Archive for the ‘自殺・鬱(ウツ)’ Category

やり直せない人生などない

209

バブル崩壊後の不況のさなかに職を失って人生が暗転し、一度は自殺を試みたAさん。その後、幸福の科学との出会いをきっかけに立ち直り、現在は「恩返し」の人生を歩んでいます。人生の逆境から立ち直れた要因は何だったのか。その足取りをたどります。
(Y.Aさん/東京都/男性/「ザ・伝道」第209号より転載・編集)
※こちらの記事は、映画「心に寄り添う。」に関連する体験談です。

体験談どん底で出会った「人生の師」

暗い海に向かって

CL[209]01_入水

ある1月の夕暮れ。私は、熱海の海岸に座り込み、缶ビールを片手に、一人、沈みゆく太陽を眺めていました。夜になり、周囲に人気がなくなると、暗い海に向かってゆっくりと歩みを進めていきました。
(もう、いいや。少し疲れた……)
冬の海の冷たさが身体を刺すように感じられましたが、歩みは止まらず、いつしか海水は膝の高さに達していました。

転落の始まり

「君なら独身だし、まだ若いし、どこに行っても大丈夫だから」
勤続11年目の夏、勤めていた鉄道用計器メーカーの上司が、突然そう切り出してきました。私は、即座にはその意味を理解できず、何度か真意を問いただすと、上司は「リストラの対象になったんだよ」と告げました。原因は、仕事への姿勢にあったようでした。私は自分の仕事を急いで終わらせては、幼少期から入れあげていた地域のお祭りの運営のため、会社をたびたび休んでいました。「自分の仕事はやっているから、文句はないはずだ」と思っていましたが、そんな姿勢は、バブル崩壊後に業績が低迷していた会社からは、苦々しく思われていたようでした。また、就職後に覚えたパチンコにのめり込んで借金を重ね、月末になると金策で頭が一杯になっていたことも、仕事への集中力を削いでいたのかもしれません。いずれにせよ、ショックのあまり、家族にはしばらく切り出すことができませんでした。

日々すり減る自分の「価値」

リストラの件はやがて家族の知るところとなり、私も次の職を探し始めました。とはいえ不況の折、仕事は見つかりません。見かねた父が自分の勤める工務店に口を利いてくれ、私はそこで働くことになりました。しかし約3年後、作業中の事故でヘルニアを患い、その職場からも離れることに。再び職安通いの日々が始まり、そのうちに中学校時代の先輩が経営する警備会社に転がり込みました。しかし、仕事は少なく、ほどなくして給料が遅配気味になりました。ときおり配置される工事現場の警備では、歩行者や工事関係者から罵声を浴びせかけられたり、タバコや空き缶を投げつけられたりします。やすりにかけられているかのように、自分の「価値」がすり減っていく毎日。みじめな気持ちを紛らわすかのように、パチンコ通いの頻度が増え、借金も500万円近くまで膨らんでいました。その年の暮れ、人手不足だった同業他社への転職話が来たことと、給料の支払いが完全に止まってアパートから追い出され、実家に戻ったことを契機に、逃げるようにその会社を辞めました。

「このまま行けば、楽になれる」

戻った実家で目にしたのは、共にガンを患って入退院を繰り返して衰弱し、経済的にも困窮する両親の姿でした。次第に私は、「自分がいなくなれば、せめて親の家計だけでも楽になるかもしれない」という考えに心をとらわれるようになりました。そして、1月。私は、誰にも告げずに家を抜け出してフラリと電車に乗り込み、熱海の海に歩みを進めたのです。
(このまま行けば、楽になれる……)
しかし、不意に、生まれたばかりの甥や姪の顔が浮かんだことで我に返り、とたんに震えが来た身体をさすりながら海岸まで戻りました。岸に上がると、目の前に旅館の公用車が止まっていました。鍵は付いたままで、施錠もされていません。
(温まるために、ちょっと失敬しよう)
ドアを開けてエンジンをかけてエアコンをつけ、あてどなく東に向かって走り出しました。しかし、ガソリンはすぐに底をつき、立ち往生。車を捨てて歩き、東京の町田という街の駅前に着いたときでした。海水に浸かった状態から数日を経て異臭を放ち、服装もボロボロだった私に、あわれみの視線が注がれます。
(お願いだから、そんな目で見ないでくれ……。もう無理だ!)
私は、近くにある交番に飛び込んで自首。窃盗の罪で逮捕され、留置所に入ることになったのです。

どん底で芽生えた決意

CL[209]02_留置所

(なぜ俺は、石ころみたいな扱いを受けなきゃいけなくなった? 一体どこで道を間違えた? そもそも、あのリストラさえなければ……)
暗く冷たい留置所で、私は自問しました。当時の私にとって、世間とはあまりに冷たく無慈悲なもののように感じられていました。「どうせ仕事もクビに決まっているし、親からも勘当されるに違いない」と捨て鉢な気持ちを抱えながら、2カ月後の昼下がり、私は刑期を終え、「塀の外」に出てきました。すると――。春の日差しの下、病気で弱っているはずの両親が立っていたのです。
「ま、レンタカー代だ」
父が口にしたのは、たった一言のみ。母も、「お前の会社の社長さん、『行くあてがなければ、続けて働いてくれればありがたいです』っておっしゃってるよ」とだけ言いました。
(父も母も、言いたいことはたくさんあるだろうに。社長にしたって、勝手に仕事に穴を開けたので、普通なら解雇が当然なのに。みんな、こんな俺を待っててくれた!)
私は、思わずその場で崩れ落ちました。人生、やり直してみせる――! 熱いものが、腹の奥底から込み上げてくるのを感じていました。

