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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第125号より転載し、編集を加えたものです。

見えることのない目

私は、生まれた時から目が見えません。

生まれつき目に障害があって、右目にわずかな光を感じるだけで、左目は何も見えません。

出産当日、私は予定より2週間も遅れて生まれてきました。泣き声をあげず、体温も低い状態でしたが、医師からは「特に問題はありません」と言われたそうです。

しかし、4カ月が過ぎた頃。同じ時期に生まれた赤ちゃんと一緒に検診を受けた時、母は私の様子がおかしいことに気づきました。

よその子が、まわりの様子を見て瞳をキョロキョロさせるのに比べて、私の視線があまりにも無反応であったからです。

総合病院を紹介されて検査を受けると、「網膜形成不全」「小眼球」と診断されました。

「胎児の時に、へその緒が首や身体に巻きついて、圧迫されていたのが原因かもしれません」

医師はそう説明しましたが、はっきりした原因は分からないようでした。

ただ、一つだけ明らかなことがありました。それは私の目が見えるようになる可能性はほとんどないということでした。

バイオリン

4歳ぐらいになると、私は自分の状況が少しずつ分かってきました。

「ねぇ、お母さん。私ってなんで見えないの?」

何度も同じような質問をする私。自分の障害について、だんだん気にするようになっていきました。

ある日、母が言いました。

「Aちゃん、音楽が好きだよね。バイオリンをやってみない?」

母に勧められて、バイオリンのレッスンを受け始めることに。自分で自由に音が出せることがうれしくて、私は夢中になりました。そのせいか、目に対する不満を口にすることも少なくなりました。

そして、小学校に入学する時—。

私の状況からすれば、当然、盲学校に入学するところでした。

「Aちゃんが、ふつうの小学校に通いたいのなら、応援するよ」

「うん。みんなと同じがいい」

母は教育委員会と交渉して、地元の小学校で学べるようにしてくれました。

私は、週に2回、小学校に通い、残りの日は自宅で訪問教育を受けることになったのです。

現実の壁

私は、視覚障害に加えて、生まれた時から股関節がはずれている病気(先天性股関節脱臼)でもありました。治療して治りましたが、その後遺症で足が弱く、運動も苦手だったのです。

バイオリンのレッスン中にも、痛みで立っているのがつらくなり、その場に座り込んでしまうことがありました。

バイオリンは立って弾く楽器であり、レッスン中は1時間近くも立っていなければなりません。

「こんなんじゃ、とても続けられない」

途中であきらめざるを得ませんでした。

小学校のほうも、週2回では授業についていくのが困難でした。

結局、5年生からは盲学校に通うことになりました。

「なんで、みんなと同じようにできないの! こんなの嫌だよ!」

私は泣きながら母に訴えました。

「Aちゃんが見えるようになるなら、すぐにでも、お母さんの目をあげてもいいのに・・・」

母のすすり泣く声が聞こえてきました。余計に悲しくなって、大泣きする私・・・。

やがて、父が言いました。

「A、目が見えなくても、耳は聞こえるじゃないか。みんなと話だってできるじゃないか。お父さん、Aにはできることがたくさんあると思う。それを一緒に探してみようよ」

いつもやさしい父—。

幼い頃、私が「水車ってなあに?」と尋ねると、何日もかけて水車の模型を作って説明してくれたこともありました。

両親の気持ちが伝わってきて、もう一度、がんばってみようと思いました。ほどなくして、私は自宅を出て、盲学校の寮に入ることになりました。

心に響く教え

盲学校は、環境も整っていて、思っていた以上に生活のしやすいところでした。そのおかげで勉強にも集中でき、順調に学年を重ねていきました。

中学2年生の時のことです。夜、宿題をしていると、ふと誰かに話しかけられたような気がしました。

(あれ、誰だろう? お母さん?)

不思議に思った私は、実家に帰った時、そのことを母に伝えました。すると、母は少し驚いた様子で言いました。

「ちょうど、その日、その時間ぐらいに、お母さん、お祈りをしていたの。その思いが、Aちゃんに届いたのかもしれないね」

母は、最近、幸福の科学入会したこと、そして『正心法語』という経典でお祈りをしていたことを教えてくれました。

私が、幸福の科学について興味を示すと、母は「仏陀再誕」という講演会のカセットテープを貸してくれました。さっそく、私は自分の部屋で聴いてみました。

「この世において、さまざまなる出会いが、あなた方を待っているであろう。しかし、真理との出会いは最も尊いものであり、人間として生まれて現成の仏陀の声を聴くは、奇蹟以外の何ものでもないことを知らねばならない」(『悟りの極致とは何か』第3章所収)

一言一言が、直接心に響いてくるようで、激しく心を揺さぶられました。

(・・・仏陀って、お釈迦様のこと? 再誕って、また生まれてきているということだよね?)

