Archive for the ‘奇跡体験’ Category

重度の糖尿病にかかり、左足の薬指が壊死(えし)してしまったAさん。合併症を併発し、一時は危険な状態になりました。病床で神仏に救いを求めたAさんに、ある奇跡が訪れます―。
A・Mさん(愛知県・60代・男性)
ザ・伝道227号より転載・編集

体験談心の力で病気を癒す

重度の糖尿病と告げられて

「うわあ!」
2017年1月27日の晩のことでした。

私がお風呂に入ろうと靴下を脱いだとき、左足の薬指から血が出ていることに気がつきました。痛みはないのですが、足はぱんぱんに膨(ふく)れ、皮膚は黒ずんでいます。驚いた私は、ちょうど外出先から帰宅した妻のYに見せました。

「おいおい、ちょっとこれを見てみろ」
「ええっ! お父さん、この足どうしたの」

慌(あわ)てて近くの救急病院に駆け込むと、医師は、ひと目で糖尿病だと言いました。検査を受けると、血糖値もヘモグロビンA1cも、正常値を大幅に超え、医師も驚くほど。

「Aさん、すぐに入院してください。左足の薬指は壊死しています。足に症状が出ていなければ、失明していたか、場合によっては命を落としていたかもしれません」
(そんなにひどいんか……)

当時、私は自動車部品の製造工場を経営していました。毎日残業で休日も返上して働いていましたし、食事も高カロリーなものを好んでいました。若い頃に糖尿病のけがありましたが、今まで健康に暮らしてきたので、あまり身体のことに気をつかってこなかったのです。

そんな不摂生(ふせっせい)がたたったのかもしれません。左足も、3日ほど前から腫(は)れていたものの、痛みがなかったのでそのままにしていました。

翌日、入院すると、私と妻は病院で定期的に行われている糖尿病の勉強会に呼ばれました。糖尿病の知識がなかった私たち夫婦は、さっそく参加させていただくことにしたのです。

しかしそこで見せられたのは、足がなくなった人の映像や失明した人の事例の数々― 。自分がいかに”恐ろしい病気になったのか”をつきつけられると同時に、私も妻も不安がどんどん募(つの)っていきます。

実際に、私も医師から「膝(ひざ)下から切断すれば早く社会復帰できますよ」と言われていました。

(膝下から? 指だけ切りゃあいいのかと思っとったのに。切ったらもう二度と、自分の足では歩けなくなるんか……)

包帯に巻かれている左足をながめては、虚(むな)しい気持ちになるのでした。

「お父さんの足、絶対治るから」 

そんな私の心の支えになっていたのは以前から信仰している幸福の科学の教えでした。私は、1992年に、妻の誘いで大川総裁の講演会「中道からの発展」に参加して感銘(かんめい)を受け、「もっと深く学びたい」と思って入信しました。以来、家族で信仰してきたのです。 
 
幸福の科学の祈願によって数多くの奇跡が起きていると聞いていた私は、入院してすぐ、名古屋正心館で、病気平癒や機能再生のための祈りである『スーパー・ベ ガ・ヒーリング』を受けることにしました。

病院から出られない私に代わり、名古屋正心館に行ってきてくれた妻は、病室に戻ってくると興奮した様子で祈願中の不思議な体験を話してくれました。
「お父さん、祈願を受けているときにね― 」

聞くと、私の指が治っていて、肌も健康なピンク色で、爪も普通に生えているビジョンがありありと降りてきたと言うのです。

「お父さんは、大丈夫だって、確信したの。この足は切断しなくても絶対治る!」
「そうだな、治るよ」

信仰があったからこそ、どんな状況でも、私たち夫婦は希望を失わずにいられたのです。

悪化していく病状

しかし、足の状況は日に日に悪化する一方。医師から悲観的な未来を聞かされると、「足は切らなくても絶対治る」と信じていた気持ちも揺らいでしまうこともしばしばでした。

(足を切ったら、早く家に帰れるんやな。このまま病院におるのもかなわんし……)

妻は面会に来てくれると、「お父さん、調子はどう?」と、明るく接してくれますが、大黒柱の私が病気になって心細いはずです。

これは後から知ったことですが、私の病状が悪化していくにつれ、妻にも相当つらく、怖い思いをさせていました。妻は面会を終えて家に帰る車で、一人涙を流していたそうです。自宅に着いても茫然自失(ぼうぜんじしつ)としてしまい、駐車場で1時間くらい泣いていたと聞きました。それでも、次の日、私に会うときには、また天真爛漫(てんしんらんまん)な笑顔を見せてくれていたのです。

(Y、心配かけて申し訳ない。しょうがない、もう足を切らないかんな……)

病気になって以来、ずっと空けている家はもちろん、仕事のことも心配です。足を切れば、また働けるかもしれないと思い、私はついに手術をする決意を固めました。

「俺はまちがっとった……」

その翌日のことです。朝目覚めると、身体がガタガタと震えてきました。
(一体、俺の身体に何が起きてるんだ― ) 

そう思ったあとから、40度近い高熱が襲ってきました。恐れていたことが起きたのです。壊死していた箇所にいた細菌が、骨のなかに入ってしまい、合併症になったのです。

腎臓は透析が必要な一歩手前。心筋梗塞(しんきんこうそく)も起きかねない状況で、目も弱くなっていてレーザー治療が必要だと言われました。さらに、自覚はなかったのですが痴呆(ちほう)の症状まで出ているそうなのです。

