Archive for the ‘体験談’ Category

ADHDを子どもの「個性」の一つと受けとめ、伸び伸びと育てられるようになった【体験談】

わが子のADHD(注意欠陥・多動性障害)の傾向に悩んでいたお母さんが、問題を乗り越えていく体験です。

M.Y.子さん・Yくん(北海道)
月刊「ヘルメス・エンゼルズ」より転載・編集

ADHDの傾向性を持っていた息子

ADHDの傾向性を持っていた息子【体験談】

長男のYは、小さい頃からとにかく手のかかる子でした。
寝る前の歯磨きやトイレなど、ごく当たり前の生活習慣がなかなか身につかないのです。
(私のしつけが悪いのかな……)
叱ってもおだてても効き目はなく、小学生になってもランドセルの片づけひとつ満足にできません。
「ランドセルはここに置くんでしょ!」
「はーい」
注意すると返事はしますが、次の瞬間には他のことに気を取られて忘れています。
担任の先生からも、「Yくんは注意散漫ですね。何度言っても聞こえていないようです」と言われる始末……。
(何回言ったら分かるんだろう?)
(なんで、こんなことが出来ないの?)
Yを責める思いは、いつしか、(どうせ言っても、できないだろう)と諦める気持ちに変わっていました。
一方、主人は、Yのだらしなさが目について仕方がないようです。夕食が済むと、「Y、宿題やったか」「学校からの手紙はお母さんに渡したのか」「明日の準備は」と、気になる点を立て続けに指摘します。
「え、あ、あれ……」
Yは慌ててやろうとしますが、パニックになってしまい、何も手につきません。
しまいには「できなーい!」と泣きわめくので、主人から叱られてしまうのです。
(そこまで厳しくすることないのに……)
Yのしつけをめぐって、夫婦の間がギクシャクすることもありました。
小学一年生の秋。突然、Yの全身にひどいチックが表れ始めました。それ以前にも軽いチックはありましたが、今度は足先までがピクピク動いて止まりません。
「ならないようにしても、なっちゃうよ」
Yは困惑していました。
何とか治してあげたいと思った私は、解決策を求めて専門書を読み始めました。
そして、激しいチックが見られる子どもの半数以上が、ADHDであると知ったのです。
(YもADHDなのかもしれない……)
あまりにも注意散漫な性格は、ADHDのパターンそっくりでした。
しかも、「ADHDの子は不登校を起こしやすい」などの否定的な説明ばかりが目に入り、私は不安に駆られました

ADHDは「個性」のひとつ

その時、「ザ・リバティ」という雑誌に、ADHDの記事があったのを思い出して読んでみました。
すると、「ADHDは、転生輪廻の過程で培ってきた『個性』の一つである」と書かれていたのです。
(えっ、「個性」なの?!)
Yをよくよく観察してみると、瞬間瞬間が勝負で、長期的に考えることが苦手です。
(この子は出来るのにやらないんじゃない。注意しても忘れたり、すぐに気が逸れてしまうのは、「個性」の一つと見ていいんだ――)
急に気が楽になりました。
ほっとして心が落ち着くと、Yのいいところが見えてきます。
友達みんなに平等に接したり、妹の面倒をよく見る優しいところ。創造性が豊かで、工作が大得意なところ……。
(そう言えば、最近褒めてあげてなかったなあ……。Yの長所をもっと伸ばそう)
私は、Yの長所を発見したらすぐ褒めるように心掛けました。
「Yは優しくてえらいね」
「Yのそういうとこ、立派だね」
口に出して伝えていると、足りないところを見ていた時と違って、私の心は穏やかになり、Yも生き生きしてきます。
また、主人とも相談し、厳しく注意する事は一個か二個にして、夕食後には楽しく過ごすようにしました。
チックの原因の一つはストレスだと言われていたからです。
「コマで遊ぼうか。」
主人から声をかけると、Yは「やったー!」と大喜び。そんな日が三日も続くうちに、足先に表れていたチックがほとんど見られなくなりました。
「ママ、体が勝手に動かなくなったよ!」
Yは嬉しそうに報告してくれました。

