Archive for the ‘病気・事故’ Category

Mさんの長男・Tくんは、3歳の時に聴覚障害が発覚。さらに重複障害も疑われ、周りから「何も理解できない子」と言われ苦しみます。そのなかで、幸せを見いだした理由とは―。
M・Kさん(神奈川県)
月刊「幸福の科学」374号より転載・編集)

体験談人生の意味を教えてくれた、幸福の科学の教えとユー・アー・エンゼルの活動

言葉が出なかった長男

わが家の長男・Tは、2歳半になっても言葉を話しませんでした。3年保育を考えていた私は、幼稚園に入園の相談に行くことに。すると、Tの様子を見た先生は―。

「お母さん、この子、人の言うことがまったく理解できない子なんじゃないですか? こういう子はうちでは預かれませんよ」
「えっ、そんな……!」

私はショックを受けました。
普段のTは、出かけるときには自分から玄関に出て待っているような子で、周りの状況をよく理解できる育てやすい子だと思っていたのです。

戸惑いながらも、私は市の相談窓口や病院を訪ね回りました。そして、1年後にやっと、Tが話さない理由が分かったのです。

「Mさん、Tくんは重度難聴です。どうして今まで気づかなかったんですか?」
「えっ、重度難聴?」
医師によるとTは、ほとんど耳が聞こえていないとのことでした。

市の検診では聞こえていると言われていたので驚きましたが、主人は落ち着いてこう言ってくれました。

「障害があっても、Tにはしっかりした魂が宿っているから、大丈夫だよ。Tの魂の力を信じ育てていこう」

私たち夫婦は幸福の科学で仏法真理(※1)を学んでいたため、人間は”神様と約束した使命”や、魂修行のための”課題”を持って生まれてくることを知っていました。

そして、心身に障害があっても、そのなかに宿っている魂は健全で、今世(こんぜ)の人生を終えてあの世に還(かえ)れば、障害はなくなると学んでいたのです。
 
(私はTの母親として、この子が使命を果たせるよう、全力で支えていこう―)Tは補聴器を作り、ろう学校の幼稚部に通うことになりました。すると……。

「Mさん、この子、手話ができません。障害は重度難聴だけではなく、ADHDや自閉症なども重なっているのでは? 」

ろう学校の先生は毎日、Tの様子を観察し、「目を合わせない」「集中し過ぎる」といった”障害の特徴”を指摘します。先生の心配はありがたいと思いつつも、Tは私とはよく目が合うし、集中力があることは素晴らしいことではないかと思い、先生と意見が対立してしまいました。そんな日々のなか、私の心を支えてくれたのは、大川隆法総裁の教えでした。

「障害など、いろいろな悪条件を持っている人も多いと思いますが、実は、まわりの人に何かを教えたり、まわりの人の性格を優しくしたりする修行もしているのです」(※2)

「医者から自閉症児と言われた子の親は、それで悩むのではなく、『うちの子は強い個性を持っているのだ』と信じてあげてください」(※3)

たとえ”標準”でなくても、Tは強い個性を持った子なんだと信じ、この子のこれからの人生を支えていこうと思いました。

(※1)人間を幸福に導く神仏の教え。人類に共通する普遍的なルール。
(※2)『じょうずな個性の伸ばし方』より(大川隆法 著 幸福の科学出版刊)。
(※3)『心と体のほんとうの関係。』より(大川隆法 著 幸福の科学出版刊)。

「ユー・アー・エンゼル」との出合い

小学校は、ろう学校ではなく地元の公立小学校の特別支援学級に通わせました。
Tが小学3年生になったある日のこと。幸福の科学の法友(ほうゆう)(※4)が、電話をくれました。 

「Mさん、幸福の科学に障害児支援の団体ができたのよ。今度、渋谷精舎(※5)で集いをやるから、おいでよ!」その団体の名前は、「ユー・アー・エンゼル」(あなたは天使)。大川総裁が名づけてくださったそうです。集いの日、Tを連れて渋谷精舎に着くと、さまざまな障害を持つ子供たちとその親御さんが集っていました。

皆で輪になって、障害や悩みについて語り合いました。皆、「障害があっても、子供の魂は完全」と信じてきたお母さんたちで、心から安心して話ができました。なかには障害児の子育てを終えたお母さん方もいて、「たくさんの素晴らしい体験ができたよ」と爽(さわ)やかに語っている方もいました。

(素晴らしいな。共に教えを学べる仲間がいて本当にありがたい。私もユー・アー・エンゼルの活動に参加しよう)

それから毎週、私とTはユー・アー・エンゼルの教室に通い始めました。そこでは、多くのボランティアの方が、幸福の科学の書籍を読み聞かせたり、勉強を教えたりしてくれます。Tは、言語聴覚士の資格を持つOさんに、幸福の科学の根本経き典『正心法語 』を読み聞かせてもらったり、国語や算数を教わったりしました。耳が聞こえないTが「言葉」を認識できているのか、分からない状態でしたが、Tは教わるのがうれしいようで、毎週喜んで通いました。

(※4)同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。
(※5)東京都渋谷区にある、幸福の科学の礼拝施設。さまざまな研修や祈願を開催している。

初めて分かった太陽の思い

Tが中学1年生の時、転機が訪れました。
ユー・アー・エンゼルの集いに、S教授がいらっしゃったのです。
S教授は、障害児教育を研究されていて、言葉が話せない障害者の気持ちを、指の動きを通して読み取る「指筆談」支援を行っています。その日、S教授は参加者全員に指筆談を行ってくれました。そしてTの番になると、S教授は、Tの思いをこのように引き出してくれたのです。

「僕は小さいころから耳が聞こえませんでした。でも、お母さんの声は聞こえていたので、なんとか言葉を覚えてきました」
(えっ、私の声だけ聞こえてた? )
本当に驚きました。病院の検査では、「この子は低い音が聞き取りやすい」と言われていたからです。

そのとき、スタッフの方が私の声を真似て、高い声でTに話しかけてくれました。すると驚いたことに、Tは高い声にハッキリと反応したのです。

その日から、周囲の人々に、Tに高い声で話しかけるようにしてもらったところ、コミュニケーションを取りやすくなり、Tは表情がどんどん豊かになっていきました。

ユー・アー・エンゼルでの学び

その後、もう一つの出会いがありました。大学院で数学を研究しているHさんが、講師として勉強を教えてくれることになったのです。ある時、かけ算のひっ算が解けないTを見て、Hさんはこう言いました。