熱のため足の手術はしばらくできなくなってしまい、3日間、高熱で寝込みました。そのなかで私は、自然と今までの人生を振り返っていったのです。

楽しかった子供時代や学生時代、父親の工場を継(つ)いだときのこと、Yとの結婚、両親の介護、そして死別― 。
(あ……)

私は数年前に亡くなった実の父と母の介護を思い出してはっとしました。
(俺は、親の面倒をよくみたなあと思っていたけども、今思えば、充分じゃなかった)

私は高齢の両親にいつもついてまわるなど、確かに一生懸命介護をしていました。しかし、そのときの私の心の中身は、「してあげている」という気持ちが強く、感謝やいたわる思いが足りなかったのです。

そのことに気づくと、今、私の回復を信じ、献身的に支えてくれている妻の姿が心に浮かびました。
(Yは本当によくやってくれとる……)

妻が面会に来ると病室が明るくなります。2人でいると会話が尽きなくて、私は病気のことも忘れて心から笑えたのでした。妻の存在がずっと私を助けてくれていたのです。

それなのに私は、妻から与えられている愛が、「当たり前」だと思っていたことに気がつきました。思い返してみると、病気になるまでろくに感謝もしてこなかったのです。
(Yは全然自分のことは考えないで、俺のために……)

さらによく周りを見てみると、妻以外にも医師や看護師など、たくさんの方が私の病気を治そうと一生懸命やってくれていることに改めて気がつきました。また、幸福の科学の法友(※1)たちも、私の足の回復を毎日祈ってくれていると妻から聞いたことを思い出したのです。その中には、私の面識のない人までいました。

(俺は、多くの人に支えられていたんだ― )

「感謝は大切」と幸福の科学で学びながら、本当の意味で感謝ができていなかった自分を悔(く)いたのです。柄にもなく男泣きをしていると、妻が病室に入ってきました。
「俺は本当にまちがっとった……」

「お父さん、どうしたの? こんな病気になったけど、ここまでよくお仕事を頑張ってきたじゃないですか。大丈夫だよ」
そう言いながら、私の背中を優しくさすってくれる妻の顔をふと見ると、妻の目にも大粒の涙が溜(た)まっています。私たちはお互い肩を寄せ合ってぽろぽろと泣いたのでした。

↑ 入院中、誕生日を迎えたYさんに感謝をこめて花束のプレゼントをした。

(※1)同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

「この指、まだ生きてますよ」

私は、発熱したことで4人部屋から個室に移り、それをきっかけに病院での信仰生活を整えました。まず御本尊(※2)を安置させていただき、毎日、幸福の科学の根本経典『仏説・正心法語』を読んで祈りました。

そして、大川総裁の法話のCDやDVDを流し続けたのです。法話「奇跡を感じよう」を拝聴していたときのこと―。

「今、みなさんは「自分は地獄の坩堝(るつぼ)で苦しんでいる」と思っているかもしれませんが、それは、実は、みなさんの魂(たましい)を鍛(きた)え、真なる金(きん)に変えようとする、大いなる慈悲(じひ)であることが多いのです。そういうことを知っておいてくださればと思います。そうすれば、みなさんには、「奇跡を感じる瞬間」が必ず訪(おと)ずれるでしょう―」

(そうだなあ。俺は病気になったから大切なことに気がついた。もう自分であれこれ判断しないで、治るかどうかは神仏にお任せしよう)
信仰生活を整えたことで、私の心はさらに穏(おだ)やかになっていったのです。

そんなある日のことです。皮膚科の検診で、足の包帯を外した拍子に左足の薬指が第二関節からぼろっと崩れ、そこから血がどばっと吹き出てきました。
 
「Aさん! この指はまだ生きてますよ!」
(えっ!?)

確かに「死んだ」はずの指が「生きて」いると言うのです。思えばあの日、熱が出ていなければとっくに足を切っていたはず。

神秘の力を実感するとともに、神仏が私の足を守ってくださったのだと思いました。

(※2)家庭用の祭壇

足の指が奇跡の”再生”

指が取れてから数日後。一時退院をした私は、妻と娘に付き添われて名古屋正心館に参拝し、『ガン細胞消滅祈願』を受けることにしました。歩くことができない私は、娘に車椅子を押されながら特別祈願室に入りました。

(主よ、御心ならば、私の足を治してください。必ず世の中に恩返しをします。ありがとうございました― )
静かに合掌(がっしょう)し、神仏に全て委(ゆだ)ねる気持ちで祈りました。

その翌日からです。再入院した私の足がみるみるうちに回復していったのです。驚くことに、第二関節から取れた薬指が、徐々に再生していきました。入院から約3カ月経つ頃には退院することができ、その後も定期的に受診して経過をみましたが、足の指は元の長さにまで戻って、皮膚もすっかりきれいになったのです。

そしてついに車椅子なしで生活できるまでに回復を果たしました。

当初、担当医からは「治るまで1年はかかる」と言われていたのに、わずか4カ月で足の指が再生したのです。私は「奇跡をいただいた」と、妻と一緒に、改めて神仏に感謝を捧げました。

「奇跡の実証者」として信仰の尊さを伝えたい

私は今、自分の足で自由に歩ける喜びをしみじみと感じています。今年の1月には、新しく生えた指に、爪のようなものができました。「爪は絶対に生えない」と言われていたので、医師も看護師もとても驚いていました。

