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先の大戦で陸軍に入隊し捕虜(ほりょ)となって満州で8年間抑留された経験を持つSさん。全体主義国家に侵略(しんりゃく)され、自由を奪われるとはどういうことなのか。Sさんに戦争体験を伺いました。
(S.Kさん・栃木県・90代・男性)

月刊「ザ・伝道」228号より転載・編集

体験談本当の平和とは何か

大切な家族と日本を護るために

1922年3月、私は満州の奉天(ほうてん)で生まれました。
名古屋中央放送局から満州に派遣(はけん)されていた通信技手の父と、母、姉2人、兄2人、弟1人の8人家族。父の仕事の都合で2歳で帰国してからは、一家は名古屋で暮らしました。

幼い頃より、父母から「日本のために戦うことは、家族や子孫の幸せを守ること」と教わっていた私は、いつしか、自分も軍人になって国に奉公したいと思うようになりました。それが男として当然のことだと感じていたのです。

そして、青年学校教員養成所を卒業したばかりの1944年、徴兵検査を受け、21歳で大日本帝国陸軍に入隊しました。
(日本の戦況は、いよいよ厳しいようだ。お国のために一矢報いたい…)
私が入隊する2年前の1942年、ミッドウェー海戦で大敗して以降、日本は厳しい状況に立たされていたのです。

私は、満州に渡り、過酷な初年兵教育を受けました。
しかし、ある朝、突然耐え難い腹痛に襲われ、陸軍病院に入院することになったのです。軍医に診てもらうと盲腸でした。手術も行いましたが、なかなか退院できず、やきもきする毎日。そうこうしていたある日、衝撃的な知らせが飛び込んできました。

私が入院しているあいだに、私の部隊に出陣命令が出され、台湾沖で壊滅的な被害にあったというのです。ほとんど生き残っているものはいないだろうということでした。

(私は入院している場合か。私だけが生き残ってしまった…)
共に訓練を受けた仲間たちの顔が思い出されます。私はやるせない気持ちで、ベッドのシーツをぎゅっと握ったのでした。

終戦。そして、捕虜収容所へ

戻るべき部隊を失った私は、ハルビンの第四軍司令部に配属になり、戦闘の報告書作成を命じられ、任務にあたっていました。
そして、1945年8月15日。
「正午に重大な放送があるからラジオの前に集まるように」との連絡がありました。時刻になり、司令部の全員がラジオに耳を傾けます。

「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す―」

それは、終戦を告げる、玉音放送でした。
(日本は負けたのか)
顔を硬直させる者、ぼろぼろと涙を流す者。
その場にいたみなが悔しがりました。

そして私にとっては、この日が運命の転換点となったのです。終戦の数日前に、日ソ中立条約を破って満州に侵攻してきたソ連軍に捕らえられ、捕虜の身となってしまいました。

武装解除をさせられた後、満州の牡丹江(ぼたんこう)に集結を命じられ、常時1000人以上が収容される大きな捕虜収容所に入れられることになりました。

収容所といってもただの野原。みな、持参したテントと藁(わら)布団での野営生活を強いられました。そこら中に、銃を持ったソ連軍や、ソ連が支援していた中国共産党軍の兵士が見張っているため、抵抗もできず、私たち捕虜はただただ無力でした。

そして収容所では、軍曹の私が一番上の階級だったため、食料の分配など、捕虜の管理をソ連軍に命令されたのです。そこの食事は家畜並みで、粟やコーリャンというモロコシが支給されました。当然ながら食器はないため、皿の代わりに兵士の帽子に食事を入れて歩きます。

衛生環境も悪く、シラミを媒介とする発疹(ほっしん)チフスが流行(はや)り、衰弱死する者と併せて大量の死者が毎日出ました。多い日は1日に200人ほどが命を落としたこともあります。

(日本に帰りたい。母さんに会いたい…)
異国の地の夜、星空の下で私は収容所の仲間たちと集まり、日本の唱歌を歌いました。
蛍の光 窓の雪 書(ふみ)読む月日 重ねつつ―
互いに「じきに帰れる。あと少しだ。頑張ろう、頑張ろう」と肩を叩いて励ましあったのです。

シベリアに消えた仲間たち

そしてある日、ソ連兵から「捕虜をダモイ(帰国)させるから1000名ずつのグループにまとめて汽車に乗せる支度をさせろ」と指示されました。

「ついに日本に帰れるそうだ! 良かったな」
そうやって私は声をかけながら隊を編成しました。しかし、数カ月後になって、「日本へ帰れる」と笑顔で収容所を出ていった仲間たちがたどり着いた先は、親兄弟のいる日本ではなく、極寒の地、シベリアの収容所だと知ったのです。

シベリアで、ソ連軍に過酷な強制労働を強いられた仲間たちの多くは、母国の土を二度と踏むことなく命を落としていったと耳にしました。

(俺は、「日本に帰れるぞ」と言って、皆をだましたことになるのか―)
自分も真実を知らなかったとはいえ、後悔が募ります。しかし、今となってはどうすることもできないのでした。

そして収容所での野営生活も一年が過ぎたころです。ある日の日中、中国共産党軍の兵士の声が収容所内に響き渡りました。
「Sはどこだ。出てこい!」
「はい……私です」
私が前に出ると、すぐに数人の兵士に捕えられました。そして、「反動分子」として引っ立てられ、連れて行かれた場所は牢獄でした。
収容所を取り仕切っていた私が目障りだったのでしょうか。事情聴取も取り調べもなく、突然、牢屋に入れられたのです。

