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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第145号より転載し、編集を加えたものです。

Mさん(60代・女性)

なんで私がこんな目に—? この10年間、認知症の義母の介護をしながらも、私の頭からこの思いが完全に消え去ることはありませんでした。しかしそんな私も、心の中によどんでいた苦しみが一気に洗い流されていくという体験をしました。自分がそんな心境になるまでの長い道のりをお話ししたいと思います。

“まだらボケ”に?

「やだ、おばあちゃん、こんなおにぎりいっぱい買ってきて! どうするの?」。10年ほど前のことです。義母が近くのコンビニに行っては、度々、大福やおにぎりを山のように買ってくるようになりました。

当時わが家は、夫は東京に単身赴任、3人の子供は独立していて、2人で食べきれる量ではありません。私は仕方なく、ご近所に配りに歩きました。「おや?」と思うことはそれからも頻発。ある時など、近所のお寿司屋さんで、4人前のお寿司を買ってきたこともありました。「妹の所に届けるから」とおばあちゃんが言っていた、とお寿司家さん。ここは群馬県、妹さんは東京に住んでいます。いよいよ、おかしいと思いました。

普通の生活ができている中に、こうしたおかしな言動が混じることを、”まだらボケ”というのだそうです。その時初めて知りました。

認知症と診断

病院に行くと、案の定、認知症と診断されました。まめに短歌や俳句を作ったり、帽子一つにもこだわるおしゃれな人だったのに、なぜ—。私の動揺をあおるかのように、症状は日増しに進んでいきます。日中はおばあちゃんが散歩に出掛けた後、消防署や遠くの交番から迷子の連絡を受けるようになりました。夜は夜で、うなり声をあげて騒ぎ続けるおばあちゃん。私はなすすべもありません。

心に降る雨

幸福の科学の教えでは、嫁と姑は深い縁があると学んでいます。しかし私は、「本当にそうかな?」と、ずっと思っていました。大雑把なおばあちゃんに比べ、私は何でもきちんとしなければ気がすまない正反対のタイプ。ある時など、おばあちゃんが衣類とトイレのスリッパを一緒に洗濯機で洗っているのを見て、「おばあちゃんは、下の物と上の物を一緒に洗って平気な人なんだ」と思ったものでした。

そんなおばあちゃんの介護をしなくてはならない自分。複雑な気持ちでした。でも、長男の嫁として務めは果たさなければなりません。この夫と結婚していなければ、世話をしなくてすんだのではないか、という思いまでよぎり、そんなことを考えてしまう自分がまたいやでした。

夫は、化学品メーカーの営業マン。海外出張も多く、あれこれ話して心配をかけるわけにもいきません。孤独感と心の葛藤に苦しんでいた私は、時間さえあれば仏法真理(幸福の科学の教え)の本を手にとっていました。

「人生における嵐の渦中にあると、『なぜ自分がこうした苦悩や災難のなかにあるのか』と思うものです。しかし、そのなかにも何らかの学びがあることは事実です」「魂の糧という観点から見たときには、人生に無駄なものは何もないのです」(『不動心』より)

ただただ仏の言葉を頼りに、私は現実を受け入れようと必死でした。

ショックな出来事

私は当時、県の児童相談所に勤めていたのですが、週2日勤務の、市の臨時職員に変えてもらい、おばあちゃんの世話をする体制を整えました。

しかし、現実は想像を絶しました。

ある時、リビングの絨毯(じゅうたん)の上に、おはあちゃんが何かをボトボト落としていました。近づいてみると、便をもらしながら歩いていたのです。また、台所のゴミ箱に、中途半端に紙に包まれた便が入っていたことも。「弄便(ろうべん)」というのでしょうか、私はショックで、気が休まらなくなっていきました。そんな日々が数カ月続き、睡眠不足と心労で気が変になりそうでした。

クマのようなおばあちゃん

「これは私の試練なのでしょうか。どうかこの試練を乗り越える力をお与えください—」。祈ると、仏が、私の苦しみやつらさをすべて受け止めてくださっているようで、心が安らいでいきました。

それから間もなく、おばあちゃんの状態に変化が起こりました。ふとした時に転んで骨折し、3カ月間入院することになったのです。車イス中心の生活になり、食事の介助が必要な、「要介護5」の認定を受けました。私は昼食の介助のために、来る日も来る日も病院に通いました。

退院後は、今度は徘徊(はいかい)が始まりました。同じ所を行ったり来たりして這い回るおばあちゃんを見ていると、まるでクマのように見えてきます。寝る前にオムツを換える時も、ちっともおとなしくしてくれません。それどころか、私に向かって「バカ!」と言い、叩いたり、つねってきたりするのです。

「おばあちゃんは、ひとりで何もできないじゃない!」思わず、声を荒げてしまいます。介護虐待が問題になっていますが、虐待する側の気持ちも分かる気がしました。

私がわからないの?

自分が自分でないような心に少しでも平安を取り戻そうと、私は週1回は必ず、支部に行くようにしました。「Mさん、本当によく頑張ってるね」と、支部の仲間がいつも励ましてくれました。そして礼拝室でしばらくの間、仏と対峙(たいじ)すると、心に光がチャージされたように、また頑張ろうという力をいただけるのです。

ある日のこと、仕事を終え、夕方6時頃、家路を車で走っていると、家の近くの通りで、おばあちゃんがポツンと立っていました。私の帰りを待っていたのです。どれほどの時間待っていたんだろうかと思うと、切なくなってしまいました。

いつしか、おばあちゃんは私のことを、以前のように「Mさん」と名前で呼ばなくなりました。ある日、車で出掛けた時など、横に座っている私に、「あなたの住所を教えて。私、手紙を出すから」などと言い出しました。

