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経営難、障害、すべての苦難が光に変わった!【体験談】
突然の父親の死により、経営難の会社を継ぐことになったSさん。全盲の妻と幼い息子との暮らしを支えるために、苦しみながらも奔走していたSさんを救ったのは、書店で偶然手にした一冊の書籍との出合いでした。
S.Yさん(東京都)
月刊「幸福の科学」367号より転載・編集

突然訪れた転機

1989年、私が35歳のときのことです。父が営む小さな印刷会社で働いていた私は、都内の大学在学中に学んだスペイン語を学び直したくて、仕事を辞めて単身渡米。アメリカの大学に通い始めました。

留学中に、幼馴染だったIと結婚。妻は20代で緑内障の手術を受けた際に視力を失い、全盲になってしまいましたが、結婚を機にアメリカに呼び寄せ、一緒に暮らしていました。

事態が急変したのは、1991年の12月。私が東京の母に近況を聞こうと電話をしたときのことです。
「Y、お父さん、もう長くないみたい……。こっちに帰っておいで」
「えっ……?」

父が喉頭がんを患い、余命が数カ月しか残されていないことを告げられたのです。私は母の言葉に戸惑いながらも、大学を中退し、年が明けてすぐに、妻と2人で日本に帰国しました。しかし、その3カ月後、父は帰らぬ人となったのです。

(どうして、こんなに突然……) 
私は、予期せず家業を引き継ぐことになりました。しかし経営は傾き、多額の借金を抱えている状態です。さらに、そのとき妻は身重で、出産を控えていました。

(これから一体、どうすればいいんだ……)
アメリカでの幸せな生活から一転、将来の不安を抱えることになってしまったのです。

重くのしかかる現実

経営難、障害、すべての苦難が光に変わった!【体験談】

それ以来、家族を養うために奔走(ほんそう)する生活が始まりました。私は、もともと教育分野に興味があったので、印刷業の傍ら、学習塾を始めてみましたが、現実は厳しく、1年ほどで撤退することに。

子育ても大きな問題の一つでした。妻は目が不自由なため、幼い息子に十分な注意を払うことができません。

「あっ! 危ない!」
息子が歩けるようになると、部屋のなかでもよく転ぶので、気が休まりません。私は息子が怪我をしないように家具の角を削り、常に息子から目を離さないように気をつけました。また、離乳食をつくったり、息子を公園に連れて行ったりと、世話をするのに忙しく、仕事が手につかない状態が続きます。

(なんで俺だけ、こんなに大変な思いをしなきゃいけないんだろう)
イライラとした気持ちが募りました。

(なんとかこの状況から抜け出したい)
私は次第に、宗教書や思想書に心の救いを求めるようになっていったのです。

一冊の書籍との出合い

あるとき私は、近所の書店に立ち寄り、一冊の書籍を手に取りました。
「みなさんは、人生とは、人間がこの地上に生まれおちてから死ぬまでの、数十年間のことだと考えているのでしょうか」

『太陽の法』

それは、『太陽の法』という書籍でした。
「私たち人間は、はるかむかしから、永遠の生命をもって生きております。そして、何度も何度も、地上に生まれかわっては、人生修行を積んでいるのです」

(これは……)
ページをめくるほどに、何か感じるものがあり、私はその書籍を購入しました。自宅で再びひもとくと、どんどん内容に引き込まれていきます。そこには、人間は何度も生まれかわりながら魂を磨いていることや、宇宙や地球が神仏の意志によって創られたこと、そしてその成り立ちまでが明確に語られていました。

また、読み進めるうちに、人間の肉体と魂は別であり、たとえこの世で心身に障害があっても、あの世に還れば魂は健全だということを知って衝撃を受けたのです。

(この世では障害者でも、魂に障害はない……。じゃあ、Iちゃんも……)
私は人生の根本的な問いに対する答えが説かれた『太陽の法』を読んで、この教えに沿って生きていけば、いつか必ず道が拓けるのではないかと感じました。

「自らが創造した意識・魂が、どんどん進化、発展、向上して、自分をめざして成長してくるのを、仏は、かぎりなくやさしい愛情の眼でもって、見守っておられるのです」

(そうか。神仏はいつも、人間を見守ってくださっているんだ……)
『太陽の法』につづられた言葉を読むと、何とも言えない温かな気持ちが込み上げ、焦りや苛立ちで波立った心が、スーッと静まっていきました。

もっと幸福の科学の教えを学びたいと思った私は、地元の支部を訪ねて入会。すぐに支部の仲間たちと一緒に教えを弘める活動を始めました。妻にも書籍を読み聞かせ、夫婦で教えを学ぶようになったのです。

動き始めた運命の歯車

しかし、相変わらず経営は厳しいまま。なんとか生活していくために、清掃の仕事を始めました。早朝から昼ごろまで働き、帰ってきて息子の面倒を見ながら、その合間を縫って、本業の印刷の仕事をします。

早く収入を増やさなければと焦るあまり、妻にきつくあたってしまったことも……。
「Iの目が見えてれば、俺がどれだけ助かるか」
私の言葉にひどく傷ついた様子で落ち込む妻。彼女の気持ちを考える余裕もなく、決して言ってはならない言葉をぶつけた自分が許せなくなることもありました。

そんなある日。私は、大川総裁の『現代成功哲学』(※現在は『成功の法』)という書籍のなかに、次のような言葉を見つけました。
「私は、成功哲学のなかには、どうしても、『愛の思い』というものを含まざるをえないと思うのです。(中略)愛なき成功は、ほんとうの成功ではないのです」
(愛の思い……?)

