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19 October

アルコール依存症、幻聴から人生立て直すことができた【幸福の科学 信仰体験】

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第129号より転載し、編集を加えたものです。

アルコール依存症

「Tくん・・・君、アル中やで」

今から10年以上前のことです。ある日、職場の同僚がしんみりとした口調で忠告してくれました。

そう言われたものの、「別に朝からカップ酒をあおっているわけでもないし、そんなはずないだろう」と思っていました。

しかし、夜な夜なスナックに行ってはボトル2本を空けていた自分。間もなく「アルコール依存症」の疑いで入院し、結婚したばかりの妻にも離婚されてしまいました。

夜、真っ暗な病院のベッドの上で、僕はひとり後悔の涙を流しました。

ひと夏の恋

僕が酒におぼれはじめたのは、専門学校1年のときの失恋がきっかけでした。

相手は、夏休みに大阪から兵庫に帰郷した際、スーパーのバイト先で出会った可愛らしい女性。僕と同い年で、向こうから声をかけてきたのが始まりです。明るくて積極的な子でした。

楽しかった夏休みはあっという間に過ぎ、僕が大阪の専門学校に戻るとき、彼女は「また手紙を書くね」と言いました。

それから何度か手紙のやりとりをしましたが、2カ月が過ぎたころ、急にパッタリと連絡が途絶えてしまいました。

気をもんだ僕は、直接、彼女の職場まで行ってみました。

「—やあ、久しぶりやな」

僕が声をかけると、彼女は一瞬びっくりして、目をそらしました。

「ちょっと・・・今日は帰らなあかんねん」

すると、突然そこに知らない男が近づいてきて、いきなり僕に見せつけるようにラブシーン・・・。あまりのショックに声も出ませんでした。

彼女は僕が大阪に戻ってすぐ、別の男をつくっていたのです。それからというもの、失恋がすっかりトラウマになってしまいました。「もう彼女なんか作らん」と、恋愛から遠ざかって勉強に専念しようと自分に言い聞かせました。

医療系の専門学校で、3年間がんばって国家試験に通れば、臨床検査技師の資格がとれるはずでした。

学校の女の子から交際を申し込まれたことも何度かありますが、いつも僕は「ハハハ・・・」と笑ってごまかすばかり。新しく好きな女の子もできました。でも、傷つくのが怖くて、友達以上の関係になるのを意識的に避けていました。

「もう誰とも付き合わない」と言い聞かせる自分と、異性を求めてしまう自分。二つの心が激しく葛藤していました。

夕方、下宿で独りっきりになると、気持ちが沈んできます。ふらりと近くの酒屋に足が向き、いちばん安いハイニッカ2級とセブンスター1箱を買うのでした。三畳一間の部屋にこもると、ヘッドホンでローリング・ストーンズを聴きながら、タバコを吸っては黙々と酒を飲みます。おつまみなどありません。

女の子のことを忘れたくて飲んでいるのに、酔っ払ってくると、決まって好きな子のことを悶々と考えていました。

次第に酒量が増え、勉強に身が入らなくなってしまった僕は、2年生を2回留年し、退学になってしまいました。

「また仕事やめたんか!」

失意の帰郷—。しばらくは何もする気が起きず、ボーッと1カ月過ごしました。

「そろそろ、なんか仕事でも見つけないと・・・。とりあえず車の免許とろう」

自分から教習所に通い、職安にも行きました。そうして見つけた初めての仕事は、養殖魚のエサに添加するビタミン剤を製造する会社でした。

初めての社会人生活。けれども、毎日働いていても、これを一生続けていくのかと思うとピンきません。人間関係も表面的で、仕事を離れたお付き合いもありません。結局、1年でやめてしまいました。

僕はすぐに職安で別の仕事を見つけました。今度はスーツの縫製会社です。僕は内職先に車で材料を配送する係で、前より人間関係もよく、毎日の仕事にとりたてて不満はありませんでした。

でも、あちこち車を走らせながら思うことは、「理数系が得意だったし、なにか化学方面の仕事をやってみたい。もう一度勉強しなおそうか」ということです。

1年後、大阪の専門学校を受験し、合格。仕事を辞め、下宿先まで決めました。

ところが、実際に下宿先に行くと、ガチャガチャとやかましく、とても勉強に集中できそうな環境ではありません。急に強い不安がこみあげました。

「これじゃ昔の二の舞になる・・・もうあんなの二度といやや!」

意欲が萎えてしまった僕は、入学を取り消し、実家に帰ってきてしまいました。

それからは、ありとあらゆる仕事を転々としました。工場の流れ作業、スーパーの裏方、営業職、病院の事務、水質分析、浄化槽の清掃汲み取り・・・僕もまだ若かったですし、好景気の時代でしたので、行けば雇ってもらえます。でも、どこも長続きせず、半年続けばいいほうでした。