「愛してあげなさい」

その後、私は、自らの新生の願いを込めて、総本山・正心館で「仏説・起死回生経」(※)を受けました。儀式中、心の中に、光の奔流(ほんりゅう)のような大河が現れました。そしてその中に自分が入っていく感覚に打たれたのです。そして流れていく先には、何とおばあちゃんがいました。寂しそうな顔で立っています。

30年前に同居してから、ずっとおばあちゃんのグチばかり聞かされてきました。生い立ちの不幸、そして結婚生活でのおじいちゃんへのさまざまな恨み・・・。誰からも愛されなかったという人生—。

「愛してあげなさい」

仏がそうおっしゃっておられるように思えました。儀式を終えた後、どうしてこんなに泣けるのかと思う程、みぞおちのあたりからこみあげるように嗚咽(おえつ)し続けました。

※「仏説・起死回生経」・・・奇跡的・劇的に、人生の大転換・大変換を招来し、運命変更を成し遂げる秘法

一緒にお風呂

総本山・正心館を後にした私は、あることを心に決めていました。それは、おばあちゃんと一緒にお風呂に入るということです。早速1人用の浴槽を、2人用のものに変えました。それまでは体を洗ってあげるだけでしたが、すっかり小さくなったおばあちゃんを、抱きかかえるようにして湯船に浸かると、心なしかおばあちゃんの顔も優しくなっているように見えました。
また、介護は長丁場ですから、全部自分でやろうと思わずに、介護施設のデイサービスなども利用し始めました。

するとおばあちゃんに対して、以前より心を込めて介護できるようになりました。定年退職して帰ってきた夫も介護に参加してくれ、負担も軽減。おばあちゃんもだんだん穏やかになっていきました。

おばあちゃんはその後2回肺炎になりました。高齢者なら、そのまま亡くなってしまうケースが多いのですが、その度に支部で「病気平癒祈願(びょうきへいゆきがん)」をし、おばあちゃんはまた元気に持ち直していったのです。

つらかったね、おばあちゃん

しかし、そんなおばあちゃんも、ある年の暮れ、高熱が続き、ものが全然食べられなくなってしまいました。お正月を迎えられないのではと、夫も私も覚悟しました。

ある夜、おばあちゃんのベッドの横に座って、おばあちゃんの顔に刻まれたしわを見ていたら、ふいにこみあげてくるものがありました。

「おばあちゃん、私はおばあちゃんを幸せにしてあげられなかったかもしれないね。ごめんね、つらい人生だったね・・・」

幼少期は母親から冷遇され、結婚後はおじいちゃんから何かと亡くなった先妻と比較されてつらかったといいます。私は、真っ白になったおばあちゃんの髪をなでてあげました。

「今、こんな体になってまで、生きてくれているのは、私の魂修行のため? 付き合ってくれているの?」。

これまで、おばあちゃんに対してそれなりに介護してきたつもりでした。でもそれは、義務感でやっていたのでは—と、その時初めて反省の思いが湧いてきたのです。おばあちゃんは家にいる時もずっと、私を目で追っています。その視線が時にうるさくて、おばあちゃんを見ないようにしたこともありました。おばあちゃんには頼る人間は私しかいないというのに・・・。

湧いてきた感謝

しばらくおばあちゃんの横に座っていると、いろんなことが思い出されました。同居した頃、子供たちは全員小学生で、食事はグラタンなど子供の口に合う洋風のものばかり出していました。おばあちゃんは口に合わなかったかもしれないのに、何でも食べてくれました。

また、子供の教育についても、躾(しつけ)についていろいろ言うおばあちゃんに、「干渉しないでください」と言ったら、その後は何も言いませんでした。嫁として至らない点もいっぱいあったでしょうに、一度も叱られたことはありません。思えば、3人の子供を抱えながら仕事に出られたのも、おばあちゃんがいてくれたからこそです。

結婚する前、初めて義母に会った時、なぜか懐かしい感じがしたことも思い出しました。本当に縁の深い人だったのです。

翌日、びっくりするようなことが起きました。おばあちゃんが元気になり、食事がとれるようになったのです。驚いている夫に、私は、「おばあちゃんに、魔法をかけたの」と言いました。おばあちゃんと私は心でつながっている、約束してきたソウルメイトなのだと、心から実感しました。

心に寄り添うということ

おばあちゃんは私に「愛」について教えてくれたんだと思います。他の方の心に寄り添うこと。何をしてほしいのか、関心を持ってまっすぐ向き合うこと。それが愛なのだと—。
以前の私は、考え方の違う人に会うと、つい裁(さば)いてしまいがちでした。でも今は「ちょっと待てよ。この人にも何か事情があるかもしれない」と思える余裕が心に生まれています。

もう、私の魂修行だとか、試練だとか、そういうことではなくて、「おばあちゃんの残された地上での生命をお預かりしているんだ、かけがえのない時間を過ごさせてもらっているんだ」、とそんな気持ちでおばあちゃんに向き合っています。

自らの体を張って、私に「愛」の大切さを教えてくれた義母に、感謝の思いでいっぱいです。そしてつらい時、いつも共にあってくださり、尊い魂の糧をお与えくださった仏に、心より感謝申し上げます。

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Y・Nさん(愛知県)
月刊「ザ伝道」224号より転載・編集

体験談普通の主婦が「そうじ屋」を起業したお話

何でも自分でこなす“節約主婦“

私は愛知県に生まれました。両親はうどん屋を営んでおり、私も忙しい両親を助けようと、4、5歳のころから店や家の手伝いに励んできました。そのおかげでしょうか、料理、洗濯、そうじなどの家事が私の“特技”になったのです。

