Archive for the ‘親子関係’ Category

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第152号より転載し、編集を加えたものです。

Iさん(50代・女性)

原因不明の主婦湿疹

「Iさん、なかなか治らないですねぇ。お薬を替えてみましょうか」

(ああ、この病院もだめか・・・)

43歳の時に、私は原因不明の主婦湿疹に見舞われました。どの病院でどんな薬を試しても、症状はひどくなるばかり。そのかゆさといったら、睡眠薬なしでは夜も眠れないほどでした。

医師に原因をたずねても、「洗剤かぶれかなぁ。人一倍、肌が弱いんですね」「ホルモンのバランスが崩れているんでしょうかねぇ」など、はっきりせず、私は不安を募らせていきました。

※主婦湿疹(しゅふしっしん):水や洗剤によって、肌を保護する皮脂膜が奪われるために起きるとされる手湿疹。水仕事をする主婦などに多い。

指紋が消えた!

両手に包帯を巻いての生活。その包帯の交換に、毎日病院へ通いました。簡単な家事をするのも一苦労です。

(私がこんなに苦労しているのに、家族は誰も手伝ってくれない—)

心はいつもピリピリしていました。

「あっ! 指紋がない!」

ある日、自分の手を見ると、指先までびっしりとできた水疱(すいほう)で、指紋が消えています。

「年を取って死ぬまで、こんな生活が続くのかな・・・」

とうとう精神科へ

そんな状態が2~3カ月続いたでしょうか。ピークの時には、首や足指の間にも、ただれや水疱ができました。症状があまりにひどかったために、病院のポスターなどに使う資料用にと、写真を撮られたほどです。人と会うのも嫌になり、私は家に引きこもるようになりました。今思えば、ウツ病の一歩手前だったと思います。

病院でも、薬で治らないなら心因性かもしれないと、ついに精神科へ回されました。「ビタミン剤」と言われて処方された薬は、気になって医学書で調べてみたところ、精神安定剤でした。しかも、飲みつづけると止められなくなる可能性があると分かり、怖くなって捨ててしまいました。

(なんでこんな不幸ばっかり。一体、何のために生きてるんだろう・・・)

霧がサーッと晴れて

そんなどん底の時でした。ふと、友人に誘われていた「幸福の科学」のことを思い出したのです。「もしかしたら、何か希望が見つかるかもしれない。確か今日、講演会があるって・・・」。そう、わらにもすがる思いで、私は一人、重い足を引きずって、会場へ向かったのです。湿疹が出はじめてから半年後のことでした。

「『自分がかわいそうだ』と、いくら思いつづけても、自分自身の道が開けることもなければ、それによって他の人が幸福になることもないのです」「仏を信ずることによって、病も消えていきます。仏は全能です。それを信ずるならば、みなさんの病もまた、消えていくしかないのです」(『愛、無限』より)

はじめて聴く大川隆法総裁の講演は、確信に満ちた力強いものでした。その時感じた、湖に立ちこめていた霧がサーッと晴れていくような感覚は、今でもはっきりと覚えています。

なぜだか涙があふれ、私は講演が終わっても、しばらく立ち上がることができませんでした。帰り道では足取りも軽く、一人でいても笑顔が止まりません。講演を境に、私は心に明るさを取り戻していったのです。

湿疹の原因が分かった!

私は書店で幸福の科学の書籍を購入して、「仏法真理」を学びはじめました。

人間は永遠の生命を持ち、この世とあの世を転生輪廻(てんしょうりんね)している存在であること。この世は修行の場であり、苦難困難は魂を磨く砥石であること—。

「この苦しみにも意味があるんだ」。そう思うと、乗り越こえる勇気と希望が湧いてきました。

この教えをもっと学んでみたいと思った私は、その年、幸福の科学に入会したのです。

書籍を読み進めるなかで驚いたのは、病気の原因のほとんどは、自分自身の「心」にあるということです。

私は、どういう時に手がかゆくなるのか、自分の心の動きを観察してみました。

すると、家族に対し、とくに夫と娘に対してイライラしたり、カーッと怒った時に、スイッチが入るようにかゆくなることを発見したのです。「これが、湿疹の原因だ」と確信しました。