びっくりしましたが、その確信に満ちた力強い言葉に、「ほんとうに違いない」と思いました。胸のあたりが熱くなりました。こんなことは生まれて初めてのことでした。

語り明かした夜

「お母さん、これってすごい!」

テープを聴き終わると、私は興奮して真っ先に母のところに行きました。

次から次へと質問をあびせる私。

母は、人間が永遠の生命を持っていることや、魂修行のために何度も生まれ変わっていることなど、幸福の科学で学んでいることを教えてくれました。

「Aちゃん、“人生は一冊の問題集”なんだって。今回のAちゃんの人生は目が見えないという厳しい状況だけど・・・でも、それはAちゃんの魂が、大きく成長するために、仏が与えてくれた問題集だと思う」

母の言葉にはっとしました。

「・・・私、何不自由なく学校に通っている人たちと比べて、ずっと不公平だと思ってた。なんで私ばっかり、こんな苦労しないといけないのって・・・。でも、そうじゃないんだね。・・・よかった」

涙があふれました。

すっかり夜がふけていましたが、私はうれしくて眠る気になれず、母と一晩中語り合いました。

進学

高校生になってから、私も幸福の科学入会しました。テープを聴いたり、母に仏法真理の書籍を読んでもらったりして少しずつ学びを深めていきました。

ある日、母が「ヘレン・ケラーの霊言」を読んでくれました。

「私はこちらの世界へ来て、目も見えますし、耳も聞こえます。口も利けます。本来、人間は自由です。ただ、三次元のなかにおいて、あのような厳しい環境に置かれたということです。ですから、私が世の人々に言いたいのは、『環境をよくするために奔走するよりも、環境のなかでみずからを輝かす、そのような努力をしていただきたい』ということです」(『大川隆法霊言全集第14巻』第4章所収)

