体の障害(中途失明)を乗り越える【体験談】
失明しても、理想は描ける。努力もできる。
高校生の頃に視力を失ってしまったSさん。それまでの夢がついえるも、盲学校での新しい生活をスタートさせました。幸福の科学との不思議な縁に支えられながら、前向きな努力によって明るい人生を開いていったSさんの軌跡をお伝えします。
(Sさん/男性/隔月刊「ザ・伝道」第113号より転載・編集)
人一倍の努力は決して無駄にならない
家業を継ぐ夢
私はみかん専業農家の長男として生まれました。子どもにとって果樹園は格好の遊び場で、小学生の頃は木登りに夢中になりました。木に登れば登るほど高くなってしまう空や、遠く海から吹いてくる風の気持ちよさ、どこまでも広がる景色に吸い込まれ小さくなっていく自分──。自然の底知れぬ大きさを感じ、中学生の頃には、「将来、立派な果樹栽培者になろう」と決意し、自ら進んで農業高校に進学しました。弁論大会で農業の今後の展望と自分の夢について語り、県の最優秀賞を受賞したこともあります。すべてが順調のはずでした。
突然の視力低下
高校2年の秋の日。夕方、急に黒板の字がぼやけてきて、よく見えなくなりました。その日の朝までは普通に見えていたのに、です。それまで両目とも2.0あった私は、近眼とはこんなに早く進むものなのかと驚き、町医者で診てもらいました。視力検査の結果は、左目が0.01、右目が0.9でした。翌日、私は学校を休み、紹介された国立病院に行きました。
「視力は低下していますが、視神経の病気の場合、片目にきても両目とも悪くなることは少ないですから大丈夫でしょう」
それからは、検査のために毎日通院することになりました。目に痛みもなく、はじめはそんなに深刻な病気だとは思っていませんでした。ところが、日に日に信号の色が分からなくなり、通院の道のりが怖くなってきました。このまま見えなくなるのだろうか――。大丈夫だと言われていた右目までどんどん視力が低下し、2週間後には、急遽、大学病院に入院することになりました。
視力がゼロに
入院中は、検査と集中治療の毎日。視力は浮き沈みを繰り返しました。入院から1カ月、ついに視力がゼロまで落ちました。心配した親戚や友人がお見舞いに来てくれましたが、私には誰が来たのかもよく分かりません。両親は相当ショックだったようで、仕事も手につかないと聞かされました。担任の先生も、私の病気を聞いて一晩泣いてくれたそうです。でも、私にはどうすることもできません。「将来は自分もみかんをつくる」と言ったときの父の嬉しそうな顔が、何度も、何度も頭に浮かびました。
約7カ月後、なんとか視野の外側がわずかに見えるようになったものの、それ以上の治療効果は見込めず、退院して自宅療養することになりました。
やるせない日々
体は悪くないのに、することがないので、一日中寝ているような日々が続きました。ものが見えず、食事も、電話をかけるのさえも一人では満足にできません。家にこもって鬱々としている間に、どんどん時間は流れていきました。
ある日、私は急にみかん山が見たくなり、久しぶりに果樹園に行きました。12月の厳しい寒さに耐え、収穫間際の果実をたわわに実らせた甘夏の木が、私のわずかに残った視界に映りました。風が吹き、いつも木登りしては感じていた懐かしい感触を味わっていると、かつて自然の大きさに打たれ、「将来、立派な果樹栽培者になる」と誓ったことを思い出しました。その日の夜、父から「盲学校に行ってみないか」と言われました。発病して、先のことなど何も考えられなくなっていましたが、私は、まだ高校生活が途中だったのです。
盲学校へ
私は、4月から2年遅れで盲学校の2年生に転入しました。盲学校とはどんな感じなのか不安でしたが、読み書きできる生徒もいれば、好きな歌手の話をしたり、走り回れる生徒もいました。前の学校とあまり変わらない様子に安心した私は、視覚以外の感覚器官で補うことを覚えていきました。道を渡るのに、人に合わせて渡ることや、情報の整理の仕方、点字図書館やパソコンの音声案内……ものすごく世界が広がった気がしました。やがて親しい友人もでき、休み時間などによく話をするようになりました。ある日、友人が『神霊界入門※』という本を持ってきました。
「今日は、この本を読んであげるね」
自分で本が読めない私は、比較的見えるその子に読み聞かせてもらえる時間が楽しみでした。生まれ変わりのことや、天国や地獄について……。不思議な話が次々と出てきて、「へえ、あの世って、そうなってるんだ」と感心しながら聞きました。それから、私たちの休み時間は読書が恒例となったのです。