私が間違ってた

原因を確信した私は、まず、冷え切っていた夫との関係を見直してみました。

結婚当初から、よく外でお酒を飲んでは、深夜に帰宅していた夫。子供が生まれてからも、それは変わらず、仕事の付き合いがあるとは知りつつも、「これじゃ母子家庭だわ」と、私は不満をため込んでいたのです。

しかし、夫との会話を静かにふり返っていくと、昔、妻である私がお酒を飲まないので、家では飲みづらいと言っていたことを思い出しました。

(あの人は、私に気を遣ってくれていたんだ・・・)

結婚25年目の感謝

夫の優しさに気づいた私は、自分も夫のために何かしたいと思うようになりました。そんな時、『太陽の法』という書籍に、このような言葉を見つけたのです。

「与える愛とは、まず、『感謝する』ということからはじまってゆくのです」(『太陽の法』より)

「そういえば、お父さんに感謝したことなんて、ほとんどなかったな・・・」

私は、夫に毎日、感謝の言葉をかけることにしました。

夏の朝、「暑いなか大変ですね。行ってらっしゃい」と送り出す。夜は、「今日は暑かったですね。お疲れさまでした」と、ねぎらいの一言を添えて迎える。私なりのささやかな愛の実践です。

気づけば、夜、早く帰ってくる夫の姿がありました。

私、ひどい母親だった

次に、当時高校生だった娘の問題です。

私が親戚の店の手伝いで、毎晩10時、11時まで家を空けていた時期があり、その頃から、娘が荒れはじめたのです。

夜遅くまで帰ってこない、無断外泊をする。そんな娘に、私は顔を合わせると小言を言っていました。それが母親の愛だと思っていたからです。

しかし、仏法真理に照らしてみると、「娘のため」と言いつつ、実は、人様に良い母親と思われたいがため、そして、小言を言うことで自分のイライラを晴らしていただけだったことに気づいたのです。

「私ほど良い母親はいないと思っていたのに、とんでもない母親だった・・・」

娘はよく言っていました。「お母さんは、私よりお兄ちゃんがかわいいんでしょ」と。私の独りよがりの偽物の愛が、どれほど娘を苦しめていたことでしょう。

それから私は、言葉を口に出す前に、必ず自分の心を点検することにしました。リビングと娘の部屋の間にキッチンがあったので、娘を叱りに行く時は、一度、冷蔵庫の前で立ち止まり、本当に娘のためを思っているかと、自分に問いかけます。

冷蔵庫より先に行く回数は、目に見えて減っていきました。

湿疹が教えてくれたもの

そうした努力をはじめて半年ほどたった頃。あれほど苦しんだ湿疹が、いつの間にか、きれいに消えてなくなっていたのです。

湿疹は、私の心の間違いを教えてくれるバロメーターだったのだと思います。

湿疹になったからこそ、私は、自分にとって本当に大切なもの、「家族への愛」に気づくことができました。

つらかった日々も、ありがたい、貴重な体験であったと、今、心から思えるのです。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第149号より転載し、編集を加えたものです。

Hさん(70代・男性)

勤務先の倒産

「今月で店をたたむことになった。Hさんにも辞めてもらわないと・・・」

10年以上前のことです。勤めていた老舗(しにせ)和菓子屋が倒産しました。

「またか・・・」。実は、以前勤めていた店も経営不振で廃業しており、私にとっては2度目の経験だったのです。その時私は61歳。普通に考えたら、再就職は非常に難しい状況です。

しかし、私は信じていました。「あきらめなければ、必ず道は開ける」と。その強い思いを支えてくれたのが、幸福の科学の信仰でした。

15歳で和菓子の道へ

今でこそ、「和菓子作りが天職」と信じる私ですが、職人の道に入ったのは自分の意志ではありませんでした。

私が生まれたのは、第二次世界大戦が始まる2年前の1937年。生後2カ月で母を亡くし、父と祖母の3人で東京の本郷に暮らしていました。祖母といっても、祖父の後妻に入った人で、血のつながりはありません。私はいつも、母のいない寂しさを抱えていました。