私よりも重いハンディを背負いながら、多くの人々に生きる勇気と希望を与えたヘレン・ケラー。

その言葉は、まるで自分の苦しみをすべて分かってくれているようで、心に深くしみわたりました。

「私も輝いてみたい。私にできることっていったい何だろう?」

高校2年の3学期—。私は自分の願いを両親に伝えました。

「私、進学したい。そして福祉について学んでみたい」

同級生は、鍼灸や按摩などの資格を取って就職する人がほとんどでしたが、私は「もっと勉強したい」という気持ちが強くあったのです。両親は賛成してくれました。

しかし、現実の受験は厳しいものでした。現役では受からず、1年間、受験指導を行っている盲学校で勉強。翌年は何とか地元の短大に合格することができました。

「私でも、やればできるんだ!」。苦労はしましたが、私にとって受験の経験は小さな自信になりました。

手足のしびれ

短大の寮に入って、学生生活を送るには、ある程度、一人で何でもできる必要がありました。

今の自分では無理かもしれないと感じた私は、いったん短大を休学して、生活訓練や歩行訓練を受けることにしました。

訓練のおかげで、視覚障害というハンディを負いながらも、何とかふつうの学生と一緒に学ぶことができるようになりました。

しかし、無理を重ねたせいかもしれません。その頃から、時々、体調を崩すことがありました。そのうえ、以前から感じていた右の手足のしびれがひどくなっていきました。

「いったい、どうしたんだろう・・・」。病院で検査をすると、軽い脳性麻痺であることが分かりました。

がんばろうとはするものの、思い通りにならない現実・・・。

その後、短大は卒業できましたが、体調が思わしくなく、進路を決めることができませんでした。これからどうすればいいのだろうと、不安な気持ちでいっぱいになりました。

ボランティア

「Aちゃん、一緒に支部に行こうよ」

短大卒業後、特にやることもなく、家のなかにこもりがちの私を心配して、母は幸福の科学支部に誘ってくれました。

支部に行くと、みなさん、まるで家族のように親しくしてくれました。

法話のビデオを拝聴したり、お茶を飲みながら歓談したり—みなさんと触れ合ううちに暗い気持ちが晴れていくのを感じました。

私は、頻繁に支部に顔を出すようになりました。

「私も何か手伝いましょうか? 電話番ぐらいならできますので」

「それは助かります。ありがとう」

支部で簡単なボランティアをするようになった私。

地域の方々にお配りする布教誌にチラシを挟んだりもしました。

そんな私の姿を見ていた知り合いの方が話しかけてきました。

「Aちゃんも、一緒に配らない?」

「ちゃんとできるかな・・・」。思いがけない誘いにびっくりしましたが、母からも勧められて、参加してみることに。

最初は緊張しましたが、母や支部の方に助けられながら、一軒一軒心を込めてポスティングをすると、とてもさわやかな気持ちになりました。

(どんな人が読んでくれるかな? 喜んでくれるといいなあ)。想像するのが楽しくて、私は、布教誌の配布が大好きになりました。

私、愛されてる

支部でのボランティアや、布教誌の配布を通して、私は自分が明るく前向きになっていくのを感じました。

「人のために何かをすることって、とても気持ちがいいなあ」

幸福の科学で、「与える愛」の大切さについて学んでいましたが、そのことが少し実感できたような気がしました。

そんなある日、母と一緒に総本山・正心館に参拝しました。

「障害に負けず、人生を輝かせたい」

そんな願いを込めて、私は「起死回生の秘法」という特別な祈願を受けることにしたのです。

祈願室に足を一歩踏み入れると、何とも言えないあたたかい光に包まれるのを感じました。

目の前に大きな仏がおられるような気がしました。

—がんばるんだよ。

そう、仏がやさしく声をかけてくれた気がして、涙が止まりませんでした。

終了後、いつになく心がとても軽くなっているのを感じました。

「仏は、いつどんな時も見守ってくださっているんだ・・・。私って、仏からも、家族からも、幸福の科学のみなさんからも、ほんとうにたくさん愛されてる。いまの自分が生きていられるのは、その愛のおかげだ。それなのに、進路が決まらなくて、なんで自分ばっかりこんなに苦労しないといけないのって嘆いてた。もう、そんな思いを捨てよう。自分の人生としっかり向き合ってがんばってみよう」

感謝の気持ちに満たされながら、私は心に決めました。

希望への一歩

幸福の科学支部精舎のおかげで、私はやる気を取り戻していきました。その結果、体調もよくなり、地元の視覚障害者協会でボランティアを始めることができました。

そこでの私の仕事は、様々な原稿を読みあげること。視覚障害者向けに音声を録音する仕事です。

「Aさんの声は、とてもはっきりしていて、聞きやすいですね」

ある時、広報担当の責任者の方が話しかけてきました。

「—私は、中途失明してから、30年近くこの仕事をしてきたけど、後を継いでくれそうな人が出てきてよかったよ」

「ありがとうございます。私、がんばります」

期待されて、うれしくなりました。

その後、内容や編集も任されるようになり、私はますますやりがいを感じるようになりました。

さらに、思いがけないことが起きました。ある大学から、「非常勤講師をしてくれないか」と依頼されたのです。

内容は、福祉を学んでいる学生に点字を教えるというもの。

(私にできるかな・・・でも、こんなチャンスはめったにない。やってみよう)

私は、年に7回、学生たちに点字の読み書きなど、具体的な実践について教えるようになりました。自分が苦労して学んだことや体験したことを、人のために生かせることに喜びを感じています。

自分の人生と向き合い、努力することの喜び

私は、目が見えない現実に何度も押し潰されそうになりました。

しかし、仏法真理との出会いが、自分の人生と向き合い、努力することの喜びを教えてくれたのです。

いま私は、与えられた環境のなかで、自分にできることを精一杯やっていきたいと思っています。

暗く手探り状態だった私の人生に、希望の灯をともしてくれた仏に心から感謝します。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第124号より転載し、編集を加えたものです。

主人を肝臓ガンで亡くした当時、私は、4人の子どもたちを抱え、将来の不安でいっぱいでした。しかし、映画「黄金の法」をきっかけに、仏法真理と出会い、人生のほんとうの意味を知ることができたのです。(40代・女性)

