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姑への葛藤を抱えていたMさん。幸福の科学の教えを学び、自分を変える努力を重ねるうちに嫁姑関係にも変化が……。今回は、家庭の問題を克服した体験談を紹介します。
M・Kさん(広島県・60代 女性)
ザ・伝道226号より転載・編集

体験談家庭円満の秘訣

「良い嫁」になりたい

私は、愛媛県の小さな島で、生まれました。両親と5人のきょうだいのほか、祖父母が同居していたので、忙しく働く両親に代わり、祖父母が孫たちの面倒をみてくれました。私は祖父母からの愛をたくさん受けて育ったのです。

島には中学校がなかったため、私は小学校卒業と同時に親元を離れ、松山市で寮生活をしました。高校卒業後は、広島で就職。そして、23歳のときに知人の紹介で出会った夫と結婚しました。夫は一人息子だったこともあり、結婚と同時に義父母と同居することになったのです。

私自身、祖父母と同居してきたので、夫の両親と一緒に暮らすことに抵抗はありませんでした。

(お義母さん、お義父さんにも慕われる”良いお嫁さん”になろう― 。いつか生まれてくる自分の子供には、おじいちゃん、おばあちゃんに可愛がってもらいながら育ってほしい)
そんな希望を胸に、私は広島の地に嫁入りをしました。

突然始まった義母のいじわる

最初はおだやかな結婚生活が続き、同居の両親とも仲良くやっていました。

ところが、結婚して1年が経(た)ったある日のこと。義母が「死にたい……」と言い出したのです。

義母の表情は暗く、元気がありません。心配になって、近くの病院に連れていくと、医師から告げられたのは、躁(そう)うつ病という心の病でした。

(お義母さんがうつ? どうして?)

私たちの結婚以来、義母はたまに家でふさいでいることがありましたが、まさか躁うつ病だとは思ってもいなかったのです。義母の心の状態はどんどん悪化し、躁状態のときには、私に”いじわる”をするようになりました。

「お義母さん、おはよう。今日もいい天気よ」
「………」

朝、あいさつをしても、ちらっとこちらを見だけで無視して行ってしまうのです。また、私が一生懸命作った料理を食卓に出すと―。

「今日は、天ぷらを作ったんよ」
「私はこんなの食べん」
(え……?)

義父に「そう言わずに」と、説得されて、やっと口に入れてくれます。私の料理は食べたくないということは度々ありました。

当時は、私自身、長女を出産したばかり。初めての子育てで自分もいっぱいいっぱいでした。それなのに、家事も子育ても手伝わずに寝てばかりいて、しまいにはいじわるをしてくる義母を見ると、なんとも言えない悲しみと、モヤモした思いがわいてきます。

私の実家は、女がせっせと働く家でした。母も祖母も一緒になってこまやかに家事を行っていましたし、祖父母は親代わりとなって孫たちをとても可愛がってくれました。

(実家(うち)とぜんぜん違う。理解できん……)

義母のことを夫に相談しましたが、一人息子の夫は「母さんは躁うつなんだ。死んだら困る」と、義母を心配するばかり。

(「嫁に来て欲しい」って言われたから嫁(とつ)いできたのに、なんで私がこんな目に遭わにゃいけんの― )
 
私は心労とストレスで、結婚当時より体重が10キロ以上も落ちてしまいました。頬(ほほ)はこけ気力も出なくなっていったのです。

(お義母さんは自分のことしか考えんのよね。心がすさんでしまっているから、しょうがない)

そうやって自分に言い聞かせ、義母との間に見えない壁を作るようになりました。そうでもしないと、私の心が守れなかったのです。表面的には仲良くして何年も過ごしていました。

暗闇に差した一筋の光

そして1995年、わが家にさらなる苦難が降りかかりました。夫が経営する工務店が不況のあおりを受けて仕事が激減し、収入がほとんどなくなってしまったのです。

(私の人生、どうなっとんかね。お義母さんはうつだし、お金もない……。なんでこんな苦しいことばかりなんじゃろ)

義母だけでなく稼ぎがない夫にまで不信感が募り、心が苦しくなってしまった私は、友人のSさんに相談しました。幸福の科学の会員であるSさんは、私の話にとことん耳を傾け、そして幸福の科学の教えを紹介してくれたのです。