「細分化の原理」を実践して、パニック状態を克服

「細分化の原理」を実践して、パニック状態を克服【体験談】

ただ、後片づけなどの習慣が身につかないのは相変わらずでした。
ADHDの特徴の一つとして、物事を順序立てて考えられないという点があります。Yも例外ではなく、やらなければいけないことがいくつもあると、途端にパニック状態になって泣きわめくのです。
そこで私は、大川隆法総裁『奇跡の法』という書籍に書いてあった「問題を細分化し、優先順位をつける」という教えを子育てに応用しようと思いました。
学校から帰って来たら、「まず、何をしなくちゃいけないのかな?」と尋ねます。
「これは一番で、これが二番。三番と四番は今できないから後でしようね」
そう言ってあげると、Yはすごく安心したようでした。次第に、「宿題はもう終わったよ。明日の準備は寝る前にやるし、今はこれをするよ」と、自分から言うようになりました。
また、もっと自信をつけさせようと、エジソンもADHDだったことを伝えました。
「お兄ちゃんは、天才型でもあるんだよ」と励まし、本人が苦手としているコツコツ努力することの大切さも言い聞かせました。
「へえ。そうなんだ……」
Yはエジソンがとても気に入ったようです。読書は苦手なものの、エジソンの伝記は進んで読むようになり、時には自分から家での勉強に取り組むようにもなりました。
現在、小学三年生ですが、今ではチックも見られず、パニックを起こして泣きわめくこともありません。
私はこの体験を通して、子育てとは「子どもの個性を受け入れて伸ばしてあげることなんだ」と身をもって教えられた気がします。
また、「人間には多様な個性がある」という幸福の科学の教えが腑に落ちて、「こうあるべき」と人を枠にはめて見ることがなくなりました。
Yのおかげで、私自身も成長できたと、感謝しています。

オススメ書籍

『奇跡の法』(大川隆法 著)

『奇跡の法』(大川隆法 著)

あなたの人生を、好転させる方法がある。

なぜ、日本人は潜在的に繁栄を恐れるのか。
その原因を霊的真実や歴史から読み解く。

Amazonで購入する
幸福の科学出版で購入する

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

人生相談を行っています

幸福の科学では悩み解決や人生の好転をサポートしています。悩みや相談ごとのある方はぜひ支部にお越しください。幸福の科学で修行を積んだ実績ある支部長・講師がお話をうかがいます。プライベート・秘密はお守りしますので、安心してお話しください。

関連リンク

月刊「ヘルメス・エンゼルズ」一覧

優しい言葉かけで落ち着きを取り戻した長男【子育て体験談】

ケンカ相手にケガをさせ、相手の家に親子であやまりに行くことが幾度もあったお母さんが、心を深く見つめ、息子の言動が自分の心の反映だと気づけた体験。
M.S.さん(山口県)・Hくん(8才)
月刊「ヘルメス・エンゼルズ」より転載・編集

暴力が直らない長男

「申し訳ありませんでした。今後、このようなことがないよう気をつけますので……」
ケンカをしてケガをさせてしまった相手のお宅に、長男と二人であやまりに行きました。いったい、これで何度目でしょうか。友だち同士のケンカで、いつも手を出してしまうのです。連絡帳には暴力に気をつけてほしいと書かれることがしばしば。親子であやまりに行ったのは一度や二度では済みません。
息子に聞くと「向こうから仕掛けてくるんだよ。ぼくからはやってないよ」と言うばかり。
3年生の時には、学校から「暴力が直らないので児童相談所へ相談に行ってみてください」と言われました。カウンセリングの結果、子どもには何も問題はなく、逆に「知能指数が高いので、あまりガミガミ言わずに上手に子育てしてあげてください」とのことでした。