小学2年生になる時、群馬の叔父の家に移り、ほどなくして終戦。同じ頃、祖母は他界し、父は東京に働きに出て、私は一人、居候として肩身の狭い生活を余儀なくされたのです。

一日も早く独立したいと思った私は、中学卒業後、銀座の和菓子屋で住み込みの仕事に就きました。屋根裏部屋で寝起きし、早朝から深夜まで、雑用や力仕事をこなす日々。銀座という土地柄、深夜に料亭から注文が入ることも多く、12時過ぎに配達に出ることも珍しくありませんでした。

孤独な職人時代

20歳になる頃、ようやく仕事場に入ることを許されました。といっても、まずは洗い場です。上下関係がはっきり分かれている厳しい世界でした。

道具が汚れていると、げんこつが飛んできたり、餡(あん)のでき栄えが悪いと、容赦なく投げ捨てられたりもしました。

職人の技も、当時は盗んで覚えるのが当たり前。残った餡で、夜中に丸めたり包んだりする練習をしたものです。

そうして、10年20年と腕を磨いていった私ですが、心はいつも孤独でした。生い立ちへの引け目から、自分に自信が持てず、修業に打ち込むほどに、他人に心を閉ざすようになっていったのです。

28歳の時に結婚しましたが、数年で離婚。母の記憶がない分、お嫁さんを大事にしようと決めていたのですが、現実は思うようにはいかないものです。その挫折体験が、人間不信に拍車をかけました。

53歳にして人生観が転換

そんなある日のこと、一つの新聞広告が目に留まりました。大川隆法総裁の講演会の広告でした。心惹かれるものを感じ、当日、一人で会場へと向かいました。

「これは本物だ・・・」。説法の力強い言魂に心打たれた私は、ほどなくして入会支部の皆さんと一緒に、本格的に教えを学び始めたのです。

とくに感銘を受けたのは、「人間は永遠の生命を持って転生輪廻している存在であり、人生には目的と使命がある」という霊的人生観です。

53歳にして、人生観が180度転換しました。

亡き母への思い

心の修行を深めたいと思った私は、家庭御本尊を自宅にご安置して、朝晩、経文を読誦(どくじゅ)するようになりました。

御本尊をいただいて1年くらい経ったある日のこと。いつものようにお祈りをしていたところ、ふと、亡き母のことが思い出されました。

「十分に面倒をみてやれなくて、すまなかったね」。そんな母の思いが、心の中に流れ込んできたのです。まるで黄金色の光に包まれているような感覚でした。

「自分は母に愛されたことがないと苦しんできたが、母は、自分を宝だと思って生んでくれたのだ。自分は愛されて生まれてきたのだ・・・」と、涙があふれて止まりませんでした。

子供の頃からずっと、心のどこかに引っかかっていた、「自分は価値のない人間だ」という思いが消えた瞬間でした。

「母が私を愛してくれているように、仏はすべての者を愛してくださっている。この世に価値のない人間なんていないのだ—」

仏への感謝、そして今まで出会ったすべての人への感謝でいっぱいになりました。

天命の発見

自ずと、仕事に対する姿勢も変わっていきました。以前は、ただ見栄えよく作ればいいと思っていたのが、「買ってくださる方が、このお菓子で、少しでも幸せになりますように」と、一つ一つ心を込めて作るようになりました。

「和菓子を通して世の中に幸福を広めることが、自分の天命だ—」

仕事仲間への接し方も変わりました。以前は、後輩の指導でも、相手を突き放し、失敗すると分かっていても、わざと教えないこともありました。

しかし、相手も仏の子であると思うと、相手を思いやる気持ちが湧いてきます。 「餡の量を減らしたほうがいい」「こっちの材料を使ったほうがいい」など、丁寧に教えるようになりました。