「Mさん、幸福の科学では『人生は一冊の問題集』だって教えられているんじゃよ。生まれる前に、自分で人生の課題を決めてきたの。あなたなら絶対大丈夫じゃけん」

「問題集?」

Sさんの話に興味を持った私は、「信頼する彼女の勧めなら……」と、幸福の科学の会員になることにしました。

それからというもの、私は現状を打破したい一心で大川総裁の書籍を読みあさりました。そして「人間はこの世とあの世を何度も生まれ変わりながら魂を磨いている存在で、この世での苦難困難は、自分の魂を磨く砥石になる」という真理に励まされて、どんどん前向きな自分を取り戻すことができたのです。

そんな私の変化をみて驚いた夫も、ほどなく会員になりました。

夫婦で仏法真理を学び、「こんなときだからこそ一緒に頑張ろう」と心を一つにできたことで、商売の方の状況も好転していきました。

(仏法真理を学んだおかげじゃ)

この経済的な危機を乗り越えたことで、私たち夫婦は信仰への確信を強めたのです

 義母との魂の縁に気がついて―

2003年5月のことです。(※)法友に勧められ、幸福の科学の中部正心館で『イエスの霊訓・十箇条』研修を受けることにしました。研修では、瞑想に取り組みながら自分の人生について振り返っていきました。

すると、普段、考えないようにしている義母のことが、ふと心に浮かんできたのです。そのとき、私に不思議な体験が臨みました。生まれる前の天上界の様子がありありとみえてきたのです。

目の前に、美しい着物に身を包んだ義母が立っています。

(お義母さん……?)

私と義母はあの世で、「一緒に生まれてこよう」と約束をしていました。

幸福の科学では、夫婦や親子など家族になる人は生まれる前に決めてくると教わっています。そして、嫁姑は血の繋がった母娘以上に縁が深いことが多いと聞いていました。

しかし、義母に葛藤を抱いていた私は、このときまで本当の意味で腑(ふ)に落とすことができていなかったのです。義母との魂の絆を実感して、自然と涙が溢(あふ)れてきました。

義母と「馬が合わない」と距離を取り続けてきましたが、私は義母のことが本当は好きで、ずっと仲良くなりたいと心の底では思っていたのです。

(そうやね、私が自分でお義母さんと家族になることを決めたんよね)

冷静になって振り返ってみれば、義母が躁うつになったのは、私が妊娠、出産した時期と重なります。そのころの私は、自分のことで手一杯で、義母に対してそっけなくしていたように思います。

あるとき、義母が「Kちゃん、こっち来んさい。一緒にお茶飲もうや」とお茶を入れてくれたのに、「私は水でいいけえ」とはね返していたことを思い出しました。

(お義母さんは私と話がしたくてお茶を入れてくれたんじゃな。歩み寄ろうとしてくれたお義母さんの気持ちに気づかなかった)

可愛がってきた一人息子は嫁に取られ、その嫁からはそっけなくされて、義母もさびしくなってしまったのだと思います。

それに私は、実母や祖母がそうだったようにチャキチャキと働く性格で、家事でも何でも自分でどんどん進めていました。

よく考えれば、義母が「何もしない」と心で責めていましたが、そもそも義母に相談したり協力をあおいだりせずにいたのは私の方でした。

何年か前の夕食で、夫や子供たちに「今日のごはんおいしい?」と聞く私に、義母が「私には何も聞いてくれん」と、ぼそっとさびしそうに言った言葉が思い出されます。

(お義母さん、本当にごめん。このままの関係ではいけん― )

私は、義母と関係を立て直すことを誓い、中部正心館をあとにしました。

※同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。
 

「お義母さんは私の自慢じゃよ」

 

それからというもの、私は毎朝毎晩のお祈りの時間に、義母に対して感謝を心の中で伝えるようにしました。

夫を産み、育てたのは義母です。義母のおかげで私の今の幸せはあるのです。
(お義母さん、私を嫁に迎えてくれて本当にありがとね)

すると翌朝、不思議なことに、義母の私への態度が柔らかく変わるのです。
「Kちゃん、おはよう」
「お義母さん、おはよう!」

(わあ! やっぱり、思いって相手に通じるんじゃな)
改めて祈りの力を実感しました。

また、大川総裁は、相手に見返りを求めずに愛を与えることが大切だと説かれていたので、私は心で感謝するだけでなく、「お義母さんが笑顔になることをしよう」と、接し方も変えました。

