Archive for the ‘法話・霊言’ Category

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第130号より転載し、編集を加えたものです。

結婚に消極的だった私

わが家は、夫と小学生の娘2人、私の4人家族。いつも子供たちの元気な声が響いています。

独身時代の私は、結婚に消極的でした。

しかし、仏法真理に出会ったことで、人生が180度変わったのです。

ショッピング三昧で青春を謳歌

私は高校を卒業すると、地元で公務員になりました。

平日は仕事をバリバリこなし、休日の一番の楽しみはショッピングです。月に数回は、銀座にまで出かけていました。

「いらっしゃいませ! 冬の新作が届いてますので、どうぞお試しください」

「まあ、いいデザインね」

お気に入りのブティックやデパートを回って、洋服、靴、バッグ、スカーフなどを買うのです。もちろん、すべて有名ブランド品でした。

ところが、どんなに気に入って買っても、新しいものが出たら、また欲しくなります。

家には服やバッグも山のようにありましたが、次から次へとショッピングする私に、「また買ってきたの」と母もあきれ顔。

「だって、ステキなんだもん」

一人娘の私。自分のお給料を全部、お小遣いに使って、青春を謳歌していました。

いまのまま独身でいたって十分幸せだわ

「Y、いいお見合いの話があるのよ」

母がしきりに縁談をすすめるようになりました。それにもかかわらず、気のない返事をくり返す私。

母はよく「もう、Yったら。お母さんは、あなたのことが心配で、夜も眠れないのよ」とこぼしていました。

「私は、別に結婚なんかしなくたっていい。仕事だって楽しいし、生活は困ってるわけじゃないし。いまのまま独身でいたって、十分に幸福だわ」

それに、「結婚して家庭におさまる」というのが、あまり魅力的に思えません。

「いつも家の掃除して、ご飯作るだけなんて・・・それより、ブランド品を身につけて、さっそうと仕事に出るほうが、ずっと私に合ってるわ」

大川隆法総裁の霊言書籍にドキッとした

そんなある日、以前、仲良くしてもらっていた職場の先輩と、久しぶりに食事をする機会がありました。

「最近、どう?」「おかげさまで。楽しくやってます」と、近況を伝えあっているうち、ポロッとグチが出ました。

「母が『結婚、結婚』って、うるさいんですよ。独りだっていいと思いません?」

先輩は笑いながら、カバンから本を取り出しました。

「これ、おもしろいから読んでみてね」

大川隆法総裁の霊言書籍でした。

帰宅後、なにげなく読んでみると、女性の幸福について書いてありました。

そこには「主婦業や子育ては、会社の仕事より勝るとも劣らない」とあります。

まるで自分のことを言われているように感じて、ドキッとしました。

私の今後のために、なにかヒントがあるかもしれないと思った私は、大川隆法総裁の本をかたっぱしから読みはじめ、半年後、幸福の科学入信したのです。

これからどう生きていくのが一番いいんだろう

「私はこれから、どうして生きていくのが一番いいんだろう・・・」

外側の華やかさばかりに目が向いていた私が、仏法真理に触れて、もっと内面の深いものに惹かれるようになりました。

それと共に、ブランド品を買いあさっていた自分が、薄っぺらい感じがしてきたのです。

仏法真理を学んで、いちばん新鮮だったのは、女性の生き方でした。

楽しく働いて、自分の買いたいものを買って、という生き方と比べて、専業主婦はつまらないと思っていたのですが、家庭を守る仕事は、値打ちのある尊い仕事なんだと思うようになりました。

