Archive for the ‘体験談’ Category

孤児として育ち、「自分は必要のない人間だ」と、ネガティブな思いを抱えて生きてきたポールさん。そんな彼の人生を変えたのは、幸福の科学の教えとの出合いでした。そしてさらに、ある奇跡がその身に―。 今回は、ウガンダから心温まる感動の体験談をお届けします。 ポール・ルビア・ルブヤさん(36歳・ウガンダ共和国・幸福の科学職員) 隔月「ザ・伝道」229号より転載・編集


体験談ネガティブからの脱出

母さん、どうして私を置いていなくなったの?

私は、孤児として祖母の元で育てられました。 実の父母の顔も知らず、愛された記憶もなかった私は、ずっと心のなかに孤独を抱えて生きてきたのです。 自分のルーツや両親のことが知りたくて、あるとき、祖母に聞いたことがあります。すると、衝撃的な話を打ち明けられました。 両親と、赤ん坊だった私は穏やかに暮らしていたそうです。しかし、そんな幸せな毎日は、ある日を境に、一転してしまったというのです。 それは、突然の父の死。 ウガンダでは当時、政府や反政府組織による住民への襲撃や略奪が横行していて、地方裁判官として働いていた父は、こうした闘争に巻き込まれて、何者かに銃殺されてしまったと―。 母は、ショックのあまり、父の葬儀の最中に倒れて、しばらく入院したそうです。 ところが、そんな母が、ある日突然、私を置いて、どこかに逃亡してしまったのだと聞かされました。 私はまだ生後8ヶ月の乳飲み子でした。

●内戦を繰り返したウガンダの歴史

1962年にイギリスから独立して以降、たびたびクーデターが発生。特に、80年代から始まった、政府軍と反政府組織との戦闘は20年近く続き、住民への襲撃や略奪も横行していた。ポールさんが生まれた頃も、こうした政情不安が続いていた。

(母さんは、どうして僕を捨てたの? 母さんはこの国のどこかで生きているの?) 私は、自分の生い立ちを恨みました。 幸い、医者として働く裕福な叔父が学費を援助してくれたおかげで、私は学業に励むことができ、12歳で祖母の家から遠く離れた寄宿学校に入りました。 週末になると、生徒たちの親が続々と子どもたちに会いに来るので、寄宿舎には、楽しそうな家族たちの声が響きます。しかし、私に会いに来てくれる人は誰もいません。週末はいつもひとりぼっち。 (私は誰からも必要とされてないんだ……) そんなネガティブな思いが私の心を支配していました。 そしていつしか、「必要とされていないのに、なぜ自分は生まれてきたのか」という疑問を抱くようになっていったのです。

人生は一冊の問題集

人生の意味を求めて教会にも通いました。 しかし、牧師は、「祈りなさい」「すべて神にゆだねなさい」と言うばかりで、私の疑問や苦しみに、明確な答えをくれませんでした。 そんな23歳のとき、転機が訪れます。 当時、私は、大学に通いながら、生計を立てるために、アパートの管理人をしていました。 そこに越してきた日本人女性が私に幸福の科学の英語版月刊誌を手渡してくれたのです。 ●ポールさんが初めて手にした英語版月刊誌。 「ポールさん、良かったらこの冊子を読んでみて。幸せになるヒントが書かれているの」 私はそれまで幸福の科学のことを知りませんでしたから、不審に思いましたが、「他人と自分とを比較することをやめなさい」という表紙の言葉が気になって、読んでみることにしたのです。部屋に戻って冊子を開くと、そこにはどんな苦しみも糧に変えていく心の持ち方が説かれていました。 (今までこんなこと考えてこなかった…) この教えを学んだら何か変わるかもしれない。そう思った私は、月刊誌をくれた女性に頼んで、幸福の科学のメンバーになったのです。 彼女の自宅で幸福の科学の根本経典『仏説・正心法語』をいただき、一緒にお祈りをすると、言葉にできない喜びとエネルギーが湧き上がってくるのを感じました。 その日から、私は大川総裁の書籍を貪(むさぼ)るように読みました。 大川総裁の教えは、天に祈るだけでなく、心を磨くことの大切さと、その具体的な方法が明かされていて、とても新鮮に感じました。そして、英語版『不動心』を読んでいたとき、人生を変える言葉に出合ったのです。 「『人生は一冊の問題集である』という言葉で表わされるように、それぞれの人間には、その魂にふさわしい試練が与えられます。その試練をどのようにくぐり抜けていくかが、その人の真価、値打ちを決めるのです」 (人生は問題集……?) 大川総裁は、人間は死んだら消えてなくなるような儚(はかな)い存在ではなく、何度も地上に生まれ変わって、さまざまな経験を通して魂を磨いているということ、人生の苦難困難は、ただの不幸ではなく、”自分を鍛えるための問題”であることなどを教えてくれました。 (人生すべてに意味があるんだ! 私はつらい生い立ちを経験しているけれど、捉え方を変えれば、だからこそ人の苦しみや悲しみに寄り添うことができるようになった) それまで、「なぜ自分は不幸なのか」と、ネガティブになっていた心が軽くなったように感じました。 自分の人生を肯定的に受け止められるようになり、自然と笑顔も増えていったのです。 大学の友人たちにも、「ポールは最近明るくなったね」と言われるほどでした。