また、若い人やパートさんのアイデアも、頭ごなしに否定せず、よいと思ったことは、積極的にほめるようにしたのです。

いつしか、孤独な職人は姿を消し、「分からないことがあったら、Hさんに聞けばいいよ」と、皆さんに頼っていただけるようになっていました。

会社再建—副工場長へ

何より和菓子が好きな私は、定年後も嘱託社員として働きつづける道を選びました。しかし、その矢先に店が倒産—。

年齢を考えると、そのまま引退することもできましたが、私は、「必ず道は開ける」という心の声を信じつづけました。

そして数カ月後。店の再建の知らせが入ったのです。新社長の面接を受け、私はなんと副工場長として再雇用されることになりました。

製菓から箱詰め、発送作業と、連日深夜までフル稼働する生活は、六十過ぎの体にはこたえましたが、苦労のかいあって、年々経営は安定していきました。しかし、私にはさらなる試練が待っていたのです。

お返しの人生

「Hさん、おかげで店も安定して新しい人も増えてきた。そろそろ、副工場長を若い人に譲って、嘱託に戻ってくれないか」

65歳の時のことです。いままで指示を出していた自分が、一転、一番下で指示を受ける立場に。そのギャップに戸惑い、「いっそ引退しようか・・・」という思いが何度も心をよぎりました。

その迷いを断ち切るきっかけとなったのは、その頃、支部で聴いた大川隆法総裁の法話でした。

「65歳が一つのラインです。若い人にも力があることを認め、若い人を立てる考え方をすることです。引き際の美学というものを知らなければいけません」(「『ティータイム』入門」より)

この言葉が決め手となり、私はプライドを捨て、恩返しの気持ちで、後進の指導に当たる決心がついたのです。

店にテレビの取材がきた時には、「職人代表」の立場で、インタビューを受ける機会もいただき、そのお役も無事に務めることができました。

心の発展は無限

人間はいくつになっても、どれだけ心を高めることができるかという、心の発展は無限だと思うのです。

来世、来々世と、無限の未来が待っていると思えば、何歳からでも夢を描き、努力を始めることができます。

私自身、「生涯、努力精進」の気持ちを忘れず、体の動く限り、多くの人を幸せにする和菓子を作りつづけていきたいと思います。

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Tさん(60代・女性)

「私ってそんなにダメな子?」

私の母は、東北の農家に生まれ、10人の兄弟姉妹がいる家で、ろくに学校も行けずに育ったそうです。私が小さい頃に知る母は、姑(しゅうとめ)や小舅(こじゅうと)からよく叱られ、自己卑下して泣いてばかり。私は幼い時から、「お母さんのようにはならない」と心に誓っていました。

私は3人きょうだいで兄と弟がいますが、母は、なぜか私にだけ、しつけに関してうるさく言うのです。箸の上げ下ろしまで厳しく注意されました。

「私ダメな子なの—?」

お母さんのせいで劣等感が植え付けられた、と私は恨んでいました。

そんな私も結婚。自分の生活を築いていましたが、6年前、父が病気になってから状況は一変。電車で1時間のところに住む母は、心細いのか私に電話で生活全般のことを逐一聞き、私に依存するようになったのです。“老老介護”で大変なのは分かりますが、母を見下していた昔の思いがよみがえり、その心の引っかかりは、苦しみに変わりました。

私を誇りに思ってくれていたお母さん

苦しい思いを胸に抱えていた私は、幸福の科学の総本山・正心館で『両親に対する反省と感謝』研修を受けました。研修では、親の立場に立って昔を振り返ります。

「私を必要以上に叱ったのは、自分が苦労した分、そんな思いはさせまいと親心で心を鬼にしていたのでは・・・。どこに出しても恥ずかしくない娘になってほしいと思う母の愛情だったのでは」と、その時初めて思い至りました。

劣等感を植え付けられ、許せないと思ってきましたが、母を許す思いが湧いてきました。

思えば母は、私が高校で上位の成績をとった時のことを、「私の誇りだったよ」と、言い続けていました。母は私をいつも思ってくれていたのです。

「お母さんの娘で良かった!」

ところが、日常に戻ると、その感謝も長くは続きません。母は相変わらず、市から郵送される書類のことなどいちいち聞いてきます。また見下しそうになる心を抑えるのに必死でした。

