Archive for the ‘親子関係’ Category

母親が膠原病(こうげんびょう)に罹(かか)ったことを機に、冷え切っていた両親との関係を見直していったSさん。病気平癒(びょうきへいゆ)までの、心の軌跡をたどります。
Y・Sさん(神奈川県・30代・男性)
月刊「幸福の科学」376号より転載・編集

体験談原因不明の病・膠原病に侵され、絶望する母。しかし、息子の愛が奇跡を呼んだ—。

母からの突然の電話

2016年の3月。仕事中に突然、疎遠になっていた郷里の母から電話がかかってきました。母はしくしくと泣いていました。
「あのね、膠原病という病気になって…」

「膠原病?…今、仕事中だから」

母の話が要領を得ず、仕事中で忙しかったこともあり、私はすぐに電話を切ってしまいました。その後、山口の実家の近くに住む姉に電話をすると、看護師である姉は、膠原病は自分の免疫(めんえき)を攻撃する病気で、治る見込みがほとんどないことを説明してくれました。

「これから、長い闘(たたか)いになるだろうね。覚悟しないといけないかもね」

母は医師から「この病気は治ることはない」と言われ、絶望しながら関節の痛みに耐えているとのこと。

(きっと薬じゃ治らないだろうな…)

私は幸福の科学で「病気の原因は心にある」と学んでいたため、病気を根本的に治すには、母がこの教えを学んで心のあり方を変える必要があると思いました。

しかし、母に教えを伝えるのは気が重いことでした。なぜなら母は、私が信仰を持つことに猛反対していたからです。

私は大学時代に大川隆法総裁の書籍を読み、感動して信者になりました。教えを学ぶにつれ、自己中心的だった自分が謙虚になり、怒らなくなりましたし、探し求めていた生き方が見つかり、確かな幸福をつかんだのです。

そこで両親に、幸福の科学の話をすると…。

「そんなもん信じたって意味がない!」
「洗脳されてるんだ!」

父も母も激しく罵(ののし)り、聞く耳を持ってくれません。その後、同じ信仰を持つMとの結婚を決めたときにも反対されました。

(もういいや。どうせ分からんだろ)

私は両親との関係に疲れて、実家と距離を置くようになっていったのです。

「愛」を学んでいるのに…

しかし病気になったと聞いた以上、もう一度伝えてみようかと思い、電話をかけました。

「おかん、病気は治るんよ。心の力で…」
「そんなことないでしょ。あり得ない」

母は、相変わらず話を聞いてくれず、病気のつらさを訴えて泣いていました。

(だったら、話を聞いてくれればいいのに)

そんな母に、妻は見舞いの手紙を書いたり、大川総裁の書籍や幸福の科学の映画のチケットを送ったりしていました。

「お義母(かあ)さんの病気が、治るきっかけになるかもしれないから」

あれほど否定されながらも、母のためを思ってくれる妻の姿を見て、私はなんだか恥ずかしくなりました。
幸福の科学で「愛」の大切さを学んでいるのに、私は自分の親に
対して、「愛」どころか、興味も関心も薄かったのです

(そういえば俺は、昔から親と関わるのを避けてきたし、実家のことに無関心だった。お互いの仲も冷え切ってたな…)

私にとって、実家の思い出は幸福なものではありませんでした。私が幼いころから、父は、お酒が入ると母に暴言を吐き、灰皿や茶碗を投げつけていました。
母は父に反発して、2人で毎週のように大ゲンカ。さらに、家計は厳しく、両親は「お金がない」が口癖でした。

私は(なんでこんなくさった家にいなきゃいけないんだ)と怒りを感じていたのです。

(でも、Mが頑張ってくれているんだから、俺もあきらめずに伝えていかなきゃ)

私は妻と一緒に、幸福の科学の支部で、母の病気平癒を願って祈願を受けました。支部の法友(※1)の皆さんも、私の母のためにお祈りをしてくださいました。

すると、ある日思いがけないことに、母が幸福の科学の映画「天使に”アイム・ファイン”」を観たと言って電話をくれたのです。

「映画のなかで、女の人が当り散らすシーンがあったけど、私も職場で同じことをしてたよ。私も周りに感謝してなかった…」

今までの母からは、予想できない言葉でした。母が少し心を開いてくれたようで、希望が持てました。

しかし、その後も母の病状は思わしくなく、関節の痛みで歩行困難になる日もあり、薬の副作用で髪が抜け落ちていったのです。

※1:同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

映画「天使に”アイム・ファイン”」より

膠原病を克服した二人の女性

母が膠原病になって半年が経(た)った16年の夏。私は、幸福の科学の布教誌に載っていた「信仰の力で膠原病が治った」という体験を持つお二人の方に連絡を取り、会いに行きました。20代と、50代の女性です。そして、治った経緯を伺いました。

20代の方は、暴力をふるう父を憎んでいたのですが、教えを学んで父への感謝を深めていくと、症状が快方に向かったそうです。

50代の方は、過保護な母に息苦しさを感じていましたが、研修を通して母への葛藤が解けたら、病気が治ったと話してくれました。

お二人の共通点は、病気の原因が「家族との葛藤」にあったことと、葛藤を克服できたら回復していったということでした。
それを聞いて、考えさせられました。
(家族の葛藤が原因なら、俺にも責任がある。俺が親に無関心なことが、家族の歪みになっているのかもしれない—)
私は今まで、”母を変えよう”としていましたが、まずは自分が変わらなければいけないと思い、精舎(※2)の研修で自分の心を見つめるようになりました。