義母と話す時間を一日に1時間でも2時間でも取るように努力し、家事の一つひとつにも心を込めます。

また、義母に「お義母さん、何が食べたい?」とこまめに聞くようにしました。さらに、今まで素直に言えなかった、義母の素晴らしいところを伝えるようにしたのです。

「お義母さん、私はね、美人で料理上手なお義母さんのことが自慢なんじゃよ」
「……ありがとう」

言葉に出すと、義母への尊敬の思いが不思議と強くなっていきます。
義母はうつになる前、日舞や民謡の教室を開いていたので、義母の所作はいつも優雅で美しく、そんな義母に私はあこがれていました。

私の心の変化と呼応するように、義母の様子も変わっていきました。いつも険(けわ)しかった顔に、目の輝きと優しい笑顔が戻っていったのです。

そしてある日の昼下がりのことです。
義母といつものように台所でお茶を飲みながら会話を楽しんでいました。

「Kちゃん」
「お義母さん、なに?」
「私は、あんたがおったら嬉しい」

突然、義母の口から出てきた思いがけない言葉に、熱いものがこみ上げてきます。義母の目にも涙が浮かんでいました。

「お義母さん……。私もお義母さんがおったら嬉しい。いつまでも元気でいてね」
このとき私たちは本当の母娘になれた気がしたのです。二人で泣きながら笑っていました。

恩返しの人生を歩んでいきたい

今では義母も幸福の科学の会員です。躁うつもすっかり治り、87歳にして心も身体も元気で暮らしています。

義母と一緒に大川総裁の経典を読んで語り合う、母娘の穏やかなひとときは、何にも代えがたい幸せな時間です。義母が私に毎日、「あんたのごはんはおいしい。ごちそうさま」と言ってくれるので、私の料理にも熱が入ります。

これまでの人生、大変だったことは数え切れないほどたくさんありました。でも、今思えば、その苦労はすべて私の宝物です。

嫁姑の葛藤があったからこそ、人の心の痛みを理解することができるようになり、たくさんの方が私に家庭のことや仕事のことで相談してくれるようになりました。

そう思うと、嫁の私を厳しく鍛え、導いてくれた義母に、改めてありがたいという思いが湧いてくる毎日です。

何より、幸せな人生を歩み始めることができたのは、幸福の科学と出合い、この教えにもとづいて自分を変えていくことができたからです。仏に心から感謝しています。

私は困っている人がいると、自分のことのように思えて放っておけない”おせっかい者”。愛する地域に、笑顔と幸せの輪を広げることができるよう、これからは「恩返しの人生」を歩んでいきます。

書籍で学ぶ家庭は「鏡」のようなもの

『ティータイム』(大川隆法 著/幸福の科学出版)「Chapter1 家庭は「鏡」のようなもの―新しい自分が見えてきます/1 家庭を幸せにする”近道”とは」より抜粋したメッセージ

家庭を幸せにする”近道”とは

「立ち向かう人の心は鏡なり」といいますけれども、そういうところは、やはりあるのです。

人間は、親切な人と会うと親切になります。

ところが、棘(とげ)がある人と会うと棘が出てくるのです。これは一つの法則です。

したがって、自分が周りの人に優しくしてもらう方法は、自分自身が優しくなることです。これが、いちばんの近道なのです。

夫婦げんかや嫁姑の問題などで、「相手がひどい。相手が悪い」と言っている人が、ものすごい善人で、相手だけが一方的に悪いということは、普通はないわけです。

なかに、限りなく愛を込めていくことが大切なのです。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

心の力を、あなたも使おう心の力を使おう

あなたも心の力を学び、運命を逆転させてみませんか?

書籍本を読む

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1991年の放送開始以来、多くのリスナーに愛され続けているラジオ番組「天使のモーニングコール」

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信者体験談一覧
ラジオ番組「天使のモーニングコール」
大川隆法総裁 公開法話・霊言一覧
幸福の科学出版
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幸福の科学 機関誌 隔月刊「ザ・伝道」一覧

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第137号より転載し、編集を加えたものです。

Hさん(30代・女性)

夫の実家で同居することに

私は18歳の時に上京して、25歳の時に結婚しました。主人とは、幸福の科学支部で知り合いました。

妊娠5カ月頃から、経済的な理由で主人の実家に同居することに。

私自身、同居に対して抵抗はありませんでした。私の母が隣の家に住む舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)と仲良くやっている姿を見ていたので、自分も何とかなるだろうと楽観的に考えていました。