「ガミガミをやめてください」

ところが、ある朝「お腹が痛い」と言い出し、その日から学校に行けなくなってしまったのです。病院では「体はどこも悪くないので精神的ストレスではないか」と言われ、ここでも「ガミガミ言ってはダメですよ」と医師から注意を受けたのです。
(私のせいでこうなっているの?)
以前にも同じ指摘を受けたことを思い出しました。
それでも、何かと慌ただしく日が経ち、自分の態度を振り返ることをしませんでした。
息子の不登校は、担任の協力もあり、2週間程で終わりました。私はその最中にも、自分がイライラするたびに、きつく叱りつけたり、頭ごなしに言い放ったりしていたのです。
同じ頃、友人と「幸福の科学」精舎で開催されている「心の指針」研修を受けに行く機会がありました。心に響く大川隆法総裁のお言葉や、精妙な精舎の空間が心地よく、この時だけは久しく忘れていた穏やかな心を取り戻すことができたのです。
そして、自分の姿がよく見えるようになっていったのです。
息子に思いをはせると、いつも厳しく叱咤激励している自分の姿が、何度も浮かんできました。私は一つのことに必死になると、他のことが見えなくなってしまうところがあります。剣道をさせれば剣道のことで頭がいっぱいになり「試合に勝たせたい」「練習を怠けてほしくない」と、ついつい口やかましくなっていました。
息子への期待が大きく、自分の理想を押し付けていたことに気づきました。「剣道をやめたい」と言い出した時も、「今がんばらなくてどうするの! 途中で投げ出しちゃダメでしょ!」と、一方的にたたみかけ、息子の気持ちを聞こうともしなかったのです。
私の強い態度に言い返すこともできずに、黙って泣いていた息子の姿を思い浮かべると、「ぼくの良いところもちゃんと見て。ぼくのこと認めてほしいよ」という心の声が聞こえてくるようでした。

言葉を調えて、積極的にほめるように

いつしか、私にとって月に一度の「心の指針」研修は、気持ちをリセットできる大切な時間になっていきました。
時間に追われ、疲れがたまってくると、ついヒステリックになって、ひどい言葉が矢継ぎ早に出てしまう自分を見つめ、頭の片隅で(なんでこんなにひどいことを言ってるんだろう)と、情けない思いがありながらも、言い出すと止まらなくなってしまう自分自身のイヤな面も、逃げずに見つめていくことができるようになりました。
そんな中で、私は、やっと息子と本気で向かい合う決意ができたのです。
ずっとやめたがっていた剣道はやめさせ、積極的にほめていこうと努めました。ちょっとしたお手伝いでも、「助かるわー。頼りになるね」と、声をかけるようにしていったのです。
しばらく続けるうちに、息子はとても落ち着いてきました。「お風呂やっとくね」と、自分からはりきってお手伝いもしてくれるようになったのです。
そんな変化を見ると、母親として子供を温かく見守ることの大切さが改めて身にしみました。
今は、厳しく言うだけではなく、「子ども本来の力を信じ、母として包みこんであげる優しさもとても大切なことなんだ」と実感しています。子育てを通して、子供をどこまで信じてあげられるのかを日々問われているように思います。

オススメ書籍

『限りなく優しくあれ―愛の大河の中で―』(大川隆法 著)

『限りなく優しくあれ』(大川隆法著/幸福の科学出版)

家庭ユートピアとは何か。

家庭が光に満ちたとき、世界が変わる。
霊性の時代を担う女性像のひとつのあり方を示した書。

Amazonで購入する
幸福の科学出版で購入する

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

人生相談を行っています

幸福の科学では悩み解決や人生の好転をサポートしています。悩みや相談ごとのある方はぜひ支部にお越しください。幸福の科学で修行を積んだ実績ある支部長・講師がお話をうかがいます。プライベート・秘密はお守りしますので、安心してお話しください。

関連リンク

月刊「ヘルメス・エンゼルズ」一覧

失明しても、理想は描ける。努力もできる。

仕事を天職に変える方法【体験談】

高校生の頃に視力を失ってしまったSさん。それまでの夢がついえるも、盲学校での新しい生活をスタートさせました。幸福の科学との不思議な縁に支えられながら、前向きな努力によって明るい人生を開いていったSさんの軌跡をお伝えします。
(Sさん/男性/隔月刊「ザ・伝道」第113号より転載・編集)