「また仕事やめたんか!」と、いつも親にうるさく怒られます。しかたなく次の仕事につきますが、どこに行っても腰を落ち着ける気にはなれません。

「収入さえ得られれば、仕事なんてなんでもいい。いつか物書きにでもなりたい」。そうはいっても、実際にコツコツ作品を書きためるわけでもありません。

相変わらず酒ばかり飲んで、たまに気が向けば文学賞に応募するといった具合でした。専門学校を退学になってからの毎日は、いきあたりばったりで過ぎていきました。

新婚生活もつかの間・・・

「おまえもそろそろ身を固めたらどうや」

相変わらず、すぐに仕事をやめてしまう僕を両親は心配し、20代後半になると何度もお見合いさせました。

ちょうど30歳のときのお見合いは、いつになく両親の気合が入っていました。僕が相手の女性と向かい合っている隣のテーブルでは、両親同士がもう結婚式の話をしているのです。

(この子と結婚することになるんかな)

僕としても別に嫌いなタイプではなかったし、お見合いからわずか3カ月後には結婚式を挙げていました。そして、ほどなく妻は妊娠。新しい生活は順調にスタートしたかに見えました。

ところが—。出産のために里帰りした妻は、そのまま二度と帰ってきませんでした。

「あの子が『離婚したい』と言っています」

妻の母親から言われました。わずか1年の結婚生活でした。

離婚の原因は、やはり酒でした。

妊娠中、僕は妻に優しい言葉も何ひとつかけず、いつもほったらかしで飲みにいきました。スナックでは、毎回ボトル2本は空けました。酔うと、とにかくだらしなくて、いつも意識がなくなるまで酔いつぶれ、朝帰りもしばしばでした。

そして妻が里帰り中のある日、僕は急に体も気持ちもしんどくなり、二日酔いのまま退職届を提出・・・。身重の妻が今後の生活に強い不安を抱いたとしても無理はありません。

「えらいことやってしまった・・・」

間もなくアルコール依存症の疑いで検査入院することになった僕は、ベッドで後悔の涙を流しましたが、いまさら手遅れでした。

姿の見えない不気味な声

幸い依存症のほうはまだ軽度だったようで、入院後は禁断症状が出ることもなく、酒からは自然に離れていきました。ところが、アルコールよりもっと深刻な問題が起きました。退院を境に、突然、変な声が聞こえはじめたのです。

姿は見えませんが、部屋の窓の外のあたりで女の人が3~4人集まり、離婚の噂話とか下品なことを話しているのです。

(やめてくれ! なんなんや、いったい)

テレビを観ても、車のラジオをつけても、道で人とすれ違っても、コンビニの店員も客も、みんな僕を指さして悪口を言っているような気がしました。

幻聴は目が覚めると同時に始まり、1日中ひっきりなしに続きます。頭が変になりそうでした。

病院で神経薬をもらっても、全然効きません。でも、薬を飲むと、やたらとお腹が空いて、すぐに眠くなってしまいます。体重はどんどん増え、動くのもめんどうになり、疲れやすくなりました。

もうまともに働くこともできません。正社員になるのをあきらめ、3時間程度のバイトを探しますが、どこに行っても聞こえてくる幻聴に耐えられず、勤めてはすぐに辞め・・・をくり返しました。

こんな僕の状態を、両親はまったく理解できません。

「おまえ、なぜ働かんのか。普通にしゃべって、メシ食って、車も乗れるやないか」

(こんなん、どう言ったって理解できへんやろ。話してもムダや・・・)

説明する気力もなく、両親に責められても、ただ貝のように黙っていました。

どん底で出会った言葉

2年、3年とたつうち、ほとんど仕事をすることもできなくなり、家にこもって臥せるようになりました。朝起きてから眠るまで聞こえる声。みんなが僕の悪口を言っているようで、恐怖心で誰も信じられなくなりました。自殺をしかけたことも何度かあります。

「もう限界や。どうしたらええんや・・・」

幻聴に対抗するすべもわからず、気力も体力も尽きかけていました。

ある日、僕はフトンにあお向けになり、大川隆法総裁の本を読んでいました。何年か前から、ときどき本屋で買っていたのです。

ボーッとした頭で『太陽の法』のページをめくっていると、

—我を信じ、集い来よ—

という言葉が目に飛び込んできました。

ハッとしました。

まるで今の自分に向かって呼びかけられているように感じられたからです。

何も信じられず怯えていた自分の心に、「こちらに来なさい」という言葉が優しく響き、わけもなく涙が流れてきました。

(この方の言葉を信じたい。この言葉を信じて、素直についていってみよう)

