Archive for the ‘夫婦・結婚’ Category

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第129号より転載し、編集を加えたものです。

アルコール依存症

「Tくん・・・君、アル中やで」

今から10年以上前のことです。ある日、職場の同僚がしんみりとした口調で忠告してくれました。

そう言われたものの、「別に朝からカップ酒をあおっているわけでもないし、そんなはずないだろう」と思っていました。

しかし、夜な夜なスナックに行ってはボトル2本を空けていた自分。間もなく「アルコール依存症」の疑いで入院し、結婚したばかりの妻にも離婚されてしまいました。

夜、真っ暗な病院のベッドの上で、僕はひとり後悔の涙を流しました。

ひと夏の恋

僕が酒におぼれはじめたのは、専門学校1年のときの失恋がきっかけでした。

相手は、夏休みに大阪から兵庫に帰郷した際、スーパーのバイト先で出会った可愛らしい女性。僕と同い年で、向こうから声をかけてきたのが始まりです。明るくて積極的な子でした。

楽しかった夏休みはあっという間に過ぎ、僕が大阪の専門学校に戻るとき、彼女は「また手紙を書くね」と言いました。

それから何度か手紙のやりとりをしましたが、2カ月が過ぎたころ、急にパッタリと連絡が途絶えてしまいました。

気をもんだ僕は、直接、彼女の職場まで行ってみました。

「—やあ、久しぶりやな」

僕が声をかけると、彼女は一瞬びっくりして、目をそらしました。

「ちょっと・・・今日は帰らなあかんねん」

すると、突然そこに知らない男が近づいてきて、いきなり僕に見せつけるようにラブシーン・・・。あまりのショックに声も出ませんでした。

彼女は僕が大阪に戻ってすぐ、別の男をつくっていたのです。それからというもの、失恋がすっかりトラウマになってしまいました。「もう彼女なんか作らん」と、恋愛から遠ざかって勉強に専念しようと自分に言い聞かせました。

医療系の専門学校で、3年間がんばって国家試験に通れば、臨床検査技師の資格がとれるはずでした。

学校の女の子から交際を申し込まれたことも何度かありますが、いつも僕は「ハハハ・・・」と笑ってごまかすばかり。新しく好きな女の子もできました。でも、傷つくのが怖くて、友達以上の関係になるのを意識的に避けていました。

「もう誰とも付き合わない」と言い聞かせる自分と、異性を求めてしまう自分。二つの心が激しく葛藤していました。

夕方、下宿で独りっきりになると、気持ちが沈んできます。ふらりと近くの酒屋に足が向き、いちばん安いハイニッカ2級とセブンスター1箱を買うのでした。三畳一間の部屋にこもると、ヘッドホンでローリング・ストーンズを聴きながら、タバコを吸っては黙々と酒を飲みます。おつまみなどありません。

女の子のことを忘れたくて飲んでいるのに、酔っ払ってくると、決まって好きな子のことを悶々と考えていました。

次第に酒量が増え、勉強に身が入らなくなってしまった僕は、2年生を2回留年し、退学になってしまいました。

「また仕事やめたんか!」

失意の帰郷—。しばらくは何もする気が起きず、ボーッと1カ月過ごしました。

「そろそろ、なんか仕事でも見つけないと・・・。とりあえず車の免許とろう」

自分から教習所に通い、職安にも行きました。そうして見つけた初めての仕事は、養殖魚のエサに添加するビタミン剤を製造する会社でした。

初めての社会人生活。けれども、毎日働いていても、これを一生続けていくのかと思うとピンきません。人間関係も表面的で、仕事を離れたお付き合いもありません。結局、1年でやめてしまいました。

僕はすぐに職安で別の仕事を見つけました。今度はスーツの縫製会社です。僕は内職先に車で材料を配送する係で、前より人間関係もよく、毎日の仕事にとりたてて不満はありませんでした。

でも、あちこち車を走らせながら思うことは、「理数系が得意だったし、なにか化学方面の仕事をやってみたい。もう一度勉強しなおそうか」ということです。

1年後、大阪の専門学校を受験し、合格。仕事を辞め、下宿先まで決めました。

ところが、実際に下宿先に行くと、ガチャガチャとやかましく、とても勉強に集中できそうな環境ではありません。急に強い不安がこみあげました。

「これじゃ昔の二の舞になる・・・もうあんなの二度といやや!」

意欲が萎えてしまった僕は、入学を取り消し、実家に帰ってきてしまいました。

それからは、ありとあらゆる仕事を転々としました。工場の流れ作業、スーパーの裏方、営業職、病院の事務、水質分析、浄化槽の清掃汲み取り・・・僕もまだ若かったですし、好景気の時代でしたので、行けば雇ってもらえます。でも、どこも長続きせず、半年続けばいいほうでした。