「Tくんは、視線を縦に動かすのが難しいのかもしれない。ひっ算ではなく、横書きで式を書く分配法則を使ってみましょう」
Hさんがその方法でTに教えると、なんと、今まで解けなかった問題を解くことができたのです。これにも、とても驚きました。Hさんは他にも、Tのために自宅学習用の動画を作るなど、さまざまな工夫をして学力を伸ばしてくださっています。

また、大学で特別支援教育を学ぶSさんに、コミュニケーションの取り方や国語の勉強を教わることになりました。Sさんは、「教える側の工夫で、できることは増えます」と熱心に教えてくれます。

おかげで、Tは少しずつ言葉をつづれるようになりました。現在通っている中学校の特別支援学級の先生も、Tの成長ぶりに驚かれています。

私たち家族は、大川総裁の教えとユー・アー・エンゼルのおかげで、人生が輝き始めました。Tは、大川総裁が説かれている通り、「障害があっても魂は完全」「魂こそが人間の本質」であることを身をもって教えてくれています。また、ユー・アー・エンゼルの学びを通して、多くの人や、目に見えない愛に支えられていることにも気づきました。

私たち家族も、恩返しの人生を生きていけるよう、努力していきたいと思います。障害に悩む多くの方に、幸福の科学の教えと、この活動を伝えていきます。

大川隆法 質疑応答集 罫線(下)

2018年春、ドキュメンタリー映画「心に寄り添う。」が公開!

幸福の科学では、障害児支援団体「ユー・アー・エンゼル」をはじめ、不登校児支援や、いじめ・自殺防止運動などに取り組んでいます。
それらの社会貢献事業を若者たちが取材し、「人生の意味」や「救いとは何か」に迫ったドキュメンタリー映画「心に寄り添う。」が、この春、全国の幸福の科学の支部・精舎で4/27より公開されます。
ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田でも5/5~5/11の1週間限定で上映されます。


〈企画〉 大川隆法
〈監督〉 宇井孝司 / 松本弘司
〈プロデューサー〉 橋詰太奉 / 鈴木 愛 / 大川愛理沙
〈出演〉 希島 凛ARI Production
     小林 裕美 / 藤本 明徳 / 三浦 義晃(HSU生)
〈製作〉 ARI Production

価値観が変わる映画

私が、悩みや障害を持つ方々との出会いのなかで気づいたことは、自分自身の未熟さでした。信仰心を持って純粋に生きている、そうした方々の姿を見て、本当の意味で価値観が変わり、人として成長できたと思います。

また、取材を通して、本当の愛を持っていなかった自分と向き合うことになったんです。無私なる思いで周りの人に愛を与え続ける、ボランティアスタッフの方々の姿を見て、とても感化されました。

この映画が、人生を考えるきっかけになれたらうれしいです。
※写真:「心に寄り添う。」インタビュアー希島 凛(きじま りん)(ARI Production)

映画についてのお問い合わせは、幸福の科学サービスセンターまで。
TEL 03-5793-1727 【火~金】10時~20時 【 土日祝】10時~18時(月曜を除く)

映画「心に寄り添う。」関連体験談

私の息子になってくれてありがとう【体験談】
リストラ、借金、自殺未遂【体験談】

関連リンク

ドキュメンタリー映画「心に寄り添う。」公式サイト
ARI Production
一般社団法人ユー・アー・エンゼル
不登校児支援スクール ネバー・マインド
一般財団法人 いじめから子供を守ろうネットワーク
自殺防止サイト あなたに贈る真理の言葉

書籍で学ぶハンディを背負う子供たちへ

『幸福へのヒント』(大川隆法 著/幸福の科学出版)3章 子供の幸福へのヒント/5 ハンディを背負う子供たちへ/障害を言い訳の材料にしないより抜粋したメッセージ

障害を言い訳の材料にしない

何らかの障害がある人にとっての基本は、「障害を言い訳の材料にしない」ということです。障害があっても、それをむしろプラスに変えていく生き方が大事です。言い訳のみの人生を生きても、絶対に本人のプラスにはなりません。それだけは間違いないのです。

したがって、障害のある子供には、「あなたは素晴らしい人生を生きるために選ばれた人なのだよ。マイナスからのスタートになるけれども、逆境をバネとして生き、道を切り開けば、素晴らしい人生を生きられるのだよ」と教えてあげてください。

アメリカの光明思想家に、デール・カーネギー(1888~1955)という人がいます。『道は開ける』『人を動かす』などの著書で有名です。

この人は、子供のころ、窓から飛び下りた際に指輪が釘に引っ掛かり、左手の人差し指がちぎれてしまったのだそうです。

しかし、彼は後年、次のように述べています。

「私は手の指が一本ないのを悩んだことはない。指が一本ないという事実に気が付くのは、月に一回あるかないかである」

彼は、前向きに、積極的に仕事をして生きていたので、指が一本ないことなど、ほとんどの時間、忘れていたのです。

どこか具合が悪くても、そればかり考えていては、しかたがありません。むしろ、積極的な生き方を展開することに情熱を注いだほうが、人生を終わる時点では絶対に得なのです。

人間は二つのことを同時には考えられません。この特性を使って、「よいほうに、よいほうに」と物事を考えていってください。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

心の力を、あなたも使おう心の力を使おう

あなたも心の力を学び、運命を逆転させてみませんか?