(俺が何をしたっていうんだ……)
牢には私のような元日本軍の軍人が数多く投獄されていましたが、中にはソ連か中国共産党軍のスパイと思われるような日本語の達者な中国人も紛れていました。
スパイがどこに潜んでいるかわからない、心打ち解けられる人はいない―。

閉鎖的な環境で1年近く閉じ込められるうち、私は負の妄想に取り憑かれるようになっていったのです。
(俺は、ここで殺されるんだ。俺は死ぬんだ)
私は、帰国はおろか、自分に未来があるとは到底思えないのでした。

「母さん、Kは帰ってきたよ」

ここが死に場だと思っていたところ、私はある日突然、牢から放り出されました。

あてのない私は、ひとまず牡丹江の日本人難民所を頼ることにしたのです。日本人難民会が親切にしてくれたおかげで、赤十字病院のボイラー炊きなどの仕事や居候(いそうろう)先を得ることができ、なんとか生きる道をみつけました。

しばらくそうして暮らしていましたが、いっこうに帰国のめどは立たず、周囲の勧めで同じ日本人難民の女性と結婚し、生活の基盤を作ることにしました。
そして迎えた、1953年。私のところにやっと日本人引き上げの知らせが届いたのです。

終戦からじつに、8年の歳月が流れていました。待ち望んだ帰国― 。
「母さん、Kは日本に帰るぞお!」
私は嬉しくて、人目も気にせず、空に向かって大声で叫んでいました。郷里の母にこの声が届くような気がしたのです。
同年9月6日、私は引き上げ船「高砂丸(たかさごまる)」に乗りました。すし詰めの船体で何時間も波に揺れていると、ついに日本が見えてきました。

甲板(かんぱん)に出て舞鶴港を見ると、そこには家族の帰国をまだかまだかと待ち望む人の群れがあります。そしてその中に、何度も夢で見た、あの母の姿をみつけたのです。
「母さーん! Kだよ!」
「K! よく帰ってきたね……」
出兵して以来約9年ぶりの再会。ハンカチで目をおさえている母の顔を見て、私はやっと、生きて帰ってきたのだと実感したのでした。

人は死んだらどこへゆくのか

帰国した私は、まもなく北海道で中学校の社会科教員を務めることになりました。仕事にも慣れ、平穏な毎日が続きましたが、ふと戦争で命を落とした仲間のことを思い出しては、「人は死んだらどこへいくのか」と、霊的なことに思いをはせるようになっていったのです。

答えを求めていくつもの宗教書を読みました。しかし、私の問いに明確に答えてくれる教えは、なかなか見つけることができませんでした。
そして、すでに教員を退職していた1989年、友人の勧めで大川総裁の書籍『太陽の法』に出合ったのです。

「人間が死んで、あの世に還っても、生きていたときの記憶は、少しも失われません―」

(え、どういうことだろう……)
『太陽の法』には、人間の本質は肉体ではなく魂(たましい)であり、この世とあの世を何度も生まれ変わりながら魂を磨いていることや、霊界(れいかい)と言われる世界の様子、宇宙のはじまりの真実など、壮大な教えが説かれていました。

(俺はこれが知りたかったんだ―)
私は、それから『仏陀再誕』『永遠の法』『黄金の法』など、大川総裁の書籍を夢中で読みあさったのです。そして、1990年に幸福の科学の会員(※1)になり、仏法真理(ぶっぽうしんり)を学びはじめました。

2007年に妻に先立たれ、私はさらに本格的に心を見つめていく決意をして、約2年前に、幸福の科学の晩年修行の場であるシニア黄金館(※2)に入所したのです。

シニア黄金館には共に教えを学ぶ仲間たちが集い、毎日、反省、瞑想(めいそう)、祈りの実践や、経典や法話の学習、体力づくりなどを行っています。
たくさんの法友(共に教えを学ぶ仲間)がいるおかげで、私はちっとも寂しくありません。とても楽しく、幸福な晩年を過ごすことができてありがたいと感じる毎日です。
(残りの人生、幸福の科学の教えを学んで「心の総しめくくり」をしよう―)

※1 幸福の科学の会員になる方法について、詳しくはこちら
※2 シニア黄金館:60歳以上の会員信者を対象にご用意している「晩年出家制度」において、宗教修行に取り組んでいただくための宗教施設です。ご興味がある方は、お気軽にシニア事業室までお問い合わせください。TEL 03-6384-0112


ふせんを貼って何度も読みこんだ書籍『仏陀再誕』。

幸福の科学のシニア黄金館(栃木県宇都宮市)

自分の人生と祖国への誇りを取り戻して

シニア黄金館で「生涯反省」に取り組んでいくと、やはり、あの戦争のことを考えて悶々とすることがありました。

先の大戦のことを「日本の侵略戦争だ」「日本は中国や朝鮮半島の人々を傷つけたのだ」と決めつける戦後の風潮に、違和感を覚えると同時に、元軍人として、とても悔しい思いを持ち続けてきたからです。