生涯の師を探し求めて

出所以降、私は、図書館に通って本を読みあさり、生涯を通して教えを請うべき人、「貴人(きじん)」を探し求めていきました。自己啓発、お金の知識、いろいろ手を伸ばしましたが、どこか軽薄な感じや利己的な感じがして、なかなかしっくりきません。そんな折、職場の同僚から幸福の科学の行事に誘われました。
(自分を変えたいとは思っているし、入る、入らないは別にして、一度話を聞いてみよう)
近くで開催された大川総裁の法話の上映会に参加したのです。終了後、信者の人たちとお茶をしていたとき、「あなたの人生のヒントになるかもしれない映画があるので、私たちの支部まで来られませんか?」と言われました。興味をそそられ、向かった幸福の科学の支部で観たのは、映画「太陽の法」※でした。2時間後、私は号泣していました。
「神は、あの太陽のように、決して休むことなく愛を与え続け、何も見返りを求めることがない。神の子である人間もまた、あの太陽のように愛を与え続けて生きていくことだ」
映画のなかで語られていた、「見返りを求めずに与え続ける、無償の愛」という考え。それは、「真人間」に変わろうともがいていた自分にとっての、人生の道標のように感じられました。必ず会えると信じてきた「貴人」の教えが、もしかしたら、ここにあるのかもしれない、そんな思いで、約1カ月後、私は三帰誓願※しました。

※映画「太陽の法」:大川隆法総裁の書籍『太陽の法』を原作とする、幸福の科学のアニメーション映画。2000年に全国で公開された。
※三帰誓願:仏・法・僧の「三宝」に帰依して、修行を続けることを誓うこと。

過去の自分との対決

(でも、知り合いに「自分が幸福の科学の信者だ」と知られるのも嫌だし、できる範囲で、「愛」を与えていけばいいだろう)
そう思った私は、誰に会わずともできる布教誌配布のボランティアや、大川総裁の書籍を刑務所に郵送で献本する活動を始めました。しかし、長年染み付いた自分の悪癖は、一朝一夕に断つことができませんでした。父が亡くなって精神的な後ろ盾がなくなると、「自分を守ってくれる人がもういない」と、パチンコ店に駆け込む日が増え、借金額も徐々に大きくなってきました。
(なぜ俺は、まっとうに生きられないんだろう。このままでは、また元に戻ってしまう)
自分を過去に引き戻す、重力のような力を感じていました。
「どうしても弱い心が治りません。でも、本気で変わりたいんです!」
恥をしのんで、私は幸福の科学の講師に打ち明けました。すると、大川総裁の書籍『不動心』を勧められました。
「今までおつらかったでしょうね。でも、幸福の科学の教えには、人生の逆境に立ち向かう心構えも説かれているんですよ」
「これが最後のチャンスかもしれない」と感じた私は、時間を見つけては、その本を何度も読み返しました。30回目を読み終えたときだったでしょうか。ある一節が、急に、自分の心に迫ってきました。
「『立ち向かう人の心は鏡なり』という言葉があるように、自分の心が変わっていけば、相手も自然に変わっていくのです」
(自分の心に、すべての原因があるということか? とすれば、自分のなかにある「原因」とは、何だったんだろう)
その答えを求め、私は、パチンコ店のある場所をできるだけ迂回するなどして賭けごとを控え、お金を貯めては精舎に行き、研修への参加を重ねていきました。

思い浮かんだ「愛」と「恩」

CL[209]03_泣く男性

転機は、「八正道」をテーマにした研修を受けたときに訪れました。1泊2日の日程で、自分の歩みを静かに振り返っていくうちに、不意に、いくつかの場面が胸に浮かんできました。それは、高校卒業後に勤めた鉄道関係の会社での記憶の断片でした。
「君は字がキレイだから、今回はリストラの対象から外そう。これからは、心を入れ替えてやってほしい。期待してるよ」
思い返せば、リストラの1年ほど前にも、私は人員整理の候補になっていたところを、社長から直々に救われていました。「お前はもっと、人の話を聞く耳を持たないと、伸びんぞ」と、会社の同僚たちも、仕事より地域のお祭りの運営を優先する私を心配し、部署の垣根を越えて、忠告してくれていました。私に解雇を通知した上司も、「彼がクビになるのは、おかしい!」と、裏では抗議を続けてくれていました。考えてみれば、リストラを回避するのに、字のきれいさなど何の理由にもなりません。それでも社長は、自分にチャンスをくれました。同僚たちも、自分自身がリストラ対象者になるかもしれない不安のなか、私にロープを投げてくれていました。また、上司も、上にたてつけば、自らの身にも危険が及ぶ可能性があったにも関わらず、それでも私を守ってくれようとしていました。そんな人たちの恩を、私はこれまで忘れ、逆に恨んですらいたのです。
(これだけの人から私はこれまで救いの手を差し伸べられていて、それを自分で振りほどいたのに。本当に俺は、バカ野郎だ……!)
「恩知らず」の一語が胸に迫り、両手が自然と胸の前で合わさります。頬を伝った涙は、止まることがありませんでした。
主エル・カンターレ※、恩知らずだった私に、「愛」を思い出させてくれて、本当にありがとうございました! そして、本当に申し訳ありませんでした)
研修の帰り道に見上げた青空は、ひどく鮮やかに見えました。

※エル・カンターレ:幸福の科学の信仰の対象であり、イエスが父と呼び、ムハンマドがアッラーと呼んだ存在。

恩返しがしたい

それ以降、人生のやり直しを期した、私の毎日がスタートしました。
「私は、かつて、自分で死のうとした経験がありますので、お気持ちは分かるつもりです。もし、あなたが苦しく、つらい思いを抱えているなら、ぜひ、私にお気持ちを聞かせてください」
かつては、「宗教に入ったことがばれてしまう」と避けていた「自殺を減らそうキャンペーン」。今では、その活動に努めて参加し、地元の街頭で啓発活動を続けています。その途中、ふとした折に道行く人からいただく「ありがとう」の一言が、私の背中を後押ししてくれます。大川総裁の書籍を刑務所に郵送する際に添える、自分の体験を明かした手紙を書く際にも、自然と熱がこもります。
(世間、そして神仏からいただいたものを、少しずつでも世の中に恩返しする。これが、自分の生きる道だ!)
こういった決意が、少々のことで動じない、自分の「重し」になっていったのでしょうか。かつてはストレスを感じるとすぐにパチンコに走っていましたが、今は一切やらず、膨らんだ借金もなくなりました。最近では職場でも、「警備員という今の自分の立場で、何が改善できるか」を考えられる強さが生まれ、「警備員として誇りを持てる仕事をしよう」という気概が芽生えています。気づけば、今年で勤続15年目。これまでの職歴のなかで、最も長く勤めていることになります。

