Archive for the ‘教育・子育て’ Category

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第146号より転載し、編集を加えたものです。

Fさん(30代・女性)

子供たちのデキの悪さに爆発する日々

私は20歳で結婚、21歳で長女を出産しました。わが子を見たとたん、もうかわいくて!「立派な人間に育てよう。それが私の仕事なんだ」と張り切りました。

長女のAは、言葉も物事の理解も早かったので、5歳の時、小学校の受験勉強をさせ始めました。

ところがAは、受験ドリルの問題が解けません。

「ほらAちゃん、考えて」

最初は優しく言っていましたが、問題を理解しないAにだんだん腹が立ってきます。

「ちょっとは真面目に考えなよ!」「こんなの簡単じゃん。ばっかじゃないの!」

するとAはキーッと叫んで泣き出してしまいました。

その様子に、私はもっと頭にきました。「私が子供の頃は、人前で泣かなかったのに!」と。

小学生の時、私は学級委員をつとめ、先生から何かと褒ほめられる子供でした。それに比べてこの子は・・・と、イライラがつのります。私は次女のYと長男のTにも、厳しい言葉を浴びせ始めました。

家庭の空気もギスギスしましたが、「子供がちゃんとしないんだからしょうがないわ」と思っていました。

私の言葉が原因なの・・・?

私は毎日、幸福の科学の根本経典『仏説(ぶっせつ)・正心法語(しょうしんほうご)』や『祈願文(きがんもん)』を読誦(どくじゅ)し、お祈りの時間を持っています。

ある日、経文の言葉が、強く胸に響いてきました。

「心を正し 言葉を正し 行ないを正した 生活なり 調和のとれた生活なり」
(「解脱(げだつ)の言葉『仏説・八正道』」より)

「信仰を調(ととの)え 心を調え 行ないを調えて 地上の光を目指します」(「家庭調和の祈り」より)

私は、ハッとしました。

子供に腹を立て、罵倒(ばとう)している普段の私。主人にも八つ当たりしている私。もしかしたら、間違っているのは、子供ではなく私なのかもしれない・・・。

実は私の厳しさが、子供のやる気をそぎ、「できない子」をつくり上げているのかも、と反省の思いが湧いてきたのです。

また、幸福の科学では、「人間は魂修行のため、転生輪廻(てんしょうりんね)を繰り返している存在である」ということを教わっています。子供の出来が悪ければ心を乱し、出来が良ければ満足する、という今の私は、環境に振り回されているだけで、何ら心の修行をしていないのでは、と気づかされたのです。

心が穏やかになったら、子供の輝きが見えてきた!

私は子供たちへの接し方を改めることにしました。

子供たちが宿題もせずにテレビを見ていると、いつもなら「さっさと宿題やれよ!」と怒鳴って、バチン!とスイッチを切っていましたが、まず深呼吸をして心を静め、「宿題があるなら、先にやりなさい」と 諭(さと)すようにしました。

子供の態度はすぐには変わりませんでしたが、私の心は今までになく穏やかでした。

「怒らない」「悪い言葉を出さない」ということが、いかに大切かを知りました。

また、今までは、簡単な問題ができても当然と思い、褒めたりはしませんでしたが、小さなことでも褒めるように努力しました。

「すごいねー!よくできたねー!」

すると、Aはとても嬉しそうにニッコリと笑います。

今、わが家には、私の罵声(ばせい)が響き渡ることも少なくなっていき、以前は厳しい表情をしていた子供たちもイキイキとしてきました。これからも、家族の心を温かくする言葉を心がけていきたいと思います。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第125号より転載し、編集を加えたものです。