中学生のときに叔母を通じて幸福の科学に出合い、「人間は何度も生まれ変わりながら、さまざまな経験を通して魂を磨いている」、「本当の愛とは、もらうものではなく与えるもの」など、初めて知る心の教えに魅了され、会員になりました。

『成功の法』

そして大川隆法総裁の『現代成功哲学』(※現在は成功の法)を読んで、人生の方向性が明確になったのです。その本には、他の人を幸福にしていくことが本当の成功だと書いてありました。

(おっしゃる通りだ。いつか私も、人に喜んでもらえる仕事がしたい― )

心から感動した私は、そんな思いを強く持つようになりました。
短大中退後は事務の仕事に携わり、知人の紹介で知り合った夫と結婚。そして次々と6人の可愛い子供たちに恵まれ、家族みんなで大川総裁の教えを学ぶようになりました。

缶の製造工場に勤めている夫は、子供が増えるたびに仕事に意欲を出し、工場長になるまでに出世しましたが、どうしても経済的な余裕はありません。

でも、私は10代のころから幸福の科学で「苦難と思えることも、見方を変えればチャンスに変わる」と学んでいたので、卑屈にはなりませんでした。

思い出の“ハンバーガー屋さん”ごっこ

長女、次女がまだ小学生だったときのことです。家族で買い物に行き、ファーストフードのハンバーガーショップの前を通りかかりました。辺りには、ハンバーガーやポテトのいいにおいが漂っています。

「ねぇママ、おなかすいたなぁ」

(ハンバーガーが食べたいのかな。でも、買うとお金がもったいないし……そうだ!)

「今日は、ママがおうちでハンバーガー屋さんを開店します!」
「えっ、おうちで?」
私はパンやチーズなどの材料を買って帰り、「ハンバーガー屋さんごっこ」をすることにしたのです。

「お客さん、注文はどうしますか?」
「えっと、チーズバーガーとポテトをお願いします!」

このほうがお店で買うよりも安く、好きなものをたくさん食べられますし、子供たちと料理をする楽しみもあります。“マイナス”な事があっても、アイデアと工夫で“プラス”に変える― 。そうやって上手に家計をやりくりしてきたのです。

しかし、子供たちが成長するにつれて、節約も限界に近づいていました。

(これからもっと教育費がかかるようになるし、何か手を打っておかないと……)
私は、早朝のパートを始めるなどして、少しでも収入を増やす努力を始めました。

ママ、社長になることにした

2013年のことです。小学5年生の三女が、姉2人も通う私立の中高一貫校の受験を志していました。当時、高校1年の長女と中学1年だった次女が、本人たちの希望で同じ私立の学校に通っていたのです。

もちろんわが家は私立に通わせるような余裕はありませんでしたが、その学校が生徒一人ひとりの才能を認めて伸ばしてくれる学校だったので、私も夫も、子供たちの願いを聞き入れていたのです。

(3人分の学費か……。さすがに厳しいな……)
だからといって、子供に進学の希望を諦めさせるという選択肢は私のなかにはありませんでした。しかし、当時、末の子はまだ2歳。
保育園に預けながら私が朝から晩まで働いたとしてもお金が間に合わないことは分かりきっています。私は棚から通帳を引っ張り出し、預金の欄に印刷された数字を眺めながら考えました。

(なぜ私にはお金がないのだろう。結婚以来、節約生活をしてきたけど、これからもずっとこのまま?)

無駄を無くすための節約は良いことです。しかし、よくよく考えれば、私は、お金を使うまいと思うあまり、心まで縮こまっている感覚もありました。本当はもっともっと人と関わって、相手の役に立ちたいのに、交際費を削っていたからです。

『T h i n k B i g ! 』

そのとき、『T h i n k B i g ! 』 ( 大川隆法著) の言葉が心によぎりました。

「言い訳はやめよう。できる方法がないかどうか、もう少し積極的に考えてみよう」と思うことが大事です。(略)自分の態度を変えてみることです。

(そうだ……。貧乏に甘んじてきたのは自分なんだ)
私はこのとき初めて真剣に、「豊かになる」ことを決意しました。そして、「パート代と節約で足りないなら、自分で会社を作ればいい」と思ったのです。

それからしばらく経ったある日のこと。台所のシンクの水はけが悪かったので、水道工事の業者を呼んで修理をしてもらったことがありました。ところが、何万円という代金を払ったのに、全然詰まりが改善していなかったのです。結局、私は、ホームセンターで詰まり抜きのワイヤーを買い、試行錯誤しながら自分で直しました。

(プロと素人のちがいって何? やろうと思えば、私だって詰まりの修理もできるじゃない。家のメンテナンスやそうじだったら仕事になるかも)

思えば、私は小さいころから家のそうじ・ 片付けを任されていて、今でもママ友から「Nちゃんのお家はいつもキレイ」と褒めてもらうことが多いことに気が付きました。

(私の特技が生かせるわ。これだ!)

その晩、家族で夕食をとっていたときのこと― 。
「ねえねえ、みんな。ママ、社長になることにした」
「……!?」
私の突然の宣言に、テーブルを囲んでいた家族は、最初、驚いた様子を見せましたが、「何の仕事?」「じゃあ、私は社長令嬢?」と、興味津々。そんな家族の反応を楽しみながら、私の決意はさらに固まっていったのです。

成功している「未来の自分」を信じて

経営難、障害、すべての苦難が光に変わった!【体験談】

そして2014年4月、末の子が保育園に入園したのと同時に本格的に起業に向けて動き出しました。まずは、会社ではなく、個人事業から始めることにしました。屋号は、「スキット」です。「家も住む人の心もスッキリ爽やかにできますように」という思いをこめました。手始めにオリジナルの名刺を作りました。

