Archive for the ‘親子関係’ Category

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第146号より転載し、編集を加えたものです。

Tさん(60代・女性)

「私ってそんなにダメな子?」

私の母は、東北の農家に生まれ、10人の兄弟姉妹がいる家で、ろくに学校も行けずに育ったそうです。私が小さい頃に知る母は、姑(しゅうとめ)や小舅(こじゅうと)からよく叱られ、自己卑下して泣いてばかり。私は幼い時から、「お母さんのようにはならない」と心に誓っていました。

私は3人きょうだいで兄と弟がいますが、母は、なぜか私にだけ、しつけに関してうるさく言うのです。箸の上げ下ろしまで厳しく注意されました。

「私ダメな子なの—?」

お母さんのせいで劣等感が植え付けられた、と私は恨んでいました。

そんな私も結婚。自分の生活を築いていましたが、6年前、父が病気になってから状況は一変。電車で1時間のところに住む母は、心細いのか私に電話で生活全般のことを逐一聞き、私に依存するようになったのです。“老老介護”で大変なのは分かりますが、母を見下していた昔の思いがよみがえり、その心の引っかかりは、苦しみに変わりました。

私を誇りに思ってくれていたお母さん

苦しい思いを胸に抱えていた私は、幸福の科学の総本山・正心館で『両親に対する反省と感謝』研修を受けました。研修では、親の立場に立って昔を振り返ります。

「私を必要以上に叱ったのは、自分が苦労した分、そんな思いはさせまいと親心で心を鬼にしていたのでは・・・。どこに出しても恥ずかしくない娘になってほしいと思う母の愛情だったのでは」と、その時初めて思い至りました。

劣等感を植え付けられ、許せないと思ってきましたが、母を許す思いが湧いてきました。

思えば母は、私が高校で上位の成績をとった時のことを、「私の誇りだったよ」と、言い続けていました。母は私をいつも思ってくれていたのです。

「お母さんの娘で良かった!」

ところが、日常に戻ると、その感謝も長くは続きません。母は相変わらず、市から郵送される書類のことなどいちいち聞いてきます。また見下しそうになる心を抑えるのに必死でした。

そんなある日、書籍『太陽の法』の一節を読んでいて、はっとしました。

「人間は太陽、水、空気と、すべてを与えられていなから、それを当たり前だと思い、ありがたさに気づかない」とスズメたちが話している、愛についてのたとえ話です。

人間が感謝しようがしまいが、すべてを与え切っておられる仏の愛。その大きな愛の中で生かされているのに、母の小さな非をグチグチ責めている素直じゃない自分。

私に比べ、母はどうでしょう。人の言うことに素直に耳従っています。私だったら、プライドがあるので人には開けません。ましてや娘に聞くなど・・・。

「素直さ」という母の長所を発見し、母への尊敬の思いが湧いてきました。

私は心からの反省と感謝を込めて、母にお詫びしました。

今、母とは毎日電話をし合い、お互いを気遣っています。母も依存心がなくなり、「いつお迎えがきてもいいよ」と穏やかに日々を過ごしています。そんな母を心から尊敬できるのです。

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Fさん(30代・女性)

子供たちのデキの悪さに爆発する日々

私は20歳で結婚、21歳で長女を出産しました。わが子を見たとたん、もうかわいくて!「立派な人間に育てよう。それが私の仕事なんだ」と張り切りました。

長女のAは、言葉も物事の理解も早かったので、5歳の時、小学校の受験勉強をさせ始めました。

ところがAは、受験ドリルの問題が解けません。

「ほらAちゃん、考えて」

最初は優しく言っていましたが、問題を理解しないAにだんだん腹が立ってきます。

「ちょっとは真面目に考えなよ!」「こんなの簡単じゃん。ばっかじゃないの!」

するとAはキーッと叫んで泣き出してしまいました。

その様子に、私はもっと頭にきました。「私が子供の頃は、人前で泣かなかったのに!」と。

小学生の時、私は学級委員をつとめ、先生から何かと褒ほめられる子供でした。それに比べてこの子は・・・と、イライラがつのります。私は次女のYと長男のTにも、厳しい言葉を浴びせ始めました。

家庭の空気もギスギスしましたが、「子供がちゃんとしないんだからしょうがないわ」と思っていました。

私の言葉が原因なの・・・?