※2:幸福の科学の礼拝施設。さまざまな研修や祈願を開催している。「精舎へ行こう」サイトはこちらから

研修で思い出した「母の愛」

季節が秋に変わったある日のこと。
精舎の「心の指針」研修(※3)に参加して瞑想していたとき、ふいに、子供のころの思い出がよみがえってきたのです。

保育園時代。母が毎朝、私を自転車に乗せて、急な坂道を登って送ってくれていたこと。母に料理をリクエストすると、必ず作ってくれて、それがとても美味しかったこと。

夏の夜、私が「花火をやりたい」と言うと、「お金がないけど」と言いながらも線香花火を買ってきてくれたこと。

私が中高生のころは、母は毎日5時に起きて、お弁当を作ってくれていたこと。

また、私が大学に入って一人暮らしを始めてからは、3カ月に一度、お米と手紙を送ってくれたことも思い出しました。

「元気にしていますか?ちゃんと野菜を食べてね。お金に困ったらいつでも言ってね」。

そう書かれた母の手紙が当時は煩(わずら)しく、感謝するどころか、読み捨てていたのです。

(おかん、ごめんな……)

私は、両親の不和や、家計が苦しいことだけを見て不満を抱き、母が注いでくれた愛情は当然と思って見過ごしていました。

(これからは、恩返ししていこう……)

心を改めた私は、電話やメールで母に頻繁に連絡を取り、体の具合を聞きながら、感謝の思いを伝えるように心がけました。
すると、母は次第に信仰の話にも耳を傾けてくれるようになり、送った書籍も捨てずに読んでくれるようになったのです。

「もらった本を読んだよ。病気のアドバイスが書いてあって、感謝が湧いてきたよ」

そんなふうに感想を言ってくれました。

メールのやり取りで、「私も、与える愛(※4)を実践しなければと思いました」など、教えを学んだ気づきを伝えてくれることも。

数カ月のうちに母は、泣いてばかりいたのが嘘のように明るくなっていきました。そして病気で休職中にも関わらず、「人のためになることがしたい」と、ケアマネージャーの資格を取る勉強を始めたのです。
(おかんはやっぱり「愛の人」なんだ—)

※3:本誌・月刊「幸福の科学」に掲載されている大川総裁の「心の指針」を深く学ぶ研修。
※4:見返りを求めずに心から他の人を思いやる、幸福の科学の「愛」の教えのこと。
15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

膠原病が快方に!

今年の3月の半ば。母が興奮した様子で電話をかけてきました。

「本当に奇跡が起こったんだよ!」

母が検査のために病院に行くと、今まで「絶対に治らない」と言っていた主治医が、血液検査の数値を見てこう言ったそうです。

「治ってますね。もう薬に頼る必要はありません」

母は「奇跡って本当にあるんだねえ」と大喜び。すぐに社会復帰し、仕事を始めました。
うれしいことは、それだけではありません。母の病気を機に、母に厳しかった父も優しくなりました。父も幸福の科学の書籍を読み、「これはとても役に立つよ」と、母に勧めてくれることも。さらに姉も三帰信者(※5)となり、両親を近くで支えてくれています。

私たち家族を導いてくださった主エル・カンターレに、心から感謝しています。力になってくれた法友の皆さんや、支え続けてくれた妻にも感謝でいっぱいです。
私は、主の教えで両親の愛に気づき、母の病気が劇的に良くなるという奇跡もいただきました。今後は両親に恩返ししていくとともに、世界中の方に、この「愛」の教えを伝えていきます。

※5:幸福の科学で、「仏・法・僧(ぶっぽうそう)」の三宝(さんぽう)に帰依(きえ)することを誓った信者。

書籍で学ぶ「信仰パワー」で病気を治そう

『「アイム・ファイン!」になるための7つのヒント』P.92(大川隆法 著/幸福の科学出版)

感謝の言葉を出していると病気も治ってくる

憎しみの念や怒りの念、あるいは人のせいにする念が強いタイプの人は、病気を非常につくりやすいのです。

自分が病気になるか、人を病気にさせるか、どちらかになる傾向が強く、あまり天国的とは言えないのです。

今はそういう攻撃性に満ちあふれた世の中なので、それを中和する意味においても、「ありがとう」という気持ちを持ち、笑顔と感謝の実践をすることが大事です。(中略)

早い話が、感謝の言葉を出していると病気も治ってきます。

たとえば、ある女性が病気だったとしても、自分の子供に「お母さん、ありがとう」と言われたら、治ってくるのです。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

心の力を、あなたも使おう心の力を使おう

あなたも心の力を学び、運命を逆転させてみませんか?

書籍本を読む

法話法話を直接聴く

お近くの幸福の科学の精舎や支部で開示中です。

ラジオラジオを聴く

1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

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母親が膠原病(こうげんびょう)に罹(かか)ったことを機に、冷え切っていた両親との関係を見直していったSさん。病気平癒(びょうきへいゆ)までの、心の軌跡をたどります。
Y・Sさん(神奈川県・30代・男性)
月刊「幸福の科学」376号より転載・編集

体験談原因不明の病・膠原病に侵され、絶望する母。しかし、息子の愛が奇跡を呼んだ—。

母からの突然の電話

2016年の3月。仕事中に突然、疎遠になっていた郷里の母から電話がかかってきました。母はしくしくと泣いていました。
「あのね、膠原病という病気になって…」

「膠原病?…今、仕事中だから」

母の話が要領を得ず、仕事中で忙しかったこともあり、私はすぐに電話を切ってしまいました。その後、山口の実家の近くに住む姉に電話をすると、看護師である姉は、膠原病は自分の免疫(めんえき)を攻撃する病気で、治る見込みがほとんどないことを説明してくれました。

「これから、長い闘(たたか)いになるだろうね。覚悟しないといけないかもね」

母は医師から「この病気は治ることはない」と言われ、絶望しながら関節の痛みに耐えているとのこと。

(きっと薬じゃ治らないだろうな…)