「また仕事やめたんか!」と、いつも親にうるさく怒られます。しかたなく次の仕事につきますが、どこに行っても腰を落ち着ける気にはなれません。

「収入さえ得られれば、仕事なんてなんでもいい。いつか物書きにでもなりたい」。そうはいっても、実際にコツコツ作品を書きためるわけでもありません。

相変わらず酒ばかり飲んで、たまに気が向けば文学賞に応募するといった具合でした。専門学校を退学になってからの毎日は、いきあたりばったりで過ぎていきました。

新婚生活もつかの間・・・

「おまえもそろそろ身を固めたらどうや」

相変わらず、すぐに仕事をやめてしまう僕を両親は心配し、20代後半になると何度もお見合いさせました。

ちょうど30歳のときのお見合いは、いつになく両親の気合が入っていました。僕が相手の女性と向かい合っている隣のテーブルでは、両親同士がもう結婚式の話をしているのです。

(この子と結婚することになるんかな)

僕としても別に嫌いなタイプではなかったし、お見合いからわずか3カ月後には結婚式を挙げていました。そして、ほどなく妻は妊娠。新しい生活は順調にスタートしたかに見えました。

ところが—。出産のために里帰りした妻は、そのまま二度と帰ってきませんでした。

「あの子が『離婚したい』と言っています」

妻の母親から言われました。わずか1年の結婚生活でした。

離婚の原因は、やはり酒でした。

妊娠中、僕は妻に優しい言葉も何ひとつかけず、いつもほったらかしで飲みにいきました。スナックでは、毎回ボトル2本は空けました。酔うと、とにかくだらしなくて、いつも意識がなくなるまで酔いつぶれ、朝帰りもしばしばでした。

そして妻が里帰り中のある日、僕は急に体も気持ちもしんどくなり、二日酔いのまま退職届を提出・・・。身重の妻が今後の生活に強い不安を抱いたとしても無理はありません。

「えらいことやってしまった・・・」

間もなくアルコール依存症の疑いで検査入院することになった僕は、ベッドで後悔の涙を流しましたが、いまさら手遅れでした。

姿の見えない不気味な声

幸い依存症のほうはまだ軽度だったようで、入院後は禁断症状が出ることもなく、酒からは自然に離れていきました。ところが、アルコールよりもっと深刻な問題が起きました。退院を境に、突然、変な声が聞こえはじめたのです。

姿は見えませんが、部屋の窓の外のあたりで女の人が3~4人集まり、離婚の噂話とか下品なことを話しているのです。

(やめてくれ! なんなんや、いったい)

テレビを観ても、車のラジオをつけても、道で人とすれ違っても、コンビニの店員も客も、みんな僕を指さして悪口を言っているような気がしました。

幻聴は目が覚めると同時に始まり、1日中ひっきりなしに続きます。頭が変になりそうでした。

病院で神経薬をもらっても、全然効きません。でも、薬を飲むと、やたらとお腹が空いて、すぐに眠くなってしまいます。体重はどんどん増え、動くのもめんどうになり、疲れやすくなりました。

もうまともに働くこともできません。正社員になるのをあきらめ、3時間程度のバイトを探しますが、どこに行っても聞こえてくる幻聴に耐えられず、勤めてはすぐに辞め・・・をくり返しました。

こんな僕の状態を、両親はまったく理解できません。

「おまえ、なぜ働かんのか。普通にしゃべって、メシ食って、車も乗れるやないか」

(こんなん、どう言ったって理解できへんやろ。話してもムダや・・・)

説明する気力もなく、両親に責められても、ただ貝のように黙っていました。

どん底で出会った言葉

2年、3年とたつうち、ほとんど仕事をすることもできなくなり、家にこもって臥せるようになりました。朝起きてから眠るまで聞こえる声。みんなが僕の悪口を言っているようで、恐怖心で誰も信じられなくなりました。自殺をしかけたことも何度かあります。

「もう限界や。どうしたらええんや・・・」

幻聴に対抗するすべもわからず、気力も体力も尽きかけていました。

ある日、僕はフトンにあお向けになり、大川隆法総裁の本を読んでいました。何年か前から、ときどき本屋で買っていたのです。

ボーッとした頭で『太陽の法』のページをめくっていると、

—我を信じ、集い来よ—

という言葉が目に飛び込んできました。

ハッとしました。

まるで今の自分に向かって呼びかけられているように感じられたからです。

何も信じられず怯えていた自分の心に、「こちらに来なさい」という言葉が優しく響き、わけもなく涙が流れてきました。

(この方の言葉を信じたい。この言葉を信じて、素直についていってみよう)

僕は思いきって、本の巻末に載っていた幸福の科学の電話にかけてみました。そこで地域の支部を教えていただきました。3日後に支部を訪ね、入会をしました。

僕のために泣いてくれた

僕は毎日、すがるような思いで、幸福の科学の経文『仏説・正心法語』や『祈願文』を読みました。

しばらくして、自宅の近くに幸福の科学の拠点が開設されました。僕が拠点を訪ねると、黙々と仕事をしていた女性が手を休め、快く迎えてくださいました。拠点長のKさんです。