書籍本を読む

法話法話を直接聴く

お近くの幸福の科学の精舎や支部で開示中です。

ラジオラジオを聴く

1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

関連リンク

信者体験談一覧
ラジオ番組「天使のモーニングコール」
大川隆法総裁 公開法話・霊言一覧
幸福の科学出版
幸福の科学の研修施設(精舎)
幸福の科学 機関誌 隔月刊「ザ・伝道」一覧

Mさんの長男・Tくんは、3歳の時に聴覚障害が発覚。さらに重複障害も疑われ、周りから「何も理解できない子」と言われ苦しみます。そのなかで、幸せを見いだした理由とは―。
M・Kさん(神奈川県)
月刊「幸福の科学」374号より転載・編集)

体験談人生の意味を教えてくれた、幸福の科学の教えとユー・アー・エンゼルの活動

言葉が出なかった長男

わが家の長男・Tは、2歳半になっても言葉を話しませんでした。3年保育を考えていた私は、幼稚園に入園の相談に行くことに。すると、Tの様子を見た先生は―。

「お母さん、この子、人の言うことがまったく理解できない子なんじゃないですか? こういう子はうちでは預かれませんよ」
「えっ、そんな……!」

私はショックを受けました。
普段のTは、出かけるときには自分から玄関に出て待っているような子で、周りの状況をよく理解できる育てやすい子だと思っていたのです。

戸惑いながらも、私は市の相談窓口や病院を訪ね回りました。そして、1年後にやっと、Tが話さない理由が分かったのです。

「Mさん、Tくんは重度難聴です。どうして今まで気づかなかったんですか?」
「えっ、重度難聴?」
医師によるとTは、ほとんど耳が聞こえていないとのことでした。

市の検診では聞こえていると言われていたので驚きましたが、主人は落ち着いてこう言ってくれました。

「障害があっても、Tにはしっかりした魂が宿っているから、大丈夫だよ。Tの魂の力を信じ育てていこう」

私たち夫婦は幸福の科学で仏法真理(※1)を学んでいたため、人間は”神様と約束した使命”や、魂修行のための”課題”を持って生まれてくることを知っていました。

そして、心身に障害があっても、そのなかに宿っている魂は健全で、今世(こんぜ)の人生を終えてあの世に還(かえ)れば、障害はなくなると学んでいたのです。
 
(私はTの母親として、この子が使命を果たせるよう、全力で支えていこう―)Tは補聴器を作り、ろう学校の幼稚部に通うことになりました。すると……。

「Mさん、この子、手話ができません。障害は重度難聴だけではなく、ADHDや自閉症なども重なっているのでは? 」

ろう学校の先生は毎日、Tの様子を観察し、「目を合わせない」「集中し過ぎる」といった”障害の特徴”を指摘します。先生の心配はありがたいと思いつつも、Tは私とはよく目が合うし、集中力があることは素晴らしいことではないかと思い、先生と意見が対立してしまいました。そんな日々のなか、私の心を支えてくれたのは、大川隆法総裁の教えでした。

「障害など、いろいろな悪条件を持っている人も多いと思いますが、実は、まわりの人に何かを教えたり、まわりの人の性格を優しくしたりする修行もしているのです」(※2)

「医者から自閉症児と言われた子の親は、それで悩むのではなく、『うちの子は強い個性を持っているのだ』と信じてあげてください」(※3)

たとえ”標準”でなくても、Tは強い個性を持った子なんだと信じ、この子のこれからの人生を支えていこうと思いました。

(※1)人間を幸福に導く神仏の教え。人類に共通する普遍的なルール。
(※2)『じょうずな個性の伸ばし方』より(大川隆法 著 幸福の科学出版刊)。
(※3)『心と体のほんとうの関係。』より(大川隆法 著 幸福の科学出版刊)。

「ユー・アー・エンゼル」との出合い

小学校は、ろう学校ではなく地元の公立小学校の特別支援学級に通わせました。
Tが小学3年生になったある日のこと。幸福の科学の法友(ほうゆう)(※4)が、電話をくれました。 

「Mさん、幸福の科学に障害児支援の団体ができたのよ。今度、渋谷精舎(※5)で集いをやるから、おいでよ!」その団体の名前は、「ユー・アー・エンゼル」(あなたは天使)。大川総裁が名づけてくださったそうです。集いの日、Tを連れて渋谷精舎に着くと、さまざまな障害を持つ子供たちとその親御さんが集っていました。

皆で輪になって、障害や悩みについて語り合いました。皆、「障害があっても、子供の魂は完全」と信じてきたお母さんたちで、心から安心して話ができました。なかには障害児の子育てを終えたお母さん方もいて、「たくさんの素晴らしい体験ができたよ」と爽(さわ)やかに語っている方もいました。

(素晴らしいな。共に教えを学べる仲間がいて本当にありがたい。私もユー・アー・エンゼルの活動に参加しよう)

それから毎週、私とTはユー・アー・エンゼルの教室に通い始めました。そこでは、多くのボランティアの方が、幸福の科学の書籍を読み聞かせたり、勉強を教えたりしてくれます。Tは、言語聴覚士の資格を持つOさんに、幸福の科学の根本経典『正心法語 』を読み聞かせてもらったり、国語や算数を教わったりしました。耳が聞こえないTが「言葉」を認識できているのか、分からない状態でしたが、Tは教わるのがうれしいようで、毎週喜んで通いました。

(※4)同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。
(※5)東京都渋谷区にある、幸福の科学の礼拝施設。さまざまな研修や祈願を開催している。

初めて分かったTの思い

Tが中学1年生の時、転機が訪れました。
ユー・アー・エンゼルの集いに、S教授がいらっしゃったのです。
S教授は、障害児教育を研究されていて、言葉が話せない障害者の気持ちを、指の動きを通して読み取る「指筆談」支援を行っています。その日、S教授は参加者全員に指筆談を行ってくれました。そしてTの番になると、S教授は、Tの思いをこのように引き出してくれたのです。

「僕は小さいころから耳が聞こえませんでした。でも、お母さんの声は聞こえていたので、なんとか言葉を覚えてきました」
(えっ、私の声だけ聞こえてた? )
本当に驚きました。病院の検査では、「この子は低い音が聞き取りやすい」と言われていたからです。

そのとき、スタッフの方が私の声を真似て、高い声でTに話しかけてくれました。すると驚いたことに、Tは高い声にハッキリと反応したのです。

その日から、周囲の人々に、Tに高い声で話しかけるようにしてもらったところ、コミュニケーションを取りやすくなり、Tは表情がどんどん豊かになっていきました。

ユー・アー・エンゼルでの学び

その後、もう一つの出会いがありました。大学院で数学を研究しているHさんが、講師として勉強を教えてくれることになったのです。ある時、かけ算のひっ算が解けないTを見て、Hさんはこう言いました。