体験談人一倍の努力は決して無駄にならない

家業を継ぐ夢

私はみかん専業農家の長男として生まれました。子どもにとって果樹園は格好の遊び場で、小学生の頃は木登りに夢中になりました。木に登れば登るほど高くなってしまう空や、遠く海から吹いてくる風の気持ちよさ、どこまでも広がる景色に吸い込まれ小さくなっていく自分──。自然の底知れぬ大きさを感じ、中学生の頃には、「将来、立派な果樹栽培者になろう」と決意し、自ら進んで農業高校に進学しました。弁論大会で農業の今後の展望と自分の夢について語り、県の最優秀賞を受賞したこともあります。すべてが順調のはずでした。

突然の視力低下

高校2年の秋の日。夕方、急に黒板の字がぼやけてきて、よく見えなくなりました。その日の朝までは普通に見えていたのに、です。それまで両目とも2.0あった私は、近眼とはこんなに早く進むものなのかと驚き、町医者で診てもらいました。視力検査の結果は、左目が0.01、右目が0.9でした。翌日、私は学校を休み、紹介された国立病院に行きました。
「視力は低下していますが、視神経の病気の場合、片目にきても両目とも悪くなることは少ないですから大丈夫でしょう」
それからは、検査のために毎日通院することになりました。目に痛みもなく、はじめはそんなに深刻な病気だとは思っていませんでした。ところが、日に日に信号の色が分からなくなり、通院の道のりが怖くなってきました。このまま見えなくなるのだろうか――。大丈夫だと言われていた右目までどんどん視力が低下し、2週間後には、急遽、大学病院に入院することになりました。

視力がゼロに

天職-02

入院中は、検査と集中治療の毎日。視力は浮き沈みを繰り返しました。入院から1カ月、ついに視力がゼロまで落ちました。心配した親戚や友人がお見舞いに来てくれましたが、私には誰が来たのかもよく分かりません。両親は相当ショックだったようで、仕事も手につかないと聞かされました。担任の先生も、私の病気を聞いて一晩泣いてくれたそうです。でも、私にはどうすることもできません。「将来は自分もみかんをつくる」と言ったときの父の嬉しそうな顔が、何度も、何度も頭に浮かびました。
約7カ月後、なんとか視野の外側がわずかに見えるようになったものの、それ以上の治療効果は見込めず、退院して自宅療養することになりました。

やるせない日々

体は悪くないのに、することがないので、一日中寝ているような日々が続きました。ものが見えず、食事も、電話をかけるのさえも一人では満足にできません。家にこもって鬱々としている間に、どんどん時間は流れていきました。
ある日、私は急にみかん山が見たくなり、久しぶりに果樹園に行きました。12月の厳しい寒さに耐え、収穫間際の果実をたわわに実らせた甘夏の木が、私のわずかに残った視界に映りました。風が吹き、いつも木登りしては感じていた懐かしい感触を味わっていると、かつて自然の大きさに打たれ、「将来、立派な果樹栽培者になる」と誓ったことを思い出しました。その日の夜、父から「盲学校に行ってみないか」と言われました。発病して、先のことなど何も考えられなくなっていましたが、私は、まだ高校生活が途中だったのです。

盲学校へ

天職-03

私は、4月から2年遅れで盲学校の2年生に転入しました。盲学校とはどんな感じなのか不安でしたが、読み書きできる生徒もいれば、好きな歌手の話をしたり、走り回れる生徒もいました。前の学校とあまり変わらない様子に安心した私は、視覚以外の感覚器官で補うことを覚えていきました。道を渡るのに、人に合わせて渡ることや、情報の整理の仕方、点字図書館やパソコンの音声案内……ものすごく世界が広がった気がしました。やがて親しい友人もでき、休み時間などによく話をするようになりました。ある日、友人が『神霊界入門※』という本を持ってきました。
「今日は、この本を読んであげるね」
自分で本が読めない私は、比較的見えるその子に読み聞かせてもらえる時間が楽しみでした。生まれ変わりのことや、天国や地獄について……。不思議な話が次々と出てきて、「へえ、あの世って、そうなってるんだ」と感心しながら聞きました。それから、私たちの休み時間は読書が恒例となったのです。