「やり直せない人生など、絶対にない!」

リストラ、借金、自殺未遂と、かつて私は、ある意味でのどん底を経験しました。ですがそんな私でも、今は、自分を信じ、他人に感謝し、神仏を信じて、心穏やかに生きています。自分の半生からお伝えできるものがあるとすれば、「やり直せない人生など、絶対にない」ということです。生きていれば、つらいこと、苦しいこと、みじめになるようなことは、たくさんあります。その一方で、私たちに愛を与えてくれる人、心配してくれる人、寄り添ってくれる人も、必ずいるはずです。過去の苦しみを握りしめて生きるか。それとも、人さまからの恩を見つけ、感謝を捧げられるか。どちらを選ぶかで、人生の幸・不幸も変わってくるのでしょう。それを教えてくれたのは、幸福の科学、主エル・カンターレでした。
(大川隆法総裁こそ、自分にとっての「貴人」だったんだ)
信者になって以来、そう確信する日々です。立ち直らせてもらった人生。人にはない体験をしたからこそ、分かる気持ちもあると思います。一人でも多くの方の心に刺さるトゲや傷を癒してさしあげたい。今後はそんな生涯を歩み、恩返しとさせていただければと思っています。

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『アイム・ファイン』(大川隆法 著/幸福の科学出版)より抜粋したメッセージ

「そのあなた」を、仏は肯定している

『アイム・ファイン』(大川隆法著/幸福の科学出版)

男女の性別、年齢、頭のよし悪し、体の大小など、他人との違いは、いろいろあるでしょう。性格にも、外向的な性格と内気な性格がありますし、仕事でも、向き不向きなど、いろいろあるでしょう。しかし、それであってこその個性です。
他の人々の存在を肯定するなら、自分自身の存在をも肯定しなさい。「そのあなたでよいのですよ」と言って、仏は許しているのです。「そのあなたでよいのです。他の人でなくてよいのです。その名前を持ったあなたでよいのです」と、今世の魂修行を許可されたのですから、あなたは、あなたの生き方をしていけばよいのです。
いま与えられているもののなかで、自分として最善の生き方をしていくことです。

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「伝道」とは、仏法真理を学んで幸せになった方が、自らも教えを弘(ひろ)め、幸福な人を増やそうとする愛の行為です。今回は、ご近所づきあいを通して伝道された女性の体験を紹介します。
H・Hさん(兵庫県)
月刊「幸福の科学」374号より転載・編集)

体験談人生変わった!私が伝道された理由(わけ)

今から15年前、私はうつ病を患(わず)らい、肉親を頼って兵庫県に越してきました。そこで、ご近所に挨拶に伺った際にKさんご夫妻と知り合い、言葉を交わすうち、お2人が幸福の科学の信者で、教えを勉強していると聞いたのです。

しかし、「私には関係ない」と思いました。というのも、私は他宗の信者の家に生まれ、うつ病になるまで数十年間、そこの信者としてバリバリ活動していたからです。

「私は、他の宗教を信じとるから」
そう告げた後も、お2人は私の病気を気遣(づか)って、毎週、わが家を訪ねてくれました。他愛のない世間話をするだけでしたが、兵庫県にあまり知り合いのいない私にとって、それはとても楽しく、元気をもらえるひとときでした。

そうして1年が経ったころ。ある日、ご主人のKさんが、「幸福の科学の支部に行ってみないか」と誘ってきたのです。

間違いを指摘するつもりが…

私は気が進まなかったのですが、実は内心、「いつか幸福の科学の教えの間違いを見つけて『ここがおかしい!』と指摘し、Kさんに”ギャフン”と言わせたい」と思っていたのです。

そこで、Kさんと一緒に支部に行き、『仏陀再誕』という本を入手。自宅に帰って読んでみました。すると……。

「諸々(もろもろ)の比丘(びく)、比丘尼(びくに)たちよ。私の声を憶(おぼ)えているか―」

読み始めると、思いがけず涙があふれてきたのです。間違いを指摘するつもりだった私は、逆に心を惹(ひ)きつけられてしまい、他の本も読んでみることにしました。また、時々、支部に顔を出すようになりました。

「反省」の教えで自己変革

大川隆法総裁の本で、私は「反省」の教えを知りました。反省とは、自分の思いや行いを振り返って、間違っていたら素直に改めていくことです。

私が信仰していた宗教には反省の教えがなく、私は人の欠点をズバズバと指摘する癖があったのです。相手と口論になることもしばしばでした。

(私は言葉で人を傷つけてきたんだ。申し訳なかった……)

それに気づいてから、毎晩、その日自分が発した言葉を点検して、「言い過ぎたな」と思ったら、その人に電話をかけて謝るようにしました。また、悩みが解けないときは、いつもKさんご夫妻が相談に乗ってくれて、私を励(はげ)ましてくれました。

そうするうちに、私は気持ちが安らいでくるのを感じました。キツイ言葉が減り、周囲の方から「優しくなった」と褒(ほ)められることも。そして、気がつくと、うつ病の症状もすっかり治っていたのです。

私を幸福の科学に導いてくれたKさんご夫妻に、心から感謝しています。

Hさんが笑顔になって、ホッとしています

お会いした当初、Hさんは他宗の信仰を持っておられたので、いきなり幸福の科学の教えを伝えるよりも、「まずは、信頼関係を深めよう」と思いました。そして、Hさんが幸福の科学に少し興味を持たれたころに、教えを伝えていったんです。今、Hさんはすっかり元気になり、支部で皆を迎えてくれる”お母ちゃん”的存在です。
(伝道した人、Kさん)