信仰に出合っていなかったら、私は今ごろ車椅子で病院に通院する日々を送り、さらに悲惨な状況になっていたでしょう。神仏に助けていただいたことへの感謝の気持ちを少しでも表したくて、今は毎日、妻と一緒に幸福の科学の布教誌配布に取り組んでいます。
 
私は病気を経験してつかんだことがあります。それは、「目に見えない存在や心の力を『信じきる』ことで、人生は本当に好転していくのだ」ということです。

今までも信仰を持っていましたから、自分では「信じて」いたつもりでした。しかし、「信じきれて」はいなかったのかもしれません。どうにもならないような苦難に直面して、真剣に自分を見つめ、祈り、やっと「信じ切る」こととは何か分かってきたのです。

これからは、”奇跡の実証者”として、信仰の尊さを一人でも多くの方に伝えていきたいです。それが、私の使命です。

Aさんの足指の再生記録

指が約1㎝生えた(2017年3月21日撮影)

↑ 壊死した薬指が第二関節から崩れて約1カ月後の様子。指が約1cm生えてきている。

皮膚も綺麗になった(2018年3月4日撮影)

↑ 皮膚の白いところが、再生した箇所。

「信じる力」には絶大な力がある(妻・Yさん)

医師から、主人の足の切断を勧められたときは、恐ろしくて毎日泣いておりました。

でも、信仰があったからこそ、主人も私も「病気は治る」という希望を捨てずにこれたのです。神仏は絶対、そばで私たち一人ひとりを見守っていらっしゃいます。私はそれを、主人の病気を通して実体験させていただきました。

「『信じる力』には絶大な力があるんですよ」「信仰は大切ですよ」ということを、主人と一緒に多くの方に伝えていく使命を感じております。

書籍で学ぶ「信仰パワー」で病気を治そう

『奇跡のガン克服法』(大川隆法 著/幸福の科学出版)第2章 奇跡のヒーリングパワー/4 「信仰パワー」で病気を治そう/不可能が可能になる時代が到来している

不可能が可能になる時代が到来している

病院で治らなくなったら、あとは信仰パワーで治してください。「治してもよい人」であれば治せるのです。当会の教えを本当によく理解したら、治らないはずはないことが分かります。

さらに、最近は宇宙人パワーまで引いてきはじめていて、これまでの霊的なヒーリングを超え、「プレアデス・ヒーリング」や「スーパー・ベガ・ヒーリング」などの祈願も始まっています。不可能が可能になる時代が、すでに到来しているのです。

現代人は、なかなか信用できない話でしょうが、死んだイエスは復活したと言われていますし、オフェアリス(紀元前四千数百年ごろ、ギリシャの地に生まれた光の大指導霊。エジプトの神話ではオシリスと言われている)も、殺されてバラバラにされたあと、その死体をつなぎ合わせて復活させたことになっています。

現代の外科医が聞くと引っ繰り返るような話ですが、私の宇宙人リーディング(霊査)によると、ベガ星人が彼らを復活させたそうです。科学技術の進んだ星の技術を使えば、それは可能でもあろうと思います。

今、そういう宇宙人パワーも引いてきているところなので、これから、病気の治り方は、いっそう加速され、“新幹線”以上の力が出て、“リニア新幹線型”の治り方をするかもしれません。あとは、教団全体として、信仰空間を上手につくり出していくことが大事だと思います。そうすれば、もっともっと奇跡は起きるでしょう。

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2017年5月、急性大動脈解離(きゅうせいだいどうみゃくかいり)を発症したKさんは、9時間に及ぶ手術の間に、自分の肉体を抜け出すという不思議な体験をしました。Kさんが見たあの世の世界とは―。
K・Aさん(青森県)
月刊「幸福の科学」372号より転載・編集

体験談三途の川から生還!

突然の胸の痛み

2017年5月初旬のある夜。私は突然、心臓を火箸(ひばし)で刺されたような激しい痛みに襲われ、近くの病院の夜間診療に駆け込みました。
しかし検査の結果は「異常なし」。そのまま帰宅したものの、心配した妻に勧められ、後日、別の病院で精密検査を受けたのです。

「これは大変だ。動脈が裂けていますよ!しばらく入院して治療しないと―」
「ええ! そんなに悪いんですか?」
医師によると、心臓に近い動脈の内側にいくつも亀裂が走り、それが痛みの原因になっているということでした。 

(困ったな。重要な仕事が残ってるんだよな。俺がやらないと、迷惑かけるし……)

私の仕事は、工事で使用する爆発物の管理責任者です。その時期は、釜石のトンネル掘削工事の最中で、どうしても抜けられない仕事が残っていたのです。

しかし、幸いなことに、入院後の治療によって病状が安定し、3日ほどで胸の痛みは消えました。そこで医師に事情を説明し、何とか現場に行けるように頼んでみたところ、往復の運転を娘や妻に任せることを条件に、3日間の外出許可をもらえたのです。

病状が悪化し、緊急手術に

釜石での仕事を終えた私は、3日後に病院に戻り、MRIをとりました。すると……。
「Kさん! 動脈の内側がはがれてますよ。すぐに手術しないと……」

この数日間で病状が急変し、致死率の高い急性大動脈解離という病気に進行してしまったそうです。その病院では処置できないため、私は救急車で、弘前(ひろさき)市にある大学病院に移送されました。