僕は思いきって、本の巻末に載っていた幸福の科学の電話にかけてみました。そこで地域の支部を教えていただきました。3日後に支部を訪ね、入会をしました。

僕のために泣いてくれた

僕は毎日、すがるような思いで、幸福の科学の経文『仏説・正心法語』や『祈願文』を読みました。

しばらくして、自宅の近くに幸福の科学の拠点が開設されました。僕が拠点を訪ねると、黙々と仕事をしていた女性が手を休め、快く迎えてくださいました。拠点長のKさんです。

はじめ僕はあまりうまくしゃべれませんでした。Kさんも戸惑ったと思います。

「僕、実はアル中で、なんか変な声が聞こえて・・・ほとんど寝たきりなんです」

自分の状態を少しずつ話していくうち、Kさんは涙を流されました。僕のために泣いてくださる方がいる・・・そのことに胸が熱くなりました。僕も泣いてしまいました。

「Tさん、これから、どんどん幸福になっていきましょうね」

「はい、よろしくお願いします」

拠点に行くと、Kさんはいつも懇切丁寧にアドバイスしてくださいました。

「少しずつでもいいですから、仏のお役に立てるようになりましょう」

「僕も何かお手伝いさせていただきます」

それから、週に1~2度、体調のいい日に、拠点で軽いボランティアをさせていただくようになりました。買い物を頼まれたり、布教誌の仕分けや拠点のスタンプを押したりしました。といっても、まだ寝たり起きたりの毎日でしたので、最初はほんの1時間お手伝いをしただけで疲れてしまい、その場で横にならせてもらったりしました。

家に帰ってきたら、お祈りをし、真理の書籍を読み、過去の反省をしました。

また、精舎に行き「両親に対する反省と感謝」研修なども受けました。両親や妹たちに迷惑をかけせたこと。妻に対して思いやりがなかったこと・・・。研修で教わったとおりに、人生を5年ごとに区切って振り返っていきました。

必死に取り組むうち、徐々に体調も上向きになり、拠点に行ける回数も、ボランティアの時間も増えました。活動によって、僕の心に張りが生まれました。

幸福の科学の仲間に励まされ・・・

幸福の科学のみなさんは明るくいい人たちで、僕は拠点にいるときがいちばん楽しい時間でした。しかし、幻聴はやみません。

「拠点の人たちが自分の悪口言っているんやないか」という思いに執われてしかたないこともあります。

そんなときは自分に言い聞かせます。「いや、ほんまは違うんや。こんないい人たちが悪口言うはずないんや。大川先生も、他人は自分が思っているほど気にしていないものだと言われてる」。

アルコールを飲みすぎると悪霊に憑依されやすくなることも学びました。

苦しいときには『幸福への道標』という本が心の支えになりました。「自分も仏の子であり、ダイヤモンドのように輝く仏性が宿っているんだ。それを磨いていけばいいんだ」と、何度も何度も自分を励ましました。

「Tさん、3冊でも5冊でも、布教誌を地域の方にお届けしていきましょう」

Kさんと布教誌の配布も始めました。

日々、着実に心身の調子が回復しつつあるのを感じました。さらに、同じ拠点の方から「Tくん、これ聴きいな」と、大川隆法総裁の法話のテープを勧められました。

それまでは幻聴のせいでよく眠れなかったのですが、法話を寝る前に聴くと、気持ちも楽になって、すごくよく眠れるのです。ほとんど毎晩のように聴きました。

何かが耳から抜けた

数年前からは、食料品の行商をしている両親に「僕も仕事を手伝わせてください」とお願いしました。朝早く起きて市場に仕入れに行ったり、車に品物を積んで家を回ったりしはじめました。

しばらくして、幸福の科学に興味を持った妹が入信。半年後、両親も入信してくれました。家庭で信仰の話が自然と出てくるようになりました。

そして、就寝前に大川隆法総裁の法話テープを聴くようになってから2年あまりが過ぎたある日のこと。

いつものようにテープをかけて目をつぶっていると、コーラの栓を抜くみたいに、右の耳の穴から何かがスポーンと抜ける音がしました。その3日後に、左の耳からも抜けました。

その日を境に、長い間苦しんだ幻聴とも完全に訣別することができたのです。

幸福の科学でよかった

いまは拠点での活動を中心に、同じ信仰を持った仲間たちと充実した毎日を送っています。両親もあちこちの精舎を巡るようになりました。精舎から帰ってくると、いつも晴れやかな顔をしています。

先日、父がしみじみとつぶやきました。「うちは幸福の科学でよかったな」と。

僕も心からそう思います。幸福の科学は、人生の希望と、たくさんの人と支え合って生きる喜びを与えてくれました。

大川隆法総裁、そして父と母、妹、拠点のみなさん、僕を根気強く導いてくださり、ほんとうにありがとうございました。僕はまだまだこれからですが、今後の人生を本番と思って、いっそう前向きに生きてまいります。

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