※室町末期の女性、小桜姫の霊言。現在、『大川隆法霊言全集』第26巻、第27巻に所収。

新たな希望

『神霊界入門』の次は『太陽の法』という本でした。仏とは何か、大宇宙の構造、守護・指導霊の存在……。『太陽の法』に書かれていたことは、初めて聞く話ばかりで、私は休み時間が待ち遠しくてなりませんでした。しかし、まもなく夏休みに入って中断。どうしても続きを知りたかった私は、自分で『太陽の法』を買って、家族に読んでもらいました。
人間は、生きてゆく過程において、さまざまな困難にぶつかります。つまり、そうしたなかで、魂の修行をしていくわけです。これは、あらかじめ計画されていることです
「魂にとっての修行」という教えに衝撃を受けました。目のことを自分で計画してきたかはわかりませんでした。でも、見えないなかでもできる努力はある、と強く感じたのです。それからしばらくして、また弁論大会があり、私は再び出場しました。
「私は、日本一の果樹栽培者を目指す途中で失明し、一時は無気力になりました。だけど、盲学校という新たな道に進み、そこでできる努力があると気づきました。いま、点字という手段を身につけようとしていて大変だけど、『ここから将来が開ける』と思うと、日々が充実しています……」
将来の夢、挫折、そして立ち直り――。自分の気持ちを正直に語った弁論は、大きな反響があり、全国で最優秀賞を受賞しました。

不思議な縁

高校卒業後、そのまま鍼灸・マッサージの資格をとる専門課程で3年間学び、無事、点字で鍼灸の国家資格を取りました。さらに技術を訓練したいと思い、全寮制の鍼の研究機関のある東京に出ました。寮生活にもなじみ始めた頃、私より1つ年上の研究生から声をかけられました。
「『太陽の法』っていう本の音声があるんだけど、とってもためになるから聴いてみる?」
「知ってる!それって幸福の科学でしょ?」
「そう、これ、ボランティアの方が吹き込んでくれたんだ」
遠く故郷を離れた東京の地で、まったく別の人から『太陽の法』を勧められるとは思いもよらず、不思議な縁を感じました。私は、早速借りてきた音声を聴きました。すると、初めて『太陽の法』を読んでもらったときの感動がよみがえってきます。
「この教えをもっと学びたい」
いてもたってもいられなくなり、支部に連れていってもらいました。そして、幸福の科学に入信したのです。

深まる確信

それから、大川隆法総裁の講演会のDVDやCDで、幸福の科学の仏法真理を熱心に学びました。「肉体に障害があっても、魂は健全である」「睡眠中には魂が肉体を抜け出して霊界に還っている」というお話を聞いたときには、納得するものがありました。夢のなかではちゃんと景色や相手の顔が見えているのですから。教えへの確信を深め、私は幸福の科学の青年部で活動するようになりました。また点訳のボランティアの方のご好意を受け、点字を使って、私と同じように目の悪い方にも大川総裁の教えを伝えるお手伝いを始めました。その後、私は青年部で一緒に活動していた女性と結婚し、クイックマッサージのお店に就職しました。

未来のための種まき

会社勤めには、初めのうちは戸惑うことが多くありました。職人肌の父親の影響もあってか、ひたすら鍼の腕を磨くことに専念してきた私は、人と協力して仕事を進めるのが苦手でした。社長からは、「あなたは鍼の技術にこだわりすぎて、考え方も狭い。鍼の技術だけに依存しなくなったら、もっと素晴らしくなると思うよ」と指導されました。それは視力以前の問題です。周囲の人との協調が苦手な原因を反省すると、「結果を早く出したい」という気持ちが人一倍強いことに気づきました。目が見えないと、人の何倍も時間がかかることが多く、なかなか結果を出すことができません。それが焦りにつながり、自分のことばかり考えてしまうようになったのだと気づきました。
「治療には、いろんな手段や方法、患者さんの立場だってあるのに、いつの間にか自分本位の治療をしてきた──」
幸福の科学では、今世どのように生きたかが、来世を決めると教わっています。「今という時間は、未来のための種まきでもある」。そう腑に落ちると、結果がすぐに出なくも、努力が無駄になることはない、と気持ちを落ち着けることができました。淡々と努力するうちに、結果を焦る気持ちもおさまっていきました。