「Tくんは、視線を縦に動かすのが難しいのかもしれない。ひっ算ではなく、横書きで式を書く分配法則を使ってみましょう」
Hさんがその方法でTに教えると、なんと、今まで解けなかった問題を解くことができたのです。これにも、とても驚きました。Hさんは他にも、Tのために自宅学習用の動画を作るなど、さまざまな工夫をして学力を伸ばしてくださっています。

また、大学で特別支援教育を学ぶSさんに、コミュニケーションの取り方や国語の勉強を教わることになりました。Sさんは、「教える側の工夫で、できることは増えます」と熱心に教えてくれます。

おかげで、Tは少しずつ言葉をつづれるようになりました。現在通っている中学校の特別支援学級の先生も、Tの成長ぶりに驚かれています。

私たち家族は、大川総裁の教えとユー・アー・エンゼルのおかげで、人生が輝き始めました。Tは、大川総裁が説かれている通り、「障害があっても魂は完全」「魂こそが人間の本質」であることを身をもって教えてくれています。また、ユー・アー・エンゼルの学びを通して、多くの人や、目に見えない愛に支えられていることにも気づきました。

私たち家族も、恩返しの人生を生きていけるよう、努力していきたいと思います。障害に悩む多くの方に、幸福の科学の教えと、この活動を伝えていきます。

大川隆法 質疑応答集 罫線(下)

2018年春、ドキュメンタリー映画「心に寄り添う。」が公開!

幸福の科学では、障害児支援団体「ユー・アー・エンゼル」をはじめ、不登校児支援や、いじめ・自殺防止運動などに取り組んでいます。
それらの社会貢献事業を若者たちが取材し、「人生の意味」や「救いとは何か」に迫ったドキュメンタリー映画「心に寄り添う。」が、この春、全国の幸福の科学の支部・精舎で4/27より公開されます。
ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル梅田でも5/5~5/11の1週間限定で上映されます。※ ヒューマントラストシネマ渋谷 では、好評のため 5/17(木)まで上映が延長となりました!


〈企画〉 大川隆法
〈監督〉 宇井孝司 / 松本弘司
〈プロデューサー〉 橋詰太奉 / 鈴木 愛 / 大川愛理沙
〈出演〉 希島 凛ARI Production
     小林 裕美 / 藤本 明徳 / 三浦 義晃(HSU生)
〈製作〉 ARI Production

価値観が変わる映画

私が、悩みや障害を持つ方々との出会いのなかで気づいたことは、自分自身の未熟さでした。信仰心を持って純粋に生きている、そうした方々の姿を見て、本当の意味で価値観が変わり、人として成長できたと思います。

また、取材を通して、本当の愛を持っていなかった自分と向き合うことになったんです。無私なる思いで周りの人に愛を与え続ける、ボランティアスタッフの方々の姿を見て、とても感化されました。

この映画が、人生を考えるきっかけになれたらうれしいです。
※写真:「心に寄り添う。」インタビュアー希島 凛(きじま りん)(ARI Production)

映画についてのお問い合わせは、幸福の科学サービスセンターまで。
TEL 03-5793-1727 【火~金】10時~20時 【 土日祝】10時~18時(月曜を除く)

映画「心に寄り添う。」関連体験談

私の息子になってくれてありがとう【体験談】
リストラ、借金、自殺未遂【体験談】

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ドキュメンタリー映画「心に寄り添う。」公式サイト
ARI Production
一般社団法人ユー・アー・エンゼル
不登校児支援スクール ネバー・マインド
一般財団法人 いじめから子供を守ろうネットワーク
自殺防止サイト あなたに贈る真理の言葉

書籍で学ぶハンディを背負う子供たちへ

『幸福へのヒント』(大川隆法 著/幸福の科学出版)3章 子供の幸福へのヒント/5 ハンディを背負う子供たちへ/障害を言い訳の材料にしないより抜粋したメッセージ

障害を言い訳の材料にしない

何らかの障害がある人にとっての基本は、「障害を言い訳の材料にしない」ということです。障害があっても、それをむしろプラスに変えていく生き方が大事です。言い訳のみの人生を生きても、絶対に本人のプラスにはなりません。それだけは間違いないのです。

したがって、障害のある子供には、「あなたは素晴らしい人生を生きるために選ばれた人なのだよ。マイナスからのスタートになるけれども、逆境をバネとして生き、道を切り開けば、素晴らしい人生を生きられるのだよ」と教えてあげてください。

アメリカの光明思想家に、デール・カーネギー(1888~1955)という人がいます。『道は開ける』『人を動かす』などの著書で有名です。

この人は、子供のころ、窓から飛び下りた際に指輪が釘に引っ掛かり、左手の人差し指がちぎれてしまったのだそうです。

しかし、彼は後年、次のように述べています。

「私は手の指が一本ないのを悩んだことはない。指が一本ないという事実に気が付くのは、月に一回あるかないかである」

彼は、前向きに、積極的に仕事をして生きていたので、指が一本ないことなど、ほとんどの時間、忘れていたのです。

どこか具合が悪くても、そればかり考えていては、しかたがありません。むしろ、積極的な生き方を展開することに情熱を注いだほうが、人生を終わる時点では絶対に得なのです。

人間は二つのことを同時には考えられません。この特性を使って、「よいほうに、よいほうに」と物事を考えていってください。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

心の力を、あなたも使おう心の力を使おう

あなたも心の力を学び、運命を逆転させてみませんか?