出会い

23歳の時のことです。当時、私は仕事帰りに、都内にあるクッキングスクールに通っていました。いつものようにエレベーターに乗っていると、「ここの生徒さん?がんばってね」と、スーツ姿の男性が話しかけてきました。

「なんか、あたたかい感じの人だな」

Kさんと初めて会った時、私は何とも言えない親しみを感じました。彼は、その学校を経営している会社の社員で、同じビルで働いていました。ビル内で会うとニコニコ話しかけてくる彼。その後、デートに誘われ、お付き合いをするようになりました。

15歳年上の彼のことは、「Kさん」と、先輩みたいに呼んでいました。話題豊富な上に、包み込むような優しさを持っていて、私はだんだんと心ひかれていきました。
付き合い始めてしばらくした頃、彼が言いました。

「Yちゃん、実はね、自分はC型肝炎という肝臓の病気なんだ」

病名は耳にしたことがありましたが、詳しいことは知りませんでした。彼は、子どもの頃の輸血が原因でC型肝炎になったこと、肝硬変や肝臓ガンになる可能性があることを教えてくれました。

「輸血のせいなんて、ひどいじゃない」
「仕方ないよ。人より身体には気をつけないといけないけど、おかげで酒もタバコもやめられた」

明るく淡々としている彼を見て、心の広い人なんだなと思いました。やがて、彼からプロポーズ。年齢差や病気のことから、私の家族は賛成しかねていましたが、私は彼と結婚する道を選びました

肝臓ガン

結婚後、私たちは4人の子宝に恵まれました。しかも、全員男の子。心配に思われた主人の身体も、特に問題を起こすこともなく、ふつうに会社勤めを続けていました。

しかし、ある夏のこと。体調不良を感じた主人が、念のために大学病院で検査入院をすると、ガンが発覚してしまったのです。肝臓ガン—最も恐れていたことが現実となり、私は目の前が真っ暗になりました。

翌年2月、主人は実家に帰省している際に吐血をしました。静脈瘤が破裂したのです。現地の病院にそのまま入院し、余命1年と告げられました。悲嘆にくれる私に対し、主人のほうは少しも弱気になりませんでした。

「一番下の子が、20歳になるまでは、絶対に生きるからな」

そう言って、東京に戻ってから他の病院で違う治療を試みたりしました。痩せて別人のように頬がこけ、腹水のせいでお腹が張っているにも関わらず、「疲れてないか? ずっと看てなくていいから、休みなよ」などと、いつも私のことを気づかってくれました。

6月、主人は家族に見守られながら息を引き取りました。4人の子どもたち一人ひとりに声をかけ、「子どもたちのことを頼んだよ」と私に言い残して……。

観てもらいたい映画

主人の死後しばらくは、葬式などで忙しく、落ち込んでいる暇がありませんでした。しかし、やがて落ち着いてくると、まるで心に大きな穴があいたようになり、何も手につかなくなりました。

「あぁ、もうこんな時間……夕飯の準備しなくちゃ……」

ふと気がつくと、一人でボーっとしている私。主人の面影を感じるものを目にしては、泣いてばかりいました。このままじゃいけないと思い、私は、休職していた保険関係の仕事を再開することにしました。また、結婚前に鍼灸師の資格を取っていたことから、近くの鍼灸院でお手伝いを始めました。

そんなある日、「子ども会のプリントを持ってきました」と、近所に住んでいるMさんが訪ねてきました。Mさんのお子さんと、我が家の三男は同級生。何かと相談相手になってくれていました。そんなMさんから、映画に誘われました。

「実はね、Yさんに、ぜひ観てもらいたい映画があるの」

彼女が誘ってくれたのは、「黄金の法」という映画でした。映画なんて久しぶりです。気晴らしになるかと思い、私は、彼女と一緒に行く約束をしました。

止まらない涙

映画の数日前、Mさんから「急用ができて一緒に行けなくなった」という連絡がありました。申し訳ないと詫びるMさん。どうしようか迷いましたが、チケットは私の手元にあります。もったいないし、せっかくだから行ってみようかなと、私は映画館に足を運びました。

始まってしばらくすると、スクリーンいっぱいに神秘的な宇宙の映像が展開され、その美しさに圧倒されました。

「すごい!いったい、何が始まるの」

まるで子どものように、期待で胸が高鳴りました。主人公の少年少女がタイムマシンに乗って、釈迦、イエス、モーセといった過去の偉人たちの時代へと旅立つ—。手に汗握るストーリーに釘付けになるとともに、登場人物たちのセリフが心に残りました。