ウガンダに灯った救いの光

ウガンダの首都 カンバラの様子。

2012年、ウガンダにビックニュースが舞い込みました。大川総裁が、私たちのウガンダに説法に来てくださると聞いたのです。 (マスターは、ブラジルやインドなどで説法をされていたけれど、まさかアフリカにも来てくださるとは!) 多くの人を救うため、世界各地に赴き説法をされる、大川総裁の愛の思いにただただ感謝しかありませんでした。 当時、大学を卒業して、幸福の科学の職員になっていた私は、大川総裁の講演会をスタッフとしてお手伝いさせていただくことになりました。 迎えたご巡錫(じゅんしゃく)当日―。 アフリカ各地から大川総裁の話を聞こうと大勢の人々が詰めかけました。 まもなく法話が始まるというときです。 突然のスコールが起き会場を濡らしました。 しかし、人々の熱気は冷めません。参加者は椅子を傘代わりとばかりに頭上に持ち上げて雨を退け、大川総裁の登壇を待ちわびたのです。そして拍手のなか、法話が始まりました。 「あなたがたの内には、光があります。自分自身に、自信を持ってください。(中略)そして、自らの内に、例外なく、ダイヤモンドがあると信じることです。これが、繁栄への出発点なのです―」 大川総裁は、私たち人間は皆、神の子であり、それぞれに神の光が宿っていること、有色人種だからといって劣っていないこと、これからウガンダでもたくさんの奇跡が起きて人々が幸福になっていくことなど、私たちに勇気と希望を与えてくれるお話をしてくださったのです。 (私にも神と同じ輝きがあるなんて…) 自分も、神仏と同じものが宿る尊い存在なのだと自信が持てました。 そして、不思議と心が温かくなり、神仏から愛されている実感がしたのです。心がプラスの思いで満たされたからでしょうか。 以来、物事を前向きに考えられるようになっていきました。

ウガンダ巡錫説法の会場の様子

会場前には長蛇の列ができた

生き別れた親子に臨んだ奇跡

大川総裁のご巡錫から3年後の、2015年のある日のことです。 私は遠く離れた町に赴いて「富を引き寄せる心とは」という題の仏法真理セミナーを開いていました。 そしてその日のセミナーを終えて片付けをしていると、一人の受講者の女性が話しかけてきました。 「ポールさん、私は、あなたのお母さんを知っているかもしれない」 「えっ、母さんのこと?」 彼女は、セミナー冒頭の私の自己紹介を聞いて、友人が探している、「生き別れのわが子」ではないかと思ったそうです。 私は、にわかには信じられませんでした。 母が家を出て30年以上経っていますし、私の国では、「実の親だ」と嘘をついて経済的に頼ろうとする人もいます。 警戒した私は、とりあえず名刺だけ渡して帰りました。それから何日か経った日の午後、支部に一本の電話が入ったのです。 「はい、幸福の科学です」 「あの…あなた、ポールなの?」 私が「そうです」と答えると、電話の女性は震える声で、自分が母親であることを語り始めたのです。 そしてすべて言い終わると、受話器の向こうで泣いているような声がしました。 私は半信半疑ながらも、数日後、彼女に会いに行くことにしたのです。 教えられた住所を訪ねると、優しそうな女性が待っていました。 「ポール!」 彼女は興奮しながら、一枚の写真を出してきました。 それは、父と母の結婚式の写真。 若かりし頃の父と、私を育てた祖母も写っています。 「ああ、本当に母さんなんだね。こんな奇跡が起きるなんて! 信じられないよ」 私の国では、戸籍もいいかげんですし、人の行方が分からなくなったら多くの場合、それっきりなのです。 母は、赤ん坊だった私を置いていったことを謝り、真実を話してくれました。 母は、父が亡くなったあと、親族から父の兄弟との結婚を強要されたそうです。 当時のウガンダではそういったことはよくあったのです。 母は父を心から愛していたので兄弟とは結婚する気になれず、家を出るしかなかったのだと語りました。 赤ちゃんだった私を連れていきたかったけれど、それも叶わなかったのだそうです。 「母さんは、一日たりともポールのことを忘れたことはないわ。何度もあなたを迎えに行ったけど、お父さんの家族が絶対会わせてくれなかったの。本当にごめんなさい」 「母さん。確かに今までつらかったよ……」 私は、溢れそうになる涙をこらえながら、これまでのことを打ち明けたのです。 自分は誰からも必要とされていない、と孤独に苦しんだからこそ、人生の真理を求めて幸福の科学に出合えたこと。 「人生は一冊の問題集」という言葉に救われたこと…。 「与えられた環境のなかでどのように生きていくのかが大切なのだとマスターが教えてくれました。過去ではなくて一緒に未来に目を向けていきましょう。全てはGod’s plan(神の計画)だったのですから」 「ポール、そう言ってくれてありがとう」 私たち親子は、一緒になっておいおい泣きました。 さらに驚いたことに、母は2012年の大川総裁のウガンダ巡錫の会場に、バスを乗り継ぎ、約4時間半かけて来ていたと言うのです。 マスターは説法で「これからウガンダで数々の奇跡が起きる」とおっしゃっていましたが、思えばあの日から、私たちの「奇跡の再会」のシナリオは動き出していたのかもしれません。 その後、母と、母の再婚相手との子供たちも幸福の科学のメンバーになりました。

約30年ぶりに母・ジャスティンさんと再会したときの一枚。離れていた時間を埋めるように熱く語り合った。

地球神の教えが世界を一つにすると信じて

私は、大川総裁の教えに出合って、「生きる意味」と「神の子としての自分の価値」を知り、ポジティブな自分に生まれ変わることができました。さらに、母との再会という最高のプレゼントまでいただくことができたのです。大川総裁に、感謝してもしきれません。 ウガンダは、国民の9割近くが何らかの宗教に所属しています。また首都のカンパラには、アフリカで3番目に大きいモスクがあり、多くのイスラム教徒が巡礼に訪れます。 しかし、このような宗教国であるにも関わらず、未だ内戦で家族を殺されて深い心の傷を負っている人が大勢います。 私自身、キリスト教に救いを求めましたが、心が本当に満たされることはありませんでした。また、世界を見渡してみると、 宗教の違いによる争いが後を絶ちません。 こうした現状を目の当たりにするにつけ、キリスト教やイスラム教をはじめとする今までの宗教では、もはや人々を救う力はないのではないかと感じます。だから今こそ、地球規模の新しい教えが必要だと思うのです。 大川総裁は、イエス・キリストが「わが父」と呼び、ムハンマドが「アッラー」と仰いだ神が一なる存在であること、そしてその神の名は「地球神エル・カンターレ」であることを明かしています。 私はエル・カンターレの教えこそ他のどんな世界宗教をもしのぐ最高の教えだと確信しています。 私は自分の人生を懸けて、地球神の言葉を世界中に伝え、幸せの輪を広げていきます。それが私のミッションです。