私は毎日、幸福の科学の根本経典『仏説(ぶっせつ)・正心法語(しょうしんほうご)』や『祈願文(きがんもん)』を読誦(どくじゅ)し、お祈りの時間を持っています。

ある日、経文の言葉が、強く胸に響いてきました。

「心を正し 言葉を正し 行ないを正した 生活なり 調和のとれた生活なり」
(「解脱(げだつ)の言葉『仏説・八正道』」より)

「信仰を調(ととの)え 心を調え 行ないを調えて 地上の光を目指します」(「家庭調和の祈り」より)

私は、ハッとしました。

子供に腹を立て、罵倒(ばとう)している普段の私。主人にも八つ当たりしている私。もしかしたら、間違っているのは、子供ではなく私なのかもしれない・・・。

実は私の厳しさが、子供のやる気をそぎ、「できない子」をつくり上げているのかも、と反省の思いが湧いてきたのです。

また、幸福の科学では、「人間は魂修行のため、転生輪廻(てんしょうりんね)を繰り返している存在である」ということを教わっています。子供の出来が悪ければ心を乱し、出来が良ければ満足する、という今の私は、環境に振り回されているだけで、何ら心の修行をしていないのでは、と気づかされたのです。

心が穏やかになったら、子供の輝きが見えてきた!

私は子供たちへの接し方を改めることにしました。

子供たちが宿題もせずにテレビを見ていると、いつもなら「さっさと宿題やれよ!」と怒鳴って、バチン!とスイッチを切っていましたが、まず深呼吸をして心を静め、「宿題があるなら、先にやりなさい」と 諭(さと)すようにしました。

子供の態度はすぐには変わりませんでしたが、私の心は今までになく穏やかでした。

「怒らない」「悪い言葉を出さない」ということが、いかに大切かを知りました。

また、今までは、簡単な問題ができても当然と思い、褒めたりはしませんでしたが、小さなことでも褒めるように努力しました。

「すごいねー!よくできたねー!」

すると、Aはとても嬉しそうにニッコリと笑います。

今、わが家には、私の罵声(ばせい)が響き渡ることも少なくなっていき、以前は厳しい表情をしていた子供たちもイキイキとしてきました。これからも、家族の心を温かくする言葉を心がけていきたいと思います。

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Mさん(60代・女性)

なんで私がこんな目に—? この10年間、認知症の義母の介護をしながらも、私の頭からこの思いが完全に消え去ることはありませんでした。しかしそんな私も、心の中によどんでいた苦しみが一気に洗い流されていくという体験をしました。自分がそんな心境になるまでの長い道のりをお話ししたいと思います。

“まだらボケ”に?

「やだ、おばあちゃん、こんなおにぎりいっぱい買ってきて! どうするの?」。10年ほど前のことです。義母が近くのコンビニに行っては、度々、大福やおにぎりを山のように買ってくるようになりました。

当時わが家は、夫は東京に単身赴任、3人の子供は独立していて、2人で食べきれる量ではありません。私は仕方なく、ご近所に配りに歩きました。「おや?」と思うことはそれからも頻発。ある時など、近所のお寿司屋さんで、4人前のお寿司を買ってきたこともありました。「妹の所に届けるから」とおばあちゃんが言っていた、とお寿司家さん。ここは群馬県、妹さんは東京に住んでいます。いよいよ、おかしいと思いました。

普通の生活ができている中に、こうしたおかしな言動が混じることを、”まだらボケ”というのだそうです。その時初めて知りました。

認知症と診断

病院に行くと、案の定、認知症と診断されました。まめに短歌や俳句を作ったり、帽子一つにもこだわるおしゃれな人だったのに、なぜ—。私の動揺をあおるかのように、症状は日増しに進んでいきます。日中はおばあちゃんが散歩に出掛けた後、消防署や遠くの交番から迷子の連絡を受けるようになりました。夜は夜で、うなり声をあげて騒ぎ続けるおばあちゃん。私はなすすべもありません。

心に降る雨

幸福の科学の教えでは、嫁と姑は深い縁があると学んでいます。しかし私は、「本当にそうかな?」と、ずっと思っていました。大雑把なおばあちゃんに比べ、私は何でもきちんとしなければ気がすまない正反対のタイプ。ある時など、おばあちゃんが衣類とトイレのスリッパを一緒に洗濯機で洗っているのを見て、「おばあちゃんは、下の物と上の物を一緒に洗って平気な人なんだ」と思ったものでした。

そんなおばあちゃんの介護をしなくてはならない自分。複雑な気持ちでした。でも、長男の嫁として務めは果たさなければなりません。この夫と結婚していなければ、世話をしなくてすんだのではないか、という思いまでよぎり、そんなことを考えてしまう自分がまたいやでした。