しかし、そんな苦しみが解放されるできごとがありました。
大川総裁が霊的なお力で、東條英機(とうじょう・ひでき)首相や牛島満(うしじま・みつる)中将などの軍人の霊言(れいげん)を行い(※3)、その本心を聞いてくださったのです。

そして、霊言によって、「戦前の軍人は人格的に立派な方々だった」「日本は侵略国家ではない」という真実を明らかにし、先の大戦の歴史認識を改める社会啓蒙に取り掛かってくださいました。

大川総裁がおっしゃる通り、あの戦争は、日本が自国の利益のために始めたのではなく、欧米列強に虐(しいた)げられていたアジアの同胞(どうほう)を解放するための「聖戦」でした。私を含め、当時の軍人たちは、その共通認識を持ち、使命感から、自分の命を惜しまずに戦地に向かいました。

戦いには敗れてしまったものの、日本のおかげで第二次世界大戦後に欧米の植民地支配から解放され、独立できた国は数多くあります。

私は、自分が命をかけて挑んだ戦いが、「間違い」ではなかったのだと明らかになったことで、「自分の人生」と「日本という国」に、改めて誇りを持つことができたのです。本当に心が救われる思いでした。

※3 東條英機首相や牛島満中将などの軍人の霊言:『公開霊言 東條英機、「大東亜戦争の真実」を語る』『沖縄戦の司令官・牛島満中将の霊言』として幸福の科学出版から発刊。

従軍慰安婦問題の真実

韓国の”元慰安婦”の方々が、私が過ごした満州の牡丹江に強制連行させられたと証言していました。しかし、真実は違います。
慰安所は軍の運営ではなく、朝鮮人経営者が商売として営んでいましたし、働く女性たちもいわゆる”プロ”の方々でした。

私はそれを現地で見て、聞いてきました。ですから、強制連行などは全くありえないことです。日本軍の規律はとても厳しく、上官からは「慰安所には行くべきでない」とはっきり注意が出されていたくらいです。私は生き証人として、戦後の間違った歴史認識を改めていきたいと思います。

今、中国や北朝鮮という全体主義国家が日本の平和を脅(おびや)かそうとしています。このような国に日本が侵略されると、私たちは人権も自由も奪われ、どれほど辛い日々を送ることになるか…。
ソ連や中国共産党軍の捕虜となり、投獄された経験がある私だからこそ、日本に迫っている危機を実感を持って語ることができます。

戦後教育によって、軍事力を持つことがすべて「悪」のように思われるようになりましたが、国防は当然のことです。それは大切な人を守ることであり、平和を守ることなのです。私はこの体験談を通して未来を担う若者たちに、そのことを伝えていきたいと思っています。

書籍で学ぶ自由と平和を守るために

『国を守る宗教の力』より(大川隆法 著/幸福の科学出版)

自由のもとになる信仰

私は、常々、「自由の大国をつくれ」と説いていますが、自由というのは、本当に大事な価値です。
自由なくして平等だけを求めると、強力かつ強大な国家権力によって、自由が簡単に押しつぶされてしまうことがあるので、「自由の確保」は大事なのです。

そして、自由のもとになるのは信仰です。
信教の自由がなければ、言論の自由も出版の自由も、何一つ守ることはできません。

信教の自由とは、神仏が「人間の尊厳」を守ろうとしておられる部分に当たる、最も大事なものなのです。

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精密な描写で写実的に描く「スーパーリアリズム」のイラストレーターとして活躍しているMさん。同業者への嫉妬心を克服することで成功への道が開けていった軌跡を聞きました。
(M.Yさん・東京都・50代・男性)
月刊「幸福の科学」378号より転載・編集

体験談 「祝福」と「努力」が成功への鍵

念願のイラストレーターになるも…

1988年の秋。当時24歳だった私は、師事(しじ)していたイラストレーターのもとを離れ、フリーランスとして独立しました。高校時代からの夢だったイラストレーターになれた喜びと、
「この仕事で食べていけるのだろうか」
という不安が半々でしたが、友人の紹介で仕事をいただき、まずまずのスタートを切ることができました。

それからすぐのこと。仕事の合間に、プロのイラストレーターの作品が紹介された雑誌を読んでいたとき、ふと、あるイラストが目に留まりました。

写真を超えたリアリズム、卓越(たくえつ)した描写。しかも、作者の年齢は、私よりも年下でした。

(俺より若いのに、こんなに絵が上手くて、売れてるんだ…)

胸のあたりがモヤモヤして、不快な気持ちになりました。さらに雑誌のページをめくると、個性的なイラストで人気を博しているイラストレーターが紹介されていました。

(どう見ても俺の方が上手いのに、なんでこの人が売れてるんだ? 悔しい―)

私とは画風が違う方ですが、売れているというだけで嫉妬心が湧(わ)いてきて、どうしてもケチをつけたくなってしまいます。

苦い思いを味わいたくなかった私は、次第に他人の作品を見るのを避けるようになっていきました。

しかし、家から一歩外に出れば、電車の広告や本の表紙など、イラストレーターの作品はあちこちにあり、すぐ視界に入ってきます。
それを見るたびに心が揺れました。

嫉妬を感じる相手は「自分の理想像」?