(なんだなんだ。まったく痛くないけど、そんなに悪いんかなぁ?)
危機感のない私とは対照的に、あわただしく手術の準備をする医師たち。私は衣服を脱がされて、麻酔をかけられると、次第に意識が遠のいていったのです……。

肉体を抜け出し“自分”を見る

三途の川から生還!臨死体験で見たあの世の世界【体験談】

どれくらい経ったでしょう。気がつくと私は手術室にいて、体中がジワーッと温かく、心地よい感覚に包まれていました。
(うん? 一体なんだろう……)
見ると、手術室の天井から、砂金のようなものがシャワーのように降り注ぎ、手術台に寝ている私の体を包んでいるのです。

(なんだろう、この金色のは? なんだかすごく気持ちがいいなぁ……)
すると次の瞬間、私は、手術台から2、3メートルほど浮き上がってしまいました。
(う、うわ⁉ なんだこれ)

眼下には、白い術衣を着た5、6名の医師や看護師が、手術台に横たわる私の体を手術しているのが見えます。不思議なことに、彼らの背中には白い羽が生えており、看護師の羽は時折フワフワと動いていました。手術されている私の胸のあたりは、金色に光っています。よく見ると、その周りで、西洋の絵本に出てくるような、小さなヒト型の“妖精”が飛び跳ねているのです。

(不思議な光景だなぁ……。これってよく言う、臨死体験の一種なのかな?)
こうした不思議な光景を目の当たりにしながらも、私は、取り乱したり恐怖を感じたりはしませんでした。

きっと、10年ほど前から幸福の科学の書籍を読み、「人間の本質は霊(魂)であり、魂としての自分が肉体に宿ってこの世で生活している」ということや、「手術中に、魂が肉体を抜け出すことがある」という教えを学んでいたため、不思議な体験を冷静に受け止められたのだと思います。

「これが、三途の川……?」

しばらくすると急に景色が変わり、私は心地よい風に吹かれながら、広々とした草原に立っていました。
(おや、ここは……?)
目の前には、川幅がゆうに百メートルを超える広大な川が流れており、向こう岸には色とりどりの花が咲き乱れる花畑や、幾重(いくえ)にも連なった山々が見えます。

(なんて美しいところなんだろう……) 
ふと見ると、その川には幅が何十メートルもあろうかという、真新しい白木で造られた巨大なアーチ型の橋が架かっていました。
(ひょっとして、ここが三途の川なのか?)

その場所はとても明るく、柔らかな日差しがさんさんと降り注いでおり、私は、今まで感じたことのない安らぎに満たされました。

また、そこでは不思議なことに、「あの花畑に行ってみたい」と思った途端、その場所にパッと“瞬間移動”してしまうのです。
(「霊界は思いの世界」と学んでいたけど、本当にその通りだ!)

私は夢中になって、川辺の周辺を移動しながら散策しました。しかし、どこに移動しても、私以外には誰もいません。よく、「三途の川では、先に亡くなった両親や友人が迎えに来る」と言いますが、人っ子ひとりいないのです。

(景色はきれいだけど、俺しかいないのは、ちょっとつまらないなぁ……)
そう思った瞬間、急に後ろにスーッと引っ張られるような感覚があり、急速に意識が薄れていきました―。

ニーズが高い「霊界の話」

次に、私が意識を取り戻したのは、集中治療室のベッドの上。手術後、半日ほどが経過していました。担当の看護師が、私の手術は、心臓の大動脈を人工血管に入れ替え、複数の動脈にバイパスを通すという大掛かりなもので、9時間もかかったと教えてくれました。

「Kさん、手術中に一度、心臓が動かなくなって危なかったのよ。先生が電気ショックを4回もやって、ようやく生き返ったんだから。本当によかったわね」

(そうか。三途の川に行ったのは、きっと心臓が止まった時だったんだ。まだ“お迎え”が来なかったということは、この世での使命が残ってるってことなんだろう……)

15年ウツだった僕が銀座で英語講師をするまでの話【体験談】

私の体には、開胸の際にできた30センチ近い傷をはじめ、大きな手術痕が7カ所もできていましたが、なぜか、触っても叩いても全然痛くありません。介助も必要なく、2週間で退院できて、医師たちも驚いていました。

(きっとこれは、神仏のご加護をいただけたに違いない。これからの人生、少しでも神さまにご恩返しできる生き方をするぞ!)

職場に復帰すると、同僚たちが心配して声をかけてくれました。
「Kさん、心臓の手術したって聞いたけど、体は大丈夫なのかい?」
「迷惑かけて悪かったなぁ。もう、全然大丈夫だ。実は俺、その手術中に1回死んで、あの世を見てきたんだよ」

「ええ! 本当かい?」
私は折に触れて、自分の臨死体験を、同僚たちや仕事で出会う人たちに話しました。

「ほぉー、そうなんか。でも、三途の川まで行っちゃうなんて、怖くなかったんか?」
「それが、全然怖くないんだよ。むしろ、あの世にいると心がとっても安らいで、本当に幸せなんだよなぁ」

