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18 March

正しい供養、まちがった供養【霊的世界のほんとうの話】

Q.どんな供養が間違った供養ですか?

A.子孫の側が自分たちの不幸を「先祖のせい」にして行う供養は間違いです。

子孫を苦しめようとする先祖はいない

世の中にある先祖供養のなかには、病気や怪我、事業の失敗や受験の失敗など、家庭内で起きる不幸の原因をすべて先祖のせいにして、「迷っている先祖の供養さえすれば、幸福になれる」という言い方をするところがありますが、これは間違いです。なかには、本当に浮かばれずに迷っている先祖がいる場合もありますが、その場合でも、積極的に子孫を害してやろうと思っている先祖は、基本的にはいないのです。
本当の意味で先祖を供養し、彼らが浮かばれるようにするためには、遺された子孫が、常に先祖に対する感謝の念を持つとともに、人間としての正しい生き方、光に満ちた生き方をすることが必要です。これが先祖供養の前提です。彼らは人間としての正しい生き方が分からずに、自分が間違った理由、自分が今苦しんでいる理由が分からないので、先祖供養においては、それを教えてあげることが大事です。

迷っている先祖と子孫の心が同通すると「先祖の霊が障(さわ)っている」状態になる

正しい供養、まちがった供養【霊的世界のほんとうの話】

「先祖を供養したい」という子孫の念が、愛念として実る場合はよいのですが、子孫が欲得の心で先祖供養をすると、先祖が、あの世で悪霊となり、迷っているような場合は、両者の心が完全に通じてしまうのです。
たとえば、この世に生きている人が、誰かを強く恨んだり憎んだりする気持ちを持っているとします。その場合、あの世の地獄界に堕ち、人を恨んだり憎んだり怒ったりしている先祖がいれば、両者の波長が通じてしまいます。そうすると、子孫がその思いを持ち続けるかぎり、先祖は、いつまででも憑依することができ、憑依された人の運命を悪くしていきます。その人を病気にしたり、事業を成功させなかったり、間違った判断をさせたりできるのです。そういう意味では、「先祖が迷っていて、子孫を苦しませる」という現象が、あることはあります。しかし、その場合であっても、「まず子孫の側が自分自身の心を正すことが大事である」と言っておきたいのです。

迷っている先祖は御札や戒名などで救われるわけではない

これは、たとえて言えば、父親が多大な借金を背負っていて、また息子は息子でまったく別に同じような借金を背負っているのに、息子が父親の借金を返すことができないのと同じです。もし、事業に成功するなりして、息子が大きなお金を持っている場合には、父親の借金を返すことができるでしょう。これが先祖と子孫の関係であるわけです。「先祖が浮かばれていない」、「地獄で苦しんでいる」ということは、“借金”を背負っているのと一緒で、精神的な借金、この世で生きたときの借金を背負っているわけです。その借金を払うために、子孫がそれを供養し、先祖を成仏させようとするときに、子孫が悪霊に憑かれるような目茶苦茶な生活をしていた場合には、子孫もまた負債を負っているわけです。借金を持っている者が、借金を持つ人の借金を、代わりに返すことはできないのです。豊かであればこそ、他人の借金を払うことができるのです。
この「豊かである」ということは何かと言うと、「今世において徳を積んでいる」ということなのです。それは、仏法真理に基づいて日々修行をしているということです。光の徳を積んでいること。光を蓄積していること。天の蔵に富を積んでいること。それがあってこそ、苦しんでいる人に対して、その光を手向けることができるのです。ですから、御札や護摩木で先祖が救われるわけではなく、生きている子孫たち、縁のある人たちが、日々、徳を積むことが大事なのです。

正しい宗教かどうかの見分け方は、「反省」と「自己責任」を教えるかどうか

愛と慈悲の心で先祖を供養したいという気持ちがみなさんにあること自体は、非常によいことなのですけれども、ただ、先祖が迷っているのは、決して子孫の責任ではないのです。これは原則ですから、よく知っておいてください。
地獄に堕ちたのは、やはり、本人の生き方に問題があったのです。思いと行いに問題があって、地獄に堕ちているのです。この大前提は知っておいてください。そうしないと、みなさんが一生懸命供養をしていても、先祖のほうは「自分が悪い」とは絶対に思わない人が多いのです。子孫のせいにしてきます。「立派な墓を建てないから、俺はこんなに苦しいのだ」「仏壇が安物だから、こんなに苦しいのだ」「位牌が悪い」「戒名をつけなかった」とか、いろいろなことを言うわけですが、これは言いがかりというものであって、そういうものによって救われることは、まったくありません。
「生きていたときの思いと行いに基づいて、天国・地獄が分かれるのであり、あなたが地獄に堕ちているのは、やはり、それだけの責任があったからですよ」ということを教えてあげることです。正しい宗教かどうかの見分け方は、生きている人、現実に修行をしている人に、反省をキチッと教えるかどうか、自己責任のところをキチッと教えるかどうか、というところにかかっています。

参考文献:『正しい供養 まちがった供養』