また、『仕事と愛』という書籍には、こうありました。

「この世界に生きている愛の法則とは、まず、『他の人のことを考えて仕事をせよ』ということです」

それまで私は、義務感から父の会社を継ぎ、とにかく借金を返済して家族を養わなければという一心だけで働いていました。
(仕事に愛を込めるなんて考えたこともなかったな……。
愛を持って仕事をするということを考えてみよう)

それ以来、私の仕事の仕方は一変しました。
(どんな工程にすれば、できるだけコストを抑えて、良い製品を提供できるだろう)
いろいろ試して最善の方法を探しました。また、入念に確認作業を行って、必ず納期の前日までに納品し、難しい依頼にも、要望に応える方法を考え出して提案するように。

いつもお客様が喜んでくださる姿を思い浮かべながら、一つひとつの仕事を丁寧に行ううち、繰り返し依頼してくださるお得意先が増えていったのです。
信頼関係ができ、お客様のほうから、新しい取引先を紹介してくださることもありました。

すると、次第に売り上げが伸びて収入が倍増し、経営がうまく回り始めたのです。なんと、2年のうちに借金を全額返済でき、生活にゆとりさえ感じられるようになりました。
(ああ……。「愛の気持ち」がすべてだったんだ)

それまでは、自分一人で頑張っているような気でいましたが、「愛」や「感謝」について考え、仕事を通して実践していくうちに、自分がどれほど周りの人に支えられているかに気づくようになりました。

あるとき私は、妻との生活を静かに振り返りました。妻にとって、目が不自由ななかでの結婚生活はどれほど大変だったことでしょう。しかし、泣き言を言うでもなく、息子にミルクを飲ませたり、おむつを替えたり電話応対をして私の仕事を手伝ったりと、いつも一生懸命に、母として、妻として尽くしてくれていた姿が浮かんできたのです。

私は妻と結婚するとき、「自分が妻を守り、支えなければ」と思っていましたが、実際に支えられていたのは、私の方だった―。 
(Iちゃん、ありがとう……)
障害に負けずに頑張る妻に対して、心から尊敬の思いが湧き上がってきました。 

生涯現役人生を目指して

経営難、障害、すべての苦難が光に変わった!【体験談】

妻とともに幸福の科学で学んでいくうち、私は、「いつか、障害がある人を支える仕事がしたい」と思うように。その夢が叶ったのは、6年前です。家業を続けながら、精神障害者の自立支援を行うNPOで働き始めたのです。

障害を持って生きることの意味について、『心と体のほんとうの関係。』には、次のようにあります。

「生きがい、喜び、勇気、そういうものを他の人々に奮い起こさせるために、肉体的な障害を選んでいる人もいます」

障害があることは、一見不幸に見えるかもしれません。しかし本当は、自分の魂を磨いたり、他の人に勇気を与えたりできる、尊い人生を歩まれているのです。

そうした視点を持って、障害のある方に明るい言葉をかけ、心を開いて接していくと、驚くほど症状が改善することがあります。
ある失語症の方は、わずか数カ月で歌を歌えるほどに回復し、社会復帰を果たし、医師も「信じられない」と驚いていました。

私は幸福の科学の教えに出合って、仕事においても、家庭においても幸福を見いだすことができました。この幸福を、今度は世の中にお返ししたいと思っています。

そのために現在は、いくつになっても若々しく、人生を積極的に生きるための智慧が詰まった『エイジレス成功法』という書籍を励みに活動しています。このなかでは、歳を取ると、認識力や知識量、経験量は増えてくるので、何歳からでも新しい出発はできると説かれています。この教えを実践するため、思いきって、シニア向けのセミナーで講師活動をするなど、新たなことへのチャレンジを始めています。

私は、39歳で『太陽の法』に出合って以来、次々と発刊される大川総裁の書籍を読み続けてきました。そのおかげで、夫婦で手を携えながら、人生の苦難を乗り越えることができ、とても深い幸福を実感しています。
一人でも多くの方が、大川総裁の説く仏法真理に出合い、幸福な人生を歩まれることを心から願っています。

 

書籍で学ぶ常勝の原点

『常勝思考(新版)』(大川隆法 著/幸福の科学出版)第一部 常勝の原点より抜粋したメッセージ

試練から学び尽くす

自分がもし挫折のなかに置かれたり、あるいは、絶好調だったのにダウンしたりという試練の期間があったとしても、どうかそれをマイナスだと思わないでいただきたいのです。その期間にこそ、みなさんの魂は練られると同時に、人びとの心というものがわかるようになります。

「自分が、自分が」と思っていたところが、自分などいなくても、仕事が順調に動いていくのを見るに到ります。残念なことですが、世の中はそのようになっているのです。

サラリーマン社会は、誰かがいなくなっても、すぐに代わりが出てくるようになっていますし、「絶対に代わりはいない」と思われる社長でも、残念ながら、すぐに代わりが出来るのです。

すなわち、ほんとうは、自分ひとりの力で仕事をしているのではなく、多くの人たちのチームワークによって、仕事が成り立っているのです。つまり、自分が自己発揮できる前提には、他の人びとの力があるのです。それを忘れてはいけません。

したがって、この本を読んでいるさなかにおいて、挫折や逆境の真っただなかにいると思っている人がいたならば、どうか、過去の何年間、あるいは何十年間の自分の生き方を振り返ってみて、バランスを崩していなかったかどうか、また、自分の評価ばかりを考えて、他の人びとを評価することを忘れてきたのではないか、そうしたことを考えていただきたいと思います。