見えることのない目

私は、生まれた時から目が見えません。

生まれつき目に障害があって、右目にわずかな光を感じるだけで、左目は何も見えません。

出産当日、私は予定より2週間も遅れて生まれてきました。泣き声をあげず、体温も低い状態でしたが、医師からは「特に問題はありません」と言われたそうです。

しかし、4カ月が過ぎた頃。同じ時期に生まれた赤ちゃんと一緒に検診を受けた時、母は私の様子がおかしいことに気づきました。

よその子が、まわりの様子を見て瞳をキョロキョロさせるのに比べて、私の視線があまりにも無反応であったからです。

総合病院を紹介されて検査を受けると、「網膜形成不全」「小眼球」と診断されました。

「胎児の時に、へその緒が首や身体に巻きついて、圧迫されていたのが原因かもしれません」

医師はそう説明しましたが、はっきりした原因は分からないようでした。

ただ、一つだけ明らかなことがありました。それは私の目が見えるようになる可能性はほとんどないということでした。

バイオリン

4歳ぐらいになると、私は自分の状況が少しずつ分かってきました。

「ねぇ、お母さん。私ってなんで見えないの?」

何度も同じような質問をする私。自分の障害について、だんだん気にするようになっていきました。

ある日、母が言いました。

「Aちゃん、音楽が好きだよね。バイオリンをやってみない?」

母に勧められて、バイオリンのレッスンを受け始めることに。自分で自由に音が出せることがうれしくて、私は夢中になりました。そのせいか、目に対する不満を口にすることも少なくなりました。

そして、小学校に入学する時—。

私の状況からすれば、当然、盲学校に入学するところでした。

「Aちゃんが、ふつうの小学校に通いたいのなら、応援するよ」

「うん。みんなと同じがいい」

母は教育委員会と交渉して、地元の小学校で学べるようにしてくれました。

私は、週に2回、小学校に通い、残りの日は自宅で訪問教育を受けることになったのです。

現実の壁

私は、視覚障害に加えて、生まれた時から股関節がはずれている病気(先天性股関節脱臼)でもありました。治療して治りましたが、その後遺症で足が弱く、運動も苦手だったのです。

バイオリンのレッスン中にも、痛みで立っているのがつらくなり、その場に座り込んでしまうことがありました。

バイオリンは立って弾く楽器であり、レッスン中は1時間近くも立っていなければなりません。

「こんなんじゃ、とても続けられない」

途中であきらめざるを得ませんでした。

小学校のほうも、週2回では授業についていくのが困難でした。

結局、5年生からは盲学校に通うことになりました。

「なんで、みんなと同じようにできないの! こんなの嫌だよ!」

私は泣きながら母に訴えました。

「Aちゃんが見えるようになるなら、すぐにでも、お母さんの目をあげてもいいのに・・・」

母のすすり泣く声が聞こえてきました。余計に悲しくなって、大泣きする私・・・。

やがて、父が言いました。

「A、目が見えなくても、耳は聞こえるじゃないか。みんなと話だってできるじゃないか。お父さん、Aにはできることがたくさんあると思う。それを一緒に探してみようよ」

いつもやさしい父—。

幼い頃、私が「水車ってなあに?」と尋ねると、何日もかけて水車の模型を作って説明してくれたこともありました。

両親の気持ちが伝わってきて、もう一度、がんばってみようと思いました。ほどなくして、私は自宅を出て、盲学校の寮に入ることになりました。

心に響く教え

盲学校は、環境も整っていて、思っていた以上に生活のしやすいところでした。そのおかげで勉強にも集中でき、順調に学年を重ねていきました。

中学2年生の時のことです。夜、宿題をしていると、ふと誰かに話しかけられたような気がしました。

(あれ、誰だろう? お母さん?)