書籍本を読む

法話法話を直接聴く

お近くの幸福の科学の精舎や支部で開示中です。

ラジオラジオを聴く

1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

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大川隆法総裁 公開法話・霊言一覧
幸福の科学出版
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幸福の科学 機関誌 隔月刊「ザ・伝道」一覧

重度の糖尿病にかかり、左足の薬指が壊死(えし)してしまったAさん。合併症を併発し、一時は危険な状態になりました。病床で神仏に救いを求めたAさんに、ある奇跡が訪れます―。
A・Mさん(愛知県・60代・男性)
ザ・伝道227号より転載・編集

体験談心の力で病気を癒す

重度の糖尿病と告げられて

「うわあ!」
2017年1月27日の晩のことでした。

私がお風呂に入ろうと靴下を脱いだとき、左足の薬指から血が出ていることに気がつきました。痛みはないのですが、足はぱんぱんに膨(ふく)れ、皮膚は黒ずんでいます。驚いた私は、ちょうど外出先から帰宅した妻のYに見せました。

「おいおい、ちょっとこれを見てみろ」
「ええっ! お父さん、この足どうしたの」

慌(あわ)てて近くの救急病院に駆け込むと、医師は、ひと目で糖尿病だと言いました。検査を受けると、血糖値もヘモグロビンA1cも、正常値を大幅に超え、医師も驚くほど。

「Aさん、すぐに入院してください。左足の薬指は壊死しています。足に症状が出ていなければ、失明していたか、場合によっては命を落としていたかもしれません」
(そんなにひどいんか……)

当時、私は自動車部品の製造工場を経営していました。毎日残業で休日も返上して働いていましたし、食事も高カロリーなものを好んでいました。若い頃に糖尿病のけがありましたが、今まで健康に暮らしてきたので、あまり身体のことに気をつかってこなかったのです。

そんな不摂生(ふせっせい)がたたったのかもしれません。左足も、3日ほど前から腫(は)れていたものの、痛みがなかったのでそのままにしていました。

翌日、入院すると、私と妻は病院で定期的に行われている糖尿病の勉強会に呼ばれました。糖尿病の知識がなかった私たち夫婦は、さっそく参加させていただくことにしたのです。

しかしそこで見せられたのは、足がなくなった人の映像や失明した人の事例の数々― 。自分がいかに”恐ろしい病気になったのか”をつきつけられると同時に、私も妻も不安がどんどん募(つの)っていきます。

実際に、私も医師から「膝(ひざ)下から切断すれば早く社会復帰できますよ」と言われていました。

(膝下から? 指だけ切りゃあいいのかと思っとったのに。切ったらもう二度と、自分の足では歩けなくなるんか……)

包帯に巻かれている左足をながめては、虚(むな)しい気持ちになるのでした。

「お父さんの足、絶対治るから」 

そんな私の心の支えになっていたのは以前から信仰している幸福の科学の教えでした。私は、1992年に、妻の誘いで大川総裁の講演会「中道からの発展」に参加して感銘(かんめい)を受け、「もっと深く学びたい」と思って入信しました。以来、家族で信仰してきたのです。 
 
幸福の科学の祈願によって数多くの奇跡が起きていると聞いていた私は、入院してすぐ、名古屋正心館で、病気平癒や機能再生のための祈りである『スーパー・ベ ガ・ヒーリング』を受けることにしました。

病院から出られない私に代わり、名古屋正心館に行ってきてくれた妻は、病室に戻ってくると興奮した様子で祈願中の不思議な体験を話してくれました。
「お父さん、祈願を受けているときにね― 」

聞くと、私の指が治っていて、肌も健康なピンク色で、爪も普通に生えているビジョンがありありと降りてきたと言うのです。

「お父さんは、大丈夫だって、確信したの。この足は切断しなくても絶対治る!」
「そうだな、治るよ」

信仰があったからこそ、どんな状況でも、私たち夫婦は希望を失わずにいられたのです。

悪化していく病状

しかし、足の状況は日に日に悪化する一方。医師から悲観的な未来を聞かされると、「足は切らなくても絶対治る」と信じていた気持ちも揺らいでしまうこともしばしばでした。

(足を切ったら、早く家に帰れるんやな。このまま病院におるのもかなわんし……)

妻は面会に来てくれると、「お父さん、調子はどう?」と、明るく接してくれますが、大黒柱の私が病気になって心細いはずです。

これは後から知ったことですが、私の病状が悪化していくにつれ、妻にも相当つらく、怖い思いをさせていました。妻は面会を終えて家に帰る車で、一人涙を流していたそうです。自宅に着いても茫然自失(ぼうぜんじしつ)としてしまい、駐車場で1時間くらい泣いていたと聞きました。それでも、次の日、私に会うときには、また天真爛漫(てんしんらんまん)な笑顔を見せてくれていたのです。

(Y、心配かけて申し訳ない。しょうがない、もう足を切らないかんな……)

病気になって以来、ずっと空けている家はもちろん、仕事のことも心配です。足を切れば、また働けるかもしれないと思い、私はついに手術をする決意を固めました。

「俺はまちがっとった……」

その翌日のことです。朝目覚めると、身体がガタガタと震えてきました。
(一体、俺の身体に何が起きてるんだ― ) 

そう思ったあとから、40度近い高熱が襲ってきました。恐れていたことが起きたのです。壊死していた箇所にいた細菌が、骨のなかに入ってしまい、合併症になったのです。

腎臓は透析が必要な一歩手前。心筋梗塞(しんきんこうそく)も起きかねない状況で、目も弱くなっていてレーザー治療が必要だと言われました。さらに、自覚はなかったのですが痴呆(ちほう)の症状まで出ているそうなのです。

熱のため足の手術はしばらくできなくなってしまい、3日間、高熱で寝込みました。そのなかで私は、自然と今までの人生を振り返っていったのです。

楽しかった子供時代や学生時代、父親の工場を継(つ)いだときのこと、Yとの結婚、両親の介護、そして死別― 。
(あ……)

私は数年前に亡くなった実の父と母の介護を思い出してはっとしました。
(俺は、親の面倒をよくみたなあと思っていたけども、今思えば、充分じゃなかった)

私は高齢の両親にいつもついてまわるなど、確かに一生懸命介護をしていました。しかし、そのときの私の心の中身は、「してあげている」という気持ちが強く、感謝やいたわる思いが足りなかったのです。

そのことに気づくと、今、私の回復を信じ、献身的に支えてくれている妻の姿が心に浮かびました。
(Yは本当によくやってくれとる……)

妻が面会に来ると病室が明るくなります。2人でいると会話が尽きなくて、私は病気のことも忘れて心から笑えたのでした。妻の存在がずっと私を助けてくれていたのです。

それなのに私は、妻から与えられている愛が、「当たり前」だと思っていたことに気がつきました。思い返してみると、病気になるまでろくに感謝もしてこなかったのです。
(Yは全然自分のことは考えないで、俺のために……)