嫉妬心に悩みながらも、自分の仕事を淡々とこなし、2年がたったある日。

「ねぇ、Mくん。これ読んでみない?」

友人から、大川隆法総裁の書籍『ピカソ霊示集』(※1)や、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』(※2)を勧められました。そのなかで説かれていた深い愛の教えや、霊的世界の仕組みに感銘を受け、もっとこの教えを学びたいと思い、幸福の科学に入信。経典を学んだり、大川総裁の大講演会に足を運んだりするようになりました。

そして、1993年の2月。横浜アリーナでの大川総裁の大講演会「愛、無限」(※3)に参加しました。そこで、思いがけず、今まで悩んできた嫉妬心に対する答えを与えられたのです。

「嫉妬に打ち克(か)つ方法は何でしょうか。それは祝福(しゅくふく)の心です。自分が嫉妬している対象こそが、実は自分自身の理想像にほかならないのです」

「自分が理想とする相手は、尊敬すべきであり、肯定すべきなのです。『自分もそのようになりたい』と思ってこそ、その理想に対して、一歩一歩、近づいていくことができるのです。ところが、嫉妬を始めた瞬間から、もはや近づくことはできなくなって、遠ざかっていきます」

この言葉を聴き、ハッとしました。

(そうか、自分が嫉妬を感じる相手は、「自分の理想像」なんだ―。人気がある作家に嫉妬してばかりでは、その人たちから遠ざかってしまう。このままではいけない…)

さらに、「嫉妬心の元には劣等感がある」と説かれたことも、私の心に深く残りました。

その日の講演を聴いて、「劣等感を克服しなければ、嫉妬心は消えない。そして、劣等感や嫉妬心を乗り越えるには努力が要る」ということが分かりました。私は自分を変えるために、「今まで嫉妬していた方々の活躍を素直に認め、相手から学び、努力していこう」と心に誓ったのです。

※1 :『 ピカソ霊示集』は現在、『大川隆法霊言全集』第38巻、第39巻に収録されている(どちらも大川隆法 著 宗教法人幸福の科学刊)。
※2 :『 太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』は、幸福の科学の教えの輪郭を示した基本三部作(すべて大川隆法 著 幸福の科学出版刊)。
※3 : この法話は、書籍『愛、無限』( 大川隆法 著 幸福の科学出版刊)に収録されている。

祝福と努力を重ねて

それから私は、人気作家のイラストが紹介されている雑誌を買って、研究を重ねました。仕事の合間を見ては、「絵が上手い人たちはどんな努力をしているのか」「自分に足りないものは何なのか」をとことん考え、優れた技法を見習うようにしたのです。

しかし、嫉妬心はすぐにはなくならず、祝福も簡単にはできませんでした。売れているイラストレーターを見ると、どうしても嫉妬の思いが湧き上がってしまいます。

(ああ、やっぱり悔しい―)

そのたびに、「嫉妬を祝福に切り替える努力」をしました。

(こんなに成功して、スゴイなぁ)

最初はなかなか心がついていかず、”形だけ”の祝福のことも多かったのですが、それでも「祝福」の2文字を念頭に努力を続けていくと、少しずつ心が変わっていきました。

例えば、有名イラストレーターのAさんに対しては、

(絵の上手さに、本当に脱帽するなぁ。この方の後ろ姿を見ているからこそ、俺も成長できる。ありがたいな―)

また、個性的なイラストが人気で、「絵の上手さに欠ける部分は、絵を売り込む交渉力で補う」というBさんに対しては、

(知識が豊富で人間としても魅力的だから、成功しているんだな。交渉力についてはBさんを見習っていこう)

と思うようにしたのです。

さらに、制作ツールに関しては、多くの人気作家がパソコンとペイントソフトを用いて描いているので、私もチャレンジすることにしました。それまでは、

(新しい道具にかぶれやがって…)

と、やっかむ気持ちがあり、私自身はアクリル絵の具と筆で描いていたのですが、そういうこだわりも捨ててみようと思ったのです。

当時は既に40代半ばで、今からできるのかと不安もありましたが、一から使い方を学んで努力を続け、なんとか修得することができました。そして、ちょうどそのころに開催されていたイラストコンテストに応募してみると、驚いたことに第二位を受賞したのです。

(チャレンジしてみて、良かった―)

仕事が広がっていく喜び

そうした努力を続けるうちに、大手企業の広告の仕事を依頼されたり、銀座や恵比寿で個展を開催できたりと、仕事の幅が広がっていきました。さらに、大川総裁の書籍の表紙のイラストを描く機会にも恵まれたのです。
私にとって、イラストレーター冥利に尽きる大変光栄なことでした。

(主エル・カンターレや、この本を読まれる皆さまに、喜んでいただけますように―)

そんな願いを込め、今まで培ってきた経験や技術のすべてを出し切って描かせていただきました。本当に夢のような出来事でした。

その後は、海外での仕事のチャンスが巡ってきたこともありました。20年以上お世話になっている著名なグラフィックデザイナーの方から、イギリスでの展覧会の仕事のお誘いをいただいたのです。

「Mくん。今度、ロンドンのデザイン・ミュージアムでこけら落とし展を開催するんだけど、手伝ってくれない?」

私は喜んで仕事を引き受け、真心込めて絵を描かせていただきました。

以前は、人目に触れない小さな仕事をポツポツとこなすことが多かったので、活躍の場が海外にまで広がり、喜びと感謝で胸がいっぱいでした。

そのように、一歩一歩と実績を積んでいくにつれ、心にゆとりが生まれ、気がつくと他のイラストレーターに対する嫉妬心をほとんど感じなくなっていきました。自然と祝福ができるようになるまで、15年はかかったと思います。