【解説】ポールさんがネガティブから脱出できた理由とは

Point1 「人生は一冊の問題集」だと知った

ポールさんは、人生の意味が見いだせず、いつしか自分の存在まで否定していました。そんなときに「人生は一冊の問題集」という言葉に出合います。人生のあらゆる苦難困難も「自分を磨くための課題」であり、乗り越えることで成長できるとわかったことで、人生の捉え方が肯定的に変わっていったのです。


Point2 神仏の子である自分の価値に気づいた

大川総裁は、「人間は皆、神仏の子であり、心の中に神仏と同じ光が宿っている」と説いています。ポールさんはこうした真理に触れて、「私も神から愛された尊い存在なのだ」と実感。自分に対して本当の自信を持つことにつながったのです。

書籍で学ぶ読むと人生に希望が持てるオススメBOOK

『信仰の法 ―地球神エル・カンターレとは―』(大川隆法 著/幸福の科学出版)

明日を変える言葉

 

心を変えれば、環境は変わり、 人は変わり、未来は変わっていくのです。 その根本にあるのが信仰の力です。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

心の力を、あなたも使おう心の力を使おう

あなたも心の力を学び、運命を逆転させてみませんか?

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お近くの幸福の科学の精舎や支部で開示中です。

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1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

関連リンク

信者体験談一覧
ラジオ番組「天使のモーニングコール」
大川隆法総裁 公開法話・霊言一覧
幸福の科学出版
幸福の科学の研修施設(精舎)
幸福の科学 機関誌 隔月刊「ザ・伝道」一覧

若いころは、出世欲のままに猛進していたというS・Yさん。あるとき幸福の科学の書籍を手に取り、それまでの人生観・仕事観が一変しました。現在、コンサルタント業を通して「恩返しの人生」を歩むSさんにお話を伺(うかが)いました。
S・Yさん(東京都・60代・男性)
月刊「幸福の科学」377号より転載・編集

体験談定年後に起業して収入が倍増―。

私は二十代のころ、大手コンビニエンスストアのマーチャンダイザーとして、新商品の開発や、仕入れ交渉などを担当していました。

「この商品、1千万個仕入れるので、1つ当たり1円値引きしてくれますね?」
「えっ? そこまでの値引きは…」
「それなら、もうお宅とは取引しませんよ」

私の任務は取引先に圧力をかけ、値引き交渉を成立させること。相手の事情は一切考慮せず、大手の強みを盾(たて)に要求をのませていき、異例の早さで部長にまで昇進しました。

 (よし、業界トップを目指すぞ!)

当時の私は、出世と年収増を目標に、1日3箱もタバコを吸いながら、がむしゃらに働いていました。でも、心は晴れなかったのです。

病床で読んだ「神様の言葉」

そんな生活を何年も続け、34歳になった冬。私は肺炎にかかり、高熱と呼吸困難で、大変な苦しみを味わいました。
医師から、完治するまで自宅で療養するようにと勧められた私は、ある日、机の上の数冊の本を手に取りました。

それは、少し前に書店で見つけ、興味がわいて購入していた『キリストの霊言(れいげん)』や『天照大神(あまてらすおおみかみ)の霊言』という本でした。霊言というのは、霊人たちのメッセージが、霊能者である大川隆法(おおかわりゅうほう)氏を通して語りおろされたものです。

読んでみると、「愛の大切さ」や「死後の世界の様子」など、今まで学んだことのない真理が語られていて、引き込まれました。そして、なぜか、涙があふれて止まらなくなったのです。

(ああ、なんだか心が楽になった気がする…。もっと、読んでみたいな)

以来私は、大川総裁の著書を次々と読み、地元の幸福の科学の支部で入会。活動にも参加するようになりました。

仕事は「人を幸福にする」もの

そのころ、私が最も”衝撃”を受けたのは、書籍『発展思考』(※1)で学んだ教えです。

「『人々の幸福を退(しりぞ)けてでも、自分ひとりが幸福になればよい』と思っている人のところに幸福はやって来ない」

ということです。
世の人々を潤(うる)おそうとして、幸福にしようとして、素晴らしい仕事を成し遂(と)げていく人のところには、富が集まってくるのです。

そこには、他の人を幸せにすることが自分にとっての本当の幸福であり、仕事においても成功する道であると説かれていました。

(そんなこと考えもしなかった。俺は自分の実績しか頭になかった…)

私との交渉で、無理な要件をのまされたメーカー担当者の苦しげな表情や、恨(うら)みのこもった視線が思い出されました。

(ああ、申し訳なかったな…。これからは、相手のことも考えて仕事をしよう)

私は、書籍で学んだ大川総裁の教え(仏法真理(ぶっぽうしんり)〈※2〉)を実践していきました。商談では、相手の発展も考えて共栄できる道を探し、職場では、周りの人に明るい言葉をかけたり、部下の育成にも心を込めたり…。
すると、次第に仕事が楽しくなり、生きがいを感じるようになりました。また、「人の幸福に役に立つ仕事」を考えていると、あるとき、こんな考えが浮かんできたのです。

(うちの会社では、新規に100店舗のコンビニを開くと、そのうち20店舗は採算割れで閉店に追い込まれ、不幸なオーナーが生まれている。これをなんとかできないかな…)