「へぇー、そんないい世界なんか。話してくれてありがとな。俺もちょっと、死ぬのが怖くなくなった気がしてきた」
私の話を聞いた人たちは、心なしかホッとした明るい表情になり、異口同音に「聞いてよかった」と言ってくれました。
(やっぱり皆、本当は、あの世のことを知りたいと思っているんだなぁ)

私は幸福の科学の教えを通して、「死ねば終わり」だと思い込んでいる人は、死後、自分が霊になったことが理解できずに、地上で迷い続けて不成仏霊になったり、縁ある人に不幸を起こす悪霊になってしまうことも多いと知りました。

世間では、悪霊の障(さわ)りを心配してお祓(はら)いなどを受ける人も多いですが、そうした悪霊を増やさないためにも、生きているうちに「死んだらどうなるのか」をきちんと知っていただくことが大切だと感じています。

実際にあの世を垣間見てきた者として、これからも、1人でも多くの方に、幸福の科学の教えを伝えていきたいです。

(※ 右上の写真は、出張の荷物に必ず幸福の科学の書籍を入れ、出会った方に献本する準備をしている様子。)

書籍で学ぶ臨死体験が示すもの

『信仰のすすめ』(大川隆法 著/幸福の科学出版)第2章 死後の世界について/3 臨死体験が示すもの/「三途の川」を渡る場合と渡らない場合メッセージ

「三途の川」を渡る場合と渡らない場合

人が死ぬ間際に、よく家族や親族などが呼び寄せられますが、あれは、実は「まだ逝くな」と引き止めるためでもあるのです。間に合った場合には、逝かずに戻ってくることがあるわけです。

お通夜の段階でも、この世に帰ってくる人が、昔から、ときどきいます。お通夜の段階では、まだ逝っておらず、霊子線がつながったままで、ふらふらしているので、「まだ、この世に使命がある」と強く言われると、戻ってくることがあるのです。

川の向こうから来た親族に、「おまえは、来るのはまだ早い」と言われる場合もあります。亡くなったお父さんやお母さん、おじいさんやおばあさん、兄弟などから、「おまえが来るのは、まだ少し早いのではないか。もう少し、地上で頑張れ」と言われるのです。

本人は、安らいでいるので、「あちらへ行きたいな」と思うのですが、亡くなった身内に、「おまえは、地上での仕事がまだ残っているから、来てはいけない」と言われて戻る場合があるわけです。

あるいは、「こちらへ来い」と招かれて、ついていこうとしたときに、後ろから呼び止められて、振り返ると、この世へ戻っているという場合もあります。
また、ちょうど三途の川を渡りかけているときに、この世で、タイミングよく、荒っぽい医者が来て、その医者に、頬をパシパシッと激しく叩かれ、「頑張れ。まだ死んでは駄目だ。帰ってこい」などと言われて、戻ってくることもあります。もう少しで逝く寸前のときに、タイミングよくバシバシやられて、戻ってくるのです。

この世に戻ってくると、急に体に激しい苦痛を感じて、「しまった」という気持ちになります。
そのようなかたちで、あの世へ行かずに帰ってくる人もいます。
この世に帰ってくる人のなかには、「あの世の話を伝える」という使命がある人もいれば、この世での仕事がまだ残っていて、あの世に還る時期ではない人もいます。

しかし、どうしても生命を維持できず、予定した人生を全うできない場合もあります。事故などで体の損傷があまりにも激しい場合には、戻ろうとしても戻れないことがあるのです。戦争などで近くに爆弾が落ちたときなどには、戻ってこようにも体がありません。

そういうときには戻れないのです。
したがって、戻れる可能性があるぎりぎりのところで、「帰ってこられるかどうか」という問題があるのですが、三途の川を渡ってしまった場合には、それで終わりです。あの世の人に導かれて、次の世界に入っていくことになります。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第152号より転載し、編集を加えたものです。

Iさん(50代・女性)

原因不明の主婦湿疹

「Iさん、なかなか治らないですねぇ。お薬を替えてみましょうか」

(ああ、この病院もだめか・・・)

43歳の時に、私は原因不明の主婦湿疹に見舞われました。どの病院でどんな薬を試しても、症状はひどくなるばかり。そのかゆさといったら、睡眠薬なしでは夜も眠れないほどでした。

医師に原因をたずねても、「洗剤かぶれかなぁ。人一倍、肌が弱いんですね」「ホルモンのバランスが崩れているんでしょうかねぇ」など、はっきりせず、私は不安を募らせていきました。

※主婦湿疹(しゅふしっしん):水や洗剤によって、肌を保護する皮脂膜が奪われるために起きるとされる手湿疹。水仕事をする主婦などに多い。

指紋が消えた!