私は幸福の科学で「病気の原因は心にある」と学んでいたため、病気を根本的に治すには、母がこの教えを学んで心のあり方を変える必要があると思いました。

しかし、母に教えを伝えるのは気が重いことでした。なぜなら母は、私が信仰を持つことに猛反対していたからです。

私は大学時代に大川隆法総裁の書籍を読み、感動して信者になりました。教えを学ぶにつれ、自己中心的だった自分が謙虚になり、怒らなくなりましたし、探し求めていた生き方が見つかり、確かな幸福をつかんだのです。

そこで両親に、幸福の科学の話をすると…。

「そんなもん信じたって意味がない!」
「洗脳されてるんだ!」

父も母も激しく罵(ののし)り、聞く耳を持ってくれません。その後、同じ信仰を持つMとの結婚を決めたときにも反対されました。

(もういいや。どうせ分からんだろ)

私は両親との関係に疲れて、実家と距離を置くようになっていったのです。

「愛」を学んでいるのに…

しかし病気になったと聞いた以上、もう一度伝えてみようかと思い、電話をかけました。

「おかん、病気は治るんよ。心の力で…」
「そんなことないでしょ。あり得ない」

母は、相変わらず話を聞いてくれず、病気のつらさを訴えて泣いていました。

(だったら、話を聞いてくれればいいのに)

そんな母に、妻は見舞いの手紙を書いたり、大川総裁の書籍や幸福の科学の映画のチケットを送ったりしていました。

「お義母(かあ)さんの病気が、治るきっかけになるかもしれないから」

あれほど否定されながらも、母のためを思ってくれる妻の姿を見て、私はなんだか恥ずかしくなりました。
幸福の科学で「愛」の大切さを学んでいるのに、私は自分の親に
対して、「愛」どころか、興味も関心も薄かったのです

(そういえば俺は、昔から親と関わるのを避けてきたし、実家のことに無関心だった。お互いの仲も冷え切ってたな…)

私にとって、実家の思い出は幸福なものではありませんでした。私が幼いころから、父は、お酒が入ると母に暴言を吐き、灰皿や茶碗を投げつけていました。
母は父に反発して、2人で毎週のように大ゲンカ。さらに、家計は厳しく、両親は「お金がない」が口癖でした。

私は(なんでこんなくさった家にいなきゃいけないんだ)と怒りを感じていたのです。

(でも、Mが頑張ってくれているんだから、俺もあきらめずに伝えていかなきゃ)

私は妻と一緒に、幸福の科学の支部で、母の病気平癒を願って祈願を受けました。支部の法友(※1)の皆さんも、私の母のためにお祈りをしてくださいました。

すると、ある日思いがけないことに、母が幸福の科学の映画「天使に”アイム・ファイン”」を観たと言って電話をくれたのです。

「映画のなかで、女の人が当り散らすシーンがあったけど、私も職場で同じことをしてたよ。私も周りに感謝してなかった…」

今までの母からは、予想できない言葉でした。母が少し心を開いてくれたようで、希望が持てました。

しかし、その後も母の病状は思わしくなく、関節の痛みで歩行困難になる日もあり、薬の副作用で髪が抜け落ちていったのです。

※1:同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

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膠原病を克服した二人の女性

母が膠原病になって半年が経(た)った16年の夏。私は、幸福の科学の布教誌に載っていた「信仰の力で膠原病が治った」という体験を持つお二人の方に連絡を取り、会いに行きました。20代と、50代の女性です。そして、治った経緯を伺いました。

20代の方は、暴力をふるう父を憎んでいたのですが、教えを学んで父への感謝を深めていくと、症状が快方に向かったそうです。

50代の方は、過保護な母に息苦しさを感じていましたが、研修を通して母への葛藤が解けたら、病気が治ったと話してくれました。

お二人の共通点は、病気の原因が「家族との葛藤」にあったことと、葛藤を克服できたら回復していったということでした。
それを聞いて、考えさせられました。
(家族の葛藤が原因なら、俺にも責任がある。俺が親に無関心なことが、家族の歪みになっているのかもしれない—)
私は今まで、”母を変えよう”としていましたが、まずは自分が変わらなければいけないと思い、精舎(※2)の研修で自分の心を見つめるようになりました。

※2:幸福の科学の礼拝施設。さまざまな研修や祈願を開催している。「精舎へ行こう」サイトはこちらから

研修で思い出した「母の愛」

季節が秋に変わったある日のこと。
精舎の「心の指針」研修(※3)に参加して瞑想していたとき、ふいに、子供のころの思い出がよみがえってきたのです。

保育園時代。母が毎朝、私を自転車に乗せて、急な坂道を登って送ってくれていたこと。母に料理をリクエストすると、必ず作ってくれて、それがとても美味しかったこと。

夏の夜、私が「花火をやりたい」と言うと、「お金がないけど」と言いながらも線香花火を買ってきてくれたこと。

私が中高生のころは、母は毎日5時に起きて、お弁当を作ってくれていたこと。

また、私が大学に入って一人暮らしを始めてからは、3カ月に一度、お米と手紙を送ってくれたことも思い出しました。

「元気にしていますか?ちゃんと野菜を食べてね。お金に困ったらいつでも言ってね」。

そう書かれた母の手紙が当時は煩(わずら)しく、感謝するどころか、読み捨てていたのです。

(おかん、ごめんな……)

私は、両親の不和や、家計が苦しいことだけを見て不満を抱き、母が注いでくれた愛情は当然と思って見過ごしていました。

(これからは、恩返ししていこう……)

心を改めた私は、電話やメールで母に頻繁に連絡を取り、体の具合を聞きながら、感謝の思いを伝えるように心がけました。
すると、母は次第に信仰の話にも耳を傾けてくれるようになり、送った書籍も捨てずに読んでくれるようになったのです。