そこで私は問題解決に着手し、店舗の立地条件からあらかじめ集客率や利益率を見積もることができる「売り上げ予測システム」を開発。それにより、新規店舗の倒産率が大幅に下がり、多数の社員やオーナーに喜ばれるとともに、自社の業績にも貢献できたのです。

(仏法真理を実践すれば、多くの人が幸せになるし、企業も発展していくんだ―)

※1:『発展思考』―無限の富をあなたに―(大川隆法著 幸福の科学出版刊)
※2:時代や地域を超えて、人類を導く普遍の真理。大川総裁が説く、幸福の科学の教え。

「生涯現役」でお役に立つために

大川総裁の教えとの出合いは、私の人生観、仕事観を180度変えてくれました。『常勝(じょうしょう)思考』(※3)という書籍では、

「人生を百二十歳まで想定して人生計画を立てる」

ことを勧められています。それまでの私は、会社での出世しか頭にありませんでしたが、「生涯を通してお役に立つこと」が人生の目標になり、この教えを他の人に伝える伝道活動にも力を入れたいと思いました。

しかし、会社員の立場では伝道活動に制約があり、新たな経験を積みたいという気持ちもあったため、私は独立を決意。41歳でコンビニのオーナーになったのです。従業員を雇(やと)って店舗を運営しながら、地域のお宅に伝道する生活が始まりました。

また、月に一度は幸福の科学の精舎(しょうじゃ)研修(※4)に参加。

そのなかで、経営に関する数々のインスピレーションをいただくと同時に、私が次にチャレンジするべき仕事が見えてきたのです。それは、「物流」に関する仕事でした。

( 今はどこの企業も「物流コストの増大」に悩んでいる。これを解決できたら、多くの企業がもっと発展できるのでは…)

例えば、コンビニは店舗が小さいため、商品は少量ずつ一日に何度も届けてもらいますが、その運送料を支払うメーカー側には大きな負担です。数社のメーカーが共同でトラックをチャーターし、「共同配送」することで、各社の支払い額が抑えられますが、それをコーディネートする仕事の担い手は、ニーズに比べてまだまだ少ないという現状がありました。そんな問題意識をもって精舎研修を重ねるうち、次第にはっきりとしたインスピレーションを受けるようになっていきました。

「物流業界にある、古いやり方や体質を変えていけば、いろいろな人のためになります。ビジネスチャンスも、そこにあります―」

(やはり、私の次の人生のステージは「物流」だ。ここに使命があるに違いない)

そのように確信をつかんだ私は、9年間続けたコンビニ経営に終止符を打ち、50歳で新たに転職活動を始めたのです。

※3:『常勝思考』―人生に敗北などないのだ。―( 大川隆法著 幸福の科学出版刊)
※4:精舎とは、幸福の科学の研修・礼拝施設のこと

六十歳で起業し、収入も倍増

するとほどなく道が開かれ、ある物流会社に営業部長として迎えられました。

私はそこで、物流コストを大幅に削減できるビジネスモデルを開発。3億円規模の事業に成長させました。それが転機となり、次は大手総合商社で新規の物流事業を担当。8年間で22億円超まで事業を拡大させることができたのです。

(この仕事は、まだまだニーズがある。60歳以降は、独立してやっていこう)

大川総裁は、シニア世代に向けて「生涯現役人生」を送るための教えを数多く説いています。私はそれらの法話を指針として、起業のための勉強を重ね、分析力やプレゼン力を磨いていきました。また、健康維持のために、毎日8000歩以上歩くことも日課として取り組みました。

「sさん、給料は半分になりますが、65歳まで会社に残りませんか」

人事部はそう言ってくれましたが、私は「シニア起業」を実現するため60歳で退職し、その翌日に物流コンサルタント会社を起業しました。新たな人生への出発です。

私の仕事は、顧客企業のモノの流れを分析し、より低コストで効率的な物流システムを提案すること。

そして、顧客企業を開拓する営業の仕事は、情熱と実力を備えた若いパートナー企業の方が担ってくれています。そうした良いご縁(えん)をいただき、業績は順調に伸びています。収入は、会社員時代の倍になりました。

大川総裁は『エイジレス成功法』で、若い人と友達になることを勧めておられますが、私も現在、若い方々と仕事をするなかで、たくさんの刺激と学びをいただいています。おかげで、自分では今も40歳ぐらいのつもりで毎日を送っています。

私は、幸福の科学に出合って以来、人生の岐路(きろ)で神仏のお導きをいただき、幸福になる道を歩んでくることができました。これからも年齢にとらわれず、自分の使命である仏法真理の伝道と仕事に力を尽くし、奉仕の人生を貫つらぬいていきたいと思います。

(マーカーを引きながら繰り返し読み込んだ、Sさんの『発展思考』)

(精舎の経営研修でスピーチするSさん。大川総裁の教えをどのように実践して成功したかを伝え、企業希望者をサポートしている。)

書籍で学ぶ生涯現役の心構え

『生涯現役人生』P.92(大川隆法 著/幸福の科学出版)

戦略的に生きれば「能力」はまだまだ上がる

戦略的な生き方をすることが大事です。「自然のままに任せて、朽ちるのを待つ」というような生き方をしては相成りません。

世の中の会社では、勝手に定年を決められ、定年になると「もう勤めは結構です」と言ってくるので、こちらはこちらで自衛手段を立てていかなければなりません。できるだけ長く、世の中のお役に立てる生き方を研究し、対策を怠らなければ、いろいろな道が開けてくるはずです。

自然のままに任せれば、年齢と共に能力も落ちていくでしょうが、”焼き”を入れ直せば、またグッと上がるものです。要は、心がけ次第なのです。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

心の力を、あなたも使おう心の力を使おう

あなたも心の力を学び、運命を逆転させてみませんか?