私は、大川総裁の教えのおかげで嫉妬の苦しみから自由になり、幸せな気持ちで大好きな絵の仕事を続けられています。「祝福」の思いを持って努力することで、心も磨かれ、実力も上がっていくことを実感しました。

これまでお導きくださった主エル・カンターレや、お世話になった恩師、良い刺激をくださる同業の皆さま、仕事をくださるクライアントの方々―。皆さまへの感謝の思いを胸に、後世に遺せる素晴らしい作品を描いていきたいと思います。

月刊誌378号 2(スーパーリアリズムの手法を極め、独特な存在感を醸(かも)し出しているMさんの作品)

月刊誌378号 3(「いつも、クライアントのご期待以上の仕事ができるよう、心がけています」と、仕事に対する熱意を語るMさん)

書籍で学ぶ嫉妬を感じる相手に対して「祝福の心」を持つ

『真実への目覚め』P.116(大川隆法 著/幸福の科学出版)

嫉妬は自分の理想像の否定

本当は、表面意識下では実現を願っているにもかかわらず、目標になるべき方向にいる人に嫉妬することによって、みなさんは、その方向に進むことができなくなるのです。

なぜならば、みなさんには、嫉妬をしている対象に対して、必ず、批判をし、悪口を言い、その人の欠点を指摘するようになる傾向があるからです。

ここは大事なところです。みなさんが心に感じる嫉妬が、「本当は、この人のようになりたい」と思う人に対するものであることを、素直に認めることができたならば、嫉妬の心を抑えて、逆に祝福の心を持っていただきたいのです。

祝福の心は「肯定の心」です。「かくありたい」と願う心です。祝福の心は、「他の人の幸福を願う心」なのです。

その心を持っていれば、みなさんは、自分が祝福している人の方向に向かって、人生を歩んでいくようになるのです。

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1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

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(M.Yさん・東京都・50代・男性)
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体験談 「祝福」と「努力」が成功への鍵

念願のイラストレーターになるも…

1988年の秋。当時24歳だった私は、師事(しじ)していたイラストレーターのもとを離れ、フリーランスとして独立しました。高校時代からの夢だったイラストレーターになれた喜びと、
「この仕事で食べていけるのだろうか」
という不安が半々でしたが、友人の紹介で仕事をいただき、まずまずのスタートを切ることができました。

それからすぐのこと。仕事の合間に、プロのイラストレーターの作品が紹介された雑誌を読んでいたとき、ふと、あるイラストが目に留まりました。

写真を超えたリアリズム、卓越(たくえつ)した描写。しかも、作者の年齢は、私よりも年下でした。

(俺より若いのに、こんなに絵が上手くて、売れてるんだ…)

胸のあたりがモヤモヤして、不快な気持ちになりました。さらに雑誌のページをめくると、個性的なイラストで人気を博しているイラストレーターが紹介されていました。

(どう見ても俺の方が上手いのに、なんでこの人が売れてるんだ? 悔しい―)

私とは画風が違う方ですが、売れているというだけで嫉妬心が湧(わ)いてきて、どうしてもケチをつけたくなってしまいます。

苦い思いを味わいたくなかった私は、次第に他人の作品を見るのを避けるようになっていきました。

しかし、家から一歩外に出れば、電車の広告や本の表紙など、イラストレーターの作品はあちこちにあり、すぐ視界に入ってきます。
それを見るたびに心が揺れました。

嫉妬を感じる相手は「自分の理想像」?

嫉妬心に悩みながらも、自分の仕事を淡々とこなし、2年がたったある日。

「ねぇ、Mくん。これ読んでみない?」

友人から、大川隆法総裁の書籍『ピカソ霊示集』(※1)や、『太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』(※2)を勧められました。そのなかで説かれていた深い愛の教えや、霊的世界の仕組みに感銘を受け、もっとこの教えを学びたいと思い、幸福の科学に入信。経典を学んだり、大川総裁の大講演会に足を運んだりするようになりました。

そして、1993年の2月。横浜アリーナでの大川総裁の大講演会「愛、無限」(※3)に参加しました。そこで、思いがけず、今まで悩んできた嫉妬心に対する答えを与えられたのです。

「嫉妬に打ち克(か)つ方法は何でしょうか。それは祝福(しゅくふく)の心です。自分が嫉妬している対象こそが、実は自分自身の理想像にほかならないのです」

「自分が理想とする相手は、尊敬すべきであり、肯定すべきなのです。『自分もそのようになりたい』と思ってこそ、その理想に対して、一歩一歩、近づいていくことができるのです。ところが、嫉妬を始めた瞬間から、もはや近づくことはできなくなって、遠ざかっていきます」

この言葉を聴き、ハッとしました。

(そうか、自分が嫉妬を感じる相手は、「自分の理想像」なんだ―。人気がある作家に嫉妬してばかりでは、その人たちから遠ざかってしまう。このままではいけない…)