こうした見方ができるようになるということは、非常に大きなことなのです。人間が成長していくためのきっかけは幾つかありますが、ほんとうに底光りをしてくる人を見ると、やはり何らかの試練は通り越してきているように思います。試練を通り越して、それをみずからの力にまで仕上げた方というのは、光が出てきます。しかし、試練にただ押し流されている人というのは、どうしてもその影を引きずって、暗さが漂っているように見えます。

試練というものは、そう長く続くものではありませんから、要は、その間にどれだけのものを学べるかということが課題であって、学べるだけのものを学び尽くしてしまうということが大事だと思います。

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1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第124号より転載し、編集を加えたものです。

主人を肝臓ガンで亡くした当時、私は、4人の子どもたちを抱え、将来の不安でいっぱいでした。しかし、映画「黄金の法」をきっかけに、仏法真理と出会い、人生のほんとうの意味を知ることができたのです。(40代・女性)

出会い

23歳の時のことです。当時、私は仕事帰りに、都内にあるクッキングスクールに通っていました。いつものようにエレベーターに乗っていると、「ここの生徒さん?がんばってね」と、スーツ姿の男性が話しかけてきました。

「なんか、あたたかい感じの人だな」

Kさんと初めて会った時、私は何とも言えない親しみを感じました。彼は、その学校を経営している会社の社員で、同じビルで働いていました。ビル内で会うとニコニコ話しかけてくる彼。その後、デートに誘われ、お付き合いをするようになりました。

15歳年上の彼のことは、「Kさん」と、先輩みたいに呼んでいました。話題豊富な上に、包み込むような優しさを持っていて、私はだんだんと心ひかれていきました。
付き合い始めてしばらくした頃、彼が言いました。

「Yちゃん、実はね、自分はC型肝炎という肝臓の病気なんだ」

病名は耳にしたことがありましたが、詳しいことは知りませんでした。彼は、子どもの頃の輸血が原因でC型肝炎になったこと、肝硬変や肝臓ガンになる可能性があることを教えてくれました。

「輸血のせいなんて、ひどいじゃない」
「仕方ないよ。人より身体には気をつけないといけないけど、おかげで酒もタバコもやめられた」

明るく淡々としている彼を見て、心の広い人なんだなと思いました。やがて、彼からプロポーズ。年齢差や病気のことから、私の家族は賛成しかねていましたが、私は彼と結婚する道を選びました

肝臓ガン

結婚後、私たちは4人の子宝に恵まれました。しかも、全員男の子。心配に思われた主人の身体も、特に問題を起こすこともなく、ふつうに会社勤めを続けていました。

しかし、ある夏のこと。体調不良を感じた主人が、念のために大学病院で検査入院をすると、ガンが発覚してしまったのです。肝臓ガン—最も恐れていたことが現実となり、私は目の前が真っ暗になりました。

翌年2月、主人は実家に帰省している際に吐血をしました。静脈瘤が破裂したのです。現地の病院にそのまま入院し、余命1年と告げられました。悲嘆にくれる私に対し、主人のほうは少しも弱気になりませんでした。

「一番下の子が、20歳になるまでは、絶対に生きるからな」

そう言って、東京に戻ってから他の病院で違う治療を試みたりしました。痩せて別人のように頬がこけ、腹水のせいでお腹が張っているにも関わらず、「疲れてないか? ずっと看てなくていいから、休みなよ」などと、いつも私のことを気づかってくれました。

6月、主人は家族に見守られながら息を引き取りました。4人の子どもたち一人ひとりに声をかけ、「子どもたちのことを頼んだよ」と私に言い残して……。

観てもらいたい映画

主人の死後しばらくは、葬式などで忙しく、落ち込んでいる暇がありませんでした。しかし、やがて落ち着いてくると、まるで心に大きな穴があいたようになり、何も手につかなくなりました。

「あぁ、もうこんな時間……夕飯の準備しなくちゃ……」

ふと気がつくと、一人でボーっとしている私。主人の面影を感じるものを目にしては、泣いてばかりいました。このままじゃいけないと思い、私は、休職していた保険関係の仕事を再開することにしました。また、結婚前に鍼灸師の資格を取っていたことから、近くの鍼灸院でお手伝いを始めました。

そんなある日、「子ども会のプリントを持ってきました」と、近所に住んでいるMさんが訪ねてきました。Mさんのお子さんと、我が家の三男は同級生。何かと相談相手になってくれていました。そんなMさんから、映画に誘われました。

「実はね、Yさんに、ぜひ観てもらいたい映画があるの」

彼女が誘ってくれたのは、「黄金の法」という映画でした。映画なんて久しぶりです。気晴らしになるかと思い、私は、彼女と一緒に行く約束をしました。

止まらない涙

映画の数日前、Mさんから「急用ができて一緒に行けなくなった」という連絡がありました。申し訳ないと詫びるMさん。どうしようか迷いましたが、チケットは私の手元にあります。もったいないし、せっかくだから行ってみようかなと、私は映画館に足を運びました。

始まってしばらくすると、スクリーンいっぱいに神秘的な宇宙の映像が展開され、その美しさに圧倒されました。

「すごい!いったい、何が始まるの」

まるで子どものように、期待で胸が高鳴りました。主人公の少年少女がタイムマシンに乗って、釈迦、イエス、モーセといった過去の偉人たちの時代へと旅立つ—。手に汗握るストーリーに釘付けになるとともに、登場人物たちのセリフが心に残りました。