書籍で学ぶ信じられる世界へ

『伝道の法』(大川隆法 著/幸福の科学出版)第6章 信じられる世界へ/4「信じ切る」という最終点を目指せ

最も尊い愛は「真理を伝える」という愛

確かに、世界には飢えている人がいるでしょう。病気で苦しんでいる人もいれば、さまざまな苦労のなかにいる人もいるわけです。

しかしながら、そうした苦労や苦難、逆境があるから、神がいないということではありません。そのような苦難のなかを、多くの人々が生きているからこそ、神は必要なのです。

そして、神は実在します。どうか、もう一度、初心に戻って、信じるところから始めてください。スタート点は、「信じる」ことです。そして、最終点は、「信じ切る」ことです。信じるところから始まって、信じ切るところが、あなたがたの最終点になります。

あなたがた一人びとりに、光が与えられています。私から受けた光は、あなたがたに必ず点火されているのです。その松明を頼りに、闇夜のなかを、ただひたすらに行進してください。全世界の闇夜を照らし切るまで、あなたがたの仕事に終わりは来ないのです。

この日、このとき、この夜に聴いた言葉を、どうか忘れないでください。私は、今しばらく、あなたがたと共に、この地上にあり、この地上を照らし、法輪を転ぜんとする者でありますが、わが説く法は、五百年たっても、千年たっても、二千年たっても、三千年たっても、滅びてはならない「永遠の法」であるのです。

どうか、この「永遠の法」を聴いた者として、その誇りを胸に刻み、日々の生活を切り拓いていってほしいと思います。そして、みなさんが理解した真理を、どうか周りにいる人たちへ、手の届く人たちへ、声の届く人たちへ伝えてください。伝え切ってください。それが、「愛」なのです。

人々に対する愛として、いちばん尊いものは、「真理を伝える」という愛です。真理を伝えることが、最も尊い愛であるのです。

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かつてはニューヨークで投資銀行マンとして働いていたNさん。
ストレスフルな生活がたたってウツ病にかかり、一時は本気で自殺を考えるほど落ち込みます。そんなときに幸福の科学と出合って、人生再建の道へ―。今回は、ウツを克服した感動の体験談をお届けします。
N・Tさん(埼玉県)
隔月刊「ザ伝道」225号より転載・編集

体験談ウツが治った!

投資銀行マンからの転落

15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

「Nさんは、重度のウツです。すぐに入院してください」
1995年、私が40歳のときのことでした。医師から告げられた病名は、自分とは一生無縁だと思っていた「心の病」だったのです― 。

私は、1955年に新潟県で生まれました。中学時代から英語が得意で、大学も外国語学部に進みました。大学卒業後は、一度、証券会社に就職しましたが、「さらに上のキャリアを目指したい」という思いから、退職して33歳でアメリカの経営大学院へ入学しました。

MBAを取得し、つかみとった再就職先は、ニューヨークに本拠を置く、世界的な投資銀行でした。

睡眠時間が2、3時間しかとれないほど多忙な毎日でしたが、世界中から集まった超エリート達と共に、自分も「エリート」として働く喜び、憧れのウォール街を黒カバン片手に歩く充実感で心は満たされていました。

そして入社4年目。私は会社のシステムを改良するという大きなプロジェクトを手がけ、成功させました。その功績が評価されて、バイスプレジデントへの昇進が決まったのです。私はいわゆる“勝ち組”でした。しかし、プロジェクトの成功と昇進によって達成感を感じた私は、投資銀行マンとして燃え尽きてしまったのです。

(この会社では、これ以上の仕事はもうできないな……)
惜しまれながら退社してニューヨークを後にし、次の目標を探すために、一度、日本に帰ることにしました。

キャリアアップのため、私が次に目指したのは公認会計士の資格取得でした。
(俺はエリートだ。すぐにできる)

いち早く結果を出そうと、自分を極限まで追い詰めて勉強しました。ストレスも溜まり、慢性的な睡眠不足になりました。

そしてあの朝、何かがぷつりと切れたように、どうしても気力が沸かなくなったのです。病院を受診すると、躁うつ病という診断が出され、大量の薬が処方されました。

(薬を飲めば元に戻るはずだ―)
そう思って薬を口に含むと、一時的に“ハイ”になるのですが、効き目がなくなると元気がなくなり、また薬を飲みました。そうして私は「薬漬け」になったのです。
副作用で、「ご飯が口からこぼれても気づかない」「よだれが止められない」ようになりました。かつては毎日チェックしていた新聞やニュースも、いくら見聞きしても内容がまったくつかめなくなったのです。

今日が何日で、何時なのかも分からない……。ひたすら家でぼーっとしていました。そして洗面所に立ったときです。鏡に映っていたのは、よだれで顔も服も汚れ、痩せて頬がたるんだ、一人のなさけない男の姿でした。

(俺じゃない……)
投資銀行マンとしてニューヨークで働いていたころの自分が懐かしくて、やるせなくて、涙が溢れてきます。絶望―。

いっそ、死んでしまった方が楽だと、本気で自殺を考える日もありました。それほどまでに追い詰められていったのです。

「心の居場所」を見つけて

少し回復したかなと思って再就職してみるのですが、いつも1年ももたずに辞めてしまいました。ウツは一度かかると、なかなか治らないと言われており、「一生こんな生活が続くのか」と思うと、余計に落ち込むのでした。

そんな状態だった1999年、知人に幸福の科学のセミナーに誘われたのです。セミナーでは、人生の挫折も糧にして成功するための心の持ち方が紹介されていました。

(幸福の科学の教えを学んだら、何か変わるかもしれない)
セミナーの内容に希望を見出した私は、会員になることを決めました。

そして2000年、私が45歳のとき、同じ信仰を持つRさんと知り合い、結婚しました。

大川総裁の教えで「病気は治る」と学んでいた彼女は、私の未来を信じてくれ、私がなかなか定職に就けないことも理解してくれたのです。

私は結婚してからも度々、気分が落ちて公園のベンチで一日中過ごしてしまう日がありました。そんなときでも、妻のことが心にふっと浮かぶと「家に帰らなきゃ」と身体が動くのです。玄関のドアを開けると、部屋に明かりがついていて、「おかえり」と温かく迎えてくれる妻がいます。私にも居場所ができたのだと思いました。