さらに、「嫉妬心の元には劣等感がある」と説かれたことも、私の心に深く残りました。

その日の講演を聴いて、「劣等感を克服しなければ、嫉妬心は消えない。そして、劣等感や嫉妬心を乗り越えるには努力が要る」ということが分かりました。私は自分を変えるために、「今まで嫉妬していた方々の活躍を素直に認め、相手から学び、努力していこう」と心に誓ったのです。

※1 :『 ピカソ霊示集』は現在、『大川隆法霊言全集』第38巻、第39巻に収録されている(どちらも大川隆法 著 宗教法人幸福の科学刊)。
※2 :『 太陽の法』『黄金の法』『永遠の法』は、幸福の科学の教えの輪郭を示した基本三部作(すべて大川隆法 著 幸福の科学出版刊)。
※3 : この法話は、書籍『愛、無限』( 大川隆法 著 幸福の科学出版刊)に収録されている。

祝福と努力を重ねて

それから私は、人気作家のイラストが紹介されている雑誌を買って、研究を重ねました。仕事の合間を見ては、「絵が上手い人たちはどんな努力をしているのか」「自分に足りないものは何なのか」をとことん考え、優れた技法を見習うようにしたのです。

しかし、嫉妬心はすぐにはなくならず、祝福も簡単にはできませんでした。売れているイラストレーターを見ると、どうしても嫉妬の思いが湧き上がってしまいます。

(ああ、やっぱり悔しい―)

そのたびに、「嫉妬を祝福に切り替える努力」をしました。

(こんなに成功して、スゴイなぁ)

最初はなかなか心がついていかず、”形だけ”の祝福のことも多かったのですが、それでも「祝福」の2文字を念頭に努力を続けていくと、少しずつ心が変わっていきました。

例えば、有名イラストレーターのAさんに対しては、

(絵の上手さに、本当に脱帽するなぁ。この方の後ろ姿を見ているからこそ、俺も成長できる。ありがたいな―)

また、個性的なイラストが人気で、「絵の上手さに欠ける部分は、絵を売り込む交渉力で補う」というBさんに対しては、

(知識が豊富で人間としても魅力的だから、成功しているんだな。交渉力についてはBさんを見習っていこう)

と思うようにしたのです。

さらに、制作ツールに関しては、多くの人気作家がパソコンとペイントソフトを用いて描いているので、私もチャレンジすることにしました。それまでは、

(新しい道具にかぶれやがって…)

と、やっかむ気持ちがあり、私自身はアクリル絵の具と筆で描いていたのですが、そういうこだわりも捨ててみようと思ったのです。

当時は既に40代半ばで、今からできるのかと不安もありましたが、一から使い方を学んで努力を続け、なんとか修得することができました。そして、ちょうどそのころに開催されていたイラストコンテストに応募してみると、驚いたことに第二位を受賞したのです。

(チャレンジしてみて、良かった―)

仕事が広がっていく喜び

そうした努力を続けるうちに、大手企業の広告の仕事を依頼されたり、銀座や恵比寿で個展を開催できたりと、仕事の幅が広がっていきました。さらに、大川総裁の書籍の表紙のイラストを描く機会にも恵まれたのです。
私にとって、イラストレーター冥利に尽きる大変光栄なことでした。

(主エル・カンターレや、この本を読まれる皆さまに、喜んでいただけますように―)

そんな願いを込め、今まで培ってきた経験や技術のすべてを出し切って描かせていただきました。本当に夢のような出来事でした。

その後は、海外での仕事のチャンスが巡ってきたこともありました。20年以上お世話になっている著名なグラフィックデザイナーの方から、イギリスでの展覧会の仕事のお誘いをいただいたのです。

「Mくん。今度、ロンドンのデザイン・ミュージアムでこけら落とし展を開催するんだけど、手伝ってくれない?」

私は喜んで仕事を引き受け、真心込めて絵を描かせていただきました。

以前は、人目に触れない小さな仕事をポツポツとこなすことが多かったので、活躍の場が海外にまで広がり、喜びと感謝で胸がいっぱいでした。

そのように、一歩一歩と実績を積んでいくにつれ、心にゆとりが生まれ、気がつくと他のイラストレーターに対する嫉妬心をほとんど感じなくなっていきました。自然と祝福ができるようになるまで、15年はかかったと思います。

私は、大川総裁の教えのおかげで嫉妬の苦しみから自由になり、幸せな気持ちで大好きな絵の仕事を続けられています。「祝福」の思いを持って努力することで、心も磨かれ、実力も上がっていくことを実感しました。

これまでお導きくださった主エル・カンターレや、お世話になった恩師、良い刺激をくださる同業の皆さま、仕事をくださるクライアントの方々―。皆さまへの感謝の思いを胸に、後世に遺せる素晴らしい作品を描いていきたいと思います。

月刊誌378号 2(スーパーリアリズムの手法を極め、独特な存在感を醸(かも)し出しているMさんの作品)

月刊誌378号 3(「いつも、クライアントのご期待以上の仕事ができるよう、心がけています」と、仕事に対する熱意を語るMさん)

書籍で学ぶ嫉妬を感じる相手に対して「祝福の心」を持つ

『真実への目覚め』P.116(大川隆法 著/幸福の科学出版)