「私、そうじ屋を始めたの。よろしくね!」
名刺を携え、友達や知り合いのお宅を回りました。しかし、待っても待ってもなかなか依頼は入りません。

(三女の中学入学まであと1年しかない。大丈夫かな……)
もともとポジティブな私ですが、ふと不安な思いが心を支配しそうになります。そんなときは、神様に祈りました。

『成功の法』

(私は自分の仕事を通して、たくさんの人を笑顔にしたいのです。どうか道をお拓きください― )
お祈りをすると、不思議と心が温かくなり、力が湧いてくるのでした。そして、愛読書である大川総裁の『奇跡の法』の言葉を自分に言い聞かせるのです。

肯定的な自己像を持ち、『自分がもっと発展し、成功し、世の中の役に立ち、幸福になっていくことが、まわりの人も幸福にしていく』という映像を、常にしっかりと描きつづけることです。たとえ否定的な想念に負けそうになっても、勇気を起こして、また肯定的な想念を発信しなければいけません。

(私は幸福の科学で、積極的で肯定的な思いで心を満たすことが、成功を引き寄せる秘訣だと学んでいるじゃない。不安になんかなっていられないわ)
気持ちを立て直し、10年後の自分が成功して豊かになっている姿をイメージしました。
そして、未来の成功している自分が、今の私を思い出したらどう感じるか考えたのです。

(きっと、「思い通りにいかない時期があったからこそ、それをバネにして成功できたんだ。ありがたい人生経験だったな」と感謝するはず。今、私は最高の時を生きているんだ― ) 

そう思うと、いま置かれている環境や周りの方々に対して、感謝の思いが湧きあがってきました。よく考えれば、ついこの間まで「普通の主婦」だった私がこうして仕事を始められるのも、たくさんの方々の応援があったからです。何より、神仏がどんなときも見守っていてくれていると感じていました。

(本当にありがたい。今は仕事がない分、時間はあるし、何か恩返しができないかしら― )
そう思って、私は今までよりいっそう心を込めて家族のためにごはんを作ったり、「忙しくてなかなか家が片付かない」と困っているママ友の家に行ってそうじを手伝ったり、病気がちな知り合いのおばさんを訪ねて話し相手になったりしました。

周りの方々への感謝を行動で現すと、ますます温かい気持ちになっていくようでした。

そうやって1カ月が過ぎたころです。知り合いのおばさんから、携帯に電話が入りました。
「そうじ屋をやってる私の友達が、仕事をやめるらしいの。お得意さんを引き継ついでくれる人を探してるみたいなんだけど、Nちゃん、どう?」

「いいんですか? もちろんやります!」
そのおばさんが紹介してくれたそうじ屋さんは、お得意先のマンション清掃の仕事を、スキットに回してくれる上、「経験なし」の私に、仕事のノウハウを一から丁寧に教えてくれるというのです。そしてさらに、今まで使ってきた清掃用具も引き渡してくれることになりました。

(ああ、これは神様が私に与えてくださったチャンスだ! 感謝の思いで頑張ろう)
 
夢のような本当の話に、私は、喜びで胸がいっぱいでした。 

お客さまを幸せにできるような仕事を

経営難、障害、すべての苦難が光に変わった!【体験談】

マンション清掃の仕事は、上の階から順に床を掃き、汚れをきれいに拭くと教わったので、最初は教わったことをとにかくこなしていました。しかし、以前から大川総裁の本で「人々のニーズに応え、喜ばれる仕事をすることが大切」だと学んでいた私は、今のままでは「十分ではない」と感じるようになっていったのです。

もし自分がそのマンションの住人だったらどこに目がいくかを想像しながら建物を歩くと、汚れが気になる箇所がたくさん見つかりました。

(あ、ここも汚い。雑草も生えてる……私がここに住んでいたら、全部キレイにしてほしいって思うな……よし、やっちゃおう)

そうやって丁寧な仕事を心がけていました。するとマンション清掃を任せてくださった不動産屋さんが「スキットさんは、キレイに仕上げてくれるから他のマンションもお願いしていいかな?」と何件かの依頼をくれるようになったのです。スキットの評価はどんどん上がり、マンション以外にも、一戸建ての清掃など、たくさんの仕事をいただけるようになりました。

(たくさん依頼をいただけて、本当にありがたい。そうだ、中部正心館に行って、神様にお礼を伝えよう)

かねてから神様に祈りを捧げるために参拝に通っていた精舎の、中部正心館に行くことにしました。館内では、館長が温かく迎えてくれました。

「Yさんこんにちは。お仕事は順調ですか?」
「はい、おかげさまで」

そんな会話の流れで、館長は私に中部正心館で今度から開催される「真理経営者プロフェッショナルコース」研修の参加を勧めてくれたのです。その研修は、大川総裁の著書の『経営入門』『社長学入門』などの経営論シリーズを毎月、館長が解説してくださるという研修でした。

(大川総裁の経営の教えの要点が分かるなんて、すごい!)
私は大川総裁の説かれる成功の法則が大好きで、ずっと著書を読んできました。でも、経営者になるのは初めてなので、実際に仕事を発展させていけるかあまり自信がなかったのです。

「これは経営論、仕事論を深く学んで実践するチャンスだ」と思い、さっそく参加させていただくことにしたのです。

「『経営入門』では、組織がどのような方向に向かっていくのかを示す「錦の御旗」として、“経営理念”の大切さが説かれています。今回はこれについて参究しましょう」

(経営理念か……今まで何度か考えてはみたけど、しっくりこなかったんだよね。スキットは何を目指すべきなんだろう……)

私は、経営理念のヒントが、「私の人生の使命」のなかに隠されている気がして、まずは自分が一生を通して何を成したいのかを考えてみることにしました。すると、ある思いに気がついたのです。