特に、現代の日本に仏陀が生まれていること、人間は魂の成長のために何度も生まれ変わっていることに、心を激しく揺さぶられたのです。涙がとめどなく流れました。こんなに何かに感動したことは生まれて初めてのことでした。

大川総裁のお話

その後、Mさんから電話がありました。

「映画、どうだった?」
「それがね、感動して泣きっぱなしだったの。自分でも驚いた」
「えー、ほんと!よかった!今度、大川隆法総裁のお話が聴けるんだけど、Yさんも来てみない?」
「うん、行ってみる」

あんなすごい映画をつくっている幸福の科学って、いったいどんなところなんだろう。この目で見てみたい—。そんな思いで、幸福の科学の支部に行ってみると、私が思い描いていた宗教のイメージとは違い、とても明るい雰囲気で驚きました。

「人間は霊的な存在であり、そちらのほうが本質です。人間は、長年、霊として生活しているのであり、それがほんとうの生活なのです。……新しい人間関係や物質環境の変化のなかで生きてみて、新しい経験を得て、また霊界に還ってきます」(『神秘の法』第2章「憑依の原理」より)

やさしい語り口でありながら、なぜか心に響いてくるお話でした。

「霊界って、ほんとにあるんだ。そこに還れば、主人にもまた会うことができるのかな」

その後、Mさんとは以前にも増して、家族ぐるみでお付き合いするようになりました。

「長男の就職のこととか、気になることも多くて……」

そう打ち明けると、Mさんのご主人が、長男に会って気軽に相談に乗ってくれたりしました。夫のいない私にとって、Mさん一家は頼りになる心強い存在でした。

「こんなに何でも話せる人ができるなんて。法友(同じ法を学ぶ友人)ってすばらしいな」

感謝の気持ちでいっぱいでした。

思いがけない一言

幸福の科学で学び始めるようになると、信仰を持つことによって、心に安らぎが得られていくのを感じました。

しかし、末っ子のTが小学校4年生の時です。一緒に同級生の家に遊びに行くと、思いがけないことが起きました。Tが、同級生のお父さんにぴったりくっついて離れないのです。私の目には、まるで父親に甘えているように映りました。「やっぱり、さみしいんだ」と、複雑な気持ちになりました。

さらに、自宅で戦争の不幸を描いたアニメを一緒に観ていた時のこと。

「Tくん、この時代と違って、今は食べるものがいっぱいあって、幸せだよね」
「僕は幸せじゃないよ。だって、お父さんがいないんだよ」

思いがけない一言に、私は、ショックで言葉を失ってしまいました。

今でも両親がいる私に比べ、こんなに早く片親になってしまった子どもたち。幸福の科学で、「夫婦や親子の縁は、天上界で約束して生まれてくる」と学んでいましたが、Tのさみしそうな姿を見るにつけ、私たちの子どもとして生まれてきて本当によかったのだろうかと、自信が持てなくなりました。

家族の絆が心にしみて

「精舎でじっくり心を見つめると、人生についてのヒントが得られるよ」

法友のみなさんにそう勧められて、私は総本山・正心館で開催されていた「反省の指針・十箇条」を受けてみることにしました。研修の中で、自分の過去を振り返っていくと、ふと主人と交わした会話がよみがえってきました。

「不思議だけど、Yちゃんと結婚することは、決められているような気がする。こういうのって運命というのかな」
「うん。私も、そう思うよ」

それから、その言葉通りに結婚した私たち。主人と初めて会った時に、とても懐かしい気持ちになったことが思い起こされます。お互いに、目に見えない絆で結ばれていることを感じていたんだと、主人との縁の深さを感じて、胸が熱くなりました。

さらに、4人の子宝に恵まれたことへの感謝がこみあげてきました。私はもともと身体が弱い方で、中学生の頃から、点滴や鍼灸の治療を受けながら学校に通っていたぐらいです。初めての出産で、検査のために採血した時など、貧血で倒れてしまったこともありました。

「考えてみれば、あんなに身体の弱かった私が、4人も無事出産できたなんて、奇跡だわ。よっぽど、縁のある子たちに違いない。それに、あの子たちが生まれる前、すでに主人は病気だった。それを承知で、苦労するのを覚悟で、私たち夫婦のもとに生まれてきてくれたんだ……」