「女性には、いろんな生き方があるけど・・・やっぱり私も“結婚”して、家庭ユートピアを創っていく生き方がいいかな」

しかし、なかなか思うようなチャンスはありませんでした。

30歳が目前にせまったとき、母が思いあまったように言いました。

「Y、30になって結婚が決まってなかったら、この家から出て自立しなさい」

私のために言ってくれていると分かってはいても、やっぱりショックでした。

「私も考えていないわけじゃないのよ。いい人がいたら、するわよ・・・」

私が25歳を過ぎたころから何度も縁談を持ちかけてきた母。いつもはぐらかしていた私に、ついに厳しく出てきたのです。

しかし、とうとう30歳の誕生日を迎えてしまった私。

母から「出て行くように」と言われた期限が過ぎてしまいます。

「このままじゃいけない。なんとかしなくては・・・」と思い、お正月を迎えたときに「今年、絶対に結婚する」と一大決心をしました。

「どなたか紹介してくださいませんか」

どうしてうまくいかないのか、改めて考えてみると、ひとつ、分かったことがありました。私は受け身だったのです。

「誰か、いい人いないかなぁ・・・」と、自分を幸せにしてくれる人が、いつか現れるのを期待して待っているだけでした。

仏法真理では、夫婦の魂は天上界で約束してくると説かれています。でも、それはあくまでも予定であって、今世の生き方によっては変わってくる可能性もあるといいます。

だから、100パーセント決まった運命のように思い込むと、なにも努力しないでも自然に出会えると誤解する場合があるようです。

「待っているだけではダメだわ。自分から動かないと。それに、大川隆法総裁も言っているように、『幸せにしてもらいたい』じゃなくて、『私が相手を幸福にしてあげたい』と思わなきゃ。これからは与える自分になっていくんだ」