(私は今までずっと、「人の喜ぶ顔が見たい、たくさんの人を幸せにしたい」という気持ちを持ち続けてきたな。それは、きっとこの先の人生も変わらない― )

そのとき、はっと、ひらめきました。
(そうだ! 経営理念は『一石一兆』にしよう)
「一石一兆」には、スキットが手がけた一つの仕事から、無限に幸せが連鎖していくような働きをしようという意味を込めました。

その後も私は、毎月必ず「真理経営者プロフェッショナルコース」研修を受けるようにしました。研修では毎月、経営のプランニングシートを作成します。そのプランを実践し、次回の研修で成果は出たかを振り返るのです。

もちろん、実践の過程でうまくいかないことも起きますが、それによって経営者としての自分の足らざるところや心の傾向性に気づき、反省してさらに成長していくことができるのです。

研修に参加するようになってから、スキットもさらに発展させることができました。私一人では仕事をこなせないくらいの依頼をいただくこともあり、数名のアルバイトを雇うまでになったのです。

私は主婦の希望になりたい

「うちの清掃は全部、スキットさんに頼みたい」と言って信頼してチャンスをくださるお客さんがいてくださるから私は働くことができます。「仕事があることは当たり前じゃない」のです。ですから私は、お客様の期待に、最高のパフォーマンスで応えたいと思っています。

起業から1年が過ぎたころには、パート時代の約10倍の収入を得ることができ、夫のお給料と合わせれば子供たちの学費も私たちの生活費も十分にまかなえるようになりました。でも、これで満足するのではなく、仕事内容をもっと改善して、世の中に貢献していきたいと思っています。

すべての人に笑顔と幸福を― 。これが私の夢です。子供たちもこの夢を応援してくれますし、「頑張るママ」を誇りに思ってくれているようで、嬉しく感じます。

日本は長いこと不況で、「うちはお金がない」と、頭を抱えている方は多いかもしれません。私だって少し前までは、通帳を見るのが怖くて出来なかったくらい“貧乏”で、“子沢山”の“普通の主婦”でした。でも、私は幸福の科学で学んだ、「心には力があり、“意志の力”で道は拓ける」という真理を確信していたので、運命を変えることができたのです。

明るい未来をつかめるかどうかは、自分の心の持ち方次第だと、身をもって体験しました。

「貧しさ」「病気」「人間関係」などで悩み、「自分はもうだめだ」と思いこんでいる方がいたら、「人間の可能性は無限大なんですよ」と伝えたいです。まずは、今の等身大の自分を受け入れて、心のキャンバスに素晴らしい未来を描いてみてください。

私は「主婦の希望」になりたいです。
そして、一人でも多くの方が成功され、幸せを手に入れることを心から願っています。

書籍で学ぶ「繁栄の法則」講義

『繁栄の法則(改版)』(大川隆法 著/幸福の科学出版)7 感謝の念
より抜粋したメッセージ

感謝の念

成功すればするほど、謙虚になっていき、感謝を感ずるような人間であれば、大成するのは間違いありません。成功すればするほど、「それだけ多くの人の助力を得たのだ。それだけ多くの守護・指導霊たちの力を得たのだ」という気持ちで、感謝して生きていくことです。

感謝がますます大きくなり、報恩というものを生み出していくようになれば、それは一つの成功であると思います。さらに、それは次なるステップにつながるのです。小さな商店の成功で終わるか、それが大きな事業として発展していくか、あるいは、小さな街の説法者で終わるか、大思想家となっていくか、違いはここにあるということです。

したがって、その段階において、他力というものを感じていく必要があります。成功を感ずれば感ずるほど、自分がどれほど恵まれているか、多くのものに守られているかということを感じなければいけません。ときおり、心静かに座し、ジーンと胸に来るような思いでもって、感謝しなければいけないのです。

能力がありながら成功しない人はたくさんいます。みなさんのなかにもいると思います。しかし、「これだけ能力、才能があるのに、なぜか認められない」という人は、おそらく、感謝の念が少ないはずです。これを考えてみてください。自分が現在あることに、どれだけ多くの人たちの力、おかげがあったかということを考えていただきたいのです。道が開けない理由は、感謝の念の不足にあるということを知らねばなりません。

この感謝の念というものが、実は天上界の協力を仰ぐための一つのキー(鍵)でもあるのです。これを忘れないことです。天上界の守護・指導霊たちは、もちろん、無所得のままに働いていますが、彼らも人格を持って生きているので、「ありがとう」「よくやってくれた」と言われると、うれしいのです。

ほんとうに、目に見えない人たちが協力しようとしているのです。目に見えない世界の住人である彼らは、お金も要らないし、食事も要らないのですが、「私たちが働いているということに気づいてくれると、うれしい」と思っています。それが彼らにとっての生きがいになるのです。

自分の生きがいだけではなく、多くの霊的存在にも生きがいを与える必要があります。その生きがいを与えるものが感謝の念であると思わなければいけないのです。

そして、あの世の霊も、地上の人を指導することによって、進化、発展していきます。そうした実績ができて、多くの感謝の念をもらうと、それだけ霊的な光が増していくのです。地上の人には、あの世の霊たちをも進化させる力があるということを忘れてはいけません。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第144号より転載し、編集を加えたものです。

Mさん(40代・女性)

私はダメな子

私はダメな子なのかな—。物心ついたころから私は、自分のことをそんな風に思っていました。 なぜなら、母から私自身を「否定」されるような言葉を言われ続けて育ったからです。

「あなたはほんとにダメな子なんだから—」

私の両親は、父は新聞社の印刷工員、母も飲食店の店員をしていて共働きでした。そのため長女の私は、小学校の低学年の時から家の掃除をしたり、夕飯のしたくの手伝いをしたりと家事をしなければなりませんでした。私に少しでも落ち度があると、母は私を厳しく叱り、その度に「ダメな子」呼ばわりするのです。