何も言い返せない私

ところが、いざ同居を始めるとちょっとしたことが気になり始めたのです。

義母は、明るくざっくばらんな性格で、私たちの生活に自由に入ってくる人でした。

「Hちゃん、食器洗ってなかったから、やっておいたよ」

私は、すみません・・・としか言えず、二世帯住宅で別々の台所なのにどうしてこうなるのかと思いました。

それ以外でも、頼んでいないのに主人の靴を磨く義母。

まるで、私が家事をサボッているように思えて、義母の善意であってもいたたまれない気持ちになりました。

そのうえ、長男が生まれると、私たちの部屋にノックをしないで入ってくることも度々。

面と向かって言い返せない私は、いつも黙っているしかありません。

そんなある日、私の母乳をたまたま目にした義母から、水みたいで薄くないか、と言われました。

まるで自分自身を否定されたように感じてショックでした。

私は主人に泣きつきましたが、主人にすれば、私が大げさすぎるとのこと。

私はますます苦しくなっていったのです。

居場所がない

そのうち、私は義母と接するとビクビクして、「おはようございます」のあいさつさえ言えなくなりました。

義父が「Hちゃん、最近、笑った顔をみないけど大丈夫か?」と心配してくれましたが、どうにもなりません。

ちょうどその頃、夫が車を買い、車の中だけが私たち家族の空間のような気がしました。

「ねぇ、どこかに行こうよ」

家に居るのが嫌で、車で外出するのをせがむ私・・・。

また、子どもを連れて実家に帰る頻度も高くなっていきました。

ある時、実家から帰ってみると驚くべきことが・・・。

「えっ、いったいどうしたの!?」

私たちの部屋のカーテンやソファーのカバーがすっかり模様替えされていたのです。

夫に聞くと、義母がやってくれたとのこと。

帰ってくるなり自分の居場所がなくなった気がして、落ち込みました。

幸福の科学で、「嫁と姑は実の親子より縁が深い」「互いに学び合うことが多い」と学んでいましたが、素直に受け入れられませんでした。

姑の立場に立って考えるようアドバイス

落ち込んでいる私を心配して、東京に住んでいる姉が相談相手になってくれました。

姉は、私に幸福の科学を紹介してくれた人でもあります。

「今度、うちで地域の方の集いがあるから、Hも来てみない?きっといろいろ参考になると思うよ」

姉に誘われて、幸福の科学の集いに参加してみると、そこに来ていた支部長が相談にのってくれました。

「私、お姑さんといると、自分が嫌われているような気がして、つらいんです」

支部長は、私の話を受けとめるように聞いてくれます。

「Hさんは、お姑さんの立場に立って考えたことがありますか?」

私は、はっとしました。そんなことは思ってもいなかったからです。

「お姑さんがどんな気持ちでいるのか、どんな人生を送ってきたのか、相手の立場に立って考えてみてはどうでしょうか。きっと、今まで見えなかったものが見えてきますよ」

義母は、思ったことを口にするタイプ。義母の言葉を一つひとつ考えれば、もっと理解できるような気がしました。

私は、支部長に言われた通りにやってみることにしたのです。

義母のさみしい思い

以前、私たちが家族でドライブに出かけようとしたとき。

玄関で見送る義母の顔が、とてもさみしそうに見えました。

私は以前聞いた義母の話を思い出しました。

「私は結婚しても、“母子家庭”みたいだったのよね」

義父は仕事が忙しく、家族で出かけることはほとんどなかったそうです。

(お義母さんにさみしい思いをさせていたかもしれない)

今まで義母から逃げるように出かけたり、実家に帰っていたことに対して、申し訳ない気持ちになりました。

(そういえば、お義母さん、最近元気なさそうだ。私のこと、気にしているのかな)

帰宅後、私は、義母との関係を振り返ってみました。

違って見えた義母の姿

私は、今まで耳にした義母の話を思い返してみました。

とても働き者で、六十半ばを過ぎても家庭保育の仕事をしている義母。

自分の子どもを育てるだけでも大変なのに、一時期、姪を預かって育てていたといいます。

(ほんとうに子どもが好きな人なんだ。)

ノックなしで部屋に入ってくるのも、孫へのかわいさ余っての行動に思えました。

子育てについて口出しするのも、保育のベテランとしては当然のことかもしれません。

また、数年前、義母は次女を病気で亡くしていました。彼女と私は同じくらいの年齢。

(私のことを実の娘のように思って、いろいろしてくれていたのかも知れない)