「Rさん、おすすめの経典はある?」
「今のあなたにぴったりなのは……」
夕食でテーブルを囲むと、妻はいつも、大川総裁の経典や法話の話を楽しそうにしてくれます。夫婦の団らんが、私にとってかけがえのない時間になりました。それまで、薬の副作用で仏法真理をろくに学ぶことができていなかった私も、妻のおかげでだんだんと教えを知るようになりました。

「俺は、ずっと愛されたかったんだ……」

15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

2004年10月のことです。私はウツから抜け出せず、メイクアップアーティストの仕事をしている妻に家計を支えてもらっていることが情けなくて、「自分を変えたい」と強く思うようになっていました。

そんな私を見た妻が、「幸福の科学の日光精舎は、自分と向き合うには良いところよ」と、研修を勧めてくれたのです。私は単身、電車に乗って、日光へと向かいました。

研修は、仏教の教えである「因(いん)〈原因〉・縁(えん)〈条件〉・果(か)〈結果〉・報(ほう)〈結果の影響〉」のプロセスで悩みを見つめ直す内容でした。

私は礼拝室のイスに腰掛け、本尊であるエル・カンターレ像の前で、なぜ自分がウツになったのか考えてみたのです。静かに合掌をして、自分の人生を振り返っていきました。
(突然ウツになったのは、勉強のストレスと睡眠不足からだったな。でも、そもそも何であんなに馬車馬のように勉強しなきゃいけなかったんだろう……)
心の原因を考えてみました。そして、はっと気づいたのです。

ウツになる前の私の心は、とにかく「人に認められたい」という一心で勉強も仕事も頑張っていました。他人からの評価が私にとって“食事”のようなものだったのです。

幸福の原点

それは結局、自分に自信が持てなかったので、「愛されている、必要とされている」という実感が欲しかったのだと思いました。思い返せば、子供の頃からその傾向性は変わっていません。私はずっと厳格だった父や、学校の先生に評価されたいと思って生きてきたのです。そのことに気づくと、大川総裁の『幸福の原点』の言葉が浮かんできました。

劣等感で苦しんでいる人は、与えられる愛ばかりを考えていることが多いであろうと思います。こういう人は、発想を切り換えて、与える愛の大切さ、無償の愛の大切さを考えねばなりません。

(そうだ……。大川総裁は「愛を与える」ことが幸福になる道だと説かれている。俺は真逆の生き方をしてきたな。変わろう―)

私は、これからは誰に褒められなくても、人の役に立つ生き方をしようと誓い、日光をあとにしました。

運命を変えた雲水修行

しかし、それまでの50年間、ずっと愛を求めて生きてきた人間が、自分の“心のクセ”を変えることは、たやすいことではありませんでした。
(どうしたら今までの自分から抜け出せるのか……)

そんなことを悶々と考えていたとき、月刊「幸福の科学」を読んで、雲水修行の存在を知りました。雲水修行とは、精舎で作務などを行いながら自分の心を見つめる修行です。

(これだ!)
私は2005年8月から3か月間、東京正心館で週末雲水に取り組むことにしました。
もともと真面目で几帳面な私は、作務もノルマのように考え、時間内に完璧に仕上げることが第一でした。トイレやお風呂場を磨き込み、ピカピカにして満足感に浸っていました。
そんなある日、講師の1人から声をかけられたのです。

「Nさん、いつもありがとうございます。でも、作務は心を見つめる修行なので、仕事のように完璧にやろうと思わなくて良いのですよ。自分のペースで進めてけっこうです。自分を追い込んで作務をしては、修行になりませんから」

「え、でも、それだと終わらないですよ」
「終わらなかったら、私がやりますから」
そう言われても、私はなかなか気が抜けません。

洗面所を磨きながら、講師から言われた一言が頭を離れませんでした。
そして、「完璧じゃなくていい」という言葉に引っかかる自分を発見したのです。完璧主義者はウツになりやすいと言われますが、思い返せば私も投資銀行マン時代から、仕事は完璧じゃないと自分が許せませんでした。
(あ……。何でも完璧にやりたがるのも、人に褒められたかったからだ……)

私は、完璧な仕事をしないと、周りからの評価が下がるのではないかと思っていたのです。「完璧主義」という自分の心にこびりついていたものを取り除くようなイメージで、作務に没頭しました。

また、一緒に雲水をする仲間や、幸福の科学の職員の方の姿からもたくさん学びました。
皆さん、「精舎を利用する方が幸せになりますように」「参拝に来られた方が、最高の時間を過ごすことができますように」という愛の思いで働いているのです。

(これが「与える愛」なんだ……)
私も、たとえば御手洗いの作務をするときには、「次に使う方が、気持ちよく利用できますように」と、少しずつ思いを込めるようにしてみたのです。すると不思議なことに、自分自身が喜びと幸福感で満たされていきました。

愛を与えるほど、仏から光が与えられる― 。幸福の科学の教えの通りなのだと実感しました。

そしてある日、精舎の床を磨いていたときのことです。何があったわけでもないのに、不思議と涙が溢 れてとまらなくなりました。それは悲しみの涙ではありません。仏の愛に包まれているような、なんとも言えない安心感を感じて泣けてきたのです。
(仏が俺をいつも見守って下さっている― 。俺は、愛されているんだ)

床にぽとぽと落ちる涙の粒を見ながら、私は心のなかで仏に「ありがとうございます」と言っていました。すると、その瞬間、背中にのしかかっていた「何か」がとれて身体がふっと軽くなった感じがしたのです。幸福の科学では、ウツの原因に悪霊の憑依があるとされていますが、まさに私に憑いていたものが取れたのだと思いました。

雲水修行を始めて3カ月が経つ頃には、気分が落ちることもほとんどなくなりました。
お守りのようにずっと肌身離さず持ち歩いていた薬も必要なくなってしまったのです。雲水最終日は、御本尊に心を込めて拝礼し、精舎を後にしました。