不思議に思った私は、実家に帰った時、そのことを母に伝えました。すると、母は少し驚いた様子で言いました。

「ちょうど、その日、その時間ぐらいに、お母さん、お祈りをしていたの。その思いが、Aちゃんに届いたのかもしれないね」

母は、最近、幸福の科学入会したこと、そして『正心法語』という経典でお祈りをしていたことを教えてくれました。

私が、幸福の科学について興味を示すと、母は「仏陀再誕」という講演会のカセットテープを貸してくれました。さっそく、私は自分の部屋で聴いてみました。

「この世において、さまざまなる出会いが、あなた方を待っているであろう。しかし、真理との出会いは最も尊いものであり、人間として生まれて現成の仏陀の声を聴くは、奇蹟以外の何ものでもないことを知らねばならない」(『悟りの極致とは何か』第3章所収)

一言一言が、直接心に響いてくるようで、激しく心を揺さぶられました。

(・・・仏陀って、お釈迦様のこと? 再誕って、また生まれてきているということだよね?)

びっくりしましたが、その確信に満ちた力強い言葉に、「ほんとうに違いない」と思いました。胸のあたりが熱くなりました。こんなことは生まれて初めてのことでした。

語り明かした夜

「お母さん、これってすごい!」

テープを聴き終わると、私は興奮して真っ先に母のところに行きました。

次から次へと質問をあびせる私。

母は、人間が永遠の生命を持っていることや、魂修行のために何度も生まれ変わっていることなど、幸福の科学で学んでいることを教えてくれました。

「Aちゃん、“人生は一冊の問題集”なんだって。今回のAちゃんの人生は目が見えないという厳しい状況だけど・・・でも、それはAちゃんの魂が、大きく成長するために、仏が与えてくれた問題集だと思う」

母の言葉にはっとしました。

「・・・私、何不自由なく学校に通っている人たちと比べて、ずっと不公平だと思ってた。なんで私ばっかり、こんな苦労しないといけないのって・・・。でも、そうじゃないんだね。・・・よかった」

涙があふれました。

すっかり夜がふけていましたが、私はうれしくて眠る気になれず、母と一晩中語り合いました。

進学

高校生になってから、私も幸福の科学入会しました。テープを聴いたり、母に仏法真理の書籍を読んでもらったりして少しずつ学びを深めていきました。

ある日、母が「ヘレン・ケラーの霊言」を読んでくれました。

「私はこちらの世界へ来て、目も見えますし、耳も聞こえます。口も利けます。本来、人間は自由です。ただ、三次元のなかにおいて、あのような厳しい環境に置かれたということです。ですから、私が世の人々に言いたいのは、『環境をよくするために奔走するよりも、環境のなかでみずからを輝かす、そのような努力をしていただきたい』ということです」(『大川隆法霊言全集第14巻』第4章所収)