仲間の優しさ

努力が認められたのか、やがて店長を任されるようになりました。しかし、この時期は仕事も家庭も大変でした。マッサージの技術も磨き、関連店舗、3店の各スタッフに技術指導をする多忙な日々。一方、家庭では、長男が誕生。私への手助けと育児で相当負担をかけていた妻は、精神的に参ってしまいました。しかし、辛かったこの時期に身にしみたのは、「できることがあったらするから、何でも言ってね」と気軽に声をかけてくれる仲間のありがたさでした。私は、目が見えない分、人の手を借りずにがんばろうと努力してきたつもりです。でも、多くの方々に支えられていることに気づき、人の優しさは素直に感謝の思いで受け、その分、自分もお返ししていけばいいと思ったのです。「これが、幸福の科学で教えられている、愛を与え合うことの素晴らしさなのだ」と、胸が熱くなりました。「私も後進への指導を通してお役に立ちたい」「癒しを求めている方をサポートしたい」という思いが強くなっていきました。

研修での気づき

社員の育成が軌道に乗りはじめた頃、もっとマネジメント能力を磨かなければいけないと考えた私は、総本山・未来館に研修を受けに行きました。研修で心を見つめていくうちに、私はその場その場で人を立てようとするあまりに指導が甘くなったり、時間にルーズになりがちなことを反省しました。また、管理職として真に部下を生かすための厳しさや、患者さん自身の立ち直る力を信じる心など、大事なことを、一つ、また一つと気づかせていただきました。「完全な人はいない」と学んでいるけど、それは、「これから素晴らしくなる可能性がある」ということでもある。自分が関わり合いをもつことで、何かしらの手助けをしたい、それらすべてが治療なんだ。そう実感しました。

後進への指導

後進への指導 体の障害(中途失明)を乗り越える【体験談】

研修後、しばらくして盲学校から、校外臨床実習の生徒を受け入れることになりました。「治療家として、しっかりとした技術を身につけることは、第一ですが、患者さんの立場に立った治療をするためには、自分のなかに心の柱を持つことがとても大切です」と語りました。そして、施術の指導をしながら「心に柱をつくるには自分を見つめること」「努力が心の柱をゆるぎないものにしてくれる」といった心構えについて伝えました。すると実習後、学校から「生徒たちが、人が変わったようになって帰ってきました。どういう取り組みをしてくださったのですか」という問い合わせが来たことをきっかけに、学校に講義をしにいくことになったのです。また、あるとき、雑誌の記事で紹介されたのをきっかけに、自社でも社外向けに講習会を開くことになりました。

未来に向かって

私は、今、明るい未来を確信しています。目が見えなくても、理想を描くことはできますし、実現のための努力もできます。人一倍の努力は必要かもしれません。でも、努力が無駄にならないと知って、どれだけ自分の魂を成長させることができるかを考えたら、ハンディもプラスとしてとらえられるようになりました。大川総裁、ほんとうにありがとうございます。これからも、自分にできるかぎりのお返しの人生を歩んでいきます。

書籍で学ぶ苦しみから逃れるのではなく、そのなかに光明を見出す

『運命の発見』(大川隆法 著/幸福の科学出版)より抜粋したメッセージ

ハンディを治すことだけが幸せではない

『運命の発見』(大川隆法著/幸福の科学出版)

みなさん、さまざまなかたちでハンディは持っておられるでしょう。けれども、そのハンディを治すことだけが幸せだと思ってはいけないのです。もっとも、治る場合もあります。努力して治る場合もありますが、しかし、治れば幸福になれるという考えのなかには、ひとつの落とし穴があります。それは、また次の悩みが出てくるからです。治っても、今度はいままで目が見えなかったということが、自分のハンディだと言い出したら、もうきりがなくなります。

