【ライフ・ストーリー】被災者からの勇気のメッセージ
阪神・淡路大震災被災者からの勇気のメッセージ
阪神・淡路大震災で自宅が全壊し、奇跡的に一命を取り留めたMさんは、着の身着のままで、ボランティア活動に参加しました。そのときつかんだ信仰と心の幸福が、その後の人生を強く支え続けたといいます。被災時の体験と、その後の軌跡をお伝えします。
(A.Mさん/女性/兵庫県/「ザ・伝道」第183号より転載・編集)
たとえ、すべてを失っても
長年の疑問が解けた
私が、幸福の科学の信者になったのは、1991年のことでした。「人はどこから生まれてきて、死んだらどこへ行くのか」。そんな幼いころからの疑問が、書店で手に取った幸福の科学の本に、すべて書かれていたのです。人は、死んで肉体はなくなっても、魂は永遠に生き続け、あの世とこの世を、何度も転生輪廻していること――。三人の子供たちも、親戚の人たちも、私の勧めで、幸福の科学の信者となりました。当時、私は、神戸市兵庫区の家に、二男と長女と暮らしていました。近所の喫茶店でウェイトレスをしながら、幸福の科学の教えを学んでは、縁ある方にお伝えする。平凡な日常でしたが、私は充実した毎日を送っていました。
震災の瞬間
1995年1月17日、午前5時47分。神戸の街がまだ動き出す前の未明のことでした。私は自宅の2階で、長女と布団を並べて寝ていました。
ドッカーーーーーン!
地球が真っ二つに裂けたかと思うほどの衝撃とともに、まるで奈落の底の奥深く、どこまでも落ちていくような感覚を覚えました。むせるような土のにおい、覆いかぶさる屋根。地震で家の1階部分がつぶれ、娘と私は、2階ごと、地面に叩きつけられたのです。
「布団かぶってー!」
とっさに私がそう叫んだので、娘も私も布団で顔を覆ったまま、互いの無事を確かめ合いました。自宅は、ひとつ屋根の下に、二世帯が入る構造になった木造住宅でした。隣のSさんの奥さんが、「助けてー! 助けてー!」と叫ぶ声が、すぐ近くで聞こえています。あたりからは、「おとうちゃん! おかあちゃん!」と泣き叫ぶ子供の声や、女の人の悲鳴……。