「もらった本を読んだよ。病気のアドバイスが書いてあって、感謝が湧いてきたよ」

そんなふうに感想を言ってくれました。

メールのやり取りで、「私も、与える愛(※4)を実践しなければと思いました」など、教えを学んだ気づきを伝えてくれることも。

数カ月のうちに母は、泣いてばかりいたのが嘘のように明るくなっていきました。そして病気で休職中にも関わらず、「人のためになることがしたい」と、ケアマネージャーの資格を取る勉強を始めたのです。
(おかんはやっぱり「愛の人」なんだ—)

※3:本誌・月刊「幸福の科学」に掲載されている大川総裁の「心の指針」を深く学ぶ研修。
※4:見返りを求めずに心から他の人を思いやる、幸福の科学の「愛」の教えのこと。
15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

膠原病が快方に!

今年の3月の半ば。母が興奮した様子で電話をかけてきました。

「本当に奇跡が起こったんだよ!」

母が検査のために病院に行くと、今まで「絶対に治らない」と言っていた主治医が、血液検査の数値を見てこう言ったそうです。

「治ってますね。もう薬に頼る必要はありません」

母は「奇跡って本当にあるんだねえ」と大喜び。すぐに社会復帰し、仕事を始めました。
うれしいことは、それだけではありません。母の病気を機に、母に厳しかった父も優しくなりました。父も幸福の科学の書籍を読み、「これはとても役に立つよ」と、母に勧めてくれることも。さらに姉も三帰信者(※5)となり、両親を近くで支えてくれています。

私たち家族を導いてくださった主エル・カンターレに、心から感謝しています。力になってくれた法友の皆さんや、支え続けてくれた妻にも感謝でいっぱいです。
私は、主の教えで両親の愛に気づき、母の病気が劇的に良くなるという奇跡もいただきました。今後は両親に恩返ししていくとともに、世界中の方に、この「愛」の教えを伝えていきます。

※5:幸福の科学で、「仏・法・僧(ぶっぽうそう)」の三宝(さんぽう)に帰依(きえ)することを誓った信者。

書籍で学ぶ「信仰パワー」で病気を治そう

『「アイム・ファイン!」になるための7つのヒント』P.92(大川隆法 著/幸福の科学出版)

感謝の言葉を出していると病気も治ってくる

憎しみの念や怒りの念、あるいは人のせいにする念が強いタイプの人は、病気を非常につくりやすいのです。

自分が病気になるか、人を病気にさせるか、どちらかになる傾向が強く、あまり天国的とは言えないのです。

今はそういう攻撃性に満ちあふれた世の中なので、それを中和する意味においても、「ありがとう」という気持ちを持ち、笑顔と感謝の実践をすることが大事です。(中略)

早い話が、感謝の言葉を出していると病気も治ってきます。

たとえば、ある女性が病気だったとしても、自分の子供に「お母さん、ありがとう」と言われたら、治ってくるのです。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

心の力を、あなたも使おう心の力を使おう

あなたも心の力を学び、運命を逆転させてみませんか?

書籍本を読む

法話法話を直接聴く

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1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

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幸福の科学出版
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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第175号より転載し、編集を加えたものです。

Nさん(50代・女性)

Tが居た場所

豊かな自然が広がる埼玉県某市の閑静(かんせい)な住宅街に、我が家はあります。
そのリビングルームのテレビの前が、長男Tの“定位置”でした。
そこに布団を敷いて、重度の障害で寝たきりだった彼は、いつも横になっていました。

食事を摂るのも、オムツを換えるのも、眠るのも、いつもその場所。
夕食をすませた家族は、自然と彼の布団の周りに集まって、テレビを見ていました。

夏には自然のさわやかな風が吹き抜け、冬には、暖かいこたつとストーブの火。
我が家のリビングには、いつも彼を中心に、家族の笑い声と笑顔がありました。
けれど、今はもう、そこに彼の布団はありません。
5年前のお正月、長男は天国へと召されていったからです。

心臓手術

Tが生まれたのは1988年1月22日。
よく晴れた寒い朝でした。
結婚4年目でようやく授かった我が子に、私たち夫婦はとても喜びました。

しかし、その喜びもつかの間。
3カ月検診で“心雑音(しんざつおん)”が認められ、病院で検査を受けた結果、心臓内部の壁に先天的に穴が開いている「心房心室中隔欠損(しんぼうしんしつちゅうかくけっそん)」と診断されたのです。

すぐに入院するように言われ、荷物を取りに家に戻った主人と私は、二人で大声をあげて泣いてしまいました。

その年の6月、Tは心臓の手術をするために、他の病院へ転院しました。
手術は、8時間にもおよぶ大手術となりました。
そして、24時間後に麻酔から醒(さ)めた彼は、心停止を起こしてしまったのです。

医師や看護師たちが、あわただしく動き始めました。
電気ショック、心臓マッサージ・・・。
奇跡的に心臓の鼓動は戻り、彼は何とかその幼い生命をつなぎとめることができたのです。

神様、どうか・・・

しかし、退院後もTは、ミルクを詰まらせて肺炎を起こすなどして入退院を繰り返し、クリスマスもお正月も、1歳の誕生日も、病院で過ごしました。
それでも、だんだん食事も摂れるようになり、4月には退院。
6月には、長女が生まれました。

その3週間後。
彼の呼吸状態が悪くなり、すぐに救急車を呼びました。
病院に着くと、彼はまたも心停止を起こし、意識を失ってしまったのです。
主人と私は、本当は家族も入室できない集中治療室に入れてほしいと頼み込み、医師たちが懸命に心臓マッサージを施すかたわらで、必死に祈りました。