特に、現代の日本に仏陀が生まれていること、人間は魂の成長のために何度も生まれ変わっていることに、心を激しく揺さぶられたのです。涙がとめどなく流れました。こんなに何かに感動したことは生まれて初めてのことでした。

大川総裁のお話

その後、Mさんから電話がありました。

「映画、どうだった?」
「それがね、感動して泣きっぱなしだったの。自分でも驚いた」
「えー、ほんと!よかった!今度、大川隆法総裁のお話が聴けるんだけど、Yさんも来てみない?」
「うん、行ってみる」

あんなすごい映画をつくっている幸福の科学って、いったいどんなところなんだろう。この目で見てみたい—。そんな思いで、幸福の科学の支部に行ってみると、私が思い描いていた宗教のイメージとは違い、とても明るい雰囲気で驚きました。

「人間は霊的な存在であり、そちらのほうが本質です。人間は、長年、霊として生活しているのであり、それがほんとうの生活なのです。……新しい人間関係や物質環境の変化のなかで生きてみて、新しい経験を得て、また霊界に還ってきます」(『神秘の法』第2章「憑依の原理」より)

やさしい語り口でありながら、なぜか心に響いてくるお話でした。

「霊界って、ほんとにあるんだ。そこに還れば、主人にもまた会うことができるのかな」

その後、Mさんとは以前にも増して、家族ぐるみでお付き合いするようになりました。

「長男の就職のこととか、気になることも多くて……」

そう打ち明けると、Mさんのご主人が、長男に会って気軽に相談に乗ってくれたりしました。夫のいない私にとって、Mさん一家は頼りになる心強い存在でした。

「こんなに何でも話せる人ができるなんて。法友(同じ法を学ぶ友人)ってすばらしいな」

感謝の気持ちでいっぱいでした。

思いがけない一言

幸福の科学で学び始めるようになると、信仰を持つことによって、心に安らぎが得られていくのを感じました。

しかし、末っ子のTが小学校4年生の時です。一緒に同級生の家に遊びに行くと、思いがけないことが起きました。Tが、同級生のお父さんにぴったりくっついて離れないのです。私の目には、まるで父親に甘えているように映りました。「やっぱり、さみしいんだ」と、複雑な気持ちになりました。

さらに、自宅で戦争の不幸を描いたアニメを一緒に観ていた時のこと。

「Tくん、この時代と違って、今は食べるものがいっぱいあって、幸せだよね」
「僕は幸せじゃないよ。だって、お父さんがいないんだよ」

思いがけない一言に、私は、ショックで言葉を失ってしまいました。

今でも両親がいる私に比べ、こんなに早く片親になってしまった子どもたち。幸福の科学で、「夫婦や親子の縁は、天上界で約束して生まれてくる」と学んでいましたが、Tのさみしそうな姿を見るにつけ、私たちの子どもとして生まれてきて本当によかったのだろうかと、自信が持てなくなりました。

家族の絆が心にしみて

「精舎でじっくり心を見つめると、人生についてのヒントが得られるよ」

法友のみなさんにそう勧められて、私は総本山・正心館で開催されていた「反省の指針・十箇条」を受けてみることにしました。研修の中で、自分の過去を振り返っていくと、ふと主人と交わした会話がよみがえってきました。

「不思議だけど、Yちゃんと結婚することは、決められているような気がする。こういうのって運命というのかな」
「うん。私も、そう思うよ」

それから、その言葉通りに結婚した私たち。主人と初めて会った時に、とても懐かしい気持ちになったことが思い起こされます。お互いに、目に見えない絆で結ばれていることを感じていたんだと、主人との縁の深さを感じて、胸が熱くなりました。

さらに、4人の子宝に恵まれたことへの感謝がこみあげてきました。私はもともと身体が弱い方で、中学生の頃から、点滴や鍼灸の治療を受けながら学校に通っていたぐらいです。初めての出産で、検査のために採血した時など、貧血で倒れてしまったこともありました。

「考えてみれば、あんなに身体の弱かった私が、4人も無事出産できたなんて、奇跡だわ。よっぽど、縁のある子たちに違いない。それに、あの子たちが生まれる前、すでに主人は病気だった。それを承知で、苦労するのを覚悟で、私たち夫婦のもとに生まれてきてくれたんだ……」

子どもたち一人ひとりの顔が思い浮かび、愛しくなりました。

「みんな、お父さんとお母さんを選んで生まれてきてくれてありがとう。お母さん、がんばるからね」

懐かしい声

また、支部で「霊人直伝メッセージ公案研修」を受けた時のことです。公案にそって、静かに自分の心を見つめていくと、主人の懐かしい声が心に響いてきました。

「自分はとても幸せだった。いつも見守っているから、がんばるんだよ。ほんとうにありがとう」

入院中はげっそり痩せていましたが、元通りのふっくらした笑顔が心に浮かんできました。「Kさんなのね? また会えてよかった—」涙がこぼれました。

それからというもの、私は、子どもたちに仏法真理の話をするようになりました。特に、ご本尊(家庭用の祭壇)を拝受してからは、いつも仏の優しいまなざしを感じて、自然に信仰の話ができるようになりました。
Tの前で、御本尊に向かって拝礼してみせる私。

「Tくん、さみしい思いをさせてごめんね。でもね、お母さんたちには、“魂の親”がいるから、ほんとうはさみしくなんかないんだよ」
「それにね、お父さんも、いつもあの世から見守ってくれているんだよ」
「えっ、ほんと!お父さん、いるんだ」