子どもたち一人ひとりの顔が思い浮かび、愛しくなりました。

「みんな、お父さんとお母さんを選んで生まれてきてくれてありがとう。お母さん、がんばるからね」

懐かしい声

また、支部で「霊人直伝メッセージ公案研修」を受けた時のことです。公案にそって、静かに自分の心を見つめていくと、主人の懐かしい声が心に響いてきました。

「自分はとても幸せだった。いつも見守っているから、がんばるんだよ。ほんとうにありがとう」

入院中はげっそり痩せていましたが、元通りのふっくらした笑顔が心に浮かんできました。「Kさんなのね? また会えてよかった—」涙がこぼれました。

それからというもの、私は、子どもたちに仏法真理の話をするようになりました。特に、ご本尊(家庭用の祭壇)を拝受してからは、いつも仏の優しいまなざしを感じて、自然に信仰の話ができるようになりました。
Tの前で、御本尊に向かって拝礼してみせる私。

「Tくん、さみしい思いをさせてごめんね。でもね、お母さんたちには、“魂の親”がいるから、ほんとうはさみしくなんかないんだよ」
「それにね、お父さんも、いつもあの世から見守ってくれているんだよ」
「えっ、ほんと!お父さん、いるんだ」

うれしそうなT。
いつしか、子どもたちも御本尊に手を合わせ、お祈りするようになりました。20歳になった長男も、弟たちの父親代わりをしてくれるようになりました。Mさんのご主人の経営する不動産会社に就職した長男は、高校に合格した三男に対して、「よくがんばったな。合格おめでとう」と言って、お祝いのプレゼントを買ってあげるなど、家族を支えてくれています。以前に比べ、わが家は明るい笑顔があふれるようになりました。

苦しみを癒したい

信仰のおかげで家庭も落ち着き、私は自宅で、以前から準備していた鍼灸の仕事を始めることができました。毎日、様々な患者さんが訪れますが、そのなかには心に悩みを抱えている方がたくさんいます。治療中、ある患者さんが言いました。

「主人をガンで亡くしてから、もう、あっちこっち痛くて。なんで、私ばっかりこんな辛い思いをするんだろうね」
「実は、私の主人もガンで亡くなったんですよ。でも、私、主人があの世で見守ってくれていることを信じているんです。そうすると、また会える日まで、がんばろうって気持ちになります。死は永遠の別れではないんですよ」

真理の話をすると、その方は涙を流しながら聞いてくれました。「以前の私のように、真理を必要としている人がたくさんいる。もっと伝えたい―」。悩み苦しむ患者さんたちを、少しでも癒すことができればいいな、と思って仕事に励んでいます。

信仰は、私の人生に大きな希望をもたらしてくれました。
主人を亡くし、子供どもたちの将来に不安を感じていた私が、一本の映画との出会いによって、人生のほんとうの意味を知り、幸福への道を歩み始めることができたのです。

幸福の科学の映画には、人生を変える力が秘められています。私がそうだったように、これからも、映画をきっかけとして、人生に希望を持てる方がたくさん出られることを心から祈っています。

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北海道札幌市で、夫と2人の娘と暮らしていたSさん。
ある日、40代で働き盛りだった夫が急逝(きゅうせい)し、孤独と不安で涙に暮れるように・・・。
そんなSさんが笑顔を取り戻し、新しい人生を踏み出すまでの軌跡をたどります。
(Sさん/女性/月刊「幸福の科学」第366号より転載・編集)

今から3年前の2014年1月14日のこと。
当時、看護師だった私は、半日の勤務を終えて昼ごろ自宅に戻りました。

「ママ、おかえりー」
「ただいま。お姉ちゃん、今起きたの?パパは病院行ったかな?」
「うーん。わかんない」

ここ数日、主人は頭痛がひどく、今日は病院に行くと言っていたのです。
リビングに入ると、主人はソファで横になっていました。
「あれ、パパ、病院は・・・?」

寝ている主人の顔を見て、ハッとしました。
顔つきがいつもと違っていたのです。
「パパ・・・!!」

とっさに脈をとりましたが、手首からは何も感じ取れません。
首にふれると、わずかな脈が―。
急いで救急車を呼びました。

「お姉ちゃん、病院に行くから準備して!」
救急車が着くまで、何とか主人の命をつなぎとめようと、必死の思いで人工呼吸や心臓マッサージを行いました。
でも・・・

「奥さん、残念ですが、御主人はもう―」
病院へ運んでもらったものの、すでになすすべもなく、
主人はそのまま帰らぬ人となってしまったのです。
病名は、急性くも膜下出血。