両手に包帯を巻いての生活。その包帯の交換に、毎日病院へ通いました。簡単な家事をするのも一苦労です。

(私がこんなに苦労しているのに、家族は誰も手伝ってくれない—)

心はいつもピリピリしていました。

「あっ! 指紋がない!」

ある日、自分の手を見ると、指先までびっしりとできた水疱(すいほう)で、指紋が消えています。

「年を取って死ぬまで、こんな生活が続くのかな・・・」

とうとう精神科へ

そんな状態が2~3カ月続いたでしょうか。ピークの時には、首や足指の間にも、ただれや水疱ができました。症状があまりにひどかったために、病院のポスターなどに使う資料用にと、写真を撮られたほどです。人と会うのも嫌になり、私は家に引きこもるようになりました。今思えば、ウツ病の一歩手前だったと思います。

病院でも、薬で治らないなら心因性かもしれないと、ついに精神科へ回されました。「ビタミン剤」と言われて処方された薬は、気になって医学書で調べてみたところ、精神安定剤でした。しかも、飲みつづけると止められなくなる可能性があると分かり、怖くなって捨ててしまいました。

(なんでこんな不幸ばっかり。一体、何のために生きてるんだろう・・・)

霧がサーッと晴れて

そんなどん底の時でした。ふと、友人に誘われていた「幸福の科学」のことを思い出したのです。「もしかしたら、何か希望が見つかるかもしれない。確か今日、講演会があるって・・・」。そう、わらにもすがる思いで、私は一人、重い足を引きずって、会場へ向かったのです。湿疹が出はじめてから半年後のことでした。

「『自分がかわいそうだ』と、いくら思いつづけても、自分自身の道が開けることもなければ、それによって他の人が幸福になることもないのです」「仏を信ずることによって、病も消えていきます。仏は全能です。それを信ずるならば、みなさんの病もまた、消えていくしかないのです」(『愛、無限』より)

はじめて聴く大川隆法総裁の講演は、確信に満ちた力強いものでした。その時感じた、湖に立ちこめていた霧がサーッと晴れていくような感覚は、今でもはっきりと覚えています。

なぜだか涙があふれ、私は講演が終わっても、しばらく立ち上がることができませんでした。帰り道では足取りも軽く、一人でいても笑顔が止まりません。講演を境に、私は心に明るさを取り戻していったのです。

湿疹の原因が分かった!

私は書店で幸福の科学の書籍を購入して、「仏法真理」を学びはじめました。

人間は永遠の生命を持ち、この世とあの世を転生輪廻(てんしょうりんね)している存在であること。この世は修行の場であり、苦難困難は魂を磨く砥石であること—。

「この苦しみにも意味があるんだ」。そう思うと、乗り越こえる勇気と希望が湧いてきました。

この教えをもっと学んでみたいと思った私は、その年、幸福の科学に入会したのです。

書籍を読み進めるなかで驚いたのは、病気の原因のほとんどは、自分自身の「心」にあるということです。

私は、どういう時に手がかゆくなるのか、自分の心の動きを観察してみました。

すると、家族に対し、とくに夫と娘に対してイライラしたり、カーッと怒った時に、スイッチが入るようにかゆくなることを発見したのです。「これが、湿疹の原因だ」と確信しました。

私が間違ってた

原因を確信した私は、まず、冷え切っていた夫との関係を見直してみました。

結婚当初から、よく外でお酒を飲んでは、深夜に帰宅していた夫。子供が生まれてからも、それは変わらず、仕事の付き合いがあるとは知りつつも、「これじゃ母子家庭だわ」と、私は不満をため込んでいたのです。

しかし、夫との会話を静かにふり返っていくと、昔、妻である私がお酒を飲まないので、家では飲みづらいと言っていたことを思い出しました。

(あの人は、私に気を遣ってくれていたんだ・・・)

結婚25年目の感謝

夫の優しさに気づいた私は、自分も夫のために何かしたいと思うようになりました。そんな時、『太陽の法』という書籍に、このような言葉を見つけたのです。

「与える愛とは、まず、『感謝する』ということからはじまってゆくのです」(『太陽の法』より)

「そういえば、お父さんに感謝したことなんて、ほとんどなかったな・・・」

私は、夫に毎日、感謝の言葉をかけることにしました。

夏の朝、「暑いなか大変ですね。行ってらっしゃい」と送り出す。夜は、「今日は暑かったですね。お疲れさまでした」と、ねぎらいの一言を添えて迎える。私なりのささやかな愛の実践です。

気づけば、夜、早く帰ってくる夫の姿がありました。

私、ひどい母親だった

次に、当時高校生だった娘の問題です。

私が親戚の店の手伝いで、毎晩10時、11時まで家を空けていた時期があり、その頃から、娘が荒れはじめたのです。

夜遅くまで帰ってこない、無断外泊をする。そんな娘に、私は顔を合わせると小言を言っていました。それが母親の愛だと思っていたからです。

しかし、仏法真理に照らしてみると、「娘のため」と言いつつ、実は、人様に良い母親と思われたいがため、そして、小言を言うことで自分のイライラを晴らしていただけだったことに気づいたのです。

「私ほど良い母親はいないと思っていたのに、とんでもない母親だった・・・」

娘はよく言っていました。「お母さんは、私よりお兄ちゃんがかわいいんでしょ」と。私の独りよがりの偽物の愛が、どれほど娘を苦しめていたことでしょう。

それから私は、言葉を口に出す前に、必ず自分の心を点検することにしました。リビングと娘の部屋の間にキッチンがあったので、娘を叱りに行く時は、一度、冷蔵庫の前で立ち止まり、本当に娘のためを思っているかと、自分に問いかけます。

冷蔵庫より先に行く回数は、目に見えて減っていきました。

湿疹が教えてくれたもの

そうした努力をはじめて半年ほどたった頃。あれほど苦しんだ湿疹が、いつの間にか、きれいに消えてなくなっていたのです。

湿疹は、私の心の間違いを教えてくれるバロメーターだったのだと思います。

湿疹になったからこそ、私は、自分にとって本当に大切なもの、「家族への愛」に気づくことができました。

つらかった日々も、ありがたい、貴重な体験であったと、今、心から思えるのです。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第148号より転載し、編集を加えたものです。