はじめ僕はあまりうまくしゃべれませんでした。Kさんも戸惑ったと思います。

「僕、実はアル中で、なんか変な声が聞こえて・・・ほとんど寝たきりなんです」

自分の状態を少しずつ話していくうち、Kさんは涙を流されました。僕のために泣いてくださる方がいる・・・そのことに胸が熱くなりました。僕も泣いてしまいました。

「Tさん、これから、どんどん幸福になっていきましょうね」

「はい、よろしくお願いします」

拠点に行くと、Kさんはいつも懇切丁寧にアドバイスしてくださいました。

「少しずつでもいいですから、仏のお役に立てるようになりましょう」

「僕も何かお手伝いさせていただきます」

それから、週に1~2度、体調のいい日に、拠点で軽いボランティアをさせていただくようになりました。買い物を頼まれたり、布教誌の仕分けや拠点のスタンプを押したりしました。といっても、まだ寝たり起きたりの毎日でしたので、最初はほんの1時間お手伝いをしただけで疲れてしまい、その場で横にならせてもらったりしました。

家に帰ってきたら、お祈りをし、真理の書籍を読み、過去の反省をしました。

また、精舎に行き「両親に対する反省と感謝」研修なども受けました。両親や妹たちに迷惑をかけせたこと。妻に対して思いやりがなかったこと・・・。研修で教わったとおりに、人生を5年ごとに区切って振り返っていきました。

必死に取り組むうち、徐々に体調も上向きになり、拠点に行ける回数も、ボランティアの時間も増えました。活動によって、僕の心に張りが生まれました。

幸福の科学の仲間に励まされ・・・

幸福の科学のみなさんは明るくいい人たちで、僕は拠点にいるときがいちばん楽しい時間でした。しかし、幻聴はやみません。

「拠点の人たちが自分の悪口言っているんやないか」という思いに執われてしかたないこともあります。

そんなときは自分に言い聞かせます。「いや、ほんまは違うんや。こんないい人たちが悪口言うはずないんや。大川先生も、他人は自分が思っているほど気にしていないものだと言われてる」。

アルコールを飲みすぎると悪霊に憑依されやすくなることも学びました。

苦しいときには『幸福への道標』という本が心の支えになりました。「自分も仏の子であり、ダイヤモンドのように輝く仏性が宿っているんだ。それを磨いていけばいいんだ」と、何度も何度も自分を励ましました。

「Tさん、3冊でも5冊でも、布教誌を地域の方にお届けしていきましょう」

Kさんと布教誌の配布も始めました。

日々、着実に心身の調子が回復しつつあるのを感じました。さらに、同じ拠点の方から「Tくん、これ聴きいな」と、大川隆法総裁の法話のテープを勧められました。

それまでは幻聴のせいでよく眠れなかったのですが、法話を寝る前に聴くと、気持ちも楽になって、すごくよく眠れるのです。ほとんど毎晩のように聴きました。

何かが耳から抜けた

数年前からは、食料品の行商をしている両親に「僕も仕事を手伝わせてください」とお願いしました。朝早く起きて市場に仕入れに行ったり、車に品物を積んで家を回ったりしはじめました。

しばらくして、幸福の科学に興味を持った妹が入信。半年後、両親も入信してくれました。家庭で信仰の話が自然と出てくるようになりました。

そして、就寝前に大川隆法総裁の法話テープを聴くようになってから2年あまりが過ぎたある日のこと。

いつものようにテープをかけて目をつぶっていると、コーラの栓を抜くみたいに、右の耳の穴から何かがスポーンと抜ける音がしました。その3日後に、左の耳からも抜けました。

その日を境に、長い間苦しんだ幻聴とも完全に訣別することができたのです。

幸福の科学でよかった

いまは拠点での活動を中心に、同じ信仰を持った仲間たちと充実した毎日を送っています。両親もあちこちの精舎を巡るようになりました。精舎から帰ってくると、いつも晴れやかな顔をしています。

先日、父がしみじみとつぶやきました。「うちは幸福の科学でよかったな」と。

僕も心からそう思います。幸福の科学は、人生の希望と、たくさんの人と支え合って生きる喜びを与えてくれました。

大川隆法総裁、そして父と母、妹、拠点のみなさん、僕を根気強く導いてくださり、ほんとうにありがとうございました。僕はまだまだこれからですが、今後の人生を本番と思って、いっそう前向きに生きてまいります。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第124号より転載し、編集を加えたものです。

主人を肝臓ガンで亡くした当時、私は、4人の子どもたちを抱え、将来の不安でいっぱいでした。しかし、映画「黄金の法」をきっかけに、仏法真理と出会い、人生のほんとうの意味を知ることができたのです。(40代・女性)

出会い

23歳の時のことです。当時、私は仕事帰りに、都内にあるクッキングスクールに通っていました。いつものようにエレベーターに乗っていると、「ここの生徒さん