「私の命をこの子にあげてもいい。だから神様、どうか、この子の命をお助けください!」

主人はそう祈った、と話してくれました。

講演会での質問

心臓は動き始めましたが、昏睡状態(こんすいじょうたい)は続き、Tは病院の集中治療室で眠り続けました。
ちょうどそのころ、幸福の科学大川隆法総裁の講演会が埼玉県・大宮市で開催されました。

私は、すでに幸福の科学の会員となっていた主人に誘われて、初めて大川隆法総裁の講演会に参加することにしたのです。

「どうして何の罪もない幼い彼が、こんな試練に遭わなければならないのだろうか・・・。主人が信じている大川総裁なら、その答えを教えてくださるかもしれない」

そんな期待がありました。
そして、講演会の質疑応答で、主人はたくさんのなかから当てていただき、なんと、直接、大川総裁に質問することができたのです。

「先天的に障害がある子供を持った場合の、親としての心構えをお教えください」

大川総裁の答えは、力強いものでした。

「親としても重荷を負うことは事実でしょう。けれども、人は皆、あの世で人生の計画を立てて生まれてきます。そして、その人に背負えない重荷は計画してきません。また、障害を抱えての人生は、通常の人生の数百年・数千年分にも匹敵するほど尊い魂修行になります。今世、大きなハンディを持って生きた人ほど、来世で大きく伸びていきます。それだけ魂が輝くのです。どうか、愚痴の人生、他人の同情を受けるだけの人生で終わらせることなく、ハンディに負けずに、明るく建設的な生き方ができるよう励ましてあげてください」

私は、愛と確信に満ちた大川総裁の言葉に圧倒されました。
ただ、大川総裁の答えの本当の意味を理解するまでには、まだ、しばらくの時間が必要だったのです。

やっと目が開いたけれど・・・

病院で、約10日間にわたって眠り続けた、長男の目が開きました。
けれど、以前の彼とは別人のような目でした。

入院前は、1歳半の標準よりは小さいながら、お座りもでき、手を出して「抱っこ」をせがんだり、大きな澄んだ目をキョロキョロさせて、いろんな“芸”も見せてくれていました。

「あのTちゃんは、いったい、どこへいっちゃったの・・・?」

戸惑う私に、医師は言いました。

「脳に重い障害が残り、これ以上良くなることはありません。もう何も治療することはないので、一般病棟に移ります」

私には、その意味がよく分かりませんでした。
というより、このときの私には、まだ受け入れることができなかったのだと思います。

彼がもう二度と自分の足で歩くことができないこと、可愛らしい小さな手にスプーンを持って大好きないちごのケーキを食べることもできないこと、そして、もう二度と、愛くるしい笑顔で笑うこともないことを—。

ボーッとしたままバスに乗って帰宅し、長女をみてくれていた母に、医師の言葉を伝えていると、急にポロポロと涙がこぼれました。

心臓の手術をしたときには、「体が弱くても、勉強でがんばれば大丈夫よね」と、母と励まし合い、彼の将来に夢を抱いていました。

やるせない思いで、いっぱいになりました。

人生は一冊の問題集

Tの入院中、私はベッドの横で、幸福の科学の書籍を10冊読み、入会願書を提出して、会員となりました。
※当時は、経典を10冊以上読み、願書を提出する「入会願書制度」があり、合格は約4割であった。

書籍のなかの、「人生は一冊の問題集」という言葉が、私の胸に深く響きました。
人間は幾度も転生輪廻を繰り返していて、毎回、違う人生を自ら計画し、自分なりの問題集を選んで生まれてくる。その問題を自分の力で解くことが魂の向上につながる—。
そのようなことが書かれていました。

「これも、私の人生の問題集? Tも、自分で人生を計画してきたのだろうか・・・。だとしたら、問題から逃げずに、前向きに彼を育てていくことが、大宮の講演会で大川総裁が言われたことの意味なのかしら・・・」

笑顔も消えて

約5カ月間の入院ののち、長男が退院したのは、すでに秋風が吹くころでした。
ミルクも飲めない鼻には、経管(けいかん)栄養のためのチューブが挿入され、
あんなによく笑っていた顔からは、すっかり笑顔が消えていました。

そして、週1回のリハビリと内科の診察を受けるため、手足の動かない彼をベビーカーに乗せ、1歳にもならない長女を背中におぶって、病院通いが始まったのです。

長女はとても活発な子で、8カ月で歩き始め、「オムツ持ってきて」と言うと、彼の分まで持ってきてくれました。
微笑ましい長女の姿を見るにつけ、五体満足で健康であることがいかにありがたいことかと、あらためて感謝の気持ちでいっぱいになりました。

通園施設での経験

そんなある日、我が家の近くに肢体不自由児を受け入れてくれる通園施設があることを知り、主人と下見に行きました。

その施設で、最初に言われたことは、「お母さん、ふつうの2歳児が体験することを、Tくんにもさせてあげていますか?」ということでした。
言われてみれば、自宅と病院との往復だけで精一杯で、彼を遊ばせることなど考える余裕すらなかったのです。
ここでは、先生方が、子供たちを抱きかかえてブランコに乗せるなど、全身にさまざまな刺激を与えてくれます。

それがとても心地良いらしく、彼の顔に、少しずつ笑顔が戻ってきたのです。
はじめは週1回だけの通園でしたが、4月には、正式に入園することになりました。
本来ならば嬉しいはずの入園式の最中、急に悲しみがこみあげてきました。

「なぜ私はここにいるの? ここは障害を持つ子の施設。幼稚園じゃない!」

けれども、この日私は、自分が「障害児の母になった」という現実に、初めて正面から向き合い、そして、受け入れることができたのだと思います。
自分に与えられた「人生の問題集」から逃げない。
そして、何があっても、自分の手で、前向きにTを育てていく—。
そう心に誓ったのです。