どれだけ最善の人生を生きられるか

ですから、その問題からの出口、つまり逃れることばかり考えて、与えられた問題を解きたくないと言うのではなく、その問題のなかに潜んでいる意味を、発見してほしいのです。そして、不自由だというハンディがあっても、どれだけ、光った人生を生きられるかどうか、それを工夫してほしいと思います。まわりの、目が自由な人が見て、「あの人があんなに立派に生きられるのだったら、俺たちも、もっとがんばらねばいかんな。」と思うようになれば、あなたの人生は成功です。
それを治しさえすれば、自分が幸せになると思わずに、そのなかで、どれだけ最善の人生を生きられるか、これを研究してみてください。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

人生相談を行っています

幸福の科学では悩み解決や人生の好転をサポートしています。悩みや相談ごとのある方はぜひ支部にお越しください。幸福の科学で修行を積んだ実績ある支部長・講師がお話をうかがいます。プライベート・秘密はお守りしますので、安心してお話しください。

心の力を、あなたも使おう心の力を使おう

あなたも心の力を学び、運命を逆転させてみませんか?

書籍本を読む

法話法話を直接聴く

お近くの幸福の科学の精舎や支部で開示中です。

ラジオラジオを聴く

1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

関連リンク

信者体験談一覧
ラジオ番組「天使のモーニングコール」
大川隆法総裁 公開法話・霊言一覧
幸福の科学出版
幸福の科学の研修施設(精舎)
幸福の科学 機関誌 隔月刊「ザ・伝道」一覧

実母への心からの感謝で子育てが変わった【子育て体験談】

実母への心からの感謝で子育てが変わり娘との関係が改善された体験談
T.N.さん(岡山県)
月刊「ヘルメス・エンゼルズ」より転載・編集

娘のトラブル

子育て体験談|娘のトラブル

娘が小学校2年生に進級したころのことです。
学校での友達関係が上手くいかない様子で、いつも元気な娘が、学校から帰るなり、「あーあ、またケンカしちゃった。」と疲れた顔で言うのです。
ケンカの理由を聞いてみると、娘がぼそぼそと話してくれました。
「隣に座っている子がおしゃべりしているから注意したんだよ。そしたら、『うるさい!』って言われたん……。」
元来、正義感が強く、誰に対しても物おじせずにはっきりと意見を言うタイプの娘。小さなことにも黙っていられずに、いちいち口出ししてしまうことが原因のようでした。
そんな状態が続いたある日、「あなたが口うるさく言いすぎるから、ケンカになるんじゃないの。」と私が言うと――。
「ママは先生と同じことしか言わん!」
娘は、プイッと後ろを向いて私から離れて行ってしまいました。
(そうよね。親の私がこれじゃ、娘のすがるところがないじゃないの。)
娘がせっかく悩みを話してくれているのに、頭ごなしに言い放っている私……。娘と言い合いになるたびに後悔するのですが、私は、なかなか娘の気持ちを受け止めてあげることができないまま、時間だけが過ぎていきました。