50歳からの再チャレンジ

15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

雲水修行を終えた私は、この先の人生をどうやって生きていくのか考え直しました。
(今まで、ろくに働けなかった俺にできることはあるのだろうか……)
そしてある日、妻を見て、ふと「好きなことを仕事にしたらいいのでは」という思いが湧いてきたのです。メイクアップアーティストの妻は、大好きなメイクの仕事のときは、いつも楽しそうに働いています。

(俺が本当に好きなもの……そうだ、英語だ)
英語は私の原点でした。中学で出会った英語の先生の影響で、英語でコミュニケーションができる喜びに目覚めたこと、自分も昔は英語教師になりたかったことなど、忘れかけていた気持ちが蘇ってきたのです。

私はまず家庭教師からはじめることにしました。ところが、厳しい現実が待っていたのです。長いこと抑ウツ剤を飲んでいたせいで、あんなに得意だった英語がまったく分からなくなっていたのです。単語も文法もすべて消しゴムで消されたように私の中からなくなっていました。

それでもあきらめませんでした。私の心には、「何歳からでもやり直せる」という大川総裁の教えがあったのです。中学校のテキストから復習し、英語力を一から叩き直しました。家庭教師と経理のアルバイトをやりながら、英語の教授法の資格も取りました。

そして、2010年、ウツを克服して、ついに銀座に自分の英語塾を開いたのです。銀座は私が新潟から上京してきたとき、憧れの街でした。また、世界で使える英語を教えるなら、日本の中心地に塾を開きたいという思いがあったのです。

(英語塾は世の中にたくさんある。でも、俺だから教えられる英語もあるはず……)
私は、MBA取得やニューヨークの投資銀行で勤めていたという強みを生かして、実際に英語の論文を書いたり、ビジネスでレポートを書いたりするときに使えるアカデミック・ライティングを教えることにしました。

(よし、人生再出発だ)
開校にあたって広告などは出していないのですが、ありがたいことに、インターネットで私のブログや経歴を見た方から問い合わせが入り、塾生が集まりました。

「人生」を教えられる英語講師に

実際に英語を教えるようになって気がついたことがあります。教師とは、自分が偉くなるのではなく、教え子が自分を追い越し、偉くなることに喜びを感じる仕事ですから、「自分が褒められたい」と思っていた以前の私だったら絶対に務まりませんでした。

「N先生の授業は分かりやすい」「英語を学ぶのは楽しい」という塾生の言葉はとても励みになりますし、自分の教え子がどんどん優秀になって英検1級を取るまでに成長したときは、自分のこと以上に嬉しかったです。こんな気持ちは生まれて初めてでした。

生徒たちがそれぞれの夢を叶え、世界で活躍できるグローバル人材に成長していくためには、実践的な英語力だけでなく、人間として内面を磨いたり宗教や歴史の教養を身につけたりすることが大切だと思います。一流の人間は、“中身“がしっかりしているからです。それは、私がニューヨーク勤務時代に、成功者たちと接して実感したことでした。

ですから、教える立場にいる私が率先して英語力を磨くことは当然ですし、大川総裁の経典で心を耕やし続けることが必要だと身にしみて感じます。大川総裁の経典1冊には、教養書100冊分くらいのエキスが詰まっているからです。

今、私のところには、「Nさんのような英語力を身につけるためにはどうしたら良いですか」などと、たくさんの相談が届きます。そうした方々のお話を伺ってみると、実は英語よりも、人生に悩んでいることが多いのです。

皆さん、未来は“今の自分の延長線上”だけにしかないと思い込み、挫折や行き詰まりで苦しんでいるのですが、大川総裁は、「幸福への道は、一つの扉が閉じれば別の扉が開くようになっています。道は無限にあるのですから、あきらめずに次の道を探すことです」と説かれています。

本当は一人ひとりに様々な選択肢が与えられているのです。私にとって、それは英語講師という道でした。そして、そのことに気づき、ここまで立ち直ることができたのは、幸福の科学の教えがあったからです。本当に感謝しています。

人生はいつでも、何度でも切り拓いていくことができます。私は英語を教えながら、これからの日本や世界の未来を担っていく若い人たちに、このことを伝えていきたいです。

書籍で学ぶ心が折れてたまるか

『未来の法』(大川隆法 著/幸福の科学出版)第2章 心が折れるのは、どのような人か/心が折れる人の特徴②──完全主義者より抜粋したメッセージ

心が折れてたまるか

人生のどの局面を捉えても、「完全な人間」など、世の中にいるわけがありません。誰もが不完全なのです。
例えば、テストで百点を取れるのは、小学校1年や2年の足し算や引き算ぐらいまでであり、そのあとは、そう簡単に取れはしません。

たいてい、割り算あたりから間違い始めます。割り算を間違うのは普通の頭脳であり、全部できれば秀才でしょう。たいていは割り算あたりで減点が出始めるのです。

「足し算や引き算までは百点を取れていて、『大秀才だ』と思ったのに、割り算からは90点しか取れなくなった。残念だ」などと言い始めるわけです。その後は、言うまでもなく、「完全な人生」など生きているはずはありません。

人生は、あとになればなるほど、難しくなります。勉強も難しくなりますが、人間関係も難しくなりますし、仕事も難しくなります。
会社などに入っても、偉くなればなるほど、仕事は難しくなります。そのように先が見えない状況のなかで、完全を求めることには無理があります。

結局、「不完全な世の中」に「不完全な人間」が生きているのです。この事実を認め、それを受け入れなければなりません。不完全な世の中に、不完全な人間が生きていながらも、そのなかで、「よりよき人生を生きる」ということを選び取っていかなければならないのです。
これが人生の意味の一つなのです。

したがって、「心が折れた」などとのたまう人に対して、「あなたのどこに、完全な人生、完璧な人生があったのですか。また、他の人にも、そんな人生があるのでしょうか。『完璧に生きている』という人は、例えば誰のことでしょうか。言ってみてください」と問うてみても、なかなか名前を挙げられるものではないのです。