私よりも重いハンディを背負いながら、多くの人々に生きる勇気と希望を与えたヘレン・ケラー。

その言葉は、まるで自分の苦しみをすべて分かってくれているようで、心に深くしみわたりました。

「私も輝いてみたい。私にできることっていったい何だろう?」

高校2年の3学期—。私は自分の願いを両親に伝えました。

「私、進学したい。そして福祉について学んでみたい」

同級生は、鍼灸や按摩などの資格を取って就職する人がほとんどでしたが、私は「もっと勉強したい」という気持ちが強くあったのです。両親は賛成してくれました。

しかし、現実の受験は厳しいものでした。現役では受からず、1年間、受験指導を行っている盲学校で勉強。翌年は何とか地元の短大に合格することができました。

「私でも、やればできるんだ!」。苦労はしましたが、私にとって受験の経験は小さな自信になりました。

手足のしびれ

短大の寮に入って、学生生活を送るには、ある程度、一人で何でもできる必要がありました。

今の自分では無理かもしれないと感じた私は、いったん短大を休学して、生活訓練や歩行訓練を受けることにしました。

訓練のおかげで、視覚障害というハンディを負いながらも、何とかふつうの学生と一緒に学ぶことができるようになりました。

しかし、無理を重ねたせいかもしれません。その頃から、時々、体調を崩すことがありました。そのうえ、以前から感じていた右の手足のしびれがひどくなっていきました。

「いったい、どうしたんだろう・・・」。病院で検査をすると、軽い脳性麻痺であることが分かりました。

がんばろうとはするものの、思い通りにならない現実・・・。

その後、短大は卒業できましたが、体調が思わしくなく、進路を決めることができませんでした。これからどうすればいいのだろうと、不安な気持ちでいっぱいになりました。

ボランティア

「Aちゃん、一緒に支部に行こうよ」

短大卒業後、特にやることもなく、家のなかにこもりがちの私を心配して、母は幸福の科学支部に誘ってくれました。

支部に行くと、みなさん、まるで家族のように親しくしてくれました。

法話のビデオを拝聴したり、お茶を飲みながら歓談したり—みなさんと触れ合ううちに暗い気持ちが晴れていくのを感じました。

私は、頻繁に支部に顔を出すようになりました。

「私も何か手伝いましょうか? 電話番ぐらいならできますので」

「それは助かります。ありがとう」

支部で簡単なボランティアをするようになった私。

地域の方々にお配りする布教誌にチラシを挟んだりもしました。

そんな私の姿を見ていた知り合いの方が話しかけてきました。

「Aちゃんも、一緒に配らない?」

「ちゃんとできるかな・・・」。思いがけない誘いにびっくりしましたが、母からも勧められて、参加してみることに。

最初は緊張しましたが、母や支部の方に助けられながら、一軒一軒心を込めてポスティングをすると、とてもさわやかな気持ちになりました。

(どんな人が読んでくれるかな? 喜んでくれるといいなあ)。想像するのが楽しくて、私は、布教誌の配布が大好きになりました。

私、愛されてる

支部でのボランティアや、布教誌の配布を通して、私は自分が明るく前向きになっていくのを感じました。

「人のために何かをすることって、とても気持ちがいいなあ」

幸福の科学で、「与える愛」の大切さについて学んでいましたが、そのことが少し実感できたような気がしました。

そんなある日、母と一緒に総本山・正心館に参拝しました。

「障害に負けず、人生を輝かせたい」

そんな願いを込めて、私は「起死回生の秘法」という特別な祈願を受けることにしたのです。

祈願室に足を一歩踏み入れると、何とも言えないあたたかい光に包まれるのを感じました。

目の前に大きな仏がおられるような気がしました。

—がんばるんだよ。

そう、仏がやさしく声をかけてくれた気がして、涙が止まりませんでした。

終了後、いつになく心がとても軽くなっているのを感じました。

「仏は、いつどんな時も見守ってくださっているんだ・・・。私って、仏からも、家族からも、幸福の科学のみなさんからも、ほんとうにたくさん愛されてる。いまの自分が生きていられるのは、その愛のおかげだ。それなのに、進路が決まらなくて、なんで自分ばっかりこんなに苦労しないといけないのって嘆いてた。もう、そんな思いを捨てよう。自分の人生としっかり向き合ってがんばってみよう」

感謝の気持ちに満たされながら、私は心に決めました。

希望への一歩

幸福の科学支部精舎のおかげで、私はやる気を取り戻していきました。その結果、体調もよくなり、地元の視覚障害者協会でボランティアを始めることができました。

そこでの私の仕事は、様々な原稿を読みあげること。視覚障害者向けに音声を録音する仕事です。

「Aさんの声は、とてもはっきりしていて、聞きやすいですね」

ある時、広報担当の責任者の方が話しかけてきました。

「—私は、中途失明してから、30年近くこの仕事をしてきたけど、後を継いでくれそうな人が出てきてよかったよ」

「ありがとうございます。私、がんばります」

期待されて、うれしくなりました。

その後、内容や編集も任されるようになり、私はますますやりがいを感じるようになりました。

さらに、思いがけないことが起きました。ある大学から、「非常勤講師をしてくれないか」と依頼されたのです。

内容は、福祉を学んでいる学生に点字を教えるというもの。

(私にできるかな・・・でも、こんなチャンスはめったにない。やってみよう)

私は、年に7回、学生たちに点字の読み書きなど、具体的な実践について教えるようになりました。自分が苦労して学んだことや体験したことを、人のために生かせることに喜びを感じています。

