれて、「おまえなんか!」と父親に反抗するようになったのを見て、「もう限界だ」と別れる覚悟を決めたのです。

私は子供たちを連れて実家に戻りました。長男は中学に入ったばかり、下の娘はまだ幼稚園でした。

愛を裏切られて・・・

前夫と出会ったのは20歳の頃。彼は遊び仲間のグループの一人でした。彼はとてもマメな人で、「体調が悪い」と言えば薬を買って車で届けてくれるし、よく高価な宝石を私にプレゼントしてくれました。スキーで捻挫したときは、毎日、会社まで車で迎えにきてくれました。

そんな彼の強烈なアプローチに押されたカタチで結婚。

ところが、塗装工をしていた夫はバブル崩壊のあおりで仕事が激減しました。極端に少ない額のお給料では足りず、私たち家族は一日1000円に満たない倹約生活でした。

彼はアルバイトもしましたが、そのお金を生活費に回してくれず、ブランド物を身につけ、夜も遊び回って帰ってこなくなりました。そして浮気—。

「こんなはずじゃなかった・・・」

幼い頃から人一倍、愛を求めていた私。実は生後すぐに養女に出されてしまい、心に寂しさを抱えていたのです。「こんなに強く私を愛してくれる人なら大丈夫だろう」という夫への期待は、見事に裏切られました。

養女と知った日

私が初めて、自分が養女だと知ったのは、小学校3、4年生ぐらいの夏だったと思います。東京の下町で育った私は、毎年夏になると、栃木にある母の田舎に遊びにいきました。

一人娘の私にとって、大勢のいとこたちと一緒に自然豊かな山や川で遊び回る日々は、とても楽しみでした。

ある日、一緒に遊んでいた3歳年下のいとこが、思い出したように言いました。

「ねぇ・・・ほんとうは、Hちゃんってさ、私のお姉ちゃんなんだって」

突然の言葉にびっくりしましたが、幼いなりにも、それがどういうことか、なんとなくのみこめました。

「いとこが私の妹・・・じゃあ、田舎のおばさんが私のお母さんってこと?」

口数の少ないおばさん。私から話しかけたりすることもあまりなく、なんだか自分の母親という実感がわきません。おじさんはすでに亡くなっていました。

私はいらない子

「私はお母さんのほんとの子供じゃないんだ。もらいっ子なんだ」

頭のなかで「もらいっ子、もらいっ子」という言葉がぐるぐる回り、ほんとうにショックでした。

ちょうどテレビでは、山口百恵が養女役のつらい境遇を演じる連続ドラマを放映していました。養女というイメージは私の心に暗い影を落としました。

「田舎は4人もきょうだいがいるのに、なんで私だけ養女に出されたの?私はいらない子だったの?」

「私はいらない子」という独り言を、何度つぶやいてきたことでしょう。

養女の事実に気づいて以来、心の底に「私は親から必要とされていなかった存在」という孤独感がありました。そんな私の心を満たしてくれるような、ほんとうに愛してくれる人を求めて、前夫と結婚したのです。

結婚前、私を追いかけ回していた彼。それを私は、自分だけに対する特別な愛情の証と信じ込んでしまったのでした。

「いらっしゃいませ」

離婚後、子供を連れて戻った私を、養父母は黙って迎えてくれました。何のあてがあるわけでもありません。

ただ、失意のなかにも、一条の希望のようなものが胸の内に宿っていました。その一条の希望—私の心の拠りどころとの出会いは、離婚の2年前、偶然とも言えるきっかけからでした。

ある日、いきつけの美容室に行ったところ、お店が閉まっていました。

「あー休業日かあ。どうしよう。また出直すのも大変だな。うちの子が待ってるし、次いつ来られるかわからないし・・・」

CLOSEDの札を眺めながら、しばらく店の前で思案していると、前に見かけた美容室をふと思い出し、そのお店に行ってみることにしました。

「—いらっしゃいませ。こちらは初めてですか?」

雰囲気のよい店内。店長さんらしき男性が迎えてくれました。初めての店だと、なかなか思うような髪型にしてもらえないことも多いので、ちょっと不安でしたが、私の要望をよく聞いてくれ、素敵にカットしてもらえました。思いきって来てみて正解です。

すっかり気に入った私はリピーターになり、店長さんとも顔なじみになりました。

けれども、これがのちのち私の人生を大きく変えていく出会いであったとは、この時点ではまだわかりませんでした。

運命のトビラを開いて

ある日、店長さんに髪を切ってもらいながら世間話をしているうちに、いつのまにか家庭の悩みを口にしていました。

「実は夫とうまくいかなくて・・・」
「そうなんですか。それは大変ですね」

店長さんは鏡ごしに心配そうな表情を向けました。

「—あ、そうだ。そういうことなら、いい本がありますよ。よかったら読んでみますか?きっと何かしら参考になることがあると思いますよ」
「えっ、本ですか?私はちょっと・・・」