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1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

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大川隆法総裁 公開法話・霊言一覧
幸福の科学出版
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幸福の科学 機関誌 隔月刊「ザ・伝道」一覧

若いころは、出世欲のままに猛進していたというS・Yさん。あるとき幸福の科学の書籍を手に取り、それまでの人生観・仕事観が一変しました。現在、コンサルタント業を通して「恩返しの人生」を歩むSさんにお話を伺(うかが)いました。
S・Yさん(東京都・60代・男性)
月刊「幸福の科学」377号より転載・編集

体験談定年後に起業して収入が倍増―。

私は二十代のころ、大手コンビニエンスストアのマーチャンダイザーとして、新商品の開発や、仕入れ交渉などを担当していました。

「この商品、1千万個仕入れるので、1つ当たり1円値引きしてくれますね?」
「えっ? そこまでの値引きは…」
「それなら、もうお宅とは取引しませんよ」

私の任務は取引先に圧力をかけ、値引き交渉を成立させること。相手の事情は一切考慮せず、大手の強みを盾(たて)に要求をのませていき、異例の早さで部長にまで昇進しました。

 (よし、業界トップを目指すぞ!)

当時の私は、出世と年収増を目標に、1日3箱もタバコを吸いながら、がむしゃらに働いていました。でも、心は晴れなかったのです。

病床で読んだ「神様の言葉」

そんな生活を何年も続け、34歳になった冬。私は肺炎にかかり、高熱と呼吸困難で、大変な苦しみを味わいました。
医師から、完治するまで自宅で療養するようにと勧められた私は、ある日、机の上の数冊の本を手に取りました。

それは、少し前に書店で見つけ、興味がわいて購入していた『キリストの霊言(れいげん)』や『天照大神(あまてらすおおみかみ)の霊言』という本でした。霊言というのは、霊人たちのメッセージが、霊能者である大川隆法(おおかわりゅうほう)氏を通して語りおろされたものです。

読んでみると、「愛の大切さ」や「死後の世界の様子」など、今まで学んだことのない真理が語られていて、引き込まれました。そして、なぜか、涙があふれて止まらなくなったのです。

(ああ、なんだか心が楽になった気がする…。もっと、読んでみたいな)

以来私は、大川総裁の著書を次々と読み、地元の幸福の科学の支部で入会。活動にも参加するようになりました。

仕事は「人を幸福にする」もの

そのころ、私が最も”衝撃”を受けたのは、書籍『発展思考』(※1)で学んだ教えです。

「『人々の幸福を退(しりぞ)けてでも、自分ひとりが幸福になればよい』と思っている人のところに幸福はやって来ない」

ということです。
世の人々を潤(うる)おそうとして、幸福にしようとして、素晴らしい仕事を成し遂(と)げていく人のところには、富が集まってくるのです。

そこには、他の人を幸せにすることが自分にとっての本当の幸福であり、仕事においても成功する道であると説かれていました。

(そんなこと考えもしなかった。俺は自分の実績しか頭になかった…)

私との交渉で、無理な要件をのまされたメーカー担当者の苦しげな表情や、恨(うら)みのこもった視線が思い出されました。

(ああ、申し訳なかったな…。これからは、相手のことも考えて仕事をしよう)

私は、書籍で学んだ大川総裁の教え(仏法真理(ぶっぽうしんり)〈※2〉)を実践していきました。商談では、相手の発展も考えて共栄できる道を探し、職場では、周りの人に明るい言葉をかけたり、部下の育成にも心を込めたり…。
すると、次第に仕事が楽しくなり、生きがいを感じるようになりました。また、「人の幸福に役に立つ仕事」を考えていると、あるとき、こんな考えが浮かんできたのです。

(うちの会社では、新規に100店舗のコンビニを開くと、そのうち20店舗は採算割れで閉店に追い込まれ、不幸なオーナーが生まれている。これをなんとかできないかな…)

そこで私は問題解決に着手し、店舗の立地条件からあらかじめ集客率や利益率を見積もることができる「売り上げ予測システム」を開発。それにより、新規店舗の倒産率が大幅に下がり、多数の社員やオーナーに喜ばれるとともに、自社の業績にも貢献できたのです。

(仏法真理を実践すれば、多くの人が幸せになるし、企業も発展していくんだ―)

※1:『発展思考』―無限の富をあなたに―(大川隆法著 幸福の科学出版刊)
※2:時代や地域を超えて、人類を導く普遍の真理。大川総裁が説く、幸福の科学の教え。

「生涯現役」でお役に立つために

大川総裁の教えとの出合いは、私の人生観、仕事観を180度変えてくれました。『常勝(じょうしょう)思考』(※3)という書籍では、

「人生を百二十歳まで想定して人生計画を立てる」

ことを勧められています。それまでの私は、会社での出世しか頭にありませんでしたが、「生涯を通してお役に立つこと」が人生の目標になり、この教えを他の人に伝える伝道活動にも力を入れたいと思いました。

しかし、会社員の立場では伝道活動に制約があり、新たな経験を積みたいという気持ちもあったため、私は独立を決意。41歳でコンビニのオーナーになったのです。従業員を雇(やと)って店舗を運営しながら、地域のお宅に伝道する生活が始まりました。

また、月に一度は幸福の科学の精舎(しょうじゃ)研修(※4)に参加。

そのなかで、経営に関する数々のインスピレーションをいただくと同時に、私が次にチャレンジするべき仕事が見えてきたのです。それは、「物流」に関する仕事でした。

( 今はどこの企業も「物流コストの増大」に悩んでいる。これを解決できたら、多くの企業がもっと発展できるのでは…)

