難病を持つ娘と過ごした日々【幸福の科学 信仰体験】
この記事は隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第111号より転載し、編集を加えたものです。
生まれたばかりの娘が難病を抱えていた—。
それは、「自分は不幸だ」と思うには、十分すぎる理由でした。
どん底のような思いで生きる日々・・・。
そんな毎日から私を救い出してくれたのは、1冊の仏法真理の書との出会いだったのです。
今日は、そのいきさつをお話ししたいと思います。
長女の誕生
1989年2月24日、私は2人目の子、Cを出産しました。
女の子です。
生後1カ月半くらいたった頃からでしょうか。
なかなかCの首がすわらないのが少し気になりだしました。
でも、2カ月検診では、特に異常はみられませんでした。
「まあ、女の子だし。こんなものなのかな」
ところが、Cは4カ月たってもまだ首がすわっていませんでした。
「やっぱり、心配だなあ・・・」
近くの病院に連れて行くと、小児科の脳の発達外来を紹介されました。
そこで血液検査など、一通り調べてもらいました。
「首がすわるのが、ちょっとまだ遅いですが、今みる限り、特にどうということはないと思います。念のため、脳のCTを撮りましょうか」
先生の態度が急に変わったのは、CTの画像を見てからでした。
「これは・・・。お父さんを呼んでください」
「え?」
先生の険しい表情に戸惑いながらも、主人に連絡を取りました。
主人もすぐに駆けつけてくれました。
「・・・Kさん。この子は、1年もたないかもしれません」
先生はCT画像に写る脳の一部を指差しながら、淡々と話を続けました。
「ここの脳のシワができていないんです」
思わず、抱いているCの顔を覗(のぞ)き込みました。
「これは非常に珍しい病気です。ウチの病院でも、これまでに6人ほどしか症例はなかったと思います。だいたい1年以内に亡くなっています。最後は肺炎や痙攣の発作を起こして・・・」
「待って。だって、表情もしっかりしているし、普通に笑うじゃない。ミルクだってちゃんと飲むのに、そんな・・・」
先生から出た悲惨な言葉と、娘の元気な姿には、あまりにもギャップがありすぎ、他人事のようにしか聞こえませんでした。
診断書の病名の欄には「滑脳症」と書かれていました。
つのる不安
検査のため、2日後には、Cと一緒に病院で寝泊りする生活が始まりました。
脳関係の病棟には重症のお子さんも多くいます。
痙攣を起こした子の処置に、お医者さんや看護師さんが走り回っていました。
「こんな大変な場所に、私もいるんだ」
この現実を受け入れなければいけないと思うと、すごく怖くなりました。
「今は普通だけど、将来はあんなふうになっちゃうんだろうか」
不安がふくれあがり、初日から眠れない夜をすごしました。
Cと同じ病気を持つ方はいませんでしたが、子どもに付き添う他のお母さんたちに、育児の大変さや薬の副作用についてなど、話をたくさん聞きました。
先の見えない不安。
事前に聞いておくことで、「いつか本当にそうなっても耐えられるようにしなきゃ」と思う一心でした。
何のために生まれてきたのか
検査入院から1カ月後。
「いろいろと検査をしてみましたが、結局、原因は分かりませんでした」
先生にそう言われました。
「Cちゃんがあと何年生きられるかも、分かりません。ただ、今すぐに亡くなる要因はないようです」
その言葉に、とりあえずホッとしました。
ようやく戻れた日常生活。
でも、今までとは何か違う感じがつきまといました。
抱っこしながらお散歩に行っても、周りの人から好奇の目で見られているような気がしました。
どうしてもCと他のお子さんを比べてしまいます。
Cは体温調節機能が悪く、夏は暑さで脱水症状を起こしたり、肺炎を起こし、そのたびに入退院を繰り返していました。
再入院したある晩、静かに眠るCの隣で、私は病室の窓から見える夜景をぼんやりと眺めていました。
窓越しに見える街の明かり。
そのあたりは、私が会社員をしていた頃に、何度も足を運んだ場所でした。
「もう、あそこには帰れないんだ」
ふいに涙が溢れてきました。
それまで普通に眺めていた夜景が、ガラス1枚隔てて、別世界のように見えました。
難病の子どもを抱えていると、いろんな苦労がある。
何も知らなかった頃には、もう戻れない—。
自分だけが世の中から取り残されたような気がしました。
「現代医学でもこの子の命がどうなるか分からないなんて。Cは、何のために生まれてきたの?」
考えても分かりません。
医師や知り合い、時には霊能者と言われるような人にも聞いて回りましたが、答えをくれる人は誰もいませんでした。
「もしかしたら、目に見えない“何か”があるのかも—」