そんな思いが、ふと心によぎりました。食器を洗ってくれたり、主人の靴を磨いてくれたり—。義母の行動の一つひとつが、今までとは違ってみえてきたのです。

「部屋の模様替えをしたのも、実家から帰ったHを元気づけてあげたいと思ってやったことなんだよ」

主人からそう聞いて、思わず涙ぐんでしまいました。

おすそ分けし合う棚に好物のメロンパンが

台所が別々のわが家には、お互いに食べ物などをおすそ分けし合う棚があります。ある日、そこに私の大好物のメロンパンが置いてありました。

私の顔から笑顔が消えて、誰よりもショックを受けたのは義母ではないか、と思いました。

「・・・お義母さん、ありがとうございます。」

すぐにお礼を言うと、義母は照れくさそうに笑います。

「私ね、この間、Hちゃんが私とケンカして、家を出て行ってしまう夢を見たのよ。ほんと嫌だったわ」

「そんな・・・。私こそ心配かけちゃってごめんなさい」

久しぶりに義母とおだやかな気持ちで話すことができたのです。

「実は私も、お義母さんに怒られている夢を見ることがあります」と言うと、「お互い様ね」と二人して笑いました。

その後も、時々、私の好きなメロンパンと大学芋がそっと置いてあることがありました。

母の日の手紙

私は、今までの反省と感謝の気持ちを込めて、母の日に手紙を書いて渡しました。

「おかあさん、突然、笑えなくなったり、あいさつできなくなったりしてごめんなさい。
私は、今までおかあさんの愛に気づかず、心の中で反発していました。
でも、いまは一緒に暮らせることに対して感謝の気持ちでいっぱいです。
きっと、おかあさんからたくさん学ぶことがあって、今世、家族になることができたんですね。
おかあさんの笑顔、ほんとうに素敵だと思います。
これからも明るい元気なおかあさんでいてください。」

義母がどんな反応をするのかドキドキしましたが、「心のこもった手紙ありがとう。うれしかったわ」と言われて、私のほうがうれしくなりました。

それ以来、義母との距離がだんだんと縮まっていきました。

「Hちゃん、今晩のおかず、一品いただけないかしら」

「いいですよ。でも、その代わりお義母さんのつくったけんちん汁をくださいね」

おかずの一品交換が、わが家の習慣になりました。

特に、義母は揚げ物や餃子、カレーなどはあまりつくらないので、私が担当すると喜んでくれます。

また、義母のつくるけんちん汁はとてもおいしく、主人も大好き。マネしようとしても同じ味にならず、いつもおすそ分けしてもらっています。

(台所が2つあるって、考え方によっては便利なことだな)

料理をきっかけに、義母と気軽に話せるようになっていきました。

いつまでも元気でいてね

翌年、義母と一緒に総本山・正心館に参拝に行きました。

わが家には、義母の母親で、現在102歳の“大ばあちゃん”がいるのですが、一家全員での参拝です。

義母は、最近膝の調子が悪く、歩くのが辛いということで「無病息災祈願」を受けました。

「ありがたいねぇ」と仏に手を合わせている義母。

「お義母さん、また来ようね」

「そうだね。これからもHちゃんと一緒にいろんなところに出かけたいからね」

ニコニコした義母の笑顔がとても輝いて見えました。

いま、私は義母と同じ、家庭保育の仕事をしています。家事のみならず、仕事の先輩としてとても頼りになる存在です。

「やっぱりお義母さんとのご縁ってとっても深いんだなぁ」と、知らず知らずに影響を受けている自分に少し驚いています。

「お義母さん、いつまでも元気でいてくださいね」そう心から願っています。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第117号より転載し、編集を加えたものです。

休日の午後、家族4人がそろうひととき—。
3歳になる娘のはしゃぐ姿に、日ごろ多忙な主人も目を細めています。
高校生の長男も嬉しそう。
ありふれた家族の光景ですが、わが家にこの幸せがあるのは幸福の科学との出会いがあったからです。Mさん(40代・女性)

結婚後のユーウツ

忘れもしない、主人との出会いは20歳のころ。
友人に紹介された彼は、写真が趣味という医大生。

「写真のモデルになってくれませんか?」
「えっ・・・私が、ですか?」

正直、人に撮られるのはあまり気が進まなかったけれど、とても育ちのよさそうな雰囲気の人でしたので、OKしました。

それから撮影で何度か会ううち、私たちはお付き合いするようになったのです。
ちょっと強引なところのある彼。
しょっちゅうケンカもしましたし、別れようかと思ったことも何度かありました。