※室町末期の女性、小桜姫の霊言。現在、『大川隆法霊言全集』第26巻、第27巻に所収。
新たな希望
『神霊界入門』の次は『太陽の法』という本でした。仏とは何か、大宇宙の構造、守護・指導霊の存在……。『太陽の法』に書かれていたことは、初めて聞く話ばかりで、私は休み時間が待ち遠しくてなりませんでした。しかし、まもなく夏休みに入って中断。どうしても続きを知りたかった私は、自分で『太陽の法』を買って、家族に読んでもらいました。
「人間は、生きてゆく過程において、さまざまな困難にぶつかります。つまり、そうしたなかで、魂の修行をしていくわけです。これは、あらかじめ計画されていることです」
「魂にとっての修行」という教えに衝撃を受けました。目のことを自分で計画してきたかはわかりませんでした。でも、見えないなかでもできる努力はある、と強く感じたのです。それからしばらくして、また弁論大会があり、私は再び出場しました。
「私は、日本一の果樹栽培者を目指す途中で失明し、一時は無気力になりました。だけど、盲学校という新たな道に進み、そこでできる努力があると気づきました。いま、点字という手段を身につけようとしていて大変だけど、『ここから将来が開ける』と思うと、日々が充実しています……」
将来の夢、挫折、そして立ち直り――。自分の気持ちを正直に語った弁論は、大きな反響があり、全国で最優秀賞を受賞しました。
不思議な縁
高校卒業後、そのまま鍼灸・マッサージの資格をとる専門課程で3年間学び、無事、点字で鍼灸の国家資格を取りました。さらに技術を訓練したいと思い、全寮制の鍼の研究機関のある東京に出ました。寮生活にもなじみ始めた頃、私より1つ年上の研究生から声をかけられました。
「『太陽の法』っていう本の音声があるんだけど、とってもためになるから聴いてみる?」
「知ってる!それって幸福の科学でしょ?」
「そう、これ、ボランティアの方が吹き込んでくれたんだ」
遠く故郷を離れた東京の地で、まったく別の人から『太陽の法』を勧められるとは思いもよらず、不思議な縁を感じました。私は、早速借りてきた音声を聴きました。すると、初めて『太陽の法』を読んでもらったときの感動がよみがえってきます。
「この教えをもっと学びたい」
いてもたってもいられなくなり、支部に連れていってもらいました。そして、幸福の科学に入信したのです。
深まる確信
それから、大川隆法総裁の講演会のDVDやCDで、幸福の科学の仏法真理を熱心に学びました。「肉体に障害があっても、魂は健全である」「睡眠中には魂が肉体を抜け出して霊界に還っている」というお話を聞いたときには、納得するものがありました。夢のなかではちゃんと景色や相手の顔が見えているのですから。教えへの確信を深め、私は幸福の科学の青年部で活動するようになりました。また点訳のボランティアの方のご好意を受け、点字を使って、私と同じように目の悪い方にも大川総裁の教えを伝えるお手伝いを始めました。その後、私は青年部で一緒に活動していた女性と結婚し、クイックマッサージのお店に就職しました。
未来のための種まき
会社勤めには、初めのうちは戸惑うことが多くありました。職人肌の父親の影響もあってか、ひたすら鍼の腕を磨くことに専念してきた私は、人と協力して仕事を進めるのが苦手でした。社長からは、「あなたは鍼の技術にこだわりすぎて、考え方も狭い。鍼の技術だけに依存しなくなったら、もっと素晴らしくなると思うよ」と指導されました。それは視力以前の問題です。周囲の人との協調が苦手な原因を反省すると、「結果を早く出したい」という気持ちが人一倍強いことに気づきました。目が見えないと、人の何倍も時間がかかることが多く、なかなか結果を出すことができません。それが焦りにつながり、自分のことばかり考えてしまうようになったのだと気づきました。
「治療には、いろんな手段や方法、患者さんの立場だってあるのに、いつの間にか自分本位の治療をしてきた──」
幸福の科学では、今世どのように生きたかが、来世を決めると教わっています。「今という時間は、未来のための種まきでもある」。そう腑に落ちると、結果がすぐに出なくも、努力が無駄になることはない、と気持ちを落ち着けることができました。淡々と努力するうちに、結果を焦る気持ちもおさまっていきました。
仲間の優しさ