現代は、それほど難しい時代になってきてはいますが、言葉を換えれば、「チャレンジ精神、ベンチャー精神を持ち、チャレンジングな生き方をしていかなければ、未来が拓けない時代なのだ」とも言えるでしょう。
そういう精神を持つためには、当然のことながら、ある程度の失敗は織り込み、それを乗り越えていくだけの力が必要です。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第147号より転載し、編集を加えたものです。

「Cさん(30代・女性)」

 どうしても起き上がれない、生きていたくない・・・。ある朝、突然ウツになり、ひきこもるようになった私。7年にわたる泥沼の苦しみに沈んでいた私の心にある日、”奇跡”が起きました。

この世で一番不幸なのは私

私はこれまでの人生の大半を、「この世で一番不幸なのは私だ・・・」そう思って生きてきました。20代後半でウツ病になってからは特に、体は鉛を流しこまれたように重く、心は家族や周囲への恨みでいっぱい。死ぬことばかり考えていました。

そんな私を救ってくれたのは、幸福の科学の方々でした。皆さんの愛にふれて初めて、自分が今までたくさんの愛を与えられてきたことに気づき、ウツから立ち直ることができたのです。

雨漏りのする家

私が育った家は、雨が降るたびに何カ所も雨漏りがするような借家でした。私が生まれて間もない頃、父が営む金融会社が、知人にお金を持ち逃げされたことから借金を抱えて倒産。一家は、親戚の助けを得ながらやっと暮らしていたのです。

父は工場勤務に加え、早朝の新聞配達もしていました。幼な心に、私は父の体が心配で、「新聞配達やめればええのに」と言うと、父は笑って私の頭をなでてくれたものでした。

「心配せんでもええ。新聞配達は健康のためにしとるんや」

いつも優しいこの父が、私は大好きでした。

私はいらん子?

一方、母はいつも不機嫌でした。腎臓が悪かった母は、いつも眉間(みけん)にシワを寄せていました。私は母に優しくしてほしくて、母の気を引こうと必死でした。

「お母さん、抱っこして」

両手を伸ばす私に、母は決まってこう言います。

「甘えやんの(甘えないで)」

また、具合の悪い母のために皿洗いを手伝おうとしても、いつも冷たく追い払われました。

「さわらんといて!」

次第に私は、「お母さんは私が嫌いなんや。いらへんのや」と思うようになりました。

生きていたくない

中学生になると、わが家と友達の家を比べるようになりました。雨漏りもせずお風呂のある家、流行りの服やラジカセ、優しい母親―。

「なんで私だけ、こんな不幸なんやろ?」

しかし、そんな惨めな状態を、人には知られまいと私は必死でした。小中高と成績は常に上位を保ち、「優等生」で通したのです。ところがふとした時に、いつも同じ思いがこみあげてきます。

「生きていたくないなぁ・・・」

死んで灰になって、自分を消滅させたいということが、いつしか私の唯一の願いとなっていきました。

父の死・母の病

苦難は続きました。高校3年の時には、父がガンで他界。悲しみを心に抱えながら、私は高校卒業後、生命保険会社に就職。ほどなくして母がパーキンソン病を発病したのです。

当時、同居の兄は昼も夜も仕事を持っていたので、母の世話は私が引き受けるしかありませんでした。母は銭湯に行くにも病院に行くにも、私の助けを求めます。その度に子供の頃の辛かった思い出が甦(よみがえ)りました。

「抱っこもしてくれなかったくせに! なんであんたの世話なんかせなあかんの!」

そう思う反面、母を見ていると、放っておけません。頼まれる前に世話をし、「文句はないでしょ」とばかりに、夜は繁華街に出かけました。心にも体にも、やり場のない怒りと疲労を充満させながら― 。

体が動かない

あれは、27歳のある朝のことでした。体が重くて全く起き上がれなくなってしまったのです。家事は兄と母がやるようになりました。

「2人でできるんやんか。今まで私に押しつけとったんやな。お母さんの面倒は、私より可愛がられとった兄ちゃんが見るべきなんや!」

閉め切った暗い部屋で布団にくるまっていると、昔の嫌な思い出が頭を駆け巡ります。舌打ちをして私を見る母の冷たい視線。兄は新品の学習机を買ってもらったのに、私にはボロボロの事務机が与えられたこと・・・。体も心も、何倍もの重力で押しつぶされるようでした。

「死ぬな!」

「結局、こんな自分から逃れるには死ぬしかないんや」

とうとう私は、死を決意しました。自宅で餓死すれば、母と兄への復讐になるし、自分を消すこともできる。その一念で食べ物を断って一週間。簡単には起き上がれない状態になりました。そんな時、ふいに心の中に、ある考えが浮かんだのです。

「このまま死んではいけない」

どうしてそんなことを思ったのかは分かりません。でも、心に浮かんだその言葉は、「死ぬな、死ぬな」と訴えかけてきます。

「・・・救急車・・・」

私は何かにせっつかれるように、泥のように重たい体を引きずりながら受話器に辿り着くと、自分で救急車を呼びました。

そして、精神病院へ

私はウツ病と診断され、精神病院に収容されました。ベッドで点滴を受けていると、兄と、交際相手のMさんという女性が病室のドアを開けました。

Mさんは、まっすぐ駆け寄ってきて、初対面の私を、ぎゅうっと抱きしめたのです。私は何カ月もお風呂に入っておらず、垢(あか)と臭いにまみれた状態だったはずです。けれどもMさんは、そんなこと気にもせず、何も言わずに抱きしめ続けてくれました。

「こんな人がいるんや・・・」

それからもMさんは、通ってきてくれるようになりました。Mさんが来ると、病室がぱっと明るくなります。幸福の科学の会員であるMさんは、人生の意味や苦悩の意味を、少しずつ教えてくれました。

「Cちゃん、魂は永遠だから、自殺したって自分を消すことはできないのよ」

うそやろ? そんなん最悪や―。 魂は永遠と聞いて、当時の私は落胆しました。一方で、「自殺者は成仏できない」と教えられると、「あの時死ななんで良かった」と、心底ホッとしたのを覚えています。