Fさん(60代・男性)

進行ガンの宣告

「こんなになるまで放っておく人、見たことないよ」

数年前、私は医師から膀胱(ぼうこう)ガンの宣告を受けました。1年ほど前から血尿のようなものが出ていたのですが、痛みもないので放っておいたのです。

それがある時、職場でトイレに行くと、ワインのような色の尿が・・・。さすがに青くなり、病院に駆け込んだのです。

ガンはピンポン玉大のものが一つ、ビー玉大のものが二つあり、膀胱の三分の一の表面にニキビ状のガンがびっしりできているとのことでした。

「すぐにでも入院して、膀胱全摘以外にないですね。人工膀胱になります。生活は不便になりますが・・・」

突然、ガンを宣告され、心の整理がつかない私を前に、医師は淡々と今後の処置について説明していきます。

(ちょっと待ってよ・・・。まいったな)

ガンになった原因

「ガンというものは、ほとんどの場合、精神的なストレス、悩みや苦しみが原因になっています。(中略)心が病むと肉体も病んでくるのです」(『繁栄の法』より)

すでに幸福の科学の教えを学んでいた私には、ガンになった原因が、自分の心のあり方にあることは分かりました。しかし簡単に受け入れられるものではありません。

日頃の自分の姿が浮かびました。友人や知人に幸福の科学をおすすめしながら、「心を調和して生きることが、大事なんだよ」と諭している自分・・・。

(人には分かった風なことを言って、自分の心のコントロールはどうなんだ)

病院を出て家路につきながら、そんなことを考えていましたが、ふとびっくりしたことがありました。進行ガンの宣告を受けたのに、昔からあれほどあった「死の恐怖」がありません。

(何かおかしいぞ。信仰を持っているからといって、体裁を気にして恐怖心を隠してるんじゃ・・・)

家族にガン宣言

その日の夕飯後、妻と当時大学生だった息子と娘に、病気のことをわざと明るく報告しました。

「はい! 今から発表します。私はガンになりました」

と、見渡せば、顔を曇らせる妻、黙っている子供たち。

家族の前でも本心を取り繕(つくろ)っている自分が、なんだか滑稽(こっけい)でもありました。

(まずいぞ。自分の心の闇や嘘を赤裸々にしなくちゃいけないんじゃないか・・・)

それから間もなく、私は幸福の科学の本やCDをたくさん持って入院しました。そして、検査や人工膀胱のレクチャーを受ける合間に、病室のベッドで、真理の書を開きながら心を見つめていったのです。

心の毒の発見

心の作用でガン細胞をつくってしまったのですから、よほど心に毒を溜め込んでいったに違いありません。

当時、私は郵便局の局長を務めていたのですが、心が揺れるシーンとなると、やはり職場のことばかりが出てきます。

書類の処理が要領を得ない部下へのイライラ。何回も同じことを言わせる部下を見下すような思い。お客様へのサービス精神に欠ける部下にカッとなりそうになってしまうこと。

(なんでできない!)( バカヤロー、何度言ったら分かるんだっ)

面と向かっては言わないまでも、心の中では罵声を浴びせていました。

それは明らかに、部下を生かす思いというよりも、仏法真理で戒められている「瞋(じん)=怒り」の心です。

さらには、そういった自分の思い通りにならない出来事があると、何十分でも何時間でも、その事に不満を持って思い続ける癖があることも発見しました。それは、心の中でずっとグチを言い続けている「 癡(ち)=愚か」の心です。

私は要領もよく、人からは社交的と言われていましたが、外見からは分からない心の中は、人を責める思いや言葉が渦巻いていたのです。

心の中の謝罪

入院前、職場で病気のことを報告すると、「ゆっくりしてきてください」と、どことなくホッとしているように見えた局員たち。

(皆、こんな寛容じゃない上司の俺と仕事してつらかったのかな、本当に申し訳ないことをしてきたのかもしれない)。私は部下の一人一人に、心の中で詫びていきました。

次に私は、自分のそんな傲慢さがどこから来ているのか、人生を振り返っていきました。

私は父が会社経営をしながら議員をしている家の6男として生まれました。小学生になると子供のいない親戚に養子にいき、養父母からそれは大切に育てられました。

そして大学卒業後は、知人の紹介で郵便局に就職。29歳の時、縁あって大手航空会社の客室アテンダントだった妻と結婚し、家も新築。35歳で特定郵便局の局長に抜擢。その郵便局は、全国有数の商工団地にあったため、毎年抜群の営業成績をあげることができ、日頃の付き合いから政財界とのパイプも太くなっていきました。まさに順風満帆の人生。

私は、知らず知らずのうちに「慢心(まんしん)」していたのです。

多くの人に生かされて

日頃、部下に業務の手本を見せる時も、「どうだ」とばかりに接客したり、窓口業務についたり・・・。私の慢心ぶりが部下の鼻につかないはずはありません。

「『自分はよくやったな』とだけ思っている人は、忘れているものが多いのではないでしょうか。確かに努力はしたかもしれない。しかし、『その努力を反映する場を与えてくださった人びとがいた』ということを忘れてはならないのです」(『人生の王道を語る』より)

