週刊新潮は「的中し続ける予言」への嫉妬をやめよ
週刊新潮が7月6日号で、ある野菜工場の倒産にことよせて、大川隆法総裁の予言にからめた誹謗中傷記事を掲載している。 経営における個別の判断責任が理解できず、新産業の創造と新たな雇用の拡大の牽引車となりつつある大川総裁の未来予言に対して“的外れ”な嫉妬を繰り返す同誌に対して、その過ちを明らかにし、改めて警告を発しておきたい。
的中した予言に難癖をつける週刊新潮
上記記事において週刊新潮は、あたかも27年前に発刊された大川総裁の著書『新ビジネス革命』の予言に従ったため野菜工場が倒産したかのように記している。しかし実際には同書で予言された「野菜工場の登場」は見事に的中したというのが事実である。
当時、つくば万博では無限成長を続ける“巨大トマトの木”が展示されるなど、水耕栽培等が話題となっていた。しかしコスト面や照明から出る熱などの様々な問題がクリアされず、商業ベースでの企業進出は見当たらない状態だった。
そんななか大川総裁は1988年の段階で、「霞が関ビルのような20階建てのビルの中で、様々な科学技術を駆使した農作物の栽培が行われるでしょう。人工照明がなされて、その中で適度な温度、湿度、水、肥料が与えられて農業が行われるようになってくるだろう」(上掲書)と予言した。
発熱を伴わないLED照明の開発とインターネットやセンサー技術等の進展によって、まさに同書の通り、栄養価が高く新鮮で衛生的な野菜類の完全室内栽培が現実のものとなり、現在では大手家電メーカーを始めとした新規参入が相次ぐようになったのである。
宗教心こそ経営成功の条件
また同記事の問題点として見逃せないのが、あたかも宗教を信じたことで野菜工場の経営が迷走したかのごとく、宗教と企業経営を相容れないものとして捉えていることである。
しかし実際には、幸福の科学を信仰する企業経営者の中には上場まで成し遂げるなど成功事例は数多い。神仏への帰依のもと、天下万民の幸福に資する「公器」として企業経営に励む宗教的な経営者は例外なく謙虚であり、また高い志を持っている人がほとんどだ。人物的にも私心がなく、よく反省し、努めて顧客の声を聞くので、ごく自然に成功軌道に乗っていく。名経営者と呼ばれる人々が、信念の大切さや情熱を強調することからも明らかなように、宗教心・信仰心は経営者の必須条件である。
まれに失敗例もないわけではないが、その原因はあくまで個人の経営判断、力量の問題である。しかし、一時的に苦境に陥ったとしても、不撓不屈の精神で再び立ち上がってくるタフネスさを持っていることも宗教マインド溢れる経営者の特徴であることを忘れてはならない。一時的な失敗を絶対視することは慎むべきである。
週刊新潮はベンチャー精神に目を向けよ
野菜工場という新しい産業がここまで短い期間に成長し、多くの雇用が創造された背景には、大川総裁の予言という確かな宗教的指針があったことは、紛れもない事実である。
日本はバブル崩壊の90年代以降、資本主義の精神を見失い、漂流し続けてきた。そうした閉塞状況のなかにあって大川総裁は未来ビジョンを描くことを通じて積極果敢に挑戦するベンチャー精神を鼓舞し続けてきた。
大川総裁の力強い未来への指針は、野菜工場を始めとしてリニア新幹線の敷設決定、航空宇宙産業の進展、防衛産業への脚光など数々の新産業を生み出す呼び水となってきたのである。
新分野の開拓にあたっては、失敗にこだわらず、何度でも挑戦し続けるベンチャー精神が鍵を握る。今回取り上げられた野菜工場の経営者こそこうしたベンチャー精神の体現者であって、こうした失敗を温かく見守り、再起に向けて励ますことこそ、大川総裁が繰り返し訴えてきた「日本再浮上の条件」の一つである。その意義が分からない週刊新潮こそ、国家経済を停滞の方向に引き戻そうとする“疫病神”ではないか。
新潮社よ、「経営の王道」へ立ち返れ
新潮社が幸福の科学への“ストーカー的イヤガラセ記事”を連発する理由の一つとして「出版社としての没落感」が挙げられる。
倒産事例にこだわり、強引に予言と結びつける今回のこじつけ記事はその典型とも言える。ベストセラーへの嫉妬に駆られて、自らの実力を超えたテーマに口をはさむまえに、同社はヒットに恵まれていない現状を脚下照顧するべきだろう。
良心を取り戻しコツコツと良書を出していく地道な積み重ねと読者指向のマーケティング・マインドこそ、出版社としての「経営の王道」であることを銘記されよ。
※なお、週刊新潮に関しましては、『「週刊新潮」に巣くう悪魔の研究』『「週刊新潮」編集長・悪魔の放射汚染』『人間失格 新潮社 佐藤隆信社長・破滅への暴走』『「仏説・降魔経」現象編―「新潮の悪魔」をパトリオットする』(幸福の科学出版刊)が発刊されております。
幸福の科学グループ広報局 部長 高間 智生