努力が認められたのか、やがて店長を任されるようになりました。しかし、この時期は仕事も家庭も大変でした。マッサージの技術も磨き、関連店舗、3店の各スタッフに技術指導をする多忙な日々。一方、家庭では、長男が誕生。私への手助けと育児で相当負担をかけていた妻は、精神的に参ってしまいました。しかし、辛かったこの時期に身にしみたのは、「できることがあったらするから、何でも言ってね」と気軽に声をかけてくれる仲間のありがたさでした。私は、目が見えない分、人の手を借りずにがんばろうと努力してきたつもりです。でも、多くの方々に支えられていることに気づき、人の優しさは素直に感謝の思いで受け、その分、自分もお返ししていけばいいと思ったのです。「これが、幸福の科学で教えられている、愛を与え合うことの素晴らしさなのだ」と、胸が熱くなりました。「私も後進への指導を通してお役に立ちたい」「癒しを求めている方をサポートしたい」という思いが強くなっていきました。
研修での気づき
社員の育成が軌道に乗りはじめた頃、もっとマネジメント能力を磨かなければいけないと考えた私は、総本山・未来館に研修を受けに行きました。研修で心を見つめていくうちに、私はその場その場で人を立てようとするあまりに指導が甘くなったり、時間にルーズになりがちなことを反省しました。また、管理職として真に部下を生かすための厳しさや、患者さん自身の立ち直る力を信じる心など、大事なことを、一つ、また一つと気づかせていただきました。「完全な人はいない」と学んでいるけど、それは、「これから素晴らしくなる可能性がある」ということでもある。自分が関わり合いをもつことで、何かしらの手助けをしたい、それらすべてが治療なんだ。そう実感しました。
後進への指導
研修後、しばらくして盲学校から、校外臨床実習の生徒を受け入れることになりました。「治療家として、しっかりとした技術を身につけることは、第一ですが、患者さんの立場に立った治療をするためには、自分のなかに心の柱を持つことがとても大切です」と語りました。そして、施術の指導をしながら「心に柱をつくるには自分を見つめること」「努力が心の柱をゆるぎないものにしてくれる」といった心構えについて伝えました。すると実習後、学校から「生徒たちが、人が変わったようになって帰ってきました。どういう取り組みをしてくださったのですか」という問い合わせが来たことをきっかけに、学校に講義をしにいくことになったのです。また、あるとき、雑誌の記事で紹介されたのをきっかけに、自社でも社外向けに講習会を開くことになりました。
未来に向かって
私は、今、明るい未来を確信しています。目が見えなくても、理想を描くことはできますし、実現のための努力もできます。人一倍の努力は必要かもしれません。でも、努力が無駄にならないと知って、どれだけ自分の魂を成長させることができるかを考えたら、ハンディもプラスとしてとらえられるようになりました。大川総裁、ほんとうにありがとうございます。これからも、自分にできるかぎりのお返しの人生を歩んでいきます。
苦しみから逃れるのではなく、そのなかに光明を見出す
『運命の発見』(大川隆法 著/幸福の科学出版)より抜粋したメッセージ
ハンディを治すことだけが幸せではない
みなさん、さまざまなかたちでハンディは持っておられるでしょう。けれども、そのハンディを治すことだけが幸せだと思ってはいけないのです。もっとも、治る場合もあります。努力して治る場合もありますが、しかし、治れば幸福になれるという考えのなかには、ひとつの落とし穴があります。それは、また次の悩みが出てくるからです。治っても、今度はいままで目が見えなかったということが、自分のハンディだと言い出したら、もうきりがなくなります。
どれだけ最善の人生を生きられるか
ですから、その問題からの出口、つまり逃れることばかり考えて、与えられた問題を解きたくないと言うのではなく、その問題のなかに潜んでいる意味を、発見してほしいのです。そして、不自由だというハンディがあっても、どれだけ、光った人生を生きられるかどうか、それを工夫してほしいと思います。まわりの、目が自由な人が見て、「あの人があんなに立派に生きられるのだったら、俺たちも、もっとがんばらねばいかんな。」と思うようになれば、あなたの人生は成功です。
それを治しさえすれば、自分が幸せになると思わずに、そのなかで、どれだけ最善の人生を生きられるか、これを研究してみてください。
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