例えば、コンビニは店舗が小さいため、商品は少量ずつ一日に何度も届けてもらいますが、その運送料を支払うメーカー側には大きな負担です。数社のメーカーが共同でトラックをチャーターし、「共同配送」することで、各社の支払い額が抑えられますが、それをコーディネートする仕事の担い手は、ニーズに比べてまだまだ少ないという現状がありました。そんな問題意識をもって精舎研修を重ねるうち、次第にはっきりとしたインスピレーションを受けるようになっていきました。

「物流業界にある、古いやり方や体質を変えていけば、いろいろな人のためになります。ビジネスチャンスも、そこにあります―」

(やはり、私の次の人生のステージは「物流」だ。ここに使命があるに違いない)

そのように確信をつかんだ私は、9年間続けたコンビニ経営に終止符を打ち、50歳で新たに転職活動を始めたのです。

※3:『常勝思考』―人生に敗北などないのだ。―( 大川隆法著 幸福の科学出版刊)
※4:精舎とは、幸福の科学の研修・礼拝施設のこと

六十歳で起業し、収入も倍増

するとほどなく道が開かれ、ある物流会社に営業部長として迎えられました。

私はそこで、物流コストを大幅に削減できるビジネスモデルを開発。3億円規模の事業に成長させました。それが転機となり、次は大手総合商社で新規の物流事業を担当。8年間で22億円超まで事業を拡大させることができたのです。

(この仕事は、まだまだニーズがある。60歳以降は、独立してやっていこう)

大川総裁は、シニア世代に向けて「生涯現役人生」を送るための教えを数多く説いています。私はそれらの法話を指針として、起業のための勉強を重ね、分析力やプレゼン力を磨いていきました。また、健康維持のために、毎日8000歩以上歩くことも日課として取り組みました。

「sさん、給料は半分になりますが、65歳まで会社に残りませんか」

人事部はそう言ってくれましたが、私は「シニア起業」を実現するため60歳で退職し、その翌日に物流コンサルタント会社を起業しました。新たな人生への出発です。

私の仕事は、顧客企業のモノの流れを分析し、より低コストで効率的な物流システムを提案すること。

そして、顧客企業を開拓する営業の仕事は、情熱と実力を備えた若いパートナー企業の方が担ってくれています。そうした良いご縁(えん)をいただき、業績は順調に伸びています。収入は、会社員時代の倍になりました。

大川総裁は『エイジレス成功法』で、若い人と友達になることを勧めておられますが、私も現在、若い方々と仕事をするなかで、たくさんの刺激と学びをいただいています。おかげで、自分では今も40歳ぐらいのつもりで毎日を送っています。

私は、幸福の科学に出合って以来、人生の岐路(きろ)で神仏のお導きをいただき、幸福になる道を歩んでくることができました。これからも年齢にとらわれず、自分の使命である仏法真理の伝道と仕事に力を尽くし、奉仕の人生を貫つらぬいていきたいと思います。

(マーカーを引きながら繰り返し読み込んだ、Sさんの『発展思考』)

(精舎の経営研修でスピーチするSさん。大川総裁の教えをどのように実践して成功したかを伝え、企業希望者をサポートしている。)

書籍で学ぶ生涯現役の心構え

『生涯現役人生』P.92(大川隆法 著/幸福の科学出版)

戦略的に生きれば「能力」はまだまだ上がる

戦略的な生き方をすることが大事です。「自然のままに任せて、朽ちるのを待つ」というような生き方をしては相成りません。

世の中の会社では、勝手に定年を決められ、定年になると「もう勤めは結構です」と言ってくるので、こちらはこちらで自衛手段を立てていかなければなりません。できるだけ長く、世の中のお役に立てる生き方を研究し、対策を怠らなければ、いろいろな道が開けてくるはずです。

自然のままに任せれば、年齢と共に能力も落ちていくでしょうが、”焼き”を入れ直せば、またグッと上がるものです。要は、心がけ次第なのです。

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先の大戦で陸軍に入隊し捕虜(ほりょ)となって満州で8年間抑留された経験を持つSさん。全体主義国家に侵略(しんりゃく)され、自由を奪われるとはどういうことなのか。Sさんに戦争体験を伺いました。
(S.Kさん・栃木県・90代・男性)

月刊「ザ・伝道」228号より転載・編集

体験談本当の平和とは何か

大切な家族と日本を護るために

1922年3月、私は満州の奉天(ほうてん)で生まれました。
名古屋中央放送局から満州に派遣(はけん)されていた通信技手の父と、母、姉2人、兄2人、弟1人の8人家族。父の仕事の都合で2歳で帰国してからは、一家は名古屋で暮らしました。

幼い頃より、父母から「日本のために戦うことは、家族や子孫の幸せを守ること」と教わっていた私は、いつしか、自分も軍人になって国に奉公したいと思うようになりました。それが男として当然のことだと感じていたのです。

そして、青年学校教員養成所を卒業したばかりの1944年、徴兵検査を受け、21歳で大日本帝国陸軍に入隊しました。
(日本の戦況は、いよいよ厳しいようだ。お国のために一矢報いたい…)
私が入隊する2年前の1942年、ミッドウェー海戦で大敗して以降、日本は厳しい状況に立たされていたのです。

私は、満州に渡り、過酷な初年兵教育を受けました。
しかし、ある朝、突然耐え難い腹痛に襲われ、陸軍病院に入院することになったのです。軍医に診てもらうと盲腸でした。手術も行いましたが、なかなか退院できず、やきもきする毎日。そうこうしていたある日、衝撃的な知らせが飛び込んできました。

私が入院しているあいだに、私の部隊に出陣命令が出され、台湾沖で壊滅的な被害にあったというのです。ほとんど生き残っているものはいないだろうということでした。

(私は入院している場合か。私だけが生き残ってしまった…)
共に訓練を受けた仲間たちの顔が思い出されます。私はやるせない気持ちで、ベッドのシーツをぎゅっと握ったのでした。