でも、「大学を卒業するまで待ってくれ」という彼の言葉を信じ、私はひたすら待ちました。
そして6年後に結婚・・・。
長かったです。
ようやく訪れた新婚生活。
いちばん楽しい時期のはずでした。
ところが、私はすぐにユーウツになってしまったのです。

それは、義母のこと。

義母はお茶の先生です。
立派な方だと思っていましたが、いざ自分の姑となると厳しくて参りました。
世間体を気にする人で、“嫁はこうあるべき”と、あれこれと細かく注意してくるのです。

「進物は、M家として恥ずかしくないものを送りなさい」
「お正月の三が日は家から出ないように」

礼儀作法に始まり、家計、隣近所のこと、親戚付き合い、進物の内容や金額、冠婚葬祭の衣装・・・義母はしょっちゅう電話をかけてきます。
明るく伸び伸び育ってきた私には、窮屈でしかたありません。

ちょっと外出して電話に出ないと、「どこ行ってたの?」と問いただされます。
しかし、頼みの主人は、病院の勤務医をしていて忙しく、1週間のうちの半分は家に帰ってきません。

私は主人が帰宅すると、すぐに訴えます。

「聞いて。今日、お義母さんがね・・・」
「そんなこと言うたんか・・・。まあでも、嫁なんやから、ちょっとは我慢してくれ」

主人はぶすっとして、それ以上聞きたくないという顔をします。

「あなたからもお義母さんに、なんとか言ってよ」

何度も主人に訴えましたが、義母に話をつけてくれることはなく、いつも私のところで話を収めようとします。
私は次第に鬱憤(うっぷん)が溜まっていきました。

どうしてかばってくれないの

さらに長男が生まれると、義母は子育てにも介入してくるようになりました。

「お義母さん、それはちょっと・・・」

ある日、我慢できなくなった私は、義母と口ゲンカをしてしまいました。
主人にもこれまでの不満をバーッとぶつけると、主人はすごく怒りました。

「もう、何も言うな!」
「どうしてお義母さんじゃなくて、私のほうをかばってくれないの? そもそも、あなたが『どうしても』って望んだから結婚したんやないの。こんな状態やったら、なんで私がお嫁さんでなければならんの」

義母への不満は、だんだん主人への不満へと変わり、私たち夫婦は必要以外に会話することがなくなっていったのです。
主人は多忙にかこつけて病院に泊まり込むようになり、そのまま1カ月くらい家に帰ってきませんでした。

もう限界・・・。
こんなんなら、もう別れたほうがいいんやないか。
と言っても、子供もまだ5歳やし、自活なんてできそうにないし・・・。
一人で何カ月か悶々とした末、いつも私の相談にのってくれる弟に訴えました。
弟は黙って私の話を聞いてくれました。

「そういうことなら、いまのお姉ちゃんの気持ちに、ぴったりの本があるよ!」

弟は『仏陀再誕』という本を渡してくれました。
大川隆法総裁の本でした。
大川総裁の本は、これまでも弟の勧めで何冊か読んでましたが、心が安らぐ感じがして大好きでした。
『仏陀再誕』を開くと、なんだか懐かしい感じ—。

「私は、おまえたちが涙しているのを黙って眺めていることができない。・・・私は、必ずおまえたちの涙を見つけるであろう」

優しい言葉に、胸がいっぱいになり、涙がボロボロあふれました。

主人を許せない気持ちでいっぱいだった私。
自分の気持ちをわかってもらえなくて、孤独感と寂しさを抱えていました。
でも、こんな私を、じっと見守っている方がいる。
私は一人じゃない—そう思うと、あたたかい気持ちになりました。

魂の縁がある!?