父はそんな時、「言いすぎだ」と言って、私をかばってくれました。でも、父とは喧嘩が絶えなかった母は、父の言葉など聞く耳をもちません。ある時など、ちょっとお使いが嫌だと言っただけで、突然の体罰。私には何が理由でそこまで怒っているのか分かりません。それ以後、いつ叱られるかとびくびくするようになりました。

「なんでそんなに怒るの? 私、そんなにダメな子なの?」

恨み心を募らせて

それでも私は、母に優しくしてほしい一心で、子どもながらにいろいろな努力をしました。お手伝いは、掃除でも料理でも、自分なりに工夫。だんだん、手早くやれるようになっていきました。勉強の方は、通信簿が「2」ばかりでしたが、頑張った結果、高学年になると「4」や「5」をとれるようになりました。

運動も人一倍努力。生まれつき股関節に障害がある私は、他の子のようには走れません。
でも、毎日、夕方、家の周りを走りこむうち、マラソン大会で上位に入るようになったのです。そんな私を、母はほめてくれますが、至らないことがあれば、ものすごく叱責され、全人格を否定するようなことまで言われます。

「なんでそこまで私をひどく言うの?」

いつしか、私は母に反感を募らせていったのです。

早く家を出たい

中学生頃まではおとなしくしていた私も、高校生になると反抗するようになりました。

「いちいち、うるさいっ!」

そんな私に、母も怒りをぶつけてきます。私は高校を卒業し、一般企業に勤めた後、音楽教室の講師になり、子どもにピアノなどを教えるようになりました。アパート暮らしも始め、ようやく家を出ることができたのです。

そして24歳の時に、中学の同級生だったTさんと結婚。夫は国家公務員ですが、海外任務も定期的にあります。結婚してすぐアメリカに行くことになりました。長男が生まれると、母は英語も話せないのに、アメリカまで来て子育てを手伝ってくれました。でも、そんな母に私は、感謝の言葉も、ねぎらいの言葉も、かけたことすらなかったのです。私は依然として、母に心のわだかまりを持ち続けていました。

ほんとうの愛

結婚6年目に入ったころ、夫との関係が冷え切ってしまうということがありました。苦しんでいる私に、子ども同士が同じ保育園ということで知り合ったSさんが、幸福の科学の『太陽の法』という本を勧めてくれたのです。予想だにしなかった本の内容に私は引き込まれました。

「みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。ほんとうの愛とは、与える愛です。与える愛とは、すなわち、無償の愛です」「にせものの自分の筆頭とは、他人から愛をもぎ取ることばかり考えている自分です」『太陽の法』より)

私は夫との関係に思いを馳せました。夫は、優秀な人なのに入省の経緯から出世コースからはずれていたことを、心の中で責め続けていたのです。夫にも伝わっていたに違いありません。私は、自分が「奪う愛」の塊だったこと、夫の愛情や優しさも見失っていたことに気づきました。

私、仏の子だった!

驚きはそれだけではありませんでした。

「人間の魂は、仏からわかれてきたものであり、仏の自己表現の芸術であると、言ってよいでしょう」『太陽の法』より)

人間は「仏の子」であり、「魂の親である仏」を目指して無限に向上していけることが、理路整然と書かれていたのです。

「私、間違ってた! 私、ダメな人間なんかじゃない!」

私は、いつか「自分が素晴らしく変われる」という希望を胸に幸福の科学に入会したのです。

心はつながっていた!

まず夫への反省をしました。夫の出世に執着していた自分。私は、幼いころから抱いていた劣等感を、夫の出世で埋めたかったのです。家族のために身を粉にしている夫に、申し訳なさでいっぱいになりました。

すると不思議なことが起こりました。夫が単身赴任先のイランから電話してきて、「二人で出直そう」と言ってくれたのです。こんなにも心はつながっているのかと、驚くばかりでした。

親を選んでくる?

さらには支部の皆さんと、総本山の精舎を巡り、研修にも参加するようになりました。精舎で瞑想していると、何ともいえないあたたかな光を心に感じ、魂が安らぎに満たされていったのです。

「私、仏と一体なんだ。仏とつながっているんだ—」

仏の偉大さ、教えの威力に感動していった私でしたが、一つだけ理解できないことがありました。それは、「生まれる前に親を選んでくる」という教えです。あの母を、自分が親に選んだということに、私は納得がいきませんでした。

ある日、支部で先輩会員と話していると、ある方が何気なく口にした、「親子関係の改善は『感謝』がキーワードよね」という言葉に心が留まりました。そこで私は、日中、家事をしながら、母がしてくれたことを一つひとつ思い出してみることにしました。最初は、いやな記憶ばかりよみがえりました。幼いころ、わけも分からないまま髪を引っ張られたこと、足蹴にされたこと・・・。でも、「お母さんも仏の子。仏を信じるなら、お母さんの仏性を信じよう」と思い、1週間、2週間とトライし続けました。

父に泣かされていた母

すると、私が小学生の時の母の姿を思い出しました。仕事から帰ってくると、私と妹をつかまえて、冗談を言ったリ、「ひょっとこ」みたいなおかしな顔をして、よく私たちを笑わせていた母。私は妹と二人、心から笑っていました。そんな合間、母はよく「私にはおまえたちが宝物なんだよ」と言っていたことも思い出したのです。

競馬にお金をつぎ込んでいた父に泣かされていた母。

「家計を支えるために、つらいことがあっても私たちのために、一生懸命働いてくれてたんだ。私につらく当たったのは、きっと夫婦仲が悪くて、さみしさのあまりだったからに違いない・・・」