夫は、化学品メーカーの営業マン。海外出張も多く、あれこれ話して心配をかけるわけにもいきません。孤独感と心の葛藤に苦しんでいた私は、時間さえあれば仏法真理(幸福の科学の教え)の本を手にとっていました。

「人生における嵐の渦中にあると、『なぜ自分がこうした苦悩や災難のなかにあるのか』と思うものです。しかし、そのなかにも何らかの学びがあることは事実です」「魂の糧という観点から見たときには、人生に無駄なものは何もないのです」(『不動心』より)

ただただ仏の言葉を頼りに、私は現実を受け入れようと必死でした。

ショックな出来事

私は当時、県の児童相談所に勤めていたのですが、週2日勤務の、市の臨時職員に変えてもらい、おばあちゃんの世話をする体制を整えました。

しかし、現実は想像を絶しました。

ある時、リビングの絨毯(じゅうたん)の上に、おはあちゃんが何かをボトボト落としていました。近づいてみると、便をもらしながら歩いていたのです。また、台所のゴミ箱に、中途半端に紙に包まれた便が入っていたことも。「弄便(ろうべん)」というのでしょうか、私はショックで、気が休まらなくなっていきました。そんな日々が数カ月続き、睡眠不足と心労で気が変になりそうでした。

クマのようなおばあちゃん

「これは私の試練なのでしょうか。どうかこの試練を乗り越える力をお与えください—」。祈ると、仏が、私の苦しみやつらさをすべて受け止めてくださっているようで、心が安らいでいきました。

それから間もなく、おばあちゃんの状態に変化が起こりました。ふとした時に転んで骨折し、3カ月間入院することになったのです。車イス中心の生活になり、食事の介助が必要な、「要介護5」の認定を受けました。私は昼食の介助のために、来る日も来る日も病院に通いました。

退院後は、今度は徘徊(はいかい)が始まりました。同じ所を行ったり来たりして這い回るおばあちゃんを見ていると、まるでクマのように見えてきます。寝る前にオムツを換える時も、ちっともおとなしくしてくれません。それどころか、私に向かって「バカ!」と言い、叩いたり、つねってきたりするのです。

「おばあちゃんは、ひとりで何もできないじゃない!」思わず、声を荒げてしまいます。介護虐待が問題になっていますが、虐待する側の気持ちも分かる気がしました。

私がわからないの?

自分が自分でないような心に少しでも平安を取り戻そうと、私は週1回は必ず、支部に行くようにしました。「Mさん、本当によく頑張ってるね」と、支部の仲間がいつも励ましてくれました。そして礼拝室でしばらくの間、仏と対峙(たいじ)すると、心に光がチャージされたように、また頑張ろうという力をいただけるのです。

ある日のこと、仕事を終え、夕方6時頃、家路を車で走っていると、家の近くの通りで、おばあちゃんがポツンと立っていました。私の帰りを待っていたのです。どれほどの時間待っていたんだろうかと思うと、切なくなってしまいました。

いつしか、おばあちゃんは私のことを、以前のように「Mさん」と名前で呼ばなくなりました。ある日、車で出掛けた時など、横に座っている私に、「あなたの住所を教えて。私、手紙を出すから」などと言い出しました。

「愛してあげなさい」

その後、私は、自らの新生の願いを込めて、総本山・正心館で「仏説・起死回生経」(※)を受けました。儀式中、心の中に、光の奔流(ほんりゅう)のような大河が現れました。そしてその中に自分が入っていく感覚に打たれたのです。そして流れていく先には、何とおばあちゃんがいました。寂しそうな顔で立っています。

30年前に同居してから、ずっとおばあちゃんのグチばかり聞かされてきました。生い立ちの不幸、そして結婚生活でのおじいちゃんへのさまざまな恨み・・・。誰からも愛されなかったという人生—。

「愛してあげなさい」

仏がそうおっしゃっておられるように思えました。儀式を終えた後、どうしてこんなに泣けるのかと思う程、みぞおちのあたりからこみあげるように嗚咽(おえつ)し続けました。