そんなある日、書籍『太陽の法』の一節を読んでいて、はっとしました。

「人間は太陽、水、空気と、すべてを与えられていなから、それを当たり前だと思い、ありがたさに気づかない」とスズメたちが話している、愛についてのたとえ話です。

人間が感謝しようがしまいが、すべてを与え切っておられる仏の愛。その大きな愛の中で生かされているのに、母の小さな非をグチグチ責めている素直じゃない自分。

私に比べ、母はどうでしょう。人の言うことに素直に耳従っています。私だったら、プライドがあるので人には開けません。ましてや娘に聞くなど・・・。

「素直さ」という母の長所を発見し、母への尊敬の思いが湧いてきました。

私は心からの反省と感謝を込めて、母にお詫びしました。

今、母とは毎日電話をし合い、お互いを気遣っています。母も依存心がなくなり、「いつお迎えがきてもいいよ」と穏やかに日々を過ごしています。そんな母を心から尊敬できるのです。

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Fさん(30代・女性)

子供たちのデキの悪さに爆発する日々

私は20歳で結婚、21歳で長女を出産しました。わが子を見たとたん、もうかわいくて!「立派な人間に育てよう。それが私の仕事なんだ」と張り切りました。

長女のAは、言葉も物事の理解も早かったので、5歳の時、小学校の受験勉強をさせ始めました。

ところがAは、受験ドリルの問題が解けません。

「ほらAちゃん、考えて」

最初は優しく言っていましたが、問題を理解しないAにだんだん腹が立ってきます。

「ちょっとは真面目に考えなよ!」「こんなの簡単じゃん。ばっかじゃないの!」

するとAはキーッと叫んで泣き出してしまいました。

その様子に、私はもっと頭にきました。「私が子供の頃は、人前で泣かなかったのに!」と。

小学生の時、私は学級委員をつとめ、先生から何かと褒ほめられる子供でした。それに比べてこの子は・・・と、イライラがつのります。私は次女のYと長男のTにも、厳しい言葉を浴びせ始めました。

家庭の空気もギスギスしましたが、「子供がちゃんとしないんだからしょうがないわ」と思っていました。

私の言葉が原因なの・・・?

私は毎日、幸福の科学の根本経典『仏説(ぶっせつ)・正心法語(しょうしんほうご)』や『祈願文(きがんもん)』を読誦(どくじゅ)し、お祈りの時間を持っています。

ある日、経文の言葉が、強く胸に響いてきました。

「心を正し 言葉を正し 行ないを正した 生活なり 調和のとれた生活なり」
(「解脱(げだつ)の言葉『仏説・八正道』」より)

「信仰を調(ととの)え 心を調え 行ないを調えて 地上の光を目指します」(「家庭調和の祈り」より)

私は、ハッとしました。

子供に腹を立て、罵倒(ばとう)している普段の私。主人にも八つ当たりしている私。もしかしたら、間違っているのは、子供ではなく私なのかもしれない・・・。

実は私の厳しさが、子供のやる気をそぎ、「できない子」をつくり上げているのかも、と反省の思いが湧いてきたのです。

また、幸福の科学では、「人間は魂修行のため、転生輪廻(てんしょうりんね)を繰り返している存在である」ということを教わっています。子供の出来が悪ければ心を乱し、出来が良ければ満足する、という今の私は、環境に振り回されているだけで、何ら心の修行をしていないのでは、と気づかされたのです。

心が穏やかになったら、子供の輝きが見えてきた!

私は子供たちへの接し方を改めることにしました。

子供たちが宿題もせずにテレビを見ていると、いつもなら「さっさと宿題やれよ!」と怒鳴って、バチン!とスイッチを切っていましたが、まず深呼吸をして心を静め、「宿題があるなら、先にやりなさい」と 諭(さと)すようにしました。

子供の態度はすぐには変わりませんでしたが、私の心は今までになく穏やかでした。

「怒らない」「悪い言葉を出さない」ということが、いかに大切かを知りました。

また、今までは、簡単な問題ができても当然と思い、褒めたりはしませんでしたが、小さなことでも褒めるように努力しました。

「すごいねー!よくできたねー!」

すると、Aはとても嬉しそうにニッコリと笑います。

今、わが家には、私の罵声(ばせい)が響き渡ることも少なくなっていき、以前は厳しい表情をしていた子供たちもイキイキとしてきました。これからも、家族の心を温かくする言葉を心がけていきたいと思います。

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