起業家として新しいビジネスを始めたい。生涯現役、第二の人生を開きたい。
ただの経営者ではなく、真理を実践する“徳”のある経営者になりたい。
そうした目標を達成するための
とっておきのメールマガジン「徳ある経営者になろう」。
大川隆法総裁の経営書シリーズから学び、
経営の極意をつかんでいきましょう。
このメルマガでは、毎回テーマを設け、
大川隆法総裁の経営書シリーズ抜粋より、経営の極意をつかむべく、
ヒントを配信しています。
※当記事は、メールマガジン「徳ある経営者になろう」(隔週配信)の一部をバックナンバーとして掲載しています。
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徳なるものは必ずあるものです。
それをみなさんにわかるようなかたちでご説明するならば、自分が生きてきた時間のなかで、自分のことより他の人の幸福のことを考えた時間のほうがはるかに多い人のことを、「徳ある人」と言うのです。
徳がある人というのは、他の人びとへの愛の思いを持ちつづけてきた人のことを言うのです。
※以上『人格力』より抜粋
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|第93回「理想の会社の創りかた」-財経を見る眼(8)-
財務の厳しさについて、大川隆法総裁は「企業人にとって、赤字は“罪悪”である」と述べました。一般の犯罪と同様に、赤字が罪悪であることを日本の経営者は知らねばなりません。そして、「財務的判断」は、「鬼手仏心」、つまり、心は会社の存続を願いつつ、現実は鬼の如く厳しい手を打たねばならないのです。(※参照『財務的思考とは何か』)
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全体の経営とのバランス上の問題もあります。無駄のように見えても、将来のための、いろいろな研究開発や、フィールドを広げるためにやっているものもあります。どちらとも言えますので、そのへんの裁量は、極めて難しい経営的判断が加わります。どちらとも言えない、いろいろな経費は、「赤字」になってくると、認めるのは厳しくなってき始め、「黒字」になると、経費として認める幅が広くなるということです。
「赤字」か「黒字」かで善悪が決まって、経費になったり、経費にならなくなったりすることは、あります。現実に、裁量の範囲としてはあることで、しかたがないところです。赤字は「罪悪」なのです。犯罪だけが罪悪ではありません。企業人にとっては、赤字は罪悪であり、赤字になったら、“刑務所”に入れられようと、何をされようと、“殺され”ようと、しかたがないのです。そうした“厳しさ”は、あるということです。
※以上『財務的思考とは何か』より抜粋
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日本には数多くの会社がありますが、そのうちの約七割は赤字会社であると言われています。もちろん、商売が下手で赤字になっていることもありますが、税金の支払いを逃れるために赤字をつくっている会社も非常に多くあります。
税金について言えば、次のような考え方を持つことが非常に大事です。「税金が払える」というのは、「少なくとも税金に倍するぐらいの利益がある」ということを意味しています。そもそも利益がなければ税金は払えません。税金を払わなくても済むようにするため、赤字にも黒字にもならないスレスレのところを狙って経営する人も数多くいますが、それは結局において、無駄な経費を使ったり、無駄な投資をしたりしているにすぎないことがよくあります。
納税額が増えていくことは、同時に、内部留保が増えていくことでもあります。この点を無視してはいけません。日本という国において経済活動の場を提供され、日本人を相手に商売をしている以上、それによって得た利益の一部は国家に還元すべきです。また、お金は天下の回りものであり、自分の会社が納めた税金は、やがては商売相手のほうへも流れていきます。その意味では、「事業によって得た利益の半分程度は“公金”である」と考えたほうがよいのです。
※以上『経営入門』より抜粋
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