自分の人生と向き合い、努力することの喜び

私は、目が見えない現実に何度も押し潰されそうになりました。

しかし、仏法真理との出会いが、自分の人生と向き合い、努力することの喜びを教えてくれたのです。

いま私は、与えられた環境のなかで、自分にできることを精一杯やっていきたいと思っています。

暗く手探り状態だった私の人生に、希望の灯をともしてくれた仏に心から感謝します。

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娘への愛を形にして不登校を克服【子育て体験談】
娘が、ある日突然不登校に・・・。子どもの気持ちを正面から受け止め、不登校の危機を乗り越えたお母さんの体験談です。
A.Nさん・Eさん(長野県)
月刊「ヘルメス・エンゼルズ」より転載・編集

「お腹が痛い」

私には、E(中2)、K(小5)、R(小3)の3人の娘がいます。

Eが小学3年生のときのことです。3学期が始まって間もなく、学校の先生から電話がかかってきました。

「お母さんですか?Eちゃんがお腹が痛いと言って保健室で寝ていますので、迎えにきてもらえませんか」

Eは前日、風邪をひいて学校を休んでいました。しかし、たいしたことはないと、その日は登校させていたのです。

翌日も「お腹が痛い」と言うE。学校を休ませ、病院に連れていきました。診察の結果は、少し便秘ぎみなだけで、特に変調は見られないとのことでした。

―しかし、それから毎日、腹痛を訴えるようになったのです。

長女への期待

長女への期待【子育て体験談】

翌月半ば、私は子どもたちと一緒に宇都宮市にある幸福の科学の総本山・未来館に行きました。そこで私は、講師にEのことを相談しました。

私の話をじっと聞いてくださっていた講師は、近くで友だちと遊んでいるEをしばらく見つめた後、こんなふうにアドバイスをしてくれました。

「もしかしたら、親の愛情不足を感じているのかもしれませんね。できればスキンシップを心がけてあげてください。まずお母さんがいつも明るく、家の中の太陽になることが大事ですよ」

実は、私には思い当たることがありました。

Eが幼稚園生の頃に次女が、その翌年には三女が生まれ、育児に追われていた私は、長女に「あなたはお姉ちゃんだから」と言って、あまり時間をかけて子育てしてこなかったのです。
その反省を込めて、私はEの「いいところ発見ノート」を付けることを決め、さらに意識して声をかけるように努めました。

「お母さん、どこにも行かないで」

春休みに入ると、Eも少しずつ「お腹が痛い」と言う日が減り、体調も安定してきたように見えました。

Eが4年生に上がった新学期、同時に次女が小学校に入学、三女も幼稚園に入園することになりました。そして、5月に入ったある日のこと。三女の運動会の打ち合わせを終え、帰宅すると、すぐに電話が鳴りました。

Eの担任の先生からでした。

「Eちゃんが、お腹が痛くて寝ているので、迎えにきてもらえませんか」

(―え?また、始まったの?)

私は、とてもやるせない気持ちを抱えたまま、Eを迎えに行きました。そのまま、一緒に家に戻り、Eを寝かしつけているときです。

「お母さん、しんどいよう・・・。ここにいて、どこにも行かないで」と、元気のない声でポツンと言ったのです。

「E・・・」

(この子、すごく寂しかったんだ―)私には、そんなEの気持ちが伝わってきたように感じました。

私と同じ苦しみ

私と同じ苦しみ【子育て体験談】

翌日の朝、子どもたちを学校に送り出した後、一人でお祈りをしていたときのことです。私は、Eについて考えていました。

(Eは頑張り屋だから、周りの期待に応えようと一生懸命。でも、何でもできるわけじゃないし、期待に応えきれないギャップに苦しんでいるのかもしれない。それが体の不調として現われているのかな・・・)そんなことを考えたときです。