うれしそうなT。
いつしか、子どもたちも御本尊に手を合わせ、お祈りするようになりました。20歳になった長男も、弟たちの父親代わりをしてくれるようになりました。Mさんのご主人の経営する不動産会社に就職した長男は、高校に合格した三男に対して、「よくがんばったな。合格おめでとう」と言って、お祝いのプレゼントを買ってあげるなど、家族を支えてくれています。以前に比べ、わが家は明るい笑顔があふれるようになりました。

苦しみを癒したい

信仰のおかげで家庭も落ち着き、私は自宅で、以前から準備していた鍼灸の仕事を始めることができました。毎日、様々な患者さんが訪れますが、そのなかには心に悩みを抱えている方がたくさんいます。治療中、ある患者さんが言いました。

「主人をガンで亡くしてから、もう、あっちこっち痛くて。なんで、私ばっかりこんな辛い思いをするんだろうね」
「実は、私の主人もガンで亡くなったんですよ。でも、私、主人があの世で見守ってくれていることを信じているんです。そうすると、また会える日まで、がんばろうって気持ちになります。死は永遠の別れではないんですよ」

真理の話をすると、その方は涙を流しながら聞いてくれました。「以前の私のように、真理を必要としている人がたくさんいる。もっと伝えたい―」。悩み苦しむ患者さんたちを、少しでも癒すことができればいいな、と思って仕事に励んでいます。

信仰は、私の人生に大きな希望をもたらしてくれました。
主人を亡くし、子供どもたちの将来に不安を感じていた私が、一本の映画との出会いによって、人生のほんとうの意味を知り、幸福への道を歩み始めることができたのです。

幸福の科学の映画には、人生を変える力が秘められています。私がそうだったように、これからも、映画をきっかけとして、人生に希望を持てる方がたくさん出られることを心から祈っています。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第122号より転載し、編集を加えたものです。

私は、自分が小さい頃に養女に出されたことを、不幸だと思っていました。しかし、幸福の科学との出会いを通して、自分自身の境遇に対する見方が全く変わり、心から感謝できるようになりました。
きょうは、私のたどった心の軌跡をお話しします。Hさん(40代・女性)

夫の浮気、離婚・・・

いまから十数年前、私は離婚しました。長年、前夫の浪費癖や夜遊びなどに悩まされてきましたが、3人の子供のためを思って、ひたすら耐えていました。

しかし、そのなかで夫の浮気が発覚。さらに長男が成長するにつれて、「おまえなんか!」と父親に反抗するようになったのを見て、「もう限界だ」と別れる覚悟を決めたのです。

私は子供たちを連れて実家に戻りました。長男は中学に入ったばかり、下の娘はまだ幼稚園でした。

愛を裏切られて・・・

前夫と出会ったのは20歳の頃。彼は遊び仲間のグループの一人でした。彼はとてもマメな人で、「体調が悪い」と言えば薬を買って車で届けてくれるし、よく高価な宝石を私にプレゼントしてくれました。スキーで捻挫したときは、毎日、会社まで車で迎えにきてくれました。

そんな彼の強烈なアプローチに押されたカタチで結婚。

ところが、塗装工をしていた夫はバブル崩壊のあおりで仕事が激減しました。極端に少ない額のお給料では足りず、私たち家族は一日1000円に満たない倹約生活でした。

彼はアルバイトもしましたが、そのお金を生活費に回してくれず、ブランド物を身につけ、夜も遊び回って帰ってこなくなりました。そして浮気—。

「こんなはずじゃなかった・・・」

幼い頃から人一倍、愛を求めていた私。実は生後すぐに養女に出されてしまい、心に寂しさを抱えていたのです。「こんなに強く私を愛してくれる人なら大丈夫だろう」という夫への期待は、見事に裏切られました。

養女と知った日

私が初めて、自分が養女だと知ったのは、小学校3、4年生ぐらいの夏だったと思います。東京の下町で育った私は、毎年夏になると、栃木にある母の田舎に遊びにいきました。

一人娘の私にとって、大勢のいとこたちと一緒に自然豊かな山や川で遊び回る日々は、とても楽しみでした。

ある日、一緒に遊んでいた3歳年下のいとこが、思い出したように言いました。

「ねぇ・・・ほんとうは、Hちゃんってさ、私のお姉ちゃんなんだって」

突然の言葉にびっくりしましたが、幼いなりにも、それがどういうことか、なんとなくのみこめました。

「いとこが私の妹・・・じゃあ、田舎のおばさんが私のお母さんってこと?」

口数の少ないおばさん。私から話しかけたりすることもあまりなく、なんだか自分の母親という実感がわきません。おじさんはすでに亡くなっていました。

私はいらない子

「私はお母さんのほんとの子供じゃないんだ。もらいっ子なんだ」

頭のなかで「もらいっ子、もらいっ子」という言葉がぐるぐる回り、ほんとうにショックでした。

ちょうどテレビでは、山口百恵が養女役のつらい境遇を演じる連続ドラマを放映していました。養女というイメージは私の心に暗い影を落としました。

「田舎は4人もきょうだいがいるのに、なんで私だけ養女に出されたの?私はいらない子だったの?」

「私はいらない子」という独り言を、何度つぶやいてきたことでしょう。

養女の事実に気づいて以来、心の底に「私は親から必要とされていなかった存在」という孤独感がありました。そんな私の心を満たしてくれるような、ほんとうに愛してくれる人を求めて、前夫と結婚したのです。