通園施設に通い始めてから、何とか口から食べられるようにと、根気強くリハビリを続けました。
そのかいあって、彼が4歳になるころには、ペースト状にすれば何でも食べられるようになりました。

鼻のチューブも外すことができ、好きなものを食べると、嬉しそうに笑顔を見せるようになったのです。

長男の障害は、施設に通う子供たちのなかでも最も重度でしたが、食べるのが苦痛で泣きながら食べている子や、思うように飲み込めない子も多いなか、彼が食べることを楽しみにしてくれるようになったことは、私にとっても、大きな救いとなりました。

たとえ障害があっても

1991年から95年まで、年2回、東京ドームで、5万人が集う大川隆法総裁の講演会が開催されていました。
私は、Tに大川隆法総裁のお話を聞かせてあげたい一心で、東京ドームでの講演会のすべてに彼を連れて参加しました。

当時は、「障害児は家に隠しておくもの」という暗黙の認識がありました。
外に出すと、多くの人から興味本位の視線が浴びせられます。
それは、耐え難いものでした。Tにとってもきっと同じだったでしょう。

けれども私は、あの埼玉の講演会で大川隆法総裁が言われた、「障害を持っていても明るく建設的に生きる」ということに少しでもつながるようにと、可能な限り、彼を外に連れ出しました。

通園施設でも、運動会、遠足、芋掘(いもほ)り、お遊戯会、お泊り会・・・。
ほとんどすべての行事に参加しました。
もちろん、車椅子での参加でしたが、光や高い音には敏感に反応していたTは、とびきりの笑顔で喜びを表現してくれたのです。

戦争のような日々

通園施設を卒園したTは、養護学校に通い始めました。
そして、彼が養護学校の1年生(小学校1年生)のときに、次男が生まれると、Tの介護と家事・育児で、私の忙しさはさらに加速していきました。

三度の食事にも気を遣います。
Tの食事はすべてハンドミキサーにかけて、ていねいに裏ごしし、スプーンで一さじ一さじ口に運んであげます。

少しでも粒が残っていると、のどに詰まらせたり、気管に入って肺炎を起こしてしまうので、細心の注意が必要です。

オムツ交換は、1日に、7~8回。
失敗すると、下着からズボン、寝具まで総とっかえです。
何回も洗濯機を回さねばなりません。

また、Tが眠ると、ほとんど毎晩のように、夜中に痰(たん)がからんでゼコゼコと苦しみ始めるため、私はすぐに起き出して、痰を吸引しなくてはなりません。

放っておいたら痰を詰まらせ、窒息しかねないのでこちらも必死です。
そのため、私はいつも寝不足でした。

やがて妹や弟たちも成長し、塾に通うようになると、養護学校の往復や塾の送り迎えで、車での走行距離は、計算すると1日約100キロメートルにもなっていました。

飴(あめ)をなめ、歌を歌いながら眠気と戦う日々—。
毎日が必死でした。
落ち込んでいる暇さえありません。

「一番大変なのはTちゃんなんだから・・・」

不自由な体に宿りながら、懸命に生きる長男。
そんな彼を思えばこそ、重度障害児は施設に預ける人も多いなか、私は「Tを自宅で育てる」という信念を貫き通したのです。

ともに励まし合う仲間たち

「Tちゃんは、天使と話しているんだね。きっと、あの世とこの世を自由に行き来できるんだね」

時々、天井のほうを向いてニコニコ笑っている彼を見て、主人が言いました。
幸福の科学では、「脳に障害があって、感じたことや思ったことを体で表現できなくても、魂は健全で、考える力や感じる力、意志を持っている」と説かれています。

きっと彼も、私たちが見えないものを見、感じられないものを感じていたにちがいありません。
また、「体が不自由なのは、この世での数十年の間だけ。あの世に還ったら、どんな障害も元に戻る」という教えには、本当に心癒されました。

通園施設や養護学校で知り合ったお母さん方とは、定期的に会い、励まし合っていました。

「○○ちゃんが入院した」「○○ちゃんが亡くなった」—。

悲しい知らせが舞い込むたびに、障害を持つ子たちは、本当に毎日が死と隣り合わせなのだと思い知らされます。
まだ子供たちが小さいころから、ずっと苦楽をともにしてきたお母さんたち。

「障害も、私たちの『人生の問題集』なのよ。解けない問題は来ないんだって。だから自分のことも、子供のことも、“かわいそう”って、思わないで、がんばっていこうね」

折にふれ、私は信仰によってつかんだ光を、お母さん方にお話ししました。

天使の笑顔

中学・高校と、新設の養護学校に通ったTは、卒業後、昼間の数時間だけ、自宅近くの施設で過ごすことになりました。
体が大きくなると、抱えるのも一苦労。

Tが大好きなお風呂も、私一人では無理なので、男性のヘルパーさんに入浴のサポートをお願いしました。

18歳のころ、Tは福祉を紹介するテレビ番組で、障害者のモデルに“抜擢(ばってき)”されました。

ヘルパーさんがTを入浴させるシーンを、自宅で撮影したときのこと。
彼は終始、笑顔でカメラに収まり、撮影もスムーズに終了。
スタッフの方々を玄関まで見送り、ふと、リビングの彼を見ると—。
ぐったりとして、眠りこけていました。