まだ、49歳でした。
(パパ、どうして・・・)
悲しみに暮れる間もなく、さまざまな手続きや方々(ほうぼう)への連絡、葬儀の手配など、やるべきことが押し寄せてきます。

いろいろ相談したくて、友人のYさんに電話をかけました。
Yさんは、家族ぐるみでお付き合いしている幸福の科学の法友(ほうゆう)(※)です。

「もしもし、Yさん? 今、主人が・・・」
「えっ、本当!?とにかくそっちへ行くわ 」
Yさんは私の代わりに、保育園に預けていた次女を迎えに行き、警察の事情聴取にも付き添ってくれました。

「ママ、パパはどうしたの?」
「あのね、パパは、天国に還(かえ)ったんだよ」

当時、長女は小学3年生、次女は年長でしたが、幸福の科学の教えを通して「人間は死後、魂となって霊界で生き続ける」と知っていたので、幼いなりに父親の死を受け止めているようでした。

私にしても、もし幸福の科学で学んでいなかったら、心が折れていたと思います。
幸福の科学では、人間は本来、天国に住んでいて、時折(ときおり)、魂修行のために地上に生まれて来ることや、人生の途上で経験する苦難や困難は、各人が修行課題として”人生計画”に織り込んで来るということを教わります。

(これも、パパと私の”人生計画”だったのかな)
そう考えることで、主人の死を、いくらか冷静に受け止めることができました。

お通夜や葬儀などが過ぎて、やっと一息ついたころ、
地元の幸福の科学の皆さんが「お別れの会」を開いてくれました。

「Sちゃん、大変だったね」
「一人じゃないからね。何でも相談して」
「はい。ありがとうございます・・・」

皆さんの優しさに支えられ、私は(とにかく頑張るしかない)と心に決めたのです。


※法友:同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

泣き疲れた夜に

しかし、母娘3人の生活が始まると、主人のいない寂しさが身に染みるように―。
「ママは仕事に行ってくるね」 

休日出勤の日は、娘2人を家に残して出かけなければいけません。
次女の卒園式や入学式でも、一緒にいるはずの主人の姿はなく、PTAの役員を引き受けるかどうか、そんな相談をすることもできないのです。

(ほんとに1人になっちゃった・・・)
夜、娘たちを寝かしつけて1人になると、主人の思い出が次々とよみがえります。

「Sさんには、幸せになってもらいたい」
主人はよく、そんな言葉をサラッと口にしました。
いつも優しくて、自分より他の人を優先する温かい人でした。
(私がもっと早くに気づいていれば・・・)

看護師でありながら、主人の不調に気づかなかった自分が許せません。
(私1人で、子供を育てていけるのかな)

職場ではもちろん、娘たちの前でも悲しい顔は見せないようにしていましたが、1人になると、どうしても涙があふれてきます。

そんなある夜のこと。
泣き疲れて、ふと顔を上げると、御本尊(ごほんぞん)が目に映りました。
(あっ・・・。そうだ、私は―)
御本尊の光が、不安と悲しみでいっぱいになった私の心を、照らしてくれたように感じたのです。

(そうだ。私は1人じゃない。神仏がいつも、そばにいて見守ってくださるんだ)
そう思った瞬間、何ともいえない安らぎに満たされました。

不思議ですが、「私も、子供も大丈夫」、そう確信できたのです。
信仰というものの力を、実感した出来事でした。

もう一度会えた日

信仰を支えに、仕事に子育てに忙しく過ごすうち、あっという間に1年が経ちました。
(お彼岸には、主人の供養をしよう)
15年3月、私は北海道正心館の「先祖供養大祭」に参加し、主人のために「愛念(あいねん)供養祈願」を受けることに。