子供の世話で、毎日てんてこ舞い。ぜんぜん本を読む余裕などなさそうでした。でも、美容室から出たあとも、店長さんの言葉が気になってしかたありません。

結局、それから何日かたって、やっぱり貸してもらうことにしました。本を適当にパラパラと開いてみるうち、いつのまにかひきこまれていきました。

「夫の愛情不足を嘆く人は、あちらにもこちらにもいます。・・・女性はどうやら愛情に飢えている動物であり、愛情が与えられないと、“飢え死に”をしてしまうもののようです」『「幸福になれない」症候群』第3章

自分に語りかけてこられるような感じがして、不思議なくらい早く読み終えることができました。店長さんにお礼をいって、本を返しました。

「おもしろかったですか?まだほかにもいろいろ本があるから、貸しましょうか」

こうして私は大川隆法総裁の本を読むようになったのです。

大川総裁の話のなかには、愛についての話がたくさんあり、気になります。「与える愛」とか「奪う愛」とか、まだよくわからないながらも、ここに自分の求めているものがあるような気がします。

私は未来への期待感を抱いて、幸福の科学に入信しました。

その後、離婚など、つらい出来事もありましたが、幸福の科学と出会っていたことが、そうした日々のなかで私の心の支えとなったのです。

心のなかの変化

ある日、玄関チャイムの音がしました。

「こんにちは。私、幸福の科学の者ですが・・・」

幸福の科学に入ってしばらくして、近所の信者さんが訪ねてきてくださいました。近くで集いを開いているそうです。新たな人たちとのご縁は、私にとって、とても新鮮でした。

幸福の科学の人と出会って、私のこれまでのお付き合いとは違うと思ったのは、心を開いて何でも話し合える雰囲気があることでした。

私もみなさんと一緒に集いに参加したり、支部の活動に出たりしているうちに、だんだん新しい生活のリズムができ、気持ちにも余裕が出てきました。

ある日、支部で、ある方から、「一度、これまでの人生で、自分が人に与えた愛と、人から与えられた愛を、全部書き出して比べてみるといいですよ」とすすめられました。

私は、そのやり方をヒントに、心に引っかかっていた前夫について考えてみることにしました。彼と出会った頃からの出来事をいろいろと思い出していくうち、(彼にはけっこうお世話になってたなあ)と、あらためて思いました。

そのわりには、「してもらって当然」という思いで、ぜんぜん感謝してなかった私がいました。なぜそんな態度になってしまったのかを、さらに考えていくうち、恐ろしいことに気がつきました。

「あなたが追いかけまわしたから、私は結婚してあげたのよ」

心の底に、常にそんな思いが潜んでいたことに気づき、ゾッとしました。自分が夫に愛されることばかり考え、思い通りにならなくて苦しんでいましたが、自分から夫に何かしてあげようとは思っていませんでした。

こういうのが「愛を奪っている」ということなんだと気づき、このままではいけないと思いました。

私はさらに反省していきました。もしかしたら、前夫だけではなく、他の人にも知らないうちに「奪う愛」になっていたかもしれない—。

これからは、私も愛を与えられるような人になりたいと思いました。

新しい生活のなかで

その日以来、私は他の人の幸せを意識するようになりました。でも、思いを切り替えるというのは難しいものです。

泉からあふれ出る水のように、愛を与えられる人—そんな理想のイメージにはほど遠く、「私のことをわかってほしい」という思いが先に立ってしまいます。つい人の目を気にする自分がいました。

私は幸福の科学の活動をしたり、仲間にアドバイスをもらったりしながら、少しずつ自分を変えようと努力しました。

仲間のなかでも特にお世話になっていたのが、私に幸福の科学のことを教えてくれた美容室の店長、Sさんでした。

Sさんは私に困ったことがあると、よく相談に乗ってくれました。何より、同じ信仰を持っていることで、互いに気持ちが通じ合えるのです。子供たちもSさんと親しくなりました。

私も彼の誠実な人柄にひかれるようになり、離婚から3年後、再婚することになったのです。

その後は、初めから家族だったように自然で、みんなで車に乗ってスキーに行ったり、テーマパークで楽しんだり、温泉を巡ったり・・・わが家のアルバムに楽しい思い出が追加されるたびに、私は「幸福の科学に出会ってから、ほんとうに幸せなことが増えたなあ」という実感をかみしめました。