結婚前、私を追いかけ回していた彼。それを私は、自分だけに対する特別な愛情の証と信じ込んでしまったのでした。

「いらっしゃいませ」

離婚後、子供を連れて戻った私を、養父母は黙って迎えてくれました。何のあてがあるわけでもありません。

ただ、失意のなかにも、一条の希望のようなものが胸の内に宿っていました。その一条の希望—私の心の拠りどころとの出会いは、離婚の2年前、偶然とも言えるきっかけからでした。

ある日、いきつけの美容室に行ったところ、お店が閉まっていました。

「あー休業日かあ。どうしよう。また出直すのも大変だな。うちの子が待ってるし、次いつ来られるかわからないし・・・」

CLOSEDの札を眺めながら、しばらく店の前で思案していると、前に見かけた美容室をふと思い出し、そのお店に行ってみることにしました。

「—いらっしゃいませ。こちらは初めてですか?」

雰囲気のよい店内。店長さんらしき男性が迎えてくれました。初めての店だと、なかなか思うような髪型にしてもらえないことも多いので、ちょっと不安でしたが、私の要望をよく聞いてくれ、素敵にカットしてもらえました。思いきって来てみて正解です。

すっかり気に入った私はリピーターになり、店長さんとも顔なじみになりました。

けれども、これがのちのち私の人生を大きく変えていく出会いであったとは、この時点ではまだわかりませんでした。

運命のトビラを開いて

ある日、店長さんに髪を切ってもらいながら世間話をしているうちに、いつのまにか家庭の悩みを口にしていました。

「実は夫とうまくいかなくて・・・」
「そうなんですか。それは大変ですね」

店長さんは鏡ごしに心配そうな表情を向けました。

「—あ、そうだ。そういうことなら、いい本がありますよ。よかったら読んでみますか?きっと何かしら参考になることがあると思いますよ」
「えっ、本ですか?私はちょっと・・・」

子供の世話で、毎日てんてこ舞い。ぜんぜん本を読む余裕などなさそうでした。でも、美容室から出たあとも、店長さんの言葉が気になってしかたありません。

結局、それから何日かたって、やっぱり貸してもらうことにしました。本を適当にパラパラと開いてみるうち、いつのまにかひきこまれていきました。

「夫の愛情不足を嘆く人は、あちらにもこちらにもいます。・・・女性はどうやら愛情に飢えている動物であり、愛情が与えられないと、“飢え死に”をしてしまうもののようです」『「幸福になれない」症候群』第3章

自分に語りかけてこられるような感じがして、不思議なくらい早く読み終えることができました。店長さんにお礼をいって、本を返しました。

「おもしろかったですか?まだほかにもいろいろ本があるから、貸しましょうか」

こうして私は大川隆法総裁の本を読むようになったのです。

大川総裁の話のなかには、愛についての話がたくさんあり、気になります。「与える愛」とか「奪う愛」とか、まだよくわからないながらも、ここに自分の求めているものがあるような気がします。

私は未来への期待感を抱いて、幸福の科学に入信しました。

その後、離婚など、つらい出来事もありましたが、幸福の科学と出会っていたことが、そうした日々のなかで私の心の支えとなったのです。

心のなかの変化

ある日、玄関チャイムの音がしました。

「こんにちは。私、幸福の科学の者ですが・・・」

幸福の科学に入ってしばらくして、近所の信者さんが訪ねてきてくださいました。近くで集いを開いているそうです。新たな人たちとのご縁は、私にとって、とても新鮮でした。

幸福の科学の人と出会って、私のこれまでのお付き合いとは違うと思ったのは、心を開いて何でも話し合える雰囲気があることでした。

私もみなさんと一緒に集いに参加したり、支部の活動に出たりしているうちに、だんだん新しい生活のリズムができ、気持ちにも余裕が出てきました。

ある日、支部で、ある方から、「一度、これまでの人生で、自分が人に与えた愛と、人から与えられた愛を、全部書き出して比べてみるといいですよ」とすすめられました。

私は、そのやり方をヒントに、心に引っかかっていた前夫について考えてみることにしました。彼と出会った頃からの出来事をいろいろと思い出していくうち、(彼にはけっこうお世話になってたなあ)と、あらためて思いました。

そのわりには、「してもらって当然」という思いで、ぜんぜん感謝してなかった私がいました。なぜそんな態度になってしまったのかを、さらに考えていくうち、恐ろしいことに気がつきました。

「あなたが追いかけまわしたから、私は結婚してあげたのよ」

心の底に、常にそんな思いが潜んでいたことに気づき、ゾッとしました。自分が夫に愛されることばかり考え、思い通りにならなくて苦しんでいましたが、自分から夫に何かしてあげようとは思っていませんでした。

こういうのが「愛を奪っている」ということなんだと気づき、このままではいけないと思いました。

私はさらに反省していきました。もしかしたら、前夫だけではなく、他の人にも知らないうちに「奪う愛」になっていたかもしれない—。

これからは、私も愛を与えられるような人になりたいと思いました。

新しい生活のなかで

その日以来、私は他の人の幸せを意識するようになりました。でも、思いを切り替えるというのは難しいものです。

泉からあふれ出る水のように、愛を与えられる人—そんな理想のイメージにはほど遠く、「私のことをわかってほしい」という思いが先に立ってしまいます。つい人の目を気にする自分がいました。