(あっ、この苦しみって、私と同じだ!)と、思えたのです。

私自身、妻や母親、仕事、幼稚園の役員など、いろいろな役割を期待され、それに応えきれない苦しさをいつも感じていました。

(私は、そんな自分を受け入れて欲しいと思っている。きっとEも同じ気持ちだよね)

そう考えた私は、Eに宛てた手紙を、その晩、Eに読んであげることにしました。

「Eは小さいときからしっかりしていたから、お母さんも期待しちゃって。Eは『しんどいよー』って思っても、言わないで頑張ってきましたね。お母さん、Eの気持ちが分かっていなかったことに気づきました。しんどいときはしんどいって言ってね・・・」

それから、主人や学校の先生とも相談して、私はEとの交換日記をつけることにしました。

5月○日 お母さんより

「E、元気ですか? 今日はあまりお話ができなくて、ごめんね。ノートに書くと、口でうまく言えないことも正直に言えていいね。E
も思ったことを何でも書いてね・・・」

E

「席がえをしたよ。となりがいなくて、ちょっとさびしいな・・・」
P.S:「知らない漢字には、ふりがなをふってね」

普段、なかなか言ってあげられないことも日記だと書くことができました。この交換日記によって、親子の絆が深まっていくような気がしました。

家の中で太陽になる

その後、私は、以前、講師に言われたように「家の中の太陽」を目指そうと思い、「家庭を安らぎの場にする」という誓いを立てました。掃除にも気を使い、レシピ本を何冊か購入して、子どもたちが喜ぶような新たな料理にもチャレンジしました。

「お料理おいしいね!」と、子どもたちにも好評でした。

大川隆法総裁の書籍『奇跡の法』の中には、「悲観的な想念に負けそうになったときには、それに負けないだけの肯定的な想念を自家発電しなければいけません」と書かれています。

私は家事と仕事で体が疲れてしまい、弱音を言いたくなるときには、(うまくできなくても、これを題材に成長していこう。頑張ろう!)と、自分に言い聞かせながら、努力を続けていきました。

すると、Eの表情はどんどん明るくなり、口癖のように言っていた「お腹が痛い」という言葉も減っていきました。

そして、一年が過ぎ、なんと5年生のときはほとんど休まず、6年生になってからは一日も休まずに登校できました。現在は、毎日元気に中学校に通っています。

オススメ書籍

『奇跡の法』(大川隆法 著)

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月刊「ヘルメス・エンゼルズ」一覧

父との関係が子育てに影響していると気づいた【子育て体験談】
娘に厳しく当たってしまうのは、父との葛藤に原因があった!
自分の過去を振り返り、父親の愛に気づくことで、娘を心から愛せるようになった体験談です。
N・Kさん・Nさん(愛知県)
月刊「ヘルメス・エンゼルズ」より転載・編集

私に似てくる娘・・・

長女のNが2歳のころから、私はささいなことでNを叱るようになっていました。

「おもちゃを片付けなさい!」

自我が芽生え始め、なかなか言うことを聞かないN。私はついカッとなって大声を出してしまっていました。

そんな時、私の脳裏には自分の幼いころが甦りました。両親からいつも「わがまま」「常識がない」と怒られていた私。父にはよく叩かれていました。

(こんな私みたいな人間にならないように、Nの欠点は今のうちに直しておかないと)

Nは次第に私の顔色を伺うようになりました。6歳になるころには、外ではとてもいい子に振る舞うのに、家ではちょっとしたことで怒ったり泣いたりするようになりました。時には友達に「何やってんの!」などと、きつい言葉を浴びせることまでありました。私の口調そっくりに・・・。

(どうしよう。だんだん私に似てくる・・・)

私は、Nを通して、自分の醜い姿を見せつけられている気がしました。そして、これまで振り返ることを避けてきた自分の過去を、徹底的に反省しようと決意しました。

生まれてきたときの光景

生まれてきたときの光景【子育て体験談】

私は幸福の科学精舎、総本山・正心館で、生まれてから今日までを振り返る「生涯反省」研修を受けました。思い起こせば、家にはいつも罵声が飛び交っていました。父母と、同居している父の両親との折り合いが悪かったのです。父は酒を飲むと人が変わり、ささいなことで私を怒りました。