さらによく周りを見てみると、妻以外にも医師や看護師など、たくさんの方が私の病気を治そうと一生懸命やってくれていることに改めて気がつきました。また、幸福の科学の法友(※1)たちも、私の足の回復を毎日祈ってくれていると妻から聞いたことを思い出したのです。その中には、私の面識のない人までいました。

(俺は、多くの人に支えられていたんだ― )

「感謝は大切」と幸福の科学で学びながら、本当の意味で感謝ができていなかった自分を悔(く)いたのです。柄にもなく男泣きをしていると、妻が病室に入ってきました。
「俺は本当にまちがっとった……」

「お父さん、どうしたの? こんな病気になったけど、ここまでよくお仕事を頑張ってきたじゃないですか。大丈夫だよ」
そう言いながら、私の背中を優しくさすってくれる妻の顔をふと見ると、妻の目にも大粒の涙が溜(た)まっています。私たちはお互い肩を寄せ合ってぽろぽろと泣いたのでした。

↑ 入院中、誕生日を迎えたYさんに感謝をこめて花束のプレゼントをした。

(※1)同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

「この指、まだ生きてますよ」

私は、発熱したことで4人部屋から個室に移り、それをきっかけに病院での信仰生活を整えました。まず御本尊(※2)を安置させていただき、毎日、幸福の科学の根本経典『仏説・正心法語』を読んで祈りました。

そして、大川総裁の法話のCDやDVDを流し続けたのです。法話「奇跡を感じよう」を拝聴していたときのこと―。

「今、みなさんは「自分は地獄の坩堝(るつぼ)で苦しんでいる」と思っているかもしれませんが、それは、実は、みなさんの魂(たましい)を鍛(きた)え、真なる金(きん)に変えようとする、大いなる慈悲(じひ)であることが多いのです。そういうことを知っておいてくださればと思います。そうすれば、みなさんには、「奇跡を感じる瞬間」が必ず訪(おと)ずれるでしょう―」

(そうだなあ。俺は病気になったから大切なことに気がついた。もう自分であれこれ判断しないで、治るかどうかは神仏にお任せしよう)
信仰生活を整えたことで、私の心はさらに穏(おだ)やかになっていったのです。

そんなある日のことです。皮膚科の検診で、足の包帯を外した拍子に左足の薬指が第二関節からぼろっと崩れ、そこから血がどばっと吹き出てきました。
 
「Aさん! この指はまだ生きてますよ!」
(えっ!?)

確かに「死んだ」はずの指が「生きて」いると言うのです。思えばあの日、熱が出ていなければとっくに足を切っていたはず。

神秘の力を実感するとともに、神仏が私の足を守ってくださったのだと思いました。

(※2)家庭用の祭壇

足の指が奇跡の”再生”

指が取れてから数日後。一時退院をした私は、妻と娘に付き添われて名古屋正心館に参拝し、『ガン細胞消滅祈願』を受けることにしました。歩くことができない私は、娘に車椅子を押されながら特別祈願室に入りました。

(主よ、御心ならば、私の足を治してください。必ず世の中に恩返しをします。ありがとうございました― )
静かに合掌(がっしょう)し、神仏に全て委(ゆだ)ねる気持ちで祈りました。

その翌日からです。再入院した私の足がみるみるうちに回復していったのです。驚くことに、第二関節から取れた薬指が、徐々に再生していきました。入院から約3カ月経つ頃には退院することができ、その後も定期的に受診して経過をみましたが、足の指は元の長さにまで戻って、皮膚もすっかりきれいになったのです。

そしてついに車椅子なしで生活できるまでに回復を果たしました。

当初、担当医からは「治るまで1年はかかる」と言われていたのに、わずか4カ月で足の指が再生したのです。私は「奇跡をいただいた」と、妻と一緒に、改めて神仏に感謝を捧げました。

「奇跡の実証者」として信仰の尊さを伝えたい

私は今、自分の足で自由に歩ける喜びをしみじみと感じています。今年の1月には、新しく生えた指に、爪のようなものができました。「爪は絶対に生えない」と言われていたので、医師も看護師もとても驚いていました。

信仰に出合っていなかったら、私は今ごろ車椅子で病院に通院する日々を送り、さらに悲惨な状況になっていたでしょう。神仏に助けていただいたことへの感謝の気持ちを少しでも表したくて、今は毎日、妻と一緒に幸福の科学の布教誌配布に取り組んでいます。
 
私は病気を経験してつかんだことがあります。それは、「目に見えない存在や心の力を『信じきる』ことで、人生は本当に好転していくのだ」ということです。

今までも信仰を持っていましたから、自分では「信じて」いたつもりでした。しかし、「信じきれて」はいなかったのかもしれません。どうにもならないような苦難に直面して、真剣に自分を見つめ、祈り、やっと「信じ切る」こととは何か分かってきたのです。

これからは、”奇跡の実証者”として、信仰の尊さを一人でも多くの方に伝えていきたいです。それが、私の使命です。

Aさんの足指の再生記録

指が約1㎝生えた(2017年3月21日撮影)

↑ 壊死した薬指が第二関節から崩れて約1カ月後の様子。指が約1cm生えてきている。

皮膚も綺麗になった(2018年3月4日撮影)

↑ 皮膚の白いところが、再生した箇所。

「信じる力」には絶大な力がある(妻・Yさん)

医師から、主人の足の切断を勧められたときは、恐ろしくて毎日泣いておりました。

でも、信仰があったからこそ、主人も私も「病気は治る」という希望を捨てずにこれたのです。神仏は絶対、そばで私たち一人ひとりを見守っていらっしゃいます。私はそれを、主人の病気を通して実体験させていただきました。

「『信じる力』には絶大な力があるんですよ」「信仰は大切ですよ」ということを、主人と一緒に多くの方に伝えていく使命を感じております。

書籍で学ぶ「信仰パワー」で病気を治そう

『奇跡のガン克服法』(大川隆法 著/幸福の科学出版)第2章 奇跡のヒーリングパワー/4 「信仰パワー」で病気を治そう/不可能が可能になる時代が到来している

不可能が可能になる時代が到来している

病院で治らなくなったら、あとは信仰パワーで治してください。「治してもよい人」であれば治せるのです。当会の教えを本当によく理解したら、治らないはずはないことが分かります。