「私も幸福の科学に入りたい」と思いました。
けれども、主人に話をするのは、ちょっとためらいがありました。

以前、幸福の科学の本を主人にも見せようとしたら、「本読むだけで人が幸福になるんやったら、問題は起こってないんちゃうか。そんな簡単なものやない」と反発されていたからです。

「あのー、私、幸福の科学に入ろうと思うんやけど・・・」
「そうか。君の自由にしていいよ。けど、僕にはすすめないでくれ」

主人は、自分まで巻き込まれたくないという感じでしたが、思いのほか、すんなりと許してくれて、ホッとしました。
それから私は、幸福の科学の法友と一緒に学びはじめました。
私にとっては新鮮な驚きと喜びの連続でした。
そのなかでも、いちばん大きな発見は、「魂の縁」ということでした。

「なぜか気が合って友人となったり、夫婦となったり、師弟となったりすることがありますが、これは単なる偶然ではありません。過去の幾転生の過程で、親子や兄弟、友人などであった縁が、くり返し出てきているのです」『釈迦の本心』

「ということは、主人やお義母さんとも?」

これまで私は、「間違ったところに嫁いでしまったのではないか」と思えてなりませんでした。
でも、はっきり「縁がある」といわれてみると、「この苦しみも何か学べということかな。もうちょっとこの家で頑張ってみようか」と思い直したのです。

しかし、そうは思っても、夫婦の関係は相変わらずギクシャクしていました。
口を開けばケンカになってしまうのです。

なぜトマトはおいしいの?

ある日、私は大川総裁の法話を聴きながら、家事をしていました。

「なぜトマトはおいしいのですか」

先生の問いかけが、一瞬、私の耳をとらえました。
ハッとしました。
そんなこと、考えたことありません。

「人間の食用に供される彼らは、おいしさというものをまとって現れてくるのです。ここにもまた、一つの愛があると私は思うのです・・・愛とは、自分のためではなく、他のものに尽くしたいという思いなのです」『愛の原点』

私は家事の手を止めて、しばらく考え込みました。

「トマトはおいしくてあたり前—そうじゃないんだ。トマトだって多くの人に喜んでもらえるように、おいしくなろうと努力しているんだ」

トマトがなんら見返りも求めず、他のものの喜びを、素朴に自らの喜びとして育っていくさまを想像してみました。
私は急に恥ずかしくなってきました。
いつも主人に不満ばかりぶつけていた自分。

よくよく考えてみたら、「たまには“いつもよくやっているね”って、ねぎらってくれてもいいじゃない。私はお義母さんの言うとおり頑張って、ちゃんと奥さん業してるやないの」という思いで、主人に愛情の見返りを求めていたのではないかと気がつきました。

「これって、まさに幸福の科学でいわれてる『奪う愛』や。仕事が忙しくて、なかなか帰ってこれへんのに、疲れ果ててやっと家に帰れば、私がワーワーお義母さんの文句言って・・・。これじゃ、主人だって面白くないよなあ」

なんだか主人に申し訳ない気持ちになりました。

私、変わらなあかんわ

「なかなか家庭ユートピアが築けないんですけど」

たまたま支部長と話をした機会に、夫婦のことを相談してみました。

「Mさん、ご主人の肩を揉(も)んであげたりしたこと、ありますか?」
「いいえ、私はこちらから近づいて何かするとか、甘えるとかはできない性格なんです」

 

支部長は少し考えて、こう言いました。

「あの世から見れば、人生というものは、映画のなかで、ひとつの役割を演じているようなものなんですよ。ここは役者になったつもりで妻を演じてみてはどうですか」
「役割を演じる? そんな考え方があるんだ」

女優のように夫婦という役割を演じているイメージを思い浮かべると、肩の力が抜けていく感じがしました。

「『私はこんな性格やから』と、ちょっと意地になりすぎていたかもしれへん。いままで作ってきたモノサシを、いったん全部はずして、私、変わらなあかんわ」

あたたかい空気

まずは外見から—。

私は髪を明るく染めて、フワッとしたヘアスタイルにしてみました。
服装も明るい色調のものを身につけました。
以前、「髪の毛、染めたらええんちゃうか」と言っていた主人の言葉を思い出したからです。

「主人はお堅い私を求めているわけではないんだわ」

結婚してからの私は、義母からきちんとするようにと言われるうちに、いつのまにか気持ちが萎縮し、服装や髪型まで地味なものを選ぶようになっていました。

でも主人は、結婚前の私のように、明るく華やかな感じのほうが好きなのではないかと気づいたのです。

次に表情。
このところ険しい表情になりがちだったのを反省し、いつもにこやかでいられるように意識しました。

そして会話。
「私の話を聞いてほしい」という思いを抑え、まず主人の話をていねいに聞くよう心がけました。
「いってらっしゃい」「お帰りなさい」というあいさつにも愛を込めました。