※「仏説・起死回生経」・・・奇跡的・劇的に、人生の大転換・大変換を招来し、運命変更を成し遂げる秘法

一緒にお風呂

総本山・正心館を後にした私は、あることを心に決めていました。それは、おばあちゃんと一緒にお風呂に入るということです。早速1人用の浴槽を、2人用のものに変えました。それまでは体を洗ってあげるだけでしたが、すっかり小さくなったおばあちゃんを、抱きかかえるようにして湯船に浸かると、心なしかおばあちゃんの顔も優しくなっているように見えました。
また、介護は長丁場ですから、全部自分でやろうと思わずに、介護施設のデイサービスなども利用し始めました。

するとおばあちゃんに対して、以前より心を込めて介護できるようになりました。定年退職して帰ってきた夫も介護に参加してくれ、負担も軽減。おばあちゃんもだんだん穏やかになっていきました。

おばあちゃんはその後2回肺炎になりました。高齢者なら、そのまま亡くなってしまうケースが多いのですが、その度に支部で「病気平癒祈願(びょうきへいゆきがん)」をし、おばあちゃんはまた元気に持ち直していったのです。

つらかったね、おばあちゃん

しかし、そんなおばあちゃんも、ある年の暮れ、高熱が続き、ものが全然食べられなくなってしまいました。お正月を迎えられないのではと、夫も私も覚悟しました。

ある夜、おばあちゃんのベッドの横に座って、おばあちゃんの顔に刻まれたしわを見ていたら、ふいにこみあげてくるものがありました。

「おばあちゃん、私はおばあちゃんを幸せにしてあげられなかったかもしれないね。ごめんね、つらい人生だったね・・・」

幼少期は母親から冷遇され、結婚後はおじいちゃんから何かと亡くなった先妻と比較されてつらかったといいます。私は、真っ白になったおばあちゃんの髪をなでてあげました。

「今、こんな体になってまで、生きてくれているのは、私の魂修行のため? 付き合ってくれているの?」。

これまで、おばあちゃんに対してそれなりに介護してきたつもりでした。でもそれは、義務感でやっていたのでは—と、その時初めて反省の思いが湧いてきたのです。おばあちゃんは家にいる時もずっと、私を目で追っています。その視線が時にうるさくて、おばあちゃんを見ないようにしたこともありました。おばあちゃんには頼る人間は私しかいないというのに・・・。

湧いてきた感謝

しばらくおばあちゃんの横に座っていると、いろんなことが思い出されました。同居した頃、子供たちは全員小学生で、食事はグラタンなど子供の口に合う洋風のものばかり出していました。おばあちゃんは口に合わなかったかもしれないのに、何でも食べてくれました。

また、子供の教育についても、躾(しつけ)についていろいろ言うおばあちゃんに、「干渉しないでください」と言ったら、その後は何も言いませんでした。嫁として至らない点もいっぱいあったでしょうに、一度も叱られたことはありません。思えば、3人の子供を抱えながら仕事に出られたのも、おばあちゃんがいてくれたからこそです。

結婚する前、初めて義母に会った時、なぜか懐かしい感じがしたことも思い出しました。本当に縁の深い人だったのです。

翌日、びっくりするようなことが起きました。おばあちゃんが元気になり、食事がとれるようになったのです。驚いている夫に、私は、「おばあちゃんに、魔法をかけたの」と言いました。おばあちゃんと私は心でつながっている、約束してきたソウルメイトなのだと、心から実感しました。

心に寄り添うということ

おばあちゃんは私に「愛」について教えてくれたんだと思います。他の方の心に寄り添うこと。何をしてほしいのか、関心を持ってまっすぐ向き合うこと。それが愛なのだと—。
以前の私は、考え方の違う人に会うと、つい裁(さば)いてしまいがちでした。でも今は「ちょっと待てよ。この人にも何か事情があるかもしれない」と思える余裕が心に生まれています。

もう、私の魂修行だとか、試練だとか、そういうことではなくて、「おばあちゃんの残された地上での生命をお預かりしているんだ、かけがえのない時間を過ごさせてもらっているんだ」、とそんな気持ちでおばあちゃんに向き合っています。

自らの体を張って、私に「愛」の大切さを教えてくれた義母に、感謝の思いでいっぱいです。そしてつらい時、いつも共にあってくださり、尊い魂の糧をお与えくださった仏に、心より感謝申し上げます。

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Mさん(40代・女性)

私はダメな子

私はダメな子なのかな—。物心ついたころから私は、自分のことをそんな風に思っていました。 なぜなら、母から私自身を「否定」されるような言葉を言われ続けて育ったからです。