その祈願式のなかで、とても神秘的な体験をしたのです。
目を閉じて主人のことを思っていると、胸に熱いものが込み上げました。
すると・・・

―Sさん、ありがとう―
主人の霊が現れて、私に微笑みかけました。
そして私の肩にそっと手を触れたのです。

―子供たちを、よろしく頼むね―
その瞬間、涙があふれました。

体に気をつけて。
あんまり無理をして頑張ることはないよ。
僕は天国へ還るけど、ずっと照世さんの幸せを願ってるよ―

主人はそう言うと、光に包まれて天高く消えて行ってしまいました。
(パパ・・・!)
再会の喜びと切なさ。
そして神仏への感謝があふれて、涙が止まりませんでした。

新しい扉を開いて

供養大祭での神秘体験のあと、私は、精神的に強くなれた気がします。
悩んだときは御本尊にお祈りし、大川隆法総裁の書籍をひもといて解決方法を学びます。
休日には、よく母娘三人で正心館に宿泊し、雲水(うんすい)修行(※)もさせていただきました。

そんなふうに信仰を中心に生活していくうちに、1人で不安に泣くこともなくなり、周りの友人から「ずいぶん変わったね」「明るくなったね」と言われるように。

そんなある日、正心館で法友たちと話していたとき、将来の夢が話題になりました。
「Sちゃんの夢ってなに?」
そう聞かれたとき、口をついた言葉は・・・。

「私、本当は保育士になりたかったんです」
それは長年の夢でした。
でも、今となってはさすがに遅すぎると思っていたのです。

「Sちゃん、やってみればいいよ」
「ええ!? でも・・・」
私が諦(あきら)めていた夢を、皆は大切に受け止めて、「挑戦するべき」と勧めてくれます。

その出来事が転機となり、私は夢に向かって一歩を踏み出すことができました。
今は保育補助の仕事をしながら、資格取得の勉強に励んでいます。
保育士の仕事を通して、世の中のお役に立ちたい。

そんな希望を胸に、忙しいけど充実した日々を送っています。
これもみな、信仰と法友のおかげ。
主人と天国で再会できる日を楽しみに、頑張っていきたいです。


※環境整備や行事運営の補助などを行い、心を磨いていく修行。

◆この記事は、月刊「幸福の科学」第366号(2017年8月号)に掲載された体験談をもとに編集しています

書籍で学ぶ先祖供養における注意点

『永遠の生命の世界』(大川隆法 著/幸福の科学出版)第4章先祖供養の真実より抜粋したメッセージ

「奪う愛」へのすり替え

「先祖を供養したい」という子孫の念が、愛念として実る場合はよいのですが、そうではない場合があります。

それは、子孫の側、生きている人間の側が、何とか救われたくて供養している場合です。

たとえば、「学業が不振である」「事業が不振である」「会社で出世しない」「恋愛が成功しない」「子供に問題が起きた」などということがあると、
「これは先祖が迷っているからではないのか」と考え、自分たちが幸福になりたくて一生懸命に先祖供養をしていることが、数多くあります。

ここに、微妙ながら、すり替えの起きる可能性があります。
供養というものは、本来は「与える愛」であるにもかかわらず、子孫の側が、わが身かわいさ、浮世の生きやすさのために、「先祖が悪さをしないように」という思いで供養していると、そこに「奪う愛」が生じやすいのです。

その結果、無反省な人間が生まれ、供養される側と供養する側が同質になることがあります。

供養される側が天国に行っている場合であれば、そういう問題は起きませんが、先祖が、あの世で悪霊となり、迷っているような場合は、子孫が欲得の心で先祖供養をすると、両者はほとんど同質なので、完全に通じてしまうのです。

供養される側が天国にいる場合、先祖供養は、「先祖のあの世での修行が、いっそう進んで、先祖が、より高い世界に入ってくれますように」という願いであり、
「子孫の私たちも、これだけ努力しておりますから、おじいさん、おばあさんも、そちらで、いっそう悟りを高めて、もっともっと高い境涯に上ってください」というエール(声援)でもあると思います。

そして、子孫の勉強が進めば進むほど、「私の子孫は、こんなに頑張っていて、世の中のお役にも立っている」ということになり、先祖も、あの世で光を得て、徳が生じてきます。

「おたくの子孫は、なかなか感心ですね」と言われて、あの世で近所の評判が上がりますし、そうした子孫を見ているうちに、「自分も、もっと頑張らなければ」という気持ちになって、さらに悟りが進むことになります。

そうした意味での、よい先祖供養はありうるのです。

※この記事は、月刊「幸福の科学」第366号(2017年8月号)に掲載された体験談をもとに編集しています

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