嫉妬は自分の理想像の否定

本当は、表面意識下では実現を願っているにもかかわらず、目標になるべき方向にいる人に嫉妬することによって、みなさんは、その方向に進むことができなくなるのです。

なぜならば、みなさんには、嫉妬をしている対象に対して、必ず、批判をし、悪口を言い、その人の欠点を指摘するようになる傾向があるからです。

ここは大事なところです。みなさんが心に感じる嫉妬が、「本当は、この人のようになりたい」と思う人に対するものであることを、素直に認めることができたならば、嫉妬の心を抑えて、逆に祝福の心を持っていただきたいのです。

祝福の心は「肯定の心」です。「かくありたい」と願う心です。祝福の心は、「他の人の幸福を願う心」なのです。

その心を持っていれば、みなさんは、自分が祝福している人の方向に向かって、人生を歩んでいくようになるのです。

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母親が膠原病(こうげんびょう)に罹(かか)ったことを機に、冷え切っていた両親との関係を見直していったSさん。病気平癒(びょうきへいゆ)までの、心の軌跡をたどります。
Y・Sさん(神奈川県・30代・男性)
月刊「幸福の科学」376号より転載・編集

体験談原因不明の病・膠原病に侵され、絶望する母。しかし、息子の愛が奇跡を呼んだ—。

母からの突然の電話

2016年の3月。仕事中に突然、疎遠になっていた郷里の母から電話がかかってきました。母はしくしくと泣いていました。
「あのね、膠原病という病気になって…」

「膠原病?…今、仕事中だから」

母の話が要領を得ず、仕事中で忙しかったこともあり、私はすぐに電話を切ってしまいました。その後、山口の実家の近くに住む姉に電話をすると、看護師である姉は、膠原病は自分の免疫(めんえき)を攻撃する病気で、治る見込みがほとんどないことを説明してくれました。

「これから、長い闘(たたか)いになるだろうね。覚悟しないといけないかもね」

母は医師から「この病気は治ることはない」と言われ、絶望しながら関節の痛みに耐えているとのこと。

(きっと薬じゃ治らないだろうな…)

私は幸福の科学で「病気の原因は心にある」と学んでいたため、病気を根本的に治すには、母がこの教えを学んで心のあり方を変える必要があると思いました。

しかし、母に教えを伝えるのは気が重いことでした。なぜなら母は、私が信仰を持つことに猛反対していたからです。

私は大学時代に大川隆法総裁の書籍を読み、感動して信者になりました。教えを学ぶにつれ、自己中心的だった自分が謙虚になり、怒らなくなりましたし、探し求めていた生き方が見つかり、確かな幸福をつかんだのです。

そこで両親に、幸福の科学の話をすると…。

「そんなもん信じたって意味がない!」
「洗脳されてるんだ!」

父も母も激しく罵(ののし)り、聞く耳を持ってくれません。その後、同じ信仰を持つMとの結婚を決めたときにも反対されました。

(もういいや。どうせ分からんだろ)

私は両親との関係に疲れて、実家と距離を置くようになっていったのです。

「愛」を学んでいるのに…

しかし病気になったと聞いた以上、もう一度伝えてみようかと思い、電話をかけました。

「おかん、病気は治るんよ。心の力で…」
「そんなことないでしょ。あり得ない」

母は、相変わらず話を聞いてくれず、病気のつらさを訴えて泣いていました。

(だったら、話を聞いてくれればいいのに)

そんな母に、妻は見舞いの手紙を書いたり、大川総裁の書籍や幸福の科学の映画のチケットを送ったりしていました。

「お義母(かあ)さんの病気が、治るきっかけになるかもしれないから」

あれほど否定されながらも、母のためを思ってくれる妻の姿を見て、私はなんだか恥ずかしくなりました。
幸福の科学で「愛」の大切さを学んでいるのに、私は自分の親に
対して、「愛」どころか、興味も関心も薄かったのです

(そういえば俺は、昔から親と関わるのを避けてきたし、実家のことに無関心だった。お互いの仲も冷え切ってたな…)

私にとって、実家の思い出は幸福なものではありませんでした。私が幼いころから、父は、お酒が入ると母に暴言を吐き、灰皿や茶碗を投げつけていました。
母は父に反発して、2人で毎週のように大ゲンカ。さらに、家計は厳しく、両親は「お金がない」が口癖でした。

私は(なんでこんなくさった家にいなきゃいけないんだ)と怒りを感じていたのです。

(でも、Mが頑張ってくれているんだから、俺もあきらめずに伝えていかなきゃ)

私は妻と一緒に、幸福の科学の支部で、母の病気平癒を願って祈願を受けました。支部の法友(※1)の皆さんも、私の母のためにお祈りをしてくださいました。

すると、ある日思いがけないことに、母が幸福の科学の映画「天使に”アイム・ファイン”」を観たと言って電話をくれたのです。

「映画のなかで、女の人が当り散らすシーンがあったけど、私も職場で同じことをしてたよ。私も周りに感謝してなかった…」

今までの母からは、予想できない言葉でした。母が少し心を開いてくれたようで、希望が持てました。

しかし、その後も母の病状は思わしくなく、関節の痛みで歩行困難になる日もあり、薬の副作用で髪が抜け落ちていったのです。

※1:同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

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映画「天使に”アイム・ファイン”」より

膠原病を克服した二人の女性

母が膠原病になって半年が経(た)った16年の夏。私は、幸福の科学の布教誌に載っていた「信仰の力で膠原病が治った」という体験を持つお二人の方に連絡を取り、会いに行きました。20代と、50代の女性です。そして、治った経緯を伺いました。