さらに、最近は宇宙人パワーまで引いてきはじめていて、これまでの霊的なヒーリングを超え、「プレアデス・ヒーリング」や「スーパー・ベガ・ヒーリング」などの祈願も始まっています。不可能が可能になる時代が、すでに到来しているのです。

現代人は、なかなか信用できない話でしょうが、死んだイエスは復活したと言われていますし、オフェアリス(紀元前四千数百年ごろ、ギリシャの地に生まれた光の大指導霊。エジプトの神話ではオシリスと言われている)も、殺されてバラバラにされたあと、その死体をつなぎ合わせて復活させたことになっています。

現代の外科医が聞くと引っ繰り返るような話ですが、私の宇宙人リーディング(霊査)によると、ベガ星人が彼らを復活させたそうです。科学技術の進んだ星の技術を使えば、それは可能でもあろうと思います。

今、そういう宇宙人パワーも引いてきているところなので、これから、病気の治り方は、いっそう加速され、“新幹線”以上の力が出て、“リニア新幹線型”の治り方をするかもしれません。あとは、教団全体として、信仰空間を上手につくり出していくことが大事だと思います。そうすれば、もっともっと奇跡は起きるでしょう。

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この記事は、毎月発刊の機関誌月刊「幸福の科学」第230号より転載し、編集を加えたものです。

Kさん(男性)

40歳の若さで亡くなった妻

数年前、5人の子供と私を残して、妻のHが40歳の若さで、がんで亡くなりました。もし信仰がなかったら、私は悲しみに暮れ、仕事も手につかなかったでしょう。

しかし、今、私は心に希望を抱いて生きていくことができます。それは、「人生はこの世限りではない」ということを確信しているからです。そして、あの世から見守ってくれている妻の存在を感じているからです。

妻の死を通して、私が感じ、学んだことをお話ししてみたいと思います。

突然の余命宣告

「お父さん、私、がんだって・・・」

ある春の日のこと、妻が不安そうな声で会社に電話してきました。

「最近、胸のあたりが苦しい」と体調不良を訴えていた妻が、病院で受けた検査の結果でした。病名は「スキルス性胃がん」。進行が早く、治療が難しいと言われている胃がんだそうです。

「すぐにでも入院して、手術しましょう。胃の3分の2を切除すれば、治癒の可能性もあります」

医師の強い勧めにしたがって、手術することになりました。ところが、手術が終わって医師に呼ばれると—。

「残念ですが、奥さまのがんは予想以上に進行し、周辺の臓器もすでにがんに侵されていました。胃は全体を摘出しましたが、すべてのがん細胞を取り除くことは不可能でした。余命は・・・あと、1カ月から半年です」

あまりのショックに言葉も出ません。

医師の説明を聞きながら、「どうして今まで気づいてやれなかったのか」と申し訳なさに涙があふれるばかりでした。

「生命は永遠」と知ってはいても・・・

私たち夫婦は、幸福の科学の信者です。人間の本質は霊であり、死んで肉体が滅んでも、あの世に還って新たな生活が始まると学んでいます。

しかし、実際に妻の死が迫っていることを告げられると、私はすっかりうろたえてしまいました。

しっかりしなければ—。そう自分に言い聞かせて、妻の病室に向かいました。手術前、妻から「手術の結果は隠さずに伝えてほしい」と言われていたので、私は医師の説明を彼女に伝えました。

「気をしっかり持って頑張るんだぞ」と言いながら、自分が動転しています。

「お父さん、大丈夫よ。心配しないで。何があっても私は仏を信じているから。でも、あと4、5年は生きられるように頑張るからね」

妻は全く動じることなく、いつもの笑顔で、逆に私を励ましてくれました。病名を告げられてから、手術を受けるまでの間に、心の整理をし、覚悟を決めていたようです。

しかし、私にはとてもそのような不動心はありませんでした。

優しかった妻

妻は高校時代の同級生で、当時から付き合い始め、24歳の時に結婚しました。

私は運送会社の営業職で、朝から晩まで忙しく、結婚当初から家庭を顧みる余裕はありませんでした。

「もっと早く帰ってこれないの」と時々こぼしていた妻でしたが、幸福の科学の信仰に出会ってからは「お仕事、遅くまでおつかれさま」などと、ねぎらいの言葉をかけてくれるようになりました。

その変化に驚き、幸福の科学に興味を持った私は、妻の勧めで入信しました。そして、仕事で問題につきあたったときなどに、『常勝思考』『仕事と愛』などで説かれている成功論や仕事論を実践し、少しずつ教えの素晴らしさを実感していきました。

しかし、今振り返ると、当時の私は、仕事のため、成功のために仏法真理を学んでいたようなもので、確かな信仰を持っているとはいえない心境でした。

一方、妻はもっと深いところで、仏の慈悲を感じていたのでしょう。信仰に出会ったことで、本当に強くて優しい女性になりました。

家庭では私や子供たちにいつも笑顔で接してくれ、「ありがとう」という感謝の言葉を絶やしません。

子供の母親同士の人間関係の中でも、何かもめ事が起きれば仲裁に入り、人のことは絶対に悪く言わず、いろいろな人に頼りにされていたようです。伝道にも熱心で、友人・知人に仏法真理の本をお勧めする手紙をよく書いていました。

自宅療養のため5月に家に戻ってからも、妻の優しさは全く変わりませんでした。「お父さん、身体大切にしてね」と毎日笑顔で送り出してくれる妻に、私も笑顔で応えました。

しかし、私の心の中は、数カ月のうちに妻を失うことになるかもしれないという不安と悲しみでいっぱいだったのです。

父の日の手紙

自宅療養が始まって1カ月ほど経った6月中旬の父の日のことです。

「これ、お父さんへの感謝の気持ち」と、妻が手紙をくれました。

「Kさんへ。いつも家族のために、お仕事頑張ってくれてありがとうございます。(中略)Kさんの優しさ、励ましに支えられて、今の私があると思います。Kさん、家族、幸福の科学の仲間たち、数多くの方々の愛に気づかせてくれた、仏の慈悲に深く感謝いたします。この生命を正しく全うし、来世でもまたKさんとご縁がありますように・・・」

