「週刊現代」(7/9号)の宗教法人課税に関する記事への見解
6月27日(月)発売の「週刊現代」に、宗教法人課税に関する記事が掲載されています。以下に、宗教法人が非課税である理由について、広報局の見解を掲載いたします。
「魂の救済」は宗教団体にしかできない公益事業
まず、憲法学や税法学の世界で宗教法人への非課税措置が合憲とされている理由として、「信教の自由」の保障があります。宗教活動に課税するとなれば、その活動は税務調査、査察の対象となり、課税当局の日常的な監視下に置かれることになります。宗教法人法第84条で、「宗教法人の宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意しなければならない」として課税権力が介入することを戒めている理由は、戦前に国家権力が宗教弾圧を行なった反省を踏まえてのものであり、「信教の自由」を憲法で保障するだけでなく、法律においても課税に関して特に慎重に規定することで、宗教活動を守ろうとしているのです。
次に、宗教活動の「公益性」が挙げられます。宗教団体が非課税措置を受けているのは、その活動が公益性を持つためです。伝道や布教などの宗教活動以外に、教育や医療などの事業も公益活動として国家が政策的に保護しています。例えば、マザー・テレサが集めた寄付に対し「高額だから」という理由で課税することが善であるかどうか考えると、公益活動の保護の必要性が理解しやすいかと思います。東日本大震災におきましては、数多くの宗教団体がボランティアや義援金活動など、様々な支援活動を行なっておりますし、幸福の科学グループにおきましても鎮魂のための祈りや供養など魂の救済活動を行ないました。「霊的救済」は、宗教団体にしかできない公益事業そのものなのです。また、これ以外にも宗教施設の開放、救援物資による支援、義援金活動などに取り組み、物心両面からの活動を行なっております。
なお、人々が安心して布施できるように奉納目安を掲げることはありますが、目安が掲げられていることが対価性の証明ではありません。布施は、信者にとって「どれだけ神仏に対して純粋な感謝を捧げられるか」という宗教修行でもあり、布施をする側と受ける側の気持ちが純粋でなければ成立するものではありません。歴史上、世界の多くの宗教では、布施は極めて重要な宗教行為(功徳を積む行為)と認識されてきています。記事中に詐欺まがいの手法で壺を売りつけるような団体の話もありましたが、そうした事例は宗教の布施のあり方として一般化されるものではなく、宗教の善悪の問題は、あくまで宗教間の切磋琢磨、競争に委ねられるものであると考えます。
宗教は道徳の源泉である信仰心を守るもの
また、非課税の理由として、宗教活動には課税の対象となる「所得」がそもそも存在しないことが挙げられます。宗教活動の結果、何らかの利益があったとしても、営利事業とは違い、それは個人への分配を目的とした「儲け」ではなく、事業遂行のための資金であるからです。なお、誤解されることもあるので申し上げますが、宗教家、僧職者、宗教法人の職員に対しても、個人としては当然、所得税がかかっております。幸福の科学グループ内の幸福の科学出版の事業についても一般企業と同じように課税されています。医療法人などは政府から補助金を受けていますが、宗教法人は非課税である代わりに補助金を受けることがなく、あくまで国からの独立を守るかたちになっています。こうした点も、宗教法人が行う宗教活動に対する課税は認められない理由であると考えます。
世界を見渡しますと、宗教法人の非課税は世界の常識となっております。宗教に対する非課税制度の歴史は古く、国教制度のイギリス、公認宗教制度のドイツ、政教分離原則のアメリカ、フランスにおいても、現在、何らかのかたちで宗教団体に対する課税除外措置を行なっています。ドイツやイスラム圏など、国民が宗教に税を納める「宗教税」の伝統が生きている地域もあり、国家や社会が税制を通じて宗教への敬意を示すことは珍しいことではありません。このように、宗教法人の非課税措置は世界的に行われていますが、それは、宗教には国家も立ち入ることのできない権威が普遍的に認められているからです。「宗教は、国家の介入を避けつつ、道徳の源泉たる信仰心を守る」というのが世界共通の認識です。宗教の自由のない国のほとんどが全体主義国家であることは偶然ではありません。万が一にも、宗教への軽視から日本が北朝鮮化するようなことがないよう願いたいものです。
以上、宗教法人が非課税である理由の概略を説明させていただきました。私ども幸福の科学は、今年で立宗25周年を迎え、国内で有数の宗教法人のひとつに数えられる規模となってまいりました。今後とも一層、宗教としての公的使命を自覚し、国民一人ひとりの皆様の幸福、地域や社会の幸福のために、また、世界の人々の幸福のために活動してまいります。