「Tちゃん、サービス精神旺盛だからカメラが回っている間中、笑顔をふりまいて疲れちゃったんだね。いつも、感謝や喜びの気持ちを笑顔で表わしてくれているんだね」

彼の天使のような笑顔は、神様からの最大のご褒美でした。

その日は突然に

やがて、Tも19歳になりました。
相変わらず、食事を詰まらせたり、痰がひっかかったりするので、気を抜くことはできません。

それでも、幼いころのように入退院を繰り返すこともなくなり、このまま、無事、成人式を迎えられると思っていました。

けれども、その日は突然やってきたのです。
2007年12月16日。
夕食後、お風呂から出た彼の息が、とても苦しそうです。

「救急車呼んで!」

病院に着くと、すぐに人工呼吸器がつけられました。

「肺気胸(はいききょう)です。健常児なら、さほど心配はいりませんが・・・。こういう障害を持つお子さんにとっては、厳しい状態です。覚悟しておいてください」

そう医師に告げられ、私は、誰もいない薄暗い病院の廊下の椅子に崩れ落ち、独りで泣きながら祈りました。

静かに迎えた最期のとき

その後、麻酔で眠っていたTの容態は安定しているように見えました。
けれども、年が明けて2008年1月2日のお昼すぎ。
彼は病室で、静かに息を引き取りました。
あと、ほんの少しで20歳でした。

もう大人の年齢ですが、身長は約140センチメートル。
長年の寝たきり生活で体は湾曲し、床ずれの跡が痛々しく残っていました。
生後半年で受けた心臓手術後の、心臓マッサージのせいで肋骨がずれてしまい、手術の傷跡まで痛々しくずれています。
20年にわたる、闘いの跡でした。

「Tちゃん、よくがんばったね・・・」
彼の顔は、とても安らかでした。

家に戻ってきた亡骸(なきがら)に、私たちは成人式に着せる予定だったスーツを着せて、紫色のネクタイをしてあげました。

主人は、「あの世」に還ったTが、すぐに仏法真理(ぶっぽうしんり)を学べるようにと、大川隆法総裁の法話CDをたくさん棺に納めました。

帰天式

Tの帰天式は、幸福の科学の支部精舎で行われ、300名を超える方々が参列してくださいました。

「Tくん。あなたは、今、肉体という衣を脱ぎ捨て、魂となってあの世へと旅立ちます。19歳と11カ月の今世の命でした。障害を持つ体で、さぞ大変だったことでしょう。でも、今、あなたは自由自在の霊となって、大空へ羽ばたいていきます。障害があっても笑顔で生き切ったTくん。皆様も、Tくんが遺してくれた宝物を大切にして、素晴らしい人生を生き切ってください」

支部長の法話は、参列していた養護学校の先生方やヘルパーのみなさん、そして、ずっと支え合ってきたお母さん方の心にも、深く深く沁みわたっていきました。

「ありがとう」と伝えたい

帰天式のあと、Tのお骨が自宅に戻ってきた夜のことです。
主人は彼といっしょに、やすむことになりました。
私は彼と長年を過ごしたリビングで眠りにつきました。
翌朝、起き出してきた主人が、静かに話し出しました。

「Tと話をしたよ」
「え・・・?」
「夢のなかに出てきた。あのときのスーツを着て、元気に歩いてた。『お母さんを起こしに行ったけど、お母さんは寝ていたから、お父さんのところに来たよ』って」
「Tちゃん、何て・・・?」
「『どうして、20年で逝っちゃったの?』ってきいたら、『20年というのは、僕の人生の計画だった』って・・・。
そして、『主エル・カンターレに、よくがんばったねって、頭をなでてもらったよ』って」
「・・・」
「『そっちの世界で自由な体になって、Tは何がしたい?』ってきいたら、『お母さんにありがとうって言いに行きたい』って・・・」
そこまで話して、主人は声を詰まらせました。そして、2人で涙が枯れるまで泣きました。

20年間、Tも家族も、ただただ無我夢中で生きてきました。
でも、彼は、自分自身で計画した人生を立派に全うしたのです。

たとえ障害があっても、Tは、決して「かわいそうな子」ではなかった。
多くの人に勇気を与えるために、自ら厳しい人生を選び、しっかりと、その使命を果たしたのです。

「お父さん、これでよかったんだよね? 大川隆法総裁があの講演会で教えてくださったとおりに、私たち、がんばれたよね?」

そう問う私に、主人もうなずいてくれました。
T、お母さんは、あなたのお母さんになれて、本当に幸せでした。
ほんとうにありがとう。
たくさんの笑顔をありがとう。
お母さんも、力強く、自分の使命を果たしていきます。

胸を張って天国に還って、もう一度あなたに会えるその日まで—。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第152号より転載し、編集を加えたものです。

Iさん(50代・女性)

原因不明の主婦湿疹

「Iさん、なかなか治らないですねぇ。お薬を替えてみましょうか」

(ああ、この病院もだめか・・・)

43歳の時に、私は原因不明の主婦湿疹に見舞われました。どの病院でどんな薬を試しても、症状はひどくなるばかり。そのかゆさといったら、睡眠薬なしでは夜も眠れないほどでした。

医師に原因をたずねても、「洗剤かぶれかなぁ。人一倍、肌が弱いんですね」「ホルモンのバランスが崩れているんでしょうかねぇ」など、はっきりせず、私は不安を募らせていきました。

※主婦湿疹(しゅふしっしん):水や洗剤によって、肌を保護する皮脂膜が奪われるために起きるとされる手湿疹。水仕事をする主婦などに多い。

指紋が消えた!