「あなたはほんとにダメな子なんだから—」

私の両親は、父は新聞社の印刷工員、母も飲食店の店員をしていて共働きでした。そのため長女の私は、小学校の低学年の時から家の掃除をしたり、夕飯のしたくの手伝いをしたりと家事をしなければなりませんでした。私に少しでも落ち度があると、母は私を厳しく叱り、その度に「ダメな子」呼ばわりするのです。

父はそんな時、「言いすぎだ」と言って、私をかばってくれました。でも、父とは喧嘩が絶えなかった母は、父の言葉など聞く耳をもちません。ある時など、ちょっとお使いが嫌だと言っただけで、突然の体罰。私には何が理由でそこまで怒っているのか分かりません。それ以後、いつ叱られるかとびくびくするようになりました。

「なんでそんなに怒るの? 私、そんなにダメな子なの?」

恨み心を募らせて

それでも私は、母に優しくしてほしい一心で、子どもながらにいろいろな努力をしました。お手伝いは、掃除でも料理でも、自分なりに工夫。だんだん、手早くやれるようになっていきました。勉強の方は、通信簿が「2」ばかりでしたが、頑張った結果、高学年になると「4」や「5」をとれるようになりました。

運動も人一倍努力。生まれつき股関節に障害がある私は、他の子のようには走れません。
でも、毎日、夕方、家の周りを走りこむうち、マラソン大会で上位に入るようになったのです。そんな私を、母はほめてくれますが、至らないことがあれば、ものすごく叱責され、全人格を否定するようなことまで言われます。

「なんでそこまで私をひどく言うの?」

いつしか、私は母に反感を募らせていったのです。

早く家を出たい

中学生頃まではおとなしくしていた私も、高校生になると反抗するようになりました。

「いちいち、うるさいっ!」

そんな私に、母も怒りをぶつけてきます。私は高校を卒業し、一般企業に勤めた後、音楽教室の講師になり、子どもにピアノなどを教えるようになりました。アパート暮らしも始め、ようやく家を出ることができたのです。

そして24歳の時に、中学の同級生だったTさんと結婚。夫は国家公務員ですが、海外任務も定期的にあります。結婚してすぐアメリカに行くことになりました。長男が生まれると、母は英語も話せないのに、アメリカまで来て子育てを手伝ってくれました。でも、そんな母に私は、感謝の言葉も、ねぎらいの言葉も、かけたことすらなかったのです。私は依然として、母に心のわだかまりを持ち続けていました。

ほんとうの愛

結婚6年目に入ったころ、夫との関係が冷え切ってしまうということがありました。苦しんでいる私に、子ども同士が同じ保育園ということで知り合ったSさんが、幸福の科学の『太陽の法』という本を勧めてくれたのです。予想だにしなかった本の内容に私は引き込まれました。

「みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。ほんとうの愛とは、与える愛です。与える愛とは、すなわち、無償の愛です」「にせものの自分の筆頭とは、他人から愛をもぎ取ることばかり考えている自分です」『太陽の法』より)

私は夫との関係に思いを馳せました。夫は、優秀な人なのに入省の経緯から出世コースからはずれていたことを、心の中で責め続けていたのです。夫にも伝わっていたに違いありません。私は、自分が「奪う愛」の塊だったこと、夫の愛情や優しさも見失っていたことに気づきました。

私、仏の子だった!

驚きはそれだけではありませんでした。

「人間の魂は、仏からわかれてきたものであり、仏の自己表現の芸術であると、言ってよいでしょう」『太陽の法』より)

人間は「仏の子」であり、「魂の親である仏」を目指して無限に向上していけることが、理路整然と書かれていたのです。

「私、間違ってた! 私、ダメな人間なんかじゃない!」

私は、いつか「自分が素晴らしく変われる」という希望を胸に幸福の科学に入会したのです。

心はつながっていた!

まず夫への反省をしました。夫の出世に執着していた自分。私は、幼いころから抱いていた劣等感を、夫の出世で埋めたかったのです。家族のために身を粉にしている夫に、申し訳なさでいっぱいになりました。

すると不思議なことが起こりました。夫が単身赴任先のイランから電話してきて、「二人で出直そう」と言ってくれたのです。こんなにも心はつながっているのかと、驚くばかりでした。

親を選んでくる?