清水の舞台から飛び降りる心境で、私は行動を開始しました。

「あのー、折り入ってお願いがあるんですが・・・。私、結婚したいんですけど、どなたか紹介してくださいませんか」

「そうだねぇ・・・いい人がいたら紹介するよ。ほかの人にも声かけてみるね」

職場の上司や親類、法友―いろんな方に頭を下げて回りました。

真剣にお願いすると、みなさん、ちゃんと話を聞いて、協力を約束してくださいました。

「やっぱり、行動してよかったわ」

さらに、天上界からのご指導をいただけるよう、幸福の科学で、「結婚祈願」をしました。

「縁あって出会った方と、家庭ユートピアを創ることを誓います・・・」

自分から行動を起こした努力のかいがあったのか、それから、縁談を紹介してくださる人が増えてきました。

ティー・パーティでの出会い

「Yさん、今度、うちでティー・パーティをやるんだけど、あなたにぜひ紹介したい人がいるの」

近くの法友から、お誘いがかかりました。

なんだか、ときめく感じがします。

その当日―。

「Yさん、こちら、Kさんよ」

「こんにちは。初めまして・・・」

その瞬間、さわやかな風がサァーと吹いてきたように感じました。

Kさんは落ち着いた、もの静かな感じの人でした。

「あっ、いいなぁ・・・」と、わけもなく思いました。

「転勤で、最近、近くに越してきたばかりなんです。どうぞよろしく」

彼も幸福の科学の信者でした。

初対面なのに、不思議と会話が途切れません。帰り際に、お互いの連絡先を交換しました。

そこから始まった私たちのお付き合い。一緒に海を見に行ったり、大川隆法総裁の御法話拝聴会に出かけたり―。

彼に対しては、以前、お見合いした人たちとは明らかに違うものを感じていました。彼といる時間は、自然体でいられます。話をしていても、分かりあえる気がするのです。

以前のときは、いくら「条件がいいから」といわれても、2、3回会うと気持ちが重くなってしまうことが多かったのですが、彼はその逆でした。

カレンダーを眺めては、次のデートを待ちこがれる日が続きました。

やがて、私は、彼との将来を思い浮かべるようになりました。

「結婚式、新婚旅行、子供が生まれて大きくなって、子供が巣立って、私たちがおじいさんと、おばあさんになって・・・」

想像していくと、どんどんストーリーが展開します。

大川隆法総裁も、「心のなかで結婚生活をイメージしてみよう。年をとっても、相手と一緒に暮らしている姿を想像できるか」と説かれています。

「彼となら、死ぬまで一緒に居られそう。結婚する相手って、こういう人のことをいうのかもしれない」

大晦日のプロポーズ

その年の大晦日でした。

お店で、Kさんと2人で年越しそばを食べていると、彼がひと言。

「2人なら、きっとうまくやっていけると思うよ」

プロポーズでした。喜びが込みあげてきます。もちろん、私はOKです。

「はい・・・よろしくお願いします」

その夜、除夜の鐘を聞きながら、父と母に報告しました。

「きょう、Kさんからプロポーズされたの。私も、結婚したいと思ってる」

両親は、とても喜んでくれました。

彼から自宅に何度か電話がかかっていたので、親も人柄を知っていたようです。

新年の誓いから、ぴったり1年。

「やっと、肩の荷が下りたわ」と笑顔の母。ひとつ親孝行ができた気がしました。

幸福の科学の支部で結婚式

私たちは、幸福の科学の地元の支部で結婚式を挙げました。

「おめでとう!」

「とってもキレイよ!」

法友のみなさんが、ウェディング・ドレスやベール、ブーケから、お料理も全部、用意してくださいました。

歌あり、笑いあり、お祝いのクス玉まで準備してあったのには、びっくりです。

アットホームなあたたかい祝宴で、みなさんの気持ちが胸にしみました。

「こんなにしていただいて、ありがたいね。幸せな家庭を築いて、ご恩返しをしよう」と彼。

私もまったく同じ気持ちでした。

“家庭”という幸福のなかで

結婚後、大らかな主人のおかげで、私たち夫婦は、ケンカもしないで暮らしてきました。

2人の娘に恵まれ、その子供たちも、はや小学6年生と4年生になりました。

夢中で子育てをしているうちに、13年の月日が過ぎていったというのが、正直な感想です。

育児で悩んだ時期もありましたが、そのたび、主人や母に相談したり、幸福の科学の研修を受けたりしながら、一つひとつ乗り越えてきました。

いつも信仰を支えに生きてきた私たち。いまは、家族そろって精舎に参拝するのが喜びになっています。

そして、主人―。

忙しくても、可能なかぎり家族と話す機会を作り、相談ごとにもキチンと応えてくれている主人を、私は心から尊敬しています。

最近、主人が言ってくれた言葉―。

「家庭は、僕のよりどころだよ。仕事でどんなに疲れていても、家に帰ると安らいで、回復するんだ。また頑張れると思う。家族がいたから、いままでやってこられた」

私はうれしさでジーンとなりました。

結婚してよかった。今ではしみじみと思います。

家庭生活には、いろんな宝物が埋まっていて、毎日が発見の喜びの連続です。今後、子供たちが成長していくと、もっと楽しみが増えることでしょう。

これからも、夫婦で力を合わせて、信仰心あふれる愛に満ちた家庭を築いてまいります。

そして、私たち家族の姿が地域を照らすまでになれたら、と願っています。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第125号より転載し、編集を加えたものです。