幼い頃よりお世話になった人の顔を思い出していくと、限りがありませんでした。大量の人に連綿と世話になりながら、今の自分がある。そのことを思うと、長い間忘れていた心を思い出しました。 それは「謙虚さ」です。

20代の頃の、素直で初々しかった自分が、まぶしく思い出されました。

「死」の覚悟

その合間にも、他の臓器への転移を調べる検査が何度となく行われ、私は「死」を覚悟し、腹をくくりました。

兄たちが原爆や病気で亡くなっていることも影響してか、物心ついたころから「死」の恐怖を抱いていた私でした。

しかし信仰を持ってからは、あの世の実在を確信。医師からガンを宣告された時、死の恐怖がなかった自分に驚きましたが、信仰によって護られていたのだと気づいたのです。

「これまでのことはすべて、自分で蒔いた種だ。仏に全託し、たとえどんな結果になっても受け入れよう」

今の自分にできることを

幸福の科学支部では、支部長が「病気平癒祈願(びょうきへいゆきがん)」をしてくださっていると聞きました。

同じ信仰を持つ仲間がいて、いつも私のために祈ってくださっていること。順境の時も逆境の時も見守ってくださっている仏がおられること。

(信仰とはなんと心強きものか)。病気になって初めて、そんなしみじみとした思いがこみ上げます。

「オレは今まで人から与えられてばかりで、『奪う愛』の塊だった。だからこれからの人生は無私なる愛を実践して生きていこう」

死ぬのは怖くありませんでしたが、この世の生を閉じる時、周りの人にもっと優しくしてあげればよかった、と悔いが残るのはつらいと思いました。病身であっても、今の自分にできることからやっていこう、と心に誓ったのです。

「与える愛」の実践

病室は4人部屋だったのですが、病室特有の暗い雰囲気に負けじと、自分から話しかけたり、家族に頼んでトランプや花札、知恵の輪を持ってきてもらい、患者同士で遊んだりしました。

また、高齢の方とは、一緒に風呂に入るようにして、体を支えてあげたり、下着の脱ぎ着を手伝ってあげたりしました。そのうち、別の病棟から患者さんが遊びにくるようになり、退院祝い会をやったりと、明るいサロンのような雰囲気になっていきました。

吹き出てきた「感謝」

そんな日々の中で、びっくりするようなことが起きました。

時折、腹から胸に向かって、まるで壊れた水道管から水が吹き出るように感謝が湧き上がってくるのです。

それは病院の廊下を歩いている時や食事の時など、前後の脈絡もなく突然やってきました。そして決まって、「いい人生だったなあ」という言葉が口をついて出、涙がぼろぼろと止まらないのです。

一度その場面に居合わせた妻も、「なにも明日死ぬわけじゃないんだから」と困惑するぐらいでした。

それは自分の人生も、死も、すべて受け入れることができた瞬間だったと思います。そして何かが吹っ切れた気がしました。自分の心の根っこに純粋な感謝があり、私はホッとしていました。

(迷ったらここに戻ればいい――)

「信仰」の奇跡が臨んで

そして手術が迫ったある日。医師がふとこんなことを言い出したのです。

「こんな状態の人にやったことないけど、膀胱を取らずに、悪いところを内視鏡で焼いてみますか?」

膀胱にびっしりできたガンを切除するのは至難のこととは思いましたが、私は先生にお任せすることにしました。ガンが深いため、手術中に膀胱に穴が空く恐れがあるとも言われました。

ところが実際には、手術は成功したのです。

「こんなにひどくなってるのに、ガンが表面にしかない。尿管にも広がってない」と医師も驚きを隠せない様子です。「Fさんがお持ちの信仰のお陰もあるんじゃないでしょうか・・・」と不思議そうな顔をしていました。

心の財産

ガン発覚から2カ月後、私は職場に復帰しました。

「分からんことがあったら、俺に遠慮せずいつでも聞きにこいよ」

入院前、あんなに皆に伝えてあったのに、聞きに来た部下は誰もいません。以前の私なら心が動揺したでしょう。しかしその時は、私が不在でも滞りなく業務をこなしていた部下たちの成長を祝福し、皆に感謝することができたのです。

手術から数年が経ち、ガンの定期検診の必要もないほどに、健康を取り戻すことができました。退職した今は、地元の会社の役員や、幸福の科学のボランティアをしながら、充実の日々を送っています。

年を重ねるほど、心は、凝り固まった「有(う)」の状態になりがちです。

人間そう簡単に変われるものではありませんが、私にとってこの数年間は、「 地獄の方向を向きがちな心の針を、天国的な方向に振り向ける」ことを常に自らに課し、実践し続けてきた歳月でありました。

まだまだ未熟ですが、習慣づけた心の操縦法は、私の心の財産です。

「新しい生命(いのち)」をいただいて

ガンを宣告された時、もし無信仰の私だったら、死の恐怖におびえながら、医学書を買いに走って、油汗を流しながら読み、何としても肉体生命を延ばす方向で悶々と苦悩したでしょう。

病気がきっかけで、自らの間違った思いに気づくことができました。教えによって、心の傾向にまで踏みこんだ反省ができ、心身の健康を取り戻せたことは、まさに「信仰の奇跡」であったと思います。

支えてくださった幸福の科学の皆さんと、新しい生命(いのち)をくださった仏に、心からの感謝を捧げ、これからの報恩の人生を歩んでまいりたいと思います。

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