愛されていた実感

年が明けて、なんとか落ち着いてきた娘とは反対に、私は「もっとしっかりと自分の心を見つめなればいけない。」と、強く思うようになっていました。私は、娘とのことだけではなく、自分自身の人間関係でも悩みを抱えていたのです。
その後、幸福の科学の精舎講師が勧めてくれた「母への反省的瞑想」をしてみることにしました。それからは、講師から教えて頂いたように、時間をかけて毎日一つひとつ、母のことを思い返していきました。
私の母は約10年前から精神的に不安定でウツ気味の状態が続き、5年程前に認知症と診断されています。私は、母が精神的に病んでいくなかで、初めての子どもを出産。新米ママが一番母を必要とするときに、逆に母を支えなければならない立場になっていました。頭では、「病気なんだから仕方ない。」とわかっていても、同世代のママたちが実家で楽しく過ごし、子どもの面倒を見てもらっている話を聞くと、うらやましくて仕方なかったのです。そんな思いが、講師に言った母への不満になったのだと気づきました。母への反省を通して初めて、ずっと押し込めていた自分の心と向き合うことができたのです。
――母と一緒に台所に立つ小学生の私。「Nは飾り付けが上手だからお願いね。」「洗い物も安心してまかせられるわ。」と、笑顔の母。
回想の中の母は、私を信頼し、ちゃんとほめてくれていました。
母との楽しい過去を思い出すと、とても幸せな気持ちになれました。心が満たされて、感謝の思いが膨らんでいくのを感じます。
(母は私を心から愛してくれていた――。そんな母を責めていたなんて……。)
ポロポロ、ポロポロと涙がこぼれてきました。
まるで、何かが吹っ切れたように、それから幾日も、母に思いを向けるたびに涙がこみ上げてきました。私は、母との幸福な時間に浸るのが楽しく、毎日が幸せの発見でした。そして、その幸福感は、ストレートに私の子育てにつながっていったのです。
以前は、「今日は優しく話しかけよう。」と娘を待ち構えていながら一人で空回りしてしまったり、逆に「何なまいきなこと言ってるのよ!」と、声を荒げてしまったり……。そうかと思うと「さっきはごめんね。イライラしていて。」と慌てて声をかけるのですが、娘からは「もう遅いよ!」と言い返される。そんなことが幾度もありました。
自分が、「……ねばならない」と考えた上ですることはなかなか娘に通じなかったのです。でも、母への反省が深まるごとに、理解してもらえない傷ついた娘の心が伝わってくるようになりました。娘とすれ違いが多かったのは、「お願いだからトラブルメーカーにならないでほしい」という思いや、「嫌な話は聞きたくない」という気持ちが原因だったと気づきました。
そして、こうしなければいけないとがんばっている時とは全く違う時間を過ごせるように変わっていったのです。
娘は、以前よりも素直に気持ちを表に出すようになり、一緒にお人形の髪を結ってあげると、とても嬉しそうに「またやろうね。」と抱きついてきます。これまでは、何か注意しても必ず言い返してきて折れなかった娘が、私の話をちゃんと聞いてくれるように変わってきたのです。

原点は感謝の思い

子育て体験談|原点は感謝の思い

同じ年の5月、認知症の母に、家族で久しぶりに会いに行きました。
母は、私の顔を見たとたん、目にいっぱい涙をためて泣き始めたのです。遠くにいても、毎日母に思いを向けていたことが通じていたのでしょうか。
気がつくと、目の前の母を抱きしめていた私――。これまでの求めるばかりの思いは消えて、心の中は(ありがとう。)の思いだけでした。
母に対する反省によって実感できた、愛されているという幸福感、そして感謝の思いは、わが子への愛に確かにつながっています。

オススメ書籍

『ティータイム―あたたかい家庭、幸せのアイデア25―』(大川隆法 著)

『ティータイム』(大川隆法著/幸福の科学出版)

紅茶を片手に気軽に読める”幸せ家庭”のつくり方。

一杯の紅茶を飲む間に、あなたの人生が変わっていきます。
夫婦・親子・嫁姑の問題、家計、家庭と仕事―ちょっとした工夫で、「優しい家庭をつくる」アイデア集。

Amazonで購入する
幸福の科学出版で購入する

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

人生相談を行っています

幸福の科学では悩み解決や人生の好転をサポートしています。悩みや相談ごとのある方はぜひ支部にお越しください。幸福の科学で修行を積んだ実績ある支部長・講師がお話をうかがいます。プライベート・秘密はお守りしますので、安心してお話しください。

関連リンク

月刊「ヘルメス・エンゼルズ」一覧

QRコード
携帯QRコード
幸福の科学リンクバナー

幸福実現党公式ホームページ

幸福の科学学園

精舎サイト「精舎へ行こう」ポータルサイトへ

幸福の科学出版

幸福の科学のラジオ番組 天使のモーニングコール

WITH YOU