私はさらに、母とのことを思い出していきました。

「星を授かった」

ある日の昼下がり。居間でくつろいでいると、ふと、私の誕生について、母から聞いた話を思い出しました。

「Mちゃんがお腹に宿る前、3度も流産してね。もう子宝は授からないって諦めてたら、おまえを身ごもったんだよ」
「それからは、心にいつも星が輝いているみたいな気がしてね。だから、私は星を授かったんだ、この子は私のスターなんだ、と思ったよ」

母はおだやかな笑みを浮かべ語っていました。

「ごめんね、Mちゃん」

しかし、そうして生まれてきた私には、股関節に障害がありました。「おまえの足は、私のせいだよ。ごめんね」と、ことあることに言っていた母。障害のことを医者から告げられたとき、母はどんなにショックだったことでしょうか。

私も母親になった今では、その気持ちが痛いほど分かります。幼いころ、母は私をおんぶして病院を回りました。診察室で「先生、どうかこの子の足を治してやってください」と頼みこんでいた母の姿が思い出されました。

また、別の光景もよみがえってきました。小学校の高学年で、運動会の応援に母が来てくれた時のこと。私は長距離走で、一番でゴールしました。

「Mちゃんが一番で戻ってきた!」

母はそう言って、大粒の涙を流しながら、子どものようにはしゃいで喜んでくれました。

その泣き顔を思い出した時、私が障害を持って生まれたことに母がどんなに負い目を感じ、どれだけ「ガンバレ、ガンバレ」と心で応援してくれていたか、心底分かりました。厳しい母だったからこそ、私もここまで頑張ってこられたのだと—。母も私を信じてくれていたのだと今は思えます。

どんなにつらい境遇の中でも、明るくエネルギッシュだった母。そんな母から私は、「強さ」を学び、引き継がせてもらったのかもしれません。

「そうだ! 私はこの母のもとで、努力の喜びを知るため、親になってもらうよう、生まれる前にお願いしてきたんだ!」

この母の子でよかった

ほどなくして、母が遊びに来てくれた日。私は心にあふれる感謝を、ありったけの気持ちをこめて伝えました。

「お母さん、私を生んでくれて、ここまで育ててくれて、本当にありがとう。今まで全然感謝もしないで、本当にごめんね」

突然の私の言葉に、あっけにとられていた母。やがて、ポタポタと涙をこぼしはじめました。

「私は、おまえから感謝してほしくて頑張ってきたわけじゃないんだよ。でも、そう思ってくれて本当にうれしいよ」

母と抱き合い、二人とも言葉もなく涙を流し続けました。

その日を境に、母とぶつかることはほとんどなくなりました。あれから数年。母は、孫の顔を見るのが何よりの楽しみ。二人の息子もおばあちゃんが大好きです。孫たちと一緒に幸せそうな母の姿を見ていると、私もとても幸せな気持ちになります。この母の子として生まれることができたことを、今では誇りに思います。

そして、こんなに素晴らしい幸福を授けてくださった仏に、心からの感謝を捧げます。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第137号より転載し、編集を加えたものです。

Hさん(30代・女性)

夫の実家で同居することに

私は18歳の時に上京して、25歳の時に結婚しました。主人とは、幸福の科学支部で知り合いました。

妊娠5カ月頃から、経済的な理由で主人の実家に同居することに。

私自身、同居に対して抵抗はありませんでした。私の母が隣の家に住む舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)と仲良くやっている姿を見ていたので、自分も何とかなるだろうと楽観的に考えていました。