見えることのない目

私は、生まれた時から目が見えません。

生まれつき目に障害があって、右目にわずかな光を感じるだけで、左目は何も見えません。

出産当日、私は予定より2週間も遅れて生まれてきました。泣き声をあげず、体温も低い状態でしたが、医師からは「特に問題はありません」と言われたそうです。

しかし、4カ月が過ぎた頃。同じ時期に生まれた赤ちゃんと一緒に検診を受けた時、母は私の様子がおかしいことに気づきました。

よその子が、まわりの様子を見て瞳をキョロキョロさせるのに比べて、私の視線があまりにも無反応であったからです。

総合病院を紹介されて検査を受けると、「網膜形成不全」「小眼球」と診断されました。

「胎児の時に、へその緒が首や身体に巻きついて、圧迫されていたのが原因かもしれません」

医師はそう説明しましたが、はっきりした原因は分からないようでした。

ただ、一つだけ明らかなことがありました。それは私の目が見えるようになる可能性はほとんどないということでした。

バイオリン

4歳ぐらいになると、私は自分の状況が少しずつ分かってきました。

「ねぇ、お母さん。私ってなんで見えないの?」

何度も同じような質問をする私。自分の障害について、だんだん気にするようになっていきました。

ある日、母が言いました。

「Aちゃん、音楽が好きだよね。バイオリンをやってみない?」

母に勧められて、バイオリンのレッスンを受け始めることに。自分で自由に音が出せることがうれしくて、私は夢中になりました。そのせいか、目に対する不満を口にすることも少なくなりました。

そして、小学校に入学する時—。

私の状況からすれば、当然、盲学校に入学するところでした。

「Aちゃんが、ふつうの小学校に通いたいのなら、応援するよ」

「うん。みんなと同じがいい」

母は教育委員会と交渉して、地元の小学校で学べるようにしてくれました。

私は、週に2回、小学校に通い、残りの日は自宅で訪問教育を受けることになったのです。

現実の壁

私は、視覚障害に加えて、生まれた時から股関節がはずれている病気(先天性股関節脱臼)でもありました。治療して治りましたが、その後遺症で足が弱く、運動も苦手だったのです。

バイオリンのレッスン中にも、痛みで立っているのがつらくなり、その場に座り込んでしまうことがありました。

バイオリンは立って弾く楽器であり、レッスン中は1時間近くも立っていなければなりません。

「こんなんじゃ、とても続けられない」

途中であきらめざるを得ませんでした。

小学校のほうも、週2回では授業についていくのが困難でした。

結局、5年生からは盲学校に通うことになりました。

「なんで、みんなと同じようにできないの! こんなの嫌だよ!」

私は泣きながら母に訴えました。

「Aちゃんが見えるようになるなら、すぐにでも、お母さんの目をあげてもいいのに・・・」

母のすすり泣く声が聞こえてきました。余計に悲しくなって、大泣きする私・・・。

やがて、父が言いました。

「A、目が見えなくても、耳は聞こえるじゃないか。みんなと話だってできるじゃないか。お父さん、Aにはできることがたくさんあると思う。それを一緒に探してみようよ」

いつもやさしい父—。

幼い頃、私が「水車ってなあに?」と尋ねると、何日もかけて水車の模型を作って説明してくれたこともありました。

両親の気持ちが伝わってきて、もう一度、がんばってみようと思いました。ほどなくして、私は自宅を出て、盲学校の寮に入ることになりました。

心に響く教え

盲学校は、環境も整っていて、思っていた以上に生活のしやすいところでした。そのおかげで勉強にも集中でき、順調に学年を重ねていきました。

中学2年生の時のことです。夜、宿題をしていると、ふと誰かに話しかけられたような気がしました。

(あれ、誰だろう? お母さん?)

不思議に思った私は、実家に帰った時、そのことを母に伝えました。すると、母は少し驚いた様子で言いました。

「ちょうど、その日、その時間ぐらいに、お母さん、お祈りをしていたの。その思いが、Aちゃんに届いたのかもしれないね」

母は、最近、幸福の科学入会したこと、そして『正心法語』という経典でお祈りをしていたことを教えてくれました。

私が、幸福の科学について興味を示すと、母は「仏陀再誕」という講演会のカセットテープを貸してくれました。さっそく、私は自分の部屋で聴いてみました。

「この世において、さまざまなる出会いが、あなた方を待っているであろう。しかし、真理との出会いは最も尊いものであり、人間として生まれて現成の仏陀の声を聴くは、奇蹟以外の何ものでもないことを知らねばならない」(『悟りの極致とは何か』第3章所収)

一言一言が、直接心に響いてくるようで、激しく心を揺さぶられました。

(・・・仏陀って、お釈迦様のこと? 再誕って、また生まれてきているということだよね?)