そんな気がしてなりませんでした。
神様にお任せしよう
Cが1歳になったある日、ついに恐れていた痙攣が始まりました。
「とうとう、この時が来てしまった」
膝がガクガクと震えました。
漠然と考えていた不幸な出来事が、一気に現実感を伴って襲ってきました。
主人も仕事が忙しく、私はCの体調のちょっとした変化も見逃さないよう、いつも気を張っていました。
自分が薬を与えたり、病院に連れて行ったりする、その判断ひとつで、わが子の命が左右されてしまう—。
その重圧が、苦しくて苦しくて仕方がありませんでした。
「私がしっかりしないと」
押しつぶされそうになりながら、でも、なんとか気持ちを奮い立たせていました。
「1年もたない」と言われていたC。
それでもなんとか無事に、2歳の誕生日を迎えることができました。
ある日、私はベビーシートの脇に座り、Cをあやしていました。
少し前に、家族で行ったお花見を思い出しながら語りかけました。
「Cちゃん。桜、きれいだったね。Cちゃんも楽しかった?」
そっとCに触れた時、ふっと思いました。
「私がなんとかしなきゃ、と思っていたけど・・・。この子の命を、私が管理できるというようなものじゃないんだ」
ベビーシートのなかで、小さな手を一生懸命に動かすC。
「目に見えない神様にお任せしよう」
そんな思いが湧き上がってきたとたん、ずっと張り詰めていた気持ちがスッと楽になりました。
『太陽の法』を読んで
それからしばらくしてからのことです。
買い物から帰ってくると、同居している母から声を掛けられました。
「今日、こんな本を持ってこられた方がいてね」
近くに住む幸福の科学の信者さんが持ってきてくれたというのです。
それは大川隆法という方の『太陽の法』という本でした。
読んでみると、仏様のことや魂のことなどが書かれていて、引き込まれるようにページをめくりました。
「・・・まず人間本来の目的と使命という点から考えていくことが必要です。その出発点は、なぜ人間はこの世に生まれてきたのかということにあります」(第4章「悟りの極致」)
一気に読み終えました。
「やっぱり目的があって生まれてきているんだ!」
人間の本質は霊的な存在であり、仏と同じ光が宿っていること。
あの世で人生計画を立て、魂修行のためにこの世に生まれてくること。
どんな人生にも必ず意味があること・・・。
安堵感が私を包みました。
「なぜ私がこんな目に遭うのか」「どうしてこの子が難病になったのか」—Cを育てながら常に考え続けた疑問。
その「なぜ」に答えをもらったような気がしました。
「意味があるのなら・・・がんばろう」
私をとりまく世界がパーッと広がった気がして、なんだかとても元気が湧いてきました。
新たな出会い
私は、書店で大川隆法総裁の本を探して読みました。
どの本を読んでも、胸がうたれました。
最新情報が知りたくて、思い切って近くの支部に行ってみました。
「こんにちは・・・。初めて来たんですが」
「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、中に入ってください」
少し緊張しましたが、出迎えてくださった方の笑顔にホッとしました。
その日は、まず支部長が仏法真理の話をしてくれました。
その後に、参加者が4~5人でグループになりました。
私もひとつのグループに入れてもらいました。
支部長の話を聞いて思ったことや、幸福の科学の教えについてなど、みなさんが思い思い、話をしました。
身近な人の問題を我がことのように真剣に考えている方もいて、驚きました。
「私は自分に悩みがあってここに来たけど、この人たちは他人のために何かをしようとしている人たちなんだ・・・」
Cちゃんの笑顔
ある日、空いた時間を見つけて、幸福の科学の月刊誌を読んでいました。
そこには、「お布施(※)とは与える愛であり、人に笑顔を与えるのも布施の一つ」だと書かれていました。
「へ~。Cちゃん、笑顔も、人に愛を与えることになるんだって」
思わず横にいたCに話しかけました。
Cは笑い声をあげて、ニコッと笑いました。
ハッとしました。
「Cは、よく笑う! こんなステキな笑顔をいつも私に与えてくれていたんだ」
心が震えたような感じがして、涙が溢(あふ)れてきました。
何もできないC。
生きていくことさえ一人じゃできないと思っていました。
「違う、そうじゃない。Cも一生懸命、愛を与えて生きてきたんだ」
Cはなんのために生まれてきたのか、少しだけ分かったような気がしました。
「あと、どのくらい生きられるかは分からない。でもCがいてくれるだけで、こんなにも幸せ・・・」
主人も、仕事で夜遅く帰ってくると、Cの小さな手を、いつもいとおしそうに握っていました。
「お母さんたちも、Cと他の子を比べたりしないで、同じように接してくれる」