何も言い返せない私

ところが、いざ同居を始めるとちょっとしたことが気になり始めたのです。

義母は、明るくざっくばらんな性格で、私たちの生活に自由に入ってくる人でした。

「Hちゃん、食器洗ってなかったから、やっておいたよ」

私は、すみません・・・としか言えず、二世帯住宅で別々の台所なのにどうしてこうなるのかと思いました。

それ以外でも、頼んでいないのに主人の靴を磨く義母。

まるで、私が家事をサボッているように思えて、義母の善意であってもいたたまれない気持ちになりました。

そのうえ、長男が生まれると、私たちの部屋にノックをしないで入ってくることも度々。

面と向かって言い返せない私は、いつも黙っているしかありません。

そんなある日、私の母乳をたまたま目にした義母から、水みたいで薄くないか、と言われました。

まるで自分自身を否定されたように感じてショックでした。

私は主人に泣きつきましたが、主人にすれば、私が大げさすぎるとのこと。

私はますます苦しくなっていったのです。

居場所がない

そのうち、私は義母と接するとビクビクして、「おはようございます」のあいさつさえ言えなくなりました。

義父が「Hちゃん、最近、笑った顔をみないけど大丈夫か?」と心配してくれましたが、どうにもなりません。

ちょうどその頃、夫が車を買い、車の中だけが私たち家族の空間のような気がしました。

「ねぇ、どこかに行こうよ」

家に居るのが嫌で、車で外出するのをせがむ私・・・。

また、子どもを連れて実家に帰る頻度も高くなっていきました。

ある時、実家から帰ってみると驚くべきことが・・・。

「えっ、いったいどうしたの!?」

私たちの部屋のカーテンやソファーのカバーがすっかり模様替えされていたのです。

夫に聞くと、義母がやってくれたとのこと。

帰ってくるなり自分の居場所がなくなった気がして、落ち込みました。

幸福の科学で、「嫁と姑は実の親子より縁が深い」「互いに学び合うことが多い」と学んでいましたが、素直に受け入れられませんでした。

姑の立場に立って考えるようアドバイス

落ち込んでいる私を心配して、東京に住んでいる姉が相談相手になってくれました。

姉は、私に幸福の科学を紹介してくれた人でもあります。

「今度、うちで地域の方の集いがあるから、Hも来てみない?きっといろいろ参考になると思うよ」

姉に誘われて、幸福の科学の集いに参加してみると、そこに来ていた支部長が相談にのってくれました。

「私、お姑さんといると、自分が嫌われているような気がして、つらいんです」

支部長は、私の話を受けとめるように聞いてくれます。

「Hさんは、お姑さんの立場に立って考えたことがありますか?」

私は、はっとしました。そんなことは思ってもいなかったからです。

「お姑さんがどんな気持ちでいるのか、どんな人生を送ってきたのか、相手の立場に立って考えてみてはどうでしょうか。きっと、今まで見えなかったものが見えてきますよ」

義母は、思ったことを口にするタイプ。義母の言葉を一つひとつ考えれば、もっと理解できるような気がしました。

私は、支部長に言われた通りにやってみることにしたのです。

義母のさみしい思い

以前、私たちが家族でドライブに出かけようとしたとき。

玄関で見送る義母の顔が、とてもさみしそうに見えました。

私は以前聞いた義母の話を思い出しました。

「私は結婚しても、“母子家庭”みたいだったのよね」

義父は仕事が忙しく、家族で出かけることはほとんどなかったそうです。

(お義母さんにさみしい思いをさせていたかもしれない)

今まで義母から逃げるように出かけたり、実家に帰っていたことに対して、申し訳ない気持ちになりました。

(そういえば、お義母さん、最近元気なさそうだ。私のこと、気にしているのかな)

帰宅後、私は、義母との関係を振り返ってみました。

違って見えた義母の姿

私は、今まで耳にした義母の話を思い返してみました。

とても働き者で、六十半ばを過ぎても家庭保育の仕事をしている義母。

自分の子どもを育てるだけでも大変なのに、一時期、姪を預かって育てていたといいます。

(ほんとうに子どもが好きな人なんだ。)

ノックなしで部屋に入ってくるのも、孫へのかわいさ余っての行動に思えました。

子育てについて口出しするのも、保育のベテランとしては当然のことかもしれません。

また、数年前、義母は次女を病気で亡くしていました。彼女と私は同じくらいの年齢。

(私のことを実の娘のように思って、いろいろしてくれていたのかも知れない)

そんな思いが、ふと心によぎりました。食器を洗ってくれたり、主人の靴を磨いてくれたり—。義母の行動の一つひとつが、今までとは違ってみえてきたのです。

「部屋の模様替えをしたのも、実家から帰ったHを元気づけてあげたいと思ってやったことなんだよ」

主人からそう聞いて、思わず涙ぐんでしまいました。

おすそ分けし合う棚に好物のメロンパンが

台所が別々のわが家には、お互いに食べ物などをおすそ分けし合う棚があります。ある日、そこに私の大好物のメロンパンが置いてありました。

私の顔から笑顔が消えて、誰よりもショックを受けたのは義母ではないか、と思いました。

「・・・お義母さん、ありがとうございます。」

すぐにお礼を言うと、義母は照れくさそうに笑います。

「私ね、この間、Hちゃんが私とケンカして、家を出て行ってしまう夢を見たのよ。ほんと嫌だったわ」

「そんな・・・。私こそ心配かけちゃってごめんなさい」

久しぶりに義母とおだやかな気持ちで話すことができたのです。

「実は私も、お義母さんに怒られている夢を見ることがあります」と言うと、「お互い様ね」と二人して笑いました。

その後も、時々、私の好きなメロンパンと大学芋がそっと置いてあることがありました。

母の日の手紙

私は、今までの反省と感謝の気持ちを込めて、母の日に手紙を書いて渡しました。

「おかあさん、突然、笑えなくなったり、あいさつできなくなったりしてごめんなさい。
私は、今までおかあさんの愛に気づかず、心の中で反発していました。
でも、いまは一緒に暮らせることに対して感謝の気持ちでいっぱいです。
きっと、おかあさんからたくさん学ぶことがあって、今世、家族になることができたんですね。
おかあさんの笑顔、ほんとうに素敵だと思います。
これからも明るい元気なおかあさんでいてください。」

義母がどんな反応をするのかドキドキしましたが、「心のこもった手紙ありがとう。うれしかったわ」と言われて、私のほうがうれしくなりました。

それ以来、義母との距離がだんだんと縮まっていきました。

「Hちゃん、今晩のおかず、一品いただけないかしら」

「いいですよ。でも、その代わりお義母さんのつくったけんちん汁をくださいね」

おかずの一品交換が、わが家の習慣になりました。

特に、義母は揚げ物や餃子、カレーなどはあまりつくらないので、私が担当すると喜んでくれます。

また、義母のつくるけんちん汁はとてもおいしく、主人も大好き。マネしようとしても同じ味にならず、いつもおすそ分けしてもらっています。

(台所が2つあるって、考え方によっては便利なことだな)

料理をきっかけに、義母と気軽に話せるようになっていきました。

いつまでも元気でいてね

翌年、義母と一緒に総本山・正心館に参拝に行きました。

わが家には、義母の母親で、現在102歳の“大ばあちゃん”がいるのですが、一家全員での参拝です。

義母は、最近膝の調子が悪く、歩くのが辛いということで「無病息災祈願」を受けました。

「ありがたいねぇ」と仏に手を合わせている義母。

「お義母さん、また来ようね」

「そうだね。これからもHちゃんと一緒にいろんなところに出かけたいからね」

ニコニコした義母の笑顔がとても輝いて見えました。

いま、私は義母と同じ、家庭保育の仕事をしています。家事のみならず、仕事の先輩としてとても頼りになる存在です。

「やっぱりお義母さんとのご縁ってとっても深いんだなぁ」と、知らず知らずに影響を受けている自分に少し驚いています。

「お義母さん、いつまでも元気でいてくださいね」そう心から願っています。

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