びっくりしましたが、その確信に満ちた力強い言葉に、「ほんとうに違いない」と思いました。胸のあたりが熱くなりました。こんなことは生まれて初めてのことでした。

語り明かした夜

「お母さん、これってすごい!」

テープを聴き終わると、私は興奮して真っ先に母のところに行きました。

次から次へと質問をあびせる私。

母は、人間が永遠の生命を持っていることや、魂修行のために何度も生まれ変わっていることなど、幸福の科学で学んでいることを教えてくれました。

「Aちゃん、“人生は一冊の問題集”なんだって。今回のAちゃんの人生は目が見えないという厳しい状況だけど・・・でも、それはAちゃんの魂が、大きく成長するために、仏が与えてくれた問題集だと思う」

母の言葉にはっとしました。

「・・・私、何不自由なく学校に通っている人たちと比べて、ずっと不公平だと思ってた。なんで私ばっかり、こんな苦労しないといけないのって・・・。でも、そうじゃないんだね。・・・よかった」

涙があふれました。

すっかり夜がふけていましたが、私はうれしくて眠る気になれず、母と一晩中語り合いました。

進学

高校生になってから、私も幸福の科学入会しました。テープを聴いたり、母に仏法真理の書籍を読んでもらったりして少しずつ学びを深めていきました。

ある日、母が「ヘレン・ケラーの霊言」を読んでくれました。

「私はこちらの世界へ来て、目も見えますし、耳も聞こえます。口も利けます。本来、人間は自由です。ただ、三次元のなかにおいて、あのような厳しい環境に置かれたということです。ですから、私が世の人々に言いたいのは、『環境をよくするために奔走するよりも、環境のなかでみずからを輝かす、そのような努力をしていただきたい』ということです」(『大川隆法霊言全集第14巻』第4章所収)