私は幸福の科学の活動をしたり、仲間にアドバイスをもらったりしながら、少しずつ自分を変えようと努力しました。

仲間のなかでも特にお世話になっていたのが、私に幸福の科学のことを教えてくれた美容室の店長、Sさんでした。

Sさんは私に困ったことがあると、よく相談に乗ってくれました。何より、同じ信仰を持っていることで、互いに気持ちが通じ合えるのです。子供たちもSさんと親しくなりました。

私も彼の誠実な人柄にひかれるようになり、離婚から3年後、再婚することになったのです。

その後は、初めから家族だったように自然で、みんなで車に乗ってスキーに行ったり、テーマパークで楽しんだり、温泉を巡ったり・・・わが家のアルバムに楽しい思い出が追加されるたびに、私は「幸福の科学に出会ってから、ほんとうに幸せなことが増えたなあ」という実感をかみしめました。

また、可能なかぎり幸福の科学の精舎研修にも、主人と2人で参加していきました。

前夫への反省を通してはっきりしてきたのは、私の「愛されたい」欲求は根深く、それはやはり養女という生い立ちからきているということでした。

自分の過去をしっかり見つめたい—。私は、精舎で開催されていた「両親に対する反省と感謝」研修を受けにいくことにしました。

父母の本心

養女と知った当時、私は子供心に「聞いてはいけないんだ」という気持ちがして一人で抱え込んでしまいました。それが自分の正直な気持ちにフタをしてしまった最初だったと思います。

以来、私も親類も正面からその話題を出さないながらも、話の端々にチラチラにおわせることで、いつしか暗黙の了解のようになっていったのです。こうして親類のような親きょうだいのような、微妙な感じが続いていました。

でも、私の心の影は置き去りにされたまま・・・。

研修中、「大悲(だいひ)父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」を唱え、心を鎮めて瞑想していると、突然、心のなかにある光景が浮かんできました。田舎の家の広い座敷に寝かされている赤ちゃん—それは私でした。実の両親が私をのぞき込んでいます。

両親は顔を見合わせて、ため息をつきました。しだいに私を渡す日が近づき、どんどん無言になっていく両親。もうしばらくすると娘を手放さなければならない・・・。

寂しく悲しい気持ちになっている2人の心の内が、手にとるように感じられます。

「私のこと、いらなかったんじゃなくて、あげたくなかったんだ」

私は涙があふれ出し、嗚咽が止まらなくなりました。以前、上の姉が何気なく言っていた話の断片を急に思い出しました。

「父ちゃん、Hをあげたあと、心配でそっと東京まで見にいったんだよ。そしたらKおばさんが、Hを背負って鼻歌うたいながらおむつを洗濯していたから、安心したって」
「でもね、Hをあげたあと、父ちゃんと母ちゃんは寂しくて悲しくて、結局もう一人産んだんだよ。生まれた妹を抱いてね、『かわいかんべぇ。東京に行ったHに似てるべ』って、近所を歩いて回ってたんだよ」

早くに亡くなってしまった実父。写真でしか知らない人が、まぎれもなく私の父親であるということが、このとき初めて実感として迫ってきました。

そして実母。4人目の私を妊娠したとき、農家の嫁として朝から晩まで働きづめだっただけに、ずいぶん悩んだようです。

ある日、畑から戻った母は慌てました。高い縁側のふちで、3歳児だった長女が生まれて間もない次女を必死でつかんでいたのです。一人で床を這い出した次女が落ちかかっていたそうです。

「仕事が忙しくて、子供たちの面倒もろくにみてやれない。こんな状態で産んでもかわいそうだ。・・・いっそ子供のいない妹夫婦に預けたほうが、ずっと大切にしてくれるんじゃないか」

私を養女に出したのは、苦悩の末の決断でした。

田舎に行くと、いつも田や畑に出ていた実母。野良仕事から帰ってくると、「来たかぁ。ほら、とうもろこし茹でたぞ。食べろ」とすすめてくれました。

無口で、いつもニコニコ微笑んでいる人。親子の会話は少なかったけれど、やりとりの一つ一つがあたたかい・・・。あの母が苦しんで苦しんで、ほんとうに私のためを思って養女に出した気持ちを思うと、泣けてしかたありませんでした。

そして考えてみると、養父母も優しい人で、私を大切に育ててくれました。小さい頃、私の洋服は全部、養母のお手製でした。大好きだったキリンや馬のぬいぐるみまで作ってくれていたのです。

私は気づきました。「私は恵まれていた! 私には母が2人もいて、他の人より2倍も愛されていた」—そう思ったとき、長年ひきずっていた心のなかの影は消え、あたたかい気持ちで満たされたのです。

研修のなかで、私は実母に手紙を書きました。「お母さん」と呼ぶのは初めてです。

「お母さん、私を宿し、10カ月大切に育て、無事産んでくれてありがとう。私の幸福を願い、信じ、東京に養女に出してくれてありがとう。お母さんが私の幸せを心から願いつづけてくださったお蔭様で、今の私があります。心から感謝しています。ありがとう。—あなたの娘・Hより」

実母は80歳。帰省時には、いとおしむように2人のときを過ごしています。またこの体験を通じて、私を慈しんで育ててくれた養父母への感謝もいっそう深まりました。

魂の絆をかみしめて

再婚後、わが家はもう1人、男の子に恵まれ、4人の子供になりました。その子もいま、小学校2年生。明るく活発で、わが家のアイドル的存在です。

ほかの子供たちも主人とほんとうの親子のように暮らしているのを見ると、血の繋がりを超えた深い絆を感じるのです。

幸福の科学では、親子の魂は天上界で約束して生まれ合わせてくると学んでいます。肉体的な血縁があってもなくても、確かに魂の深い縁で結ばれている人たちがいるのだと実感しています。