また、可能なかぎり幸福の科学の精舎研修にも、主人と2人で参加していきました。

前夫への反省を通してはっきりしてきたのは、私の「愛されたい」欲求は根深く、それはやはり養女という生い立ちからきているということでした。

自分の過去をしっかり見つめたい—。私は、精舎で開催されていた「両親に対する反省と感謝」研修を受けにいくことにしました。

父母の本心

養女と知った当時、私は子供心に「聞いてはいけないんだ」という気持ちがして一人で抱え込んでしまいました。それが自分の正直な気持ちにフタをしてしまった最初だったと思います。

以来、私も親類も正面からその話題を出さないながらも、話の端々にチラチラにおわせることで、いつしか暗黙の了解のようになっていったのです。こうして親類のような親きょうだいのような、微妙な感じが続いていました。

でも、私の心の影は置き去りにされたまま・・・。

研修中、「大悲(だいひ)父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」を唱え、心を鎮めて瞑想していると、突然、心のなかにある光景が浮かんできました。田舎の家の広い座敷に寝かされている赤ちゃん—それは私でした。実の両親が私をのぞき込んでいます。

両親は顔を見合わせて、ため息をつきました。しだいに私を渡す日が近づき、どんどん無言になっていく両親。もうしばらくすると娘を手放さなければならない・・・。

寂しく悲しい気持ちになっている2人の心の内が、手にとるように感じられます。

「私のこと、いらなかったんじゃなくて、あげたくなかったんだ」

私は涙があふれ出し、嗚咽が止まらなくなりました。以前、上の姉が何気なく言っていた話の断片を急に思い出しました。

「父ちゃん、Hをあげたあと、心配でそっと東京まで見にいったんだよ。そしたらKおばさんが、Hを背負って鼻歌うたいながらおむつを洗濯していたから、安心したって」
「でもね、Hをあげたあと、父ちゃんと母ちゃんは寂しくて悲しくて、結局もう一人産んだんだよ。生まれた妹を抱いてね、『かわいかんべぇ。東京に行ったHに似てるべ』って、近所を歩いて回ってたんだよ」

早くに亡くなってしまった実父。写真でしか知らない人が、まぎれもなく私の父親であるということが、このとき初めて実感として迫ってきました。

そして実母。4人目の私を妊娠したとき、農家の嫁として朝から晩まで働きづめだっただけに、ずいぶん悩んだようです。

ある日、畑から戻った母は慌てました。高い縁側のふちで、3歳児だった長女が生まれて間もない次女を必死でつかんでいたのです。一人で床を這い出した次女が落ちかかっていたそうです。

「仕事が忙しくて、子供たちの面倒もろくにみてやれない。こんな状態で産んでもかわいそうだ。・・・いっそ子供のいない妹夫婦に預けたほうが、ずっと大切にしてくれるんじゃないか」

私を養女に出したのは、苦悩の末の決断でした。

田舎に行くと、いつも田や畑に出ていた実母。野良仕事から帰ってくると、「来たかぁ。ほら、とうもろこし茹でたぞ。食べろ」とすすめてくれました。

無口で、いつもニコニコ微笑んでいる人。親子の会話は少なかったけれど、やりとりの一つ一つがあたたかい・・・。あの母が苦しんで苦しんで、ほんとうに私のためを思って養女に出した気持ちを思うと、泣けてしかたありませんでした。

そして考えてみると、養父母も優しい人で、私を大切に育ててくれました。小さい頃、私の洋服は全部、養母のお手製でした。大好きだったキリンや馬のぬいぐるみまで作ってくれていたのです。

私は気づきました。「私は恵まれていた! 私には母が2人もいて、他の人より2倍も愛されていた」—そう思ったとき、長年ひきずっていた心のなかの影は消え、あたたかい気持ちで満たされたのです。

研修のなかで、私は実母に手紙を書きました。「お母さん」と呼ぶのは初めてです。

「お母さん、私を宿し、10カ月大切に育て、無事産んでくれてありがとう。私の幸福を願い、信じ、東京に養女に出してくれてありがとう。お母さんが私の幸せを心から願いつづけてくださったお蔭様で、今の私があります。心から感謝しています。ありがとう。—あなたの娘・Hより」

実母は80歳。帰省時には、いとおしむように2人のときを過ごしています。またこの体験を通じて、私を慈しんで育ててくれた養父母への感謝もいっそう深まりました。

魂の絆をかみしめて

再婚後、わが家はもう1人、男の子に恵まれ、4人の子供になりました。その子もいま、小学校2年生。明るく活発で、わが家のアイドル的存在です。

ほかの子供たちも主人とほんとうの親子のように暮らしているのを見ると、血の繋がりを超えた深い絆を感じるのです。

幸福の科学では、親子の魂は天上界で約束して生まれ合わせてくると学んでいます。肉体的な血縁があってもなくても、確かに魂の深い縁で結ばれている人たちがいるのだと実感しています。

最後に、幸福の科学と出会えた幸福に対し、天上界に心から感謝申し上げます。

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