とくに力を入れたのはお料理です。
以前、味付けの好みで、主人と対立したこともありましたが、こだわりを捨てて主人の好みに合わせ、心を込めて作りました。
「どうしたら主人が喜んでくれるだろう」と考え、徹底して努力していきました。

しばらくすると、主人は時折、「おや?」という表情を見せるようになりました。
気がつくと顔がほころんでいたり、なんだか機嫌がよかったりと、主人の様子が変わっていくのがわかりました。

私も、ニコニコしている主人を見るとうれしくなります。
「よし、もっと頑張ろう」と、いっそう思いを込めて取り組むようになりました。

1年が過ぎると、家庭にあたたかい空気が流れだしました。

あたたかい空気

あるとき、実家の母と話していたら、思いがけないことを聞いたのです。

「この前、Tさんが、あなたのこと、『最近、料理がすごくおいしくなった。幸福の科学のおかげかな』って言ってたよ」

主人は私には直接なにも言いませんが、うれしさでいっぱいになりました。

「ちゃんと認めてくれてた。よかったぁー」

私も、主人のために努力を積み重ねていくなかで、自分が変わっていく喜びと楽しみを味わうことができたのです。

また、この間に義母への反省も深まりました。
私の気持ちが素直になってくると、義母からの言葉も、私が恥をかかないように助言してくれていたんだと、感謝で受け入れられるようになったのです。
そんな思いで義母に接していると、「Mさん、たいへんでしょ。よくやってるわね」と励ましてくれるようになりました。

主人の本音を知ってまもなくのこと、大川隆法総裁の講演の上映会があり、私はドキドキしながら主人を誘いました。

「こんど、大川総裁のお話があるんやけど、行ってみいひん?」
「・・・うん、ええけど」

主人は、意外にすんなり承知してくれたのです。

それをきっかけに、主人も時折、支部に足を運んでくれるようになり、エル・カンターレ祭のときに、入会したのです。

主人ってすごい!

冷静でものごとを論理的に詰めていく主人。
幸福の科学についても、書籍を読んで知的に学ぶことから入りました。
そんな主人も、精舎に行くようになると、頭だけでは理解できない、新たな発見があったようです。

初めて二人で受けた精舎研修—。
総本山・未来館の公案研修で、主人は心が解放されたように、とてもリラックスしていました。
そこで、「理屈ではない感覚的なものの重要性を感じた」のだそうです。

やがて仕事の話もポツポツ話してくれるようになった主人。

「子どもの悩みを抱えている患者さんがいるけど、どんな本が向いてるのかな」

患者さんのなかには、生活面の悩みを抱えている方がとても多いようで、相談にのることもしょっちゅうあるそうです。
私も自分のわかる範囲で考えたり、幸福の科学のお友達に聞いた話を伝えたりしていました。

あるとき、内科医院を開業した主人の在宅診療についていったことがあります。
看護師の資格を持っていないのでテープを切るぐらいの手伝いしかできませんが、私は主人の後ろで控えていました。

「調子はどう? まだ痛い?」

分刻みで動き、食事をとる暇もないほど忙しく働いています。
仕事に取り組む姿を初めて見て、心から感動しました。

「この人は、毎日、人助けの尊い仕事をしているんだ・・・」
「奥さん、お宅の先生は本当に患者さんのために心を込めて接してるんですよ」

主人への尊敬の気持ちでいっぱいになりました。

13年目の宝物

ある日、なんの脈絡もなく、なぜか心にふっと女の子の名前が浮かんできました。

「ねぇ、『○○』って、なんかええ名前や思わへん? 私、好きやわ」

そんな話を主人にしていたら、後になって、私の妊娠が判明したのです。
長男誕生から13年目のことで、びっくりです。

「今度、生まれてくる子が天上界からインスピレーションを下ろしてくれたのかもしれない」

2002年3月、予想通り、女の子が誕生。
義母もたいへん喜んでくれました。

子どもたちが、将来、社会のお役に立つ人間に育ってほしいと願わずにはいられません。
主人は相変わらず仕事が忙しい毎日ですが、子どもを学校に送ったり、できるかぎり協力してくれています。

いま私たち夫婦は“信頼”という絆で結ばれている実感があります。
こんな家族になれたのも、幸福の科学に出会ったからです。

これからも信仰を中心にして、わが家をますます輝かせていきます。
そして私が得た経験と学びを生かして、幸せな家庭がたくさん増えるように信仰の素晴らしさ、尊さをお伝えしてまいります。

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