20代の方は、暴力をふるう父を憎んでいたのですが、教えを学んで父への感謝を深めていくと、症状が快方に向かったそうです。

50代の方は、過保護な母に息苦しさを感じていましたが、研修を通して母への葛藤が解けたら、病気が治ったと話してくれました。

お二人の共通点は、病気の原因が「家族との葛藤」にあったことと、葛藤を克服できたら回復していったということでした。
それを聞いて、考えさせられました。
(家族の葛藤が原因なら、俺にも責任がある。俺が親に無関心なことが、家族の歪みになっているのかもしれない—)
私は今まで、”母を変えよう”としていましたが、まずは自分が変わらなければいけないと思い、精舎(※2)の研修で自分の心を見つめるようになりました。

※2:幸福の科学の礼拝施設。さまざまな研修や祈願を開催している。「精舎へ行こう」サイトはこちらから

研修で思い出した「母の愛」

季節が秋に変わったある日のこと。
精舎の「心の指針」研修(※3)に参加して瞑想していたとき、ふいに、子供のころの思い出がよみがえってきたのです。

保育園時代。母が毎朝、私を自転車に乗せて、急な坂道を登って送ってくれていたこと。母に料理をリクエストすると、必ず作ってくれて、それがとても美味しかったこと。

夏の夜、私が「花火をやりたい」と言うと、「お金がないけど」と言いながらも線香花火を買ってきてくれたこと。

私が中高生のころは、母は毎日5時に起きて、お弁当を作ってくれていたこと。

また、私が大学に入って一人暮らしを始めてからは、3カ月に一度、お米と手紙を送ってくれたことも思い出しました。

「元気にしていますか?ちゃんと野菜を食べてね。お金に困ったらいつでも言ってね」。

そう書かれた母の手紙が当時は煩(わずら)しく、感謝するどころか、読み捨てていたのです。

(おかん、ごめんな……)

私は、両親の不和や、家計が苦しいことだけを見て不満を抱き、母が注いでくれた愛情は当然と思って見過ごしていました。

(これからは、恩返ししていこう……)

心を改めた私は、電話やメールで母に頻繁に連絡を取り、体の具合を聞きながら、感謝の思いを伝えるように心がけました。
すると、母は次第に信仰の話にも耳を傾けてくれるようになり、送った書籍も捨てずに読んでくれるようになったのです。

「もらった本を読んだよ。病気のアドバイスが書いてあって、感謝が湧いてきたよ」

そんなふうに感想を言ってくれました。

メールのやり取りで、「私も、与える愛(※4)を実践しなければと思いました」など、教えを学んだ気づきを伝えてくれることも。

数カ月のうちに母は、泣いてばかりいたのが嘘のように明るくなっていきました。そして病気で休職中にも関わらず、「人のためになることがしたい」と、ケアマネージャーの資格を取る勉強を始めたのです。
(おかんはやっぱり「愛の人」なんだ—)

※3:本誌・月刊「幸福の科学」に掲載されている大川総裁の「心の指針」を深く学ぶ研修。
※4:見返りを求めずに心から他の人を思いやる、幸福の科学の「愛」の教えのこと。
15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

膠原病が快方に!

今年の3月の半ば。母が興奮した様子で電話をかけてきました。

「本当に奇跡が起こったんだよ!」

母が検査のために病院に行くと、今まで「絶対に治らない」と言っていた主治医が、血液検査の数値を見てこう言ったそうです。

「治ってますね。もう薬に頼る必要はありません」

母は「奇跡って本当にあるんだねえ」と大喜び。すぐに社会復帰し、仕事を始めました。
うれしいことは、それだけではありません。母の病気を機に、母に厳しかった父も優しくなりました。父も幸福の科学の書籍を読み、「これはとても役に立つよ」と、母に勧めてくれることも。さらに姉も三帰信者(※5)となり、両親を近くで支えてくれています。

私たち家族を導いてくださった主エル・カンターレに、心から感謝しています。力になってくれた法友の皆さんや、支え続けてくれた妻にも感謝でいっぱいです。
私は、主の教えで両親の愛に気づき、母の病気が劇的に良くなるという奇跡もいただきました。今後は両親に恩返ししていくとともに、世界中の方に、この「愛」の教えを伝えていきます。

※5:幸福の科学で、「仏・法・僧(ぶっぽうそう)」の三宝(さんぽう)に帰依(きえ)することを誓った信者。

書籍で学ぶ「信仰パワー」で病気を治そう

『「アイム・ファイン!」になるための7つのヒント』P.92(大川隆法 著/幸福の科学出版)

感謝の言葉を出していると病気も治ってくる

憎しみの念や怒りの念、あるいは人のせいにする念が強いタイプの人は、病気を非常につくりやすいのです。

自分が病気になるか、人を病気にさせるか、どちらかになる傾向が強く、あまり天国的とは言えないのです。

今はそういう攻撃性に満ちあふれた世の中なので、それを中和する意味においても、「ありがとう」という気持ちを持ち、笑顔と感謝の実践をすることが大事です。(中略)

早い話が、感謝の言葉を出していると病気も治ってきます。

たとえば、ある女性が病気だったとしても、自分の子供に「お母さん、ありがとう」と言われたら、治ってくるのです。

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