最後に、幸福の科学と出会えた幸福に対し、天上界に心から感謝申し上げます。

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「お腹が痛い」

私には、E(中2)、K(小5)、R(小3)の3人の娘がいます。

Eが小学3年生のときのことです。3学期が始まって間もなく、学校の先生から電話がかかってきました。

「お母さんですか?Eちゃんがお腹が痛いと言って保健室で寝ていますので、迎えにきてもらえませんか」

Eは前日、風邪をひいて学校を休んでいました。しかし、たいしたことはないと、その日は登校させていたのです。

翌日も「お腹が痛い」と言うE。学校を休ませ、病院に連れていきました。診察の結果は、少し便秘ぎみなだけで、特に変調は見られないとのことでした。

―しかし、それから毎日、腹痛を訴えるようになったのです。

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翌月半ば、私は子どもたちと一緒に宇都宮市にある幸福の科学の総本山・未来館に行きました。そこで私は、講師にEのことを相談しました。

私の話をじっと聞いてくださっていた講師は、近くで友だちと遊んでいるEをしばらく見つめた後、こんなふうにアドバイスをしてくれました。

「もしかしたら、親の愛情不足を感じているのかもしれませんね。できればスキンシップを心がけてあげてください。まずお母さんがいつも明るく、家の中の太陽になることが大事ですよ」

実は、私には思い当たることがありました。

Eが幼稚園生の頃に次女が、その翌年には三女が生まれ、育児に追われていた私は、長女に「あなたはお姉ちゃんだから」と言って、あまり時間をかけて子育てしてこなかったのです。
その反省を込めて、私はEの「いいところ発見ノート」を付けることを決め、さらに意識して声をかけるように努めました。

「お母さん、どこにも行かないで」

春休みに入ると、Eも少しずつ「お腹が痛い」と言う日が減り、体調も安定してきたように見えました。

Eが4年生に上がった新学期、同時に次女が小学校に入学、三女も幼稚園に入園することになりました。そして、5月に入ったある日のこと。三女の運動会の打ち合わせを終え、帰宅すると、すぐに電話が鳴りました。

Eの担任の先生からでした。

「Eちゃんが、お腹が痛くて寝ているので、迎えにきてもらえませんか」

(―え?また、始まったの?)

私は、とてもやるせない気持ちを抱えたまま、Eを迎えに行きました。そのまま、一緒に家に戻り、Eを寝かしつけているときです。

「お母さん、しんどいよう・・・。ここにいて、どこにも行かないで」と、元気のない声でポツンと言ったのです。

「E・・・」

(この子、すごく寂しかったんだ―)私には、そんなEの気持ちが伝わってきたように感じました。

私と同じ苦しみ

私と同じ苦しみ【子育て体験談】

翌日の朝、子どもたちを学校に送り出した後、一人でお祈りをしていたときのことです。私は、Eについて考えていました。

(Eは頑張り屋だから、周りの期待に応えようと一生懸命。でも、何でもできるわけじゃないし、期待に応えきれないギャップに苦しんでいるのかもしれない。それが体の不調として現われているのかな・・・)そんなことを考えたときです。

(あっ、この苦しみって、私と同じだ!)と、思えたのです。

私自身、妻や母親、仕事、幼稚園の役員など、いろいろな役割を期待され、それに応えきれない苦しさをいつも感じていました。

(私は、そんな自分を受け入れて欲しいと思っている。きっとEも同じ気持ちだよね)

そう考えた私は、Eに宛てた手紙を、その晩、Eに読んであげることにしました。

「Eは小さいときからしっかりしていたから、お母さんも期待しちゃって。Eは『しんどいよー』って思っても、言わないで頑張ってきましたね。お母さん、Eの気持ちが分かっていなかったことに気づきました。しんどいときはしんどいって言ってね・・・」

それから、主人や学校の先生とも相談して、私はEとの交換日記をつけることにしました。

5月○日 お母さんより

「E、元気ですか? 今日はあまりお話ができなくて、ごめんね。ノートに書くと、口でうまく言えないことも正直に言えていいね。E
も思ったことを何でも書いてね・・・」

E

「席がえをしたよ。となりがいなくて、ちょっとさびしいな・・・」
P.S:「知らない漢字には、ふりがなをふってね」

普段、なかなか言ってあげられないことも日記だと書くことができました。この交換日記によって、親子の絆が深まっていくような気がしました。

家の中で太陽になる

その後、私は、以前、講師に言われたように「家の中の太陽」を目指そうと思い、「家庭を安らぎの場にする」という誓いを立てました。掃除にも気を使い、レシピ本を何冊か購入して、子どもたちが喜ぶような新たな料理にもチャレンジしました。

「お料理おいしいね!」と、子どもたちにも好評でした。

大川隆法総裁の書籍『奇跡の法』の中には、「悲観的な想念に負けそうになったときには、それに負けないだけの肯定的な想念を自家発電しなければいけません」と書かれています。

私は家事と仕事で体が疲れてしまい、弱音を言いたくなるときには、(うまくできなくても、これを題材に成長していこう。頑張ろう!)と、自分に言い聞かせながら、努力を続けていきました。

すると、Eの表情はどんどん明るくなり、口癖のように言っていた「お腹が痛い」という言葉も減っていきました。

そして、一年が過ぎ、なんと5年生のときはほとんど休まず、6年生になってからは一日も休まずに登校できました。現在は、毎日元気に中学校に通っています。

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