長男のKは、自分の好きな絵本をCに読み聞かせてくれます。
「みんな、Cを愛してくれてる。私のことも支えてくれてる。ありがたい・・・」
満月を見上げながら
「Cちゃん、お腹の調子が悪いかな?」
Cはここ1カ月ほど調子が良かったこともあり、しばらく様子を見て、病院には翌日、連れていくことにしました。
「—少し脱水症状を起こしていますね。入院しましょう」
「え? また入院ですか・・・」
ちょっと、うんざりしました。
ちょうど私のお腹のなかには5カ月目の子どもがいて、病院で寝泊りするのは正直しんどいと思ったのです。
それから、Cを先生にお任せして、受付に入院の手続きをしに行きました。
午後3時頃—。
「Kさん、ちょっと来てください」
「手続き中の私のところに、看護師さんが駆け寄ってきました。
「何か、あったんですか?」
「とりあえず、来てください」
嫌な感じがしました。
処置室の前に先生が立っていました。
「Kさん、Cちゃんの容態が急変しました。原因は分かりませんが、いま、できる限りのことはします。Kさんは、ここにいてくださいね」
そう言い残して、先生と看護師さんは処置室のなかに入っていきました。
気持ちばかりが焦りました。
長イスに腰掛け、ひたすらお祈りしました。
顔を向けると、高校の同級生だった看護師さんでした。
彼女はCが入院した時に、いつも気にかけてくれていました。
私と同じ目線の高さまで腰をかがめて彼女は言いました。
「お父さん、呼んだほうがいいかも・・・」
それからは、何がなんだかあまりよく覚えていません。
主人に電話をかけようとしても、手がぶるぶると震えてしまって、落とした手帳もうまく拾えませんでした。
「—Kさん、なかにどうぞ」
看護師さんに呼ばれて、主人と共にCのもとに行きました。
(C!)
ベッドに横たわる小さな体。
対面できたのは、わずかな時間でした。
Cは静かに息を引き取りました。
涙が溢れて、Cの顔もよく見えませんでした。
病院を出ると、とてもキレイな満月が浮かんでいました。
「C、今までありがとう・・・」
いずれまた会える
居間に入る時、食事の支度をしている時・・・何気ない瞬間に、Cがいつも寝ていた場所に目が向いてしまいます。
「あれ、Cがいない」と思いかけて、現実に返ったことが何度あったでしょう。
2歳8カ月—。
その短い時間を、精一杯、生きたC。
「不思議だなあ、Cと私は過去からもずっと縁があったような気がする」
Cとの思い出を何度も何度も反芻(はんすう)しては、そんなことを感じていました。
この世には「もういない」という悲しみはありましたが、不思議と心は静かでした。
「あの世があると知るっていうのは、こういうことなのかな・・・」
魂は永遠なのだから、またいずれCに会える—。
そんなことを心のなかで繰り返していた気がします。
ママもがんばるからね
1998年、私は総本山・正心館で研修を受ました。
そこで朝の瞑想の時間に、不思議な体験をしました。
風のように吹き渡り、雲のように流れていく瞑想をしていた時—。
Cの姿が心のなかにあらわれた感じがしました。
ニコニコ笑っている、元気なC—。
「ああ、Cは、あの世で元気にしているんだ」
その瞬間、Cなりに人生をまっとうできたんだという思いがこみあげ、涙が出ました。
心の奥で、親として十分にしてやれなかったことを申し訳なく思う気持ちがありました。
でも、あの笑顔・・・。
「Cが早く亡くなるのも、きっと魂修行のために親子で決めてきた人生計画だったんだね。ママはCのおかげで信仰にたどりつけました」
私がこの信仰に出会って救われたと伝えていくことが、Cの生きた人生を輝かせることにもなると思いました。
病院でお世話になった看護師さんや同じように子どもの病気で苦しむお母さんたちに、今まで以上に手紙やお電話で近況を報告しながら、これまでの体験をお話ししています。
「Cちゃんを亡くしてるのに、どうしてそんなに元気でいられるの?」
「Cの命が短くても、それに意味があることが分かったからかな。私、心の教えを学んでいて、『死んでも終わりじゃない』って知って、すごく励まされたの」
初めは驚いたように聞いていた友人たちも、次第に幸福の科学に興味を持ってくれるようになり、入信して一緒に勉強する方もできました。
これまで、多くの方に愛をたくさんもらったように、私も愛を与えられる人になりたいと思って生きています。
大川隆法総裁、ほんとうにありがとうございました。
最後に、Cちゃんへ。
ママもがんばるからね。
あの世で再会した時に、Cちゃんになんて言ってもらえるか、楽しみにしています。
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