涙で、手紙の文字がにじみます。あふれてくる涙を拭いながら、何度も何度も読み返しました。私は、手紙に込められた妻の強い信仰心に、改めて目を覚まされた思いでした。

妻は、心から仏を信じ、その信仰心の輝きで私や子供たち、そして身近な人たちを照らしていました。 自分の身を案じるより、周りの人たちの愛に感謝し、そして何より仏に感謝して、許される限りの生命を全うしようとしている・・・。

私は、妻を失うことを悲しんでばかりで、自分のことしか考えていませんでした。悲しんでばかりいるのは自分勝手なことだと気づき、私も仏を信じ、信仰を拠り所として、妻をあたたかく支えていこうと思えたとき、悲しみでいっぱいだった心に、一条の光が差し込んできたような気がしました。

それからの私は、悲しみや絶望にさいなまれそうになる自分の心を、仏に祈り、仏法真理を学ぶことで励ましながら、自宅療養を続ける妻を心身ともに支えていきました。

再入院

療養生活を送りながら、病状は徐々に悪化していきました。8月下旬になると、腹部の痛みや倦怠感でつらそうな顔をしていることが多くなりました。

そして9月に入ってすぐ、妻は耐えられない痛みに自宅で倒れ、救急車で運ばれて再入院することになったのです。

「再入院になったら、もう家には戻れません」と医師から言われていました。いよいよ最期のときが近づいてきたことを私は覚悟しました。

私は仕事の都合をつけながら、毎日のように妻の病室に足を運びました。

「お父さん、いつも、ありがとう」

私が行くと、妻は必ずやせた頬に微笑みを浮かべて声をかけてくれます。

夜中の付き添いにいけば、「少しでも眠ってね」と忙しい私の身を心配してくれました。激しい痛みと倦怠感で、人の身を気遣えるような状態ではないはずなのに・・・。

私も、悲しみをこらえながら、できるだけ明くふるまい、「少しでも楽になるように」と願いながら、幸福の科学の書籍を読んで聞かせたりしていました。

やがて衰弱が進み、妻は話すこともままならなくなっていきました。

入院して2週間が過ぎたある日の午後。いったん、会社に戻った私に病院から電話がかかってきました。

「すぐ病院に来てください」

急いで子どもたちを連れて病院にかけつけました。

医師や看護師に囲まれ、酸素マスクをつけられた妻が、目をつむってベッドに横たわっていました。

私と子供たちが妻の手を握ると、妻は少し薄目をあけて微笑んでくれました。子供たちは、皆泣いています。

「今まで世話ばかりかけてごめんな」

私が泣きながら謝ると、妻は微笑んだままゆっくりと首を横に振りました。

そして、震える手で酸素マスクをはずし、何かを言おうとするのです。

「子供たちのことが心配なのか?」

そうたずねると、妻は、「そうではない」というように、ゆっくりと首を横に振りました。

「あ・り・が・と・う」

声にはなりませんが、そう唇が動きました。その言葉を最後に、妻は穏やかな笑顔を浮かべたまま、静かに息を引き取りました。私たちは、ただただ泣くばかりでした。

妻からのメッセージ

帰天式(幸福の科学式の葬儀)には、700人もの方が参列してくださいました。いつも穏やかで、誰に対しても優しく接する妻には、多くの友人がいたようです。

私は、信仰深く生きた妻の思いを伝えようと、妻の友人たちに幸福の科学の教えを紹介していきました。しかし、そうして前向きに努力しているつもりでも、一人になると何とも言えない寂しさや自責の念が襲ってきます。

亡くなってちょうど30日目、納骨を済ませた日の明け方、まだ暗いうちにふと目を覚ますと、空色の服を着て、にこにこと笑っている妻の姿が見えました。

「H、今、どこにいるんだ?」

「天国の手前で、あの世について勉強しているところよ」

いつもの優しい笑顔で答えてくれました。

死後まもない霊は、霊界の入り口であの世について勉強してから、それぞれの心境にふさわしい世界に還ると、仏法真理では説かれています。

「H、やっぱりあの世は、本当にあるんだな」

「あるよ。絶対にあるよ」

「じゃあ、あと40年くらいたって、俺も無事、この世での人生を終えて、あの世に還ったときは、お前迎えに来てくれよな。そして、来世、生まれ変わるときには、また一緒になってくれよな」

「うん。約束よ」

そう言った妻の姿がすーっと消えていき、はっと気がつくと朝になっていました。

その後も、四十九日を迎えるまでに、何人もの親戚や友人の方から「Hさんと夢で会いました」「Hさんの声が聞こえました」と言われました。

肉体は死んでも、現実に魂は生き続けている。人間は、この世限りの存在ではなく、この世とあの世を転生輪廻しながら、魂を磨いている存在なのだと実感しました。

自分の死を見つめながら、信仰のもと最期まで強く生きた妻の姿。そして、あの世からのメッセージ。これらの経験を通して、私は少しずつ穏やかな心を取り戻していくことができたのです。

限りない感謝を込めて

妻が亡くなってから、私は、10人の方を幸福の科学の信仰に導くことができました。その中には、「Hさんの姿を見ていて、素晴らしい宗教なんだろうと思っていました」と言って入信された妻の友人もいます。

実は、再入院することになる前の晩、妻と私はこんな話をしていました。

「私、お父さんと一緒に、たくさんの人を仏のもとにお連れしたい」

「そうだな、一緒に伝道しよう」

死を目前にしてなお、妻の伝道への情熱はいっそう強くなっていたのです。この世では、もう二人で縁ある方を伝道することはできませんが、私の伝道を、妻があの世から応援してくれていると感じます。

悲しい出来事ですが、しかし、もし、妻の病気と死がなかったならば、今でも私は、心から仏を信じる喜びを知らずにいたでしょう。すべてを支えてくださっている仏の慈悲に、心から感謝いたします。

そして愛するHへ。今世、僕と一緒になってくれてありがとう。あなたが教えてくれた深い信仰と愛を胸に、これからも多くの方に仏の教えを伝え続けていきます。

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