さらには支部の皆さんと、総本山の精舎を巡り、研修にも参加するようになりました。精舎で瞑想していると、何ともいえないあたたかな光を心に感じ、魂が安らぎに満たされていったのです。

「私、仏と一体なんだ。仏とつながっているんだ—」

仏の偉大さ、教えの威力に感動していった私でしたが、一つだけ理解できないことがありました。それは、「生まれる前に親を選んでくる」という教えです。あの母を、自分が親に選んだということに、私は納得がいきませんでした。

ある日、支部で先輩会員と話していると、ある方が何気なく口にした、「親子関係の改善は『感謝』がキーワードよね」という言葉に心が留まりました。そこで私は、日中、家事をしながら、母がしてくれたことを一つひとつ思い出してみることにしました。最初は、いやな記憶ばかりよみがえりました。幼いころ、わけも分からないまま髪を引っ張られたこと、足蹴にされたこと・・・。でも、「お母さんも仏の子。仏を信じるなら、お母さんの仏性を信じよう」と思い、1週間、2週間とトライし続けました。

父に泣かされていた母

すると、私が小学生の時の母の姿を思い出しました。仕事から帰ってくると、私と妹をつかまえて、冗談を言ったリ、「ひょっとこ」みたいなおかしな顔をして、よく私たちを笑わせていた母。私は妹と二人、心から笑っていました。そんな合間、母はよく「私にはおまえたちが宝物なんだよ」と言っていたことも思い出したのです。

競馬にお金をつぎ込んでいた父に泣かされていた母。

「家計を支えるために、つらいことがあっても私たちのために、一生懸命働いてくれてたんだ。私につらく当たったのは、きっと夫婦仲が悪くて、さみしさのあまりだったからに違いない・・・」

私はさらに、母とのことを思い出していきました。

「星を授かった」

ある日の昼下がり。居間でくつろいでいると、ふと、私の誕生について、母から聞いた話を思い出しました。

「Mちゃんがお腹に宿る前、3度も流産してね。もう子宝は授からないって諦めてたら、おまえを身ごもったんだよ」
「それからは、心にいつも星が輝いているみたいな気がしてね。だから、私は星を授かったんだ、この子は私のスターなんだ、と思ったよ」

母はおだやかな笑みを浮かべ語っていました。

「ごめんね、Mちゃん」

しかし、そうして生まれてきた私には、股関節に障害がありました。「おまえの足は、私のせいだよ。ごめんね」と、ことあることに言っていた母。障害のことを医者から告げられたとき、母はどんなにショックだったことでしょうか。

私も母親になった今では、その気持ちが痛いほど分かります。幼いころ、母は私をおんぶして病院を回りました。診察室で「先生、どうかこの子の足を治してやってください」と頼みこんでいた母の姿が思い出されました。

また、別の光景もよみがえってきました。小学校の高学年で、運動会の応援に母が来てくれた時のこと。私は長距離走で、一番でゴールしました。

「Mちゃんが一番で戻ってきた!」

母はそう言って、大粒の涙を流しながら、子どものようにはしゃいで喜んでくれました。

その泣き顔を思い出した時、私が障害を持って生まれたことに母がどんなに負い目を感じ、どれだけ「ガンバレ、ガンバレ」と心で応援してくれていたか、心底分かりました。厳しい母だったからこそ、私もここまで頑張ってこられたのだと—。母も私を信じてくれていたのだと今は思えます。

どんなにつらい境遇の中でも、明るくエネルギッシュだった母。そんな母から私は、「強さ」を学び、引き継がせてもらったのかもしれません。

「そうだ! 私はこの母のもとで、努力の喜びを知るため、親になってもらうよう、生まれる前にお願いしてきたんだ!」

この母の子でよかった

ほどなくして、母が遊びに来てくれた日。私は心にあふれる感謝を、ありったけの気持ちをこめて伝えました。

「お母さん、私を生んでくれて、ここまで育ててくれて、本当にありがとう。今まで全然感謝もしないで、本当にごめんね」

突然の私の言葉に、あっけにとられていた母。やがて、ポタポタと涙をこぼしはじめました。

「私は、おまえから感謝してほしくて頑張ってきたわけじゃないんだよ。でも、そう思ってくれて本当にうれしいよ」

母と抱き合い、二人とも言葉もなく涙を流し続けました。

その日を境に、母とぶつかることはほとんどなくなりました。あれから数年。母は、孫の顔を見るのが何よりの楽しみ。二人の息子もおばあちゃんが大好きです。孫たちと一緒に幸せそうな母の姿を見ていると、私もとても幸せな気持ちになります。この母の子として生まれることができたことを、今では誇りに思います。

そして、こんなに素晴らしい幸福を授けてくださった仏に、心からの感謝を捧げます。

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