両手に包帯を巻いての生活。その包帯の交換に、毎日病院へ通いました。簡単な家事をするのも一苦労です。

(私がこんなに苦労しているのに、家族は誰も手伝ってくれない—)

心はいつもピリピリしていました。

「あっ! 指紋がない!」

ある日、自分の手を見ると、指先までびっしりとできた水疱(すいほう)で、指紋が消えています。

「年を取って死ぬまで、こんな生活が続くのかな・・・」

とうとう精神科へ

そんな状態が2~3カ月続いたでしょうか。ピークの時には、首や足指の間にも、ただれや水疱ができました。症状があまりにひどかったために、病院のポスターなどに使う資料用にと、写真を撮られたほどです。人と会うのも嫌になり、私は家に引きこもるようになりました。今思えば、ウツ病の一歩手前だったと思います。

病院でも、薬で治らないなら心因性かもしれないと、ついに精神科へ回されました。「ビタミン剤」と言われて処方された薬は、気になって医学書で調べてみたところ、精神安定剤でした。しかも、飲みつづけると止められなくなる可能性があると分かり、怖くなって捨ててしまいました。

(なんでこんな不幸ばっかり。一体、何のために生きてるんだろう・・・)

霧がサーッと晴れて

そんなどん底の時でした。ふと、友人に誘われていた「幸福の科学」のことを思い出したのです。「もしかしたら、何か希望が見つかるかもしれない。確か今日、講演会があるって・・・」。そう、わらにもすがる思いで、私は一人、重い足を引きずって、会場へ向かったのです。湿疹が出はじめてから半年後のことでした。

「『自分がかわいそうだ』と、いくら思いつづけても、自分自身の道が開けることもなければ、それによって他の人が幸福になることもないのです」「仏を信ずることによって、病も消えていきます。仏は全能です。それを信ずるならば、みなさんの病もまた、消えていくしかないのです」(『愛、無限』より)

はじめて聴く大川隆法総裁の講演は、確信に満ちた力強いものでした。その時感じた、湖に立ちこめていた霧がサーッと晴れていくような感覚は、今でもはっきりと覚えています。

なぜだか涙があふれ、私は講演が終わっても、しばらく立ち上がることができませんでした。帰り道では足取りも軽く、一人でいても笑顔が止まりません。講演を境に、私は心に明るさを取り戻していったのです。

湿疹の原因が分かった!

私は書店で幸福の科学の書籍を購入して、「仏法真理」を学びはじめました。

人間は永遠の生命を持ち、この世とあの世を転生輪廻(てんしょうりんね)している存在であること。この世は修行の場であり、苦難困難は魂を磨く砥石であること—。

「この苦しみにも意味があるんだ」。そう思うと、乗り越こえる勇気と希望が湧いてきました。

この教えをもっと学んでみたいと思った私は、その年、幸福の科学に入会したのです。

書籍を読み進めるなかで驚いたのは、病気の原因のほとんどは、自分自身の「心」にあるということです。

私は、どういう時に手がかゆくなるのか、自分の心の動きを観察してみました。

すると、家族に対し、とくに夫と娘に対してイライラしたり、カーッと怒った時に、スイッチが入るようにかゆくなることを発見したのです。「これが、湿疹の原因だ」と確信しました。

私が間違ってた

原因を確信した私は、まず、冷え切っていた夫との関係を見直してみました。

結婚当初から、よく外でお酒を飲んでは、深夜に帰宅していた夫。子供が生まれてからも、それは変わらず、仕事の付き合いがあるとは知りつつも、「これじゃ母子家庭だわ」と、私は不満をため込んでいたのです。

しかし、夫との会話を静かにふり返っていくと、昔、妻である私がお酒を飲まないので、家では飲みづらいと言っていたことを思い出しました。

(あの人は、私に気を遣ってくれていたんだ・・・)

結婚25年目の感謝

夫の優しさに気づいた私は、自分も夫のために何かしたいと思うようになりました。そんな時、『太陽の法』という書籍に、このような言葉を見つけたのです。

「与える愛とは、まず、『感謝する』ということからはじまってゆくのです」(『太陽の法』より)

「そういえば、お父さんに感謝したことなんて、ほとんどなかったな・・・」

私は、夫に毎日、感謝の言葉をかけることにしました。

夏の朝、「暑いなか大変ですね。行ってらっしゃい」と送り出す。夜は、「今日は暑かったですね。お疲れさまでした」と、ねぎらいの一言を添えて迎える。私なりのささやかな愛の実践です。

気づけば、夜、早く帰ってくる夫の姿がありました。

私、ひどい母親だった

次に、当時高校生だった娘の問題です。

私が親戚の店の手伝いで、毎晩10時、11時まで家を空けていた時期があり、その頃から、娘が荒れはじめたのです。

夜遅くまで帰ってこない、無断外泊をする。そんな娘に、私は顔を合わせると小言を言っていました。それが母親の愛だと思っていたからです。

しかし、仏法真理に照らしてみると、「娘のため」と言いつつ、実は、人様に良い母親と思われたいがため、そして、小言を言うことで自分のイライラを晴らしていただけだったことに気づいたのです。

「私ほど良い母親はいないと思っていたのに、とんでもない母親だった・・・」

娘はよく言っていました。「お母さんは、私よりお兄ちゃんがかわいいんでしょ」と。私の独りよがりの偽物の愛が、どれほど娘を苦しめていたことでしょう。

それから私は、言葉を口に出す前に、必ず自分の心を点検することにしました。リビングと娘の部屋の間にキッチンがあったので、娘を叱りに行く時は、一度、冷蔵庫の前で立ち止まり、本当に娘のためを思っているかと、自分に問いかけます。

冷蔵庫より先に行く回数は、目に見えて減っていきました。

湿疹が教えてくれたもの

そうした努力をはじめて半年ほどたった頃。あれほど苦しんだ湿疹が、いつの間にか、きれいに消えてなくなっていたのです。

湿疹は、私の心の間違いを教えてくれるバロメーターだったのだと思います。

湿疹になったからこそ、私は、自分にとって本当に大切なもの、「家族への愛」に気づくことができました。

つらかった日々も、ありがたい、貴重な体験であったと、今、心から思えるのです。

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