終戦。そして、捕虜収容所へ

戻るべき部隊を失った私は、ハルビンの第四軍司令部に配属になり、戦闘の報告書作成を命じられ、任務にあたっていました。
そして、1945年8月15日。
「正午に重大な放送があるからラジオの前に集まるように」との連絡がありました。時刻になり、司令部の全員がラジオに耳を傾けます。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す―」

それは、終戦を告げる、玉音放送でした。
(日本は負けたのか)
顔を硬直させる者、ぼろぼろと涙を流す者。
その場にいたみなが悔しがりました。

そして私にとっては、この日が運命の転換点となったのです。終戦の数日前に、日ソ中立条約を破って満州に侵攻してきたソ連軍に捕らえられ、捕虜の身となってしまいました。

武装解除をさせられた後、満州の牡丹江(ぼたんこう)に集結を命じられ、常時1000人以上が収容される大きな捕虜収容所に入れられることになりました。

収容所といってもただの野原。みな、持参したテントと藁(わら)布団での野営生活を強いられました。そこら中に、銃を持ったソ連軍や、ソ連が支援していた中国共産党軍の兵士が見張っているため、抵抗もできず、私たち捕虜はただただ無力でした。

そして収容所では、軍曹の私が一番上の階級だったため、食料の分配など、捕虜の管理をソ連軍に命令されたのです。そこの食事は家畜並みで、粟やコーリャンというモロコシが支給されました。当然ながら食器はないため、皿の代わりに兵士の帽子に食事を入れて歩きます。

衛生環境も悪く、シラミを媒介とする発疹(ほっしん)チフスが流行(はや)り、衰弱死する者と併せて大量の使者が毎日出ました。甥日は1日に200人ほどが命を落としたこともあります。

(日本に帰りたい。母さんに会いたい…)
異国の地の夜、星空の下で私は収容所の仲間たちと集まり、日本の唱歌を歌いました。
蛍の光 窓の雪 書(ふみ)読む月日 重ねつつ―
互いに「じきに帰れる。あと少しだ。頑張ろう、頑張ろう」と肩を叩いて励ましあったのです。

シベリアに消えた仲間たち

そしてある日、ソ連兵から「捕虜をダモイ(帰国)させるから1000名ずつのグループにまとめて汽車に乗せる支度をさせろ」と指示されました。

「ついに日本に帰れるそうだ! 良かったな」
そうやって私は声をかけながら隊を編成しました。しかし、数カ月後になって、「日本へ帰れる」と笑顔で収容所を出ていった仲間たちがたどり着いた先は、親兄弟のいる日本ではなく、極寒の地、シベリアの収容所だと知ったのです。

シベリアで、ソ連軍に過酷な強制労働を強いられた仲間たちの多くは、母国の土を二度と踏むことなく命を落としていったと耳にしました。

(俺は、「日本に帰れるぞ」と言って、皆をだましたことになるのか―)
自分も真実を知らなかったとはいえ、後悔が募ります。しかし、今となってはどうすることもできないのでした。

そして収容所での野営生活も一年が過ぎたころです。ある日の日中、中国共産党軍の兵士の声が収容所内に響き渡りました。
「Sはどこだ。出てこい!」
「はい……私です」
私が前に出ると、すぐに数人の兵士に捕えられました。そして、「反動分子」として引っ立てられ、連れて行かれた場所は牢獄でした。
収容所を取り仕切っていた私が目障りだったのでしょうか。事情聴取も取り調べもなく、突然、牢屋に入れられたのです。

(俺が何をしたっていうんだ……)
牢には私のような元日本軍の軍人が数多く投獄されていましたが、中にはソ連か中国共産党軍のスパイと思われるような日本語の達者な中国人も紛れていました。
スパイがどこに潜んでいるかわからない、心打ち解けられる人はいない―。

閉鎖的な環境で1年近く閉じ込められるうち、私は負の妄想に取り憑かれるようになっていったのです。
(俺は、ここで殺されるんだ。俺は死ぬんだ)
私は、帰国はおろか、自分に未来があるとは到底思えないのでした。

「母さん、Kは帰ってきたよ」

ここが死に場だと思っていたところ、私はある日突然、牢から放り出されました。

あてのない私は、ひとまず牡丹江の日本人難民所を頼ることにしたのです。日本人難民会が親切にしてくれたおかげで、赤十字病院のボイラー炊きなどの仕事や居候(いそうろう)先を得ることができ、なんとか生きる道をみつけました。

しばらくそうして暮らしていましたが、いっこうに帰国のめどは立たず、周囲の勧めで同じ日本人難民の女性と結婚し、生活の基盤を作ることにしました。
そして迎えた、1953年。私のところにやっと日本人引き上げの知らせが届いたのです。

終戦からじつに、8年の歳月が流れていました。待ち望んだ帰国― 。
「母さん、Kは日本に帰るぞお!」
私は嬉しくて、人目も気にせず、空に向かって大声で叫んでいました。郷里の母にこの声が届くような気がしたのです。
同年9月6日、私は引き上げ船「高砂丸(たかさごまる)」に乗りました。すし詰めの船体で何時間も波に揺れていると、ついに日本が見えてきました。

甲板(かんぱん)に出て舞鶴港を見ると、そこには家族の帰国をまだかまだかと待ち望む人の群れがあります。そしてその中に、何度も夢で見た、あの母の姿をみつけたのです。
「母さーん! Kだよ!」
「K! よく帰ってきたね……」
出兵して以来約9年ぶりの再会。ハンカチで目をおさえている母の顔を見て、私はやっと、生きて帰ってきたのだと実感したのでした。

人は死んだらどこへゆくのか

帰国した私は、まもなく北海道で中学校の社会科教員を務めることになりました。仕事にも慣れ、平穏な毎日が続きましたが、ふと戦争で命を落とした仲間のことを思い出しては、「人は死んだらどこへいくのか」と、霊的なことに思いをはせるようになっていったのです。