私よりも重いハンディを背負いながら、多くの人々に生きる勇気と希望を与えたヘレン・ケラー。

その言葉は、まるで自分の苦しみをすべて分かってくれているようで、心に深くしみわたりました。

「私も輝いてみたい。私にできることっていったい何だろう?」

高校2年の3学期—。私は自分の願いを両親に伝えました。

「私、進学したい。そして福祉について学んでみたい」

同級生は、鍼灸や按摩などの資格を取って就職する人がほとんどでしたが、私は「もっと勉強したい」という気持ちが強くあったのです。両親は賛成してくれました。

しかし、現実の受験は厳しいものでした。現役では受からず、1年間、受験指導を行っている盲学校で勉強。翌年は何とか地元の短大に合格することができました。

「私でも、やればできるんだ!」。苦労はしましたが、私にとって受験の経験は小さな自信になりました。

手足のしびれ

短大の寮に入って、学生生活を送るには、ある程度、一人で何でもできる必要がありました。

今の自分では無理かもしれないと感じた私は、いったん短大を休学して、生活訓練や歩行訓練を受けることにしました。

訓練のおかげで、視覚障害というハンディを負いながらも、何とかふつうの学生と一緒に学ぶことができるようになりました。

しかし、無理を重ねたせいかもしれません。その頃から、時々、体調を崩すことがありました。そのうえ、以前から感じていた右の手足のしびれがひどくなっていきました。

「いったい、どうしたんだろう・・・」。病院で検査をすると、軽い脳性麻痺であることが分かりました。

がんばろうとはするものの、思い通りにならない現実・・・。

その後、短大は卒業できましたが、体調が思わしくなく、進路を決めることができませんでした。これからどうすればいいのだろうと、不安な気持ちでいっぱいになりました。

ボランティア

「Aちゃん、一緒に支部に行こうよ」

短大卒業後、特にやることもなく、家のなかにこもりがちの私を心配して、母は幸福の科学支部に誘ってくれました。

支部に行くと、みなさん、まるで家族のように親しくしてくれました。

法話のビデオを拝聴したり、お茶を飲みながら歓談したり—みなさんと触れ合ううちに暗い気持ちが晴れていくのを感じました。

私は、頻繁に支部に顔を出すようになりました。

「私も何か手伝いましょうか? 電話番ぐらいならできますので」

「それは助かります。ありがとう」

支部で簡単なボランティアをするようになった私。

地域の方々にお配りする布教誌にチラシを挟んだりもしました。

そんな私の姿を見ていた知り合いの方が話しかけてきました。

「Aちゃんも、一緒に配らない?」

「ちゃんとできるかな・・・」。思いがけない誘いにびっくりしましたが、母からも勧められて、参加してみることに。

最初は緊張しましたが、母や支部の方に助けられながら、一軒一軒心を込めてポスティングをすると、とてもさわやかな気持ちになりました。

(どんな人が読んでくれるかな? 喜んでくれるといいなあ)。想像するのが楽しくて、私は、布教誌の配布が大好きになりました。

私、愛されてる

支部でのボランティアや、布教誌の配布を通して、私は自分が明るく前向きになっていくのを感じました。

「人のために何かをすることって、とても気持ちがいいなあ」

幸福の科学で、「与える愛」の大切さについて学んでいましたが、そのことが少し実感できたような気がしました。

そんなある日、母と一緒に総本山・正心館に参拝しました。

「障害に負けず、人生を輝かせたい」

そんな願いを込めて、私は「起死回生の秘法」という特別な祈願を受けることにしたのです。

祈願室に足を一歩踏み入れると、何とも言えないあたたかい光に包まれるのを感じました。

目の前に大きな仏がおられるような気がしました。

—がんばるんだよ。

そう、仏がやさしく声をかけてくれた気がして、涙が止まりませんでした。

終了後、いつになく心がとても軽くなっているのを感じました。

「仏は、いつどんな時も見守ってくださっているんだ・・・。私って、仏からも、家族からも、幸福の科学のみなさんからも、ほんとうにたくさん愛されてる。いまの自分が生きていられるのは、その愛のおかげだ。それなのに、進路が決まらなくて、なんで自分ばっかりこんなに苦労しないといけないのって嘆いてた。もう、そんな思いを捨てよう。自分の人生としっかり向き合ってがんばってみよう」

感謝の気持ちに満たされながら、私は心に決めました。

希望への一歩

幸福の科学支部精舎のおかげで、私はやる気を取り戻していきました。その結果、体調もよくなり、地元の視覚障害者協会でボランティアを始めることができました。

そこでの私の仕事は、様々な原稿を読みあげること。視覚障害者向けに音声を録音する仕事です。

「Aさんの声は、とてもはっきりしていて、聞きやすいですね」

ある時、広報担当の責任者の方が話しかけてきました。

「—私は、中途失明してから、30年近くこの仕事をしてきたけど、後を継いでくれそうな人が出てきてよかったよ」

「ありがとうございます。私、がんばります」

期待されて、うれしくなりました。

その後、内容や編集も任されるようになり、私はますますやりがいを感じるようになりました。

さらに、思いがけないことが起きました。ある大学から、「非常勤講師をしてくれないか」と依頼されたのです。

内容は、福祉を学んでいる学生に点字を教えるというもの。

(私にできるかな・・・でも、こんなチャンスはめったにない。やってみよう)

私は、年に7回、学生たちに点字の読み書きなど、具体的な実践について教えるようになりました。自分が苦労して学んだことや体験したことを、人のために生かせることに喜びを感じています。

自分の人生と向き合い、努力することの喜び

私は、目が見えない現実に何度も押し潰されそうになりました。

しかし、仏法真理との出会いが、自分の人生と向き合い、努力することの喜びを教えてくれたのです。

いま私は、与えられた環境のなかで、自分にできることを精一杯やっていきたいと思っています。

暗く手探り状態だった私の人生に、希望の灯をともしてくれた仏に心から感謝します。

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