心に響いた一言

2カ月後、私はたくさんの薬を持たされて退院しました。兄は私がひきこもらないようにと、サービスエリアでの販売の仕事を見つけてきました。しかし私はその仕事が合わず、半年後、またひきこもってしまったのです。

真っ暗な部屋で、過去の事をぐるぐる思い出しては、ブツブツと恨み言をつぶやく日々・・・。そのうち母は老人施設に入所していきました。

兄とMさんは、その後結婚。Mさんは度々家に来ては、 仏法真理の話をしてくれました。

「本当の『愛』はね、自分から与えるものなの。幸せになりたかったら、自分から人を愛することが大切なのよ」

ある時Mさんが言った言葉が心に響きました。私は時折、その意味を考えるようになりました。

外に出てみたものの・・・

「外に出る練習と思って、支部でボランティアさせてもらったら?」

ひきこもって6年。自分でもどうにかしなければ、と思い始めていた矢先、Mさんの勧めに従って、幸福の科学支部に通うことにしました。掃除や備品の整理をしながら、緊張してぎこちなくふるまう私に、皆さんが優しく接してくれます。

「Cちゃん、こんなんできたん? すぐにお嫁に行けるやんか」

しかし、褒められる度に、「私は褒められるような人間じゃない」と、強い違和感を覚えました。いたたまれなくなった私は、半年後、パタッと支部に行かなくなりました。仕事を投げ出してしまって、皆、怒っとるやろな―。心の中は罪悪感でいっぱいです。

こんな私でも、愛されていた

「Cちゃん、本当にこのままでいいの? 皆、あなたを待っとるよ」

ある日、いつになく強い口調のMさんに連れられて、2カ月ぶりに支部の門をくぐりました。すると―。

「あっCちゃん! 元気やったん?」

「よかったー、会いたかったんよー!」

 満面の笑みと歓声が、私を迎えてくれたのです。呆然としてしまいました。皆が次々と抱きしめてくれます。泣いておられる人もいました。皆の温かさが心にしみてきて、自然と涙がこぼれました。

「私、こんなに中途半端やのに、受け入れてくれるんやな・・・」

 私はそれまで、完璧にしないと嫌われると思いこんでいました。でも、支部の皆さんは、未熟な私を受け入れ、こんなにも愛してくれていたのだと分かったのです。

「私、アホやったわ」

急に心が軽くなりました。長年身に付けていた鎧を脱いだようなさっぱりとした気分です。たった今、これまでの自分と訣別できたのだと実感しました。すると、今まで一度も考えたことのない思いが、湧き上がってきたのです。

「生きていこう!」

新しい人生の出発

私はその日のうちに「いつかこれを飲んで死のう」とためていた大量の安定剤を捨てました。また、支部行事に参加しては仏法真理を学びました。

そうするうち、Hさんという会員の方と知り合いました。一緒にいると心が安らぎます。自然におつきあいが始まりました。やがて、私達は、たくさんの方の祝福の中、結婚式を挙げました。

辛かったんやね、お母さん

ある時私は、法友のIさんが母親との葛藤に苦しんでいることを知りました。私は、彼女が人生にどう向き合えばいいのかを、主人と考えていきました。人は魂修行のための人生計画を立てて生まれるといいます。

「彼女は何を学ぶために、その人を母に選んできたんだろう?」

「Iさんは、自分を愛してくれない母親を持つことで、かえって愛の大切さを知ったんや。そして、そんな母親を恨むんじゃなくて、本当は与えられていたことに気づいて、心から感謝できるようになることを、人生の問題集として設定してきたんやろなぁ」

自分でそう言った瞬間、ハッとしました。彼女への結論は、そのまま自分への解答でもあったのです。

「私は自分の気持ちを分かってほしいばかりで、お母さんの心なんて考えてなかった。それは『奪う愛』や。だからずっと苦しかったんや・・・」

私は母の生い立ちを辿っていきました。以前聞いた話では、幼い頃に実母を亡くし、父親の後妻に子供が生まれてからは邪魔者扱いされていたとか。母もまた、愛に飢えていたのです。やがて結婚してこれから幸せになれるという時の父の会社の倒産。どんなに辛かったか―。

母は私を毛嫌いしていたのではない、優しく抱きしめられた経験がないから、私にどう接していいのか分からなかったのでは。そう思い至った時、急に胸が熱くなり、母が不憫(ふびん)で涙がどっとあふれました。また、母との葛藤があったからこそ、信仰の道にいざなわれたのだと気づきました。 「私は不幸だったんじゃない。本当は全てを与えられてたんや・・・」

ウツは必ず治る

それからは、母の入所先の施設をよく訪ねるようになりました。認知症の症状が出始めた母は、私に気づかないこともありますが、母の手をとって感謝を伝えると、母は微笑んでくれます。

私がウツになったのは、自分がいかに不幸かということばかり考え、与えられているものから目をそらしていたことが原因でした。でも、生きている限り、本当はたくさんのものを与えられています。そのことに素直に感謝した時、憎しみや悲しみは消え、心に喜びが生まれるのだと、今は実感できます。

私は今、同じ苦しみの中にある人に、仏がいつも見守ってくださっていること、「奪う愛」をやめて「与える愛」を始めることで、必ず苦しみから解放されるのだという真理をお伝えしています。

それが、私を苦しみの泥沼から救いあげてくれた幸福の科学の友人や、どんな時も傍らにあって、愛と慈悲を注ぎ続けてくださった仏へのご恩返しになると思うからです。

義姉のMさんより

初めてCさんに会った時、「絶対にこの子を助けたい」と思いました。信仰に出会って心の持ち方が変わることで、ウツを克服できた人はたくさんいます。Cさんも必ず治ると信じていました。彼女の良さが見えてくると、「あなたには良いところがたくさんあるのよ。本来のあなたになろうね」と、よく語りかけていましたね。

ご主人のHさんより

妻は、支部の皆さんの温かさにふれて、ウツ病から立ち直ることができ、彼女本来の長所を発揮できるようになりました。妻の長所は、人の好き嫌いがなく、誰とでも仲良くなれること。今は苦しんでいる人の心の支えになりたいと頑張っているんです。

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