答えを求めていくつもの宗教書を読みました。しかし、私の問いに明確に答えてくれる教えは、なかなか見つけることができませんでした。
そして、すでに教員を退職していた1989年、友人の勧めで大川総裁の書籍『太陽の法』に出合ったのです。

「人間が死んで、あの世に還っても、生きていたときの記憶は、少しも失われません―」

(え、どういうことだろう……)
『太陽の法』には、人間の本質は肉体ではなく魂(たましい)であり、この世とあの世を何度も生まれ変わりながら魂を磨いていることや、霊界(れいかい)と言われる世界の様子、宇宙のはじまりの真実など、壮大な教えが説かれていました。

(俺はこれが知りたかったんだ―)
私は、それから『仏陀再誕』『永遠の法』『黄金の法』など、大川総裁の書籍を夢中で読みあさったのです。そして、1990年に幸福の科学の会員(※1)になり、仏法真理(ぶっぽうしんり)を学びはじめました。

2007年に妻に先立たれ、私はさらに本格的に心を見つめていく決意をして、約2年前に、幸福の科学の晩年修行の場であるシニア黄金館(※2)に入所したのです。

シニア黄金館には共に教えを学ぶ仲間たちが集い、毎日、反省、瞑想(めいそう)、祈りの実践や、経典や法話の学習、体力づくりなどを行っています。
たくさんの法友(共に教えを学ぶ仲間)がいるおかげで、私はちっとも寂しくありません。とても楽しく、幸福な晩年を過ごすことができてありがたいと感じる毎日です。
(残りの人生、幸福の科学の教えを学んで「心の総しめくくり」をしよう―)

※1 幸福の科学の会員になる方法について、詳しくはこちら
※2 シニア黄金館:60歳以上の会員信者を対象にご用意している「晩年出家制度」において、宗教修行に取り組んでいただくための宗教施設です。ご興味がある方は、お気軽にシニア事業室までお問い合わせください。TEL 03-6384-0112


ふせんを貼って何度も読みこんだ書籍『仏陀再誕』。

幸福の科学のシニア黄金館(栃木県宇都宮市)

自分の人生と祖国への誇りを取り戻して

シニア黄金館で「生涯反省」に取り組んでいくと、やはり、あの戦争のことを考えて悶々とすることがありました。

先の大戦のことを「日本の侵略戦争だ」「日本は中国や朝鮮半島の人々を傷つけたのだ」と決めつける戦後の風潮に、違和感を覚えると同時に、元軍人として、とても悔しい思いを持ち続けてきたからです。

しかし、そんな苦しみが解放されるできごとがありました。
大川総裁が霊的なお力で、東條英機(とうじょう・ひでき)首相や牛島満(うしじま・みつる)中将などの軍人の霊言(れいげん)を行い(※3)、その本心を聞いてくださったのです。

そして、霊言によって、「戦前の軍人は人格的に立派な方々だった」「日本は侵略国家ではない」という真実を明らかにし、先の大戦の歴史認識を改める社会啓蒙に取り掛かってくださいました。

大川総裁がおっしゃる通り、あの戦争は、日本が自国の利益のために始めたのではなく、欧米列強に虐(しいた)げられていたアジアの同胞(どうほう)を解放するための「聖戦」でした。私を含め、当時の軍人たちは、その共通認識を持ち、使命感から、自分の命を惜しまずに戦地に向かいました。

戦いには敗れてしまったものの、日本のおかげで第二次世界大戦後に欧米の植民地支配から解放され、独立できた国は数多くあります。

私は、自分が命をかけて挑んだ戦いが、「間違い」ではなかったのだと明らかになったことで、「自分の人生」と「日本という国」に、改めて誇りを持つことができたのです。本当に心が救われる思いでした。

※3 東條英機首相や牛島満中将などの軍人の霊言:『公開霊言 東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』『沖縄戦の司令官・牛島満中将の霊言』として幸福の科学出版から発刊。

従軍慰安婦問題の真実

韓国の”元慰安婦”の方々が、私が過ごした満州の牡丹江に強制連行させられたと証言していました。しかし、真実は違います。
慰安所は軍の運営ではなく、朝鮮人経営者が商売として営んでいましたし、働く女性たちもいわゆる”プロ”の方々でした。

私はそれを現地で見て、聞いてきました。ですから、強制連行などは全くありえないことです。日本軍の規律はとても厳しく、上官からは「慰安所には行くべきでない」とはっきり注意が出されていたくらいです。私は生き証人として、戦後の間違った歴史認識を改めていきたいと思います。

今、中国や北朝鮮という全体主義国家が日本の平和を脅(おびや)かそうとしています。このような国に日本が侵略されると、私たちは人権も自由も奪われ、どれほど辛い日々を送ることになるか…。
ソ連や中国共産党軍の捕虜となり、投獄された経験がある私だからこそ、日本に迫っている危機を実感を持って語ることができます。

戦後教育によって、軍事力を持つことがすべて「悪」のように思われるようになりましたが、国防は当然のことです。それは大切な人を守ることであり、平和を守ることなのです。私はこの体験談を通して未来を担う若者たちに、そのことを伝えていきたいと思っています。

書籍で学ぶ自由と平和を守るために

『国を守る宗教の力』より(大川隆法 著/幸福の科学出版)

自由のもとになる信仰

私は、常々、「自由の大国をつくれ」と説いていますが、自由というのは、本当に大事な価値です。
自由なくして平等だけを求めると、強力かつ強大な国家権力によって、自由が簡単に押しつぶされてしまうことがあるので、「自由の確保」は大事なのです。

そして、自由のもとになるのは信仰です。
信教の自由がなければ、言論の自由も出版の自由も、何一つ守ることはできません。

信教の自由とは、神仏が「人間の尊厳」を守ろうとしておられる部分に当たる、最も大事なものなのです。

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