研修の中で行った、自分が生まれた時のことを瞑想する時間。私も目を閉じてそのときに思いをはせました。すると、意外な映像が浮かんだのです。

赤ちゃんの私を、家族全員が囲んで見ています。母も、祖父母も、なんと父までもが、とても嬉しそうにニコニコして心から祝福していたのです。

(みんながこんなに喜んでくれていたなんて―。私は愛されていたんだ!)

喜びで、心の中がいっぱいになりました。

研修から帰った私は、実家の母に気づきを話していきました。思い出話のなかで、母は、ぽつりぽつりと父の生い立ちを話してくれました。私は(お父さんに対するわだかまりを解いて水に流したい)と思い、続けて、幸福の科学の琵琶湖正心館で「両親に対する反省と感謝」という研修を受けることにしました。

父の心が理解できた

母から聞いた話をもとに、私は仏の御光を感じながら父の気持ちを考えていきました。

祖父母は、父よりも父の妹をかわいがっていました。そのため、父は愛されていないと思って育ったようです。さらに、長男だからと夢を諦めさせられ、農家を継がされたといいます。

やり場のない思いを、酒に紛らわせていた父・・・。

(父の気持ちが少しだけわかった気がしました・・・。不器用な人だから、やるせない思いを誰かにぶつけずにはいられなかったんだ。私がかわいくなくて怒っていたんじゃないんだ。)

父にしてもらったことが思い出されました。お酒を飲まないときの優しい笑顔。海に連れて行ってくれたこと。私が病気のとき、栄養ドリンクを差し入れてくれたこと―。

父は父なりに、精一杯私を愛そうとしてくれていたのです。子ども時代の悔しさや悲しみといったどろどろした感情が涙とともに洗い流されていきました。

私は、無意識のうちに両親への怒りや恨みの気持ちをも含めて、Nを叱っていたことに気がつきました。

そして、(でも、もうそんなことはしたくない。両親に愛されてきたと分かったんだから、私も愛を与えていこう。子どもを精一杯愛していこう―)

心の底から、そう決意することができたのです。

Nを心からいとおしく思えて

Nを心からいとおしく思えて【子育て体験談】

その後、父に会っても心が波立たなくなり、父に対して、「ありがとう」と感謝の言葉が自然に出るようにもなりました。子どもに対しては、以前は欠点ばかり気になっていたのに、ちょっとした仕草を「かわいい」と感じるようになったのです。私は、父との葛藤を乗り越えたことで、Nのありのままを受け入れられるようになりました。

私はもっと家族を愛していきたいと思い、毎日、家族のよいところをノートに書くようにしました。Nには素晴らしいところがたくさんありました。素直で明るいところ。集中して本を読むところ。活発なところ。人とすぐ打ち解けられるところ―。

私はNの長所を口に出して褒めたり、「大好きだよ」と言って抱きしめるようにしました。

家事の合間には仏法真理の書籍を読み、心を見つめるようにしました。毎日続けていくことで、徐々に穏やかさを保てるようになっていきました。

親としての成長

Nは、小学校に上がってから、少しずつ落ち着いてきました。6年生の今では、言葉のきついところも直ってきて、クラスのみんなと仲良くできて、リーダー的役割をするようになっています。

仏のお導きにより今の私がいるのだと思います。もし、以前の私のように悩んでいる方がいたら、仏法真理を学んでみませんか。必ず幸せになれます。

オススメ書籍

『限りなく優しくあれ―愛の大河の中で―』(大川隆法 著)

『限りなく優しくあれ』(大川隆法著/幸福の科学出版)

家庭ユートピアとは何か。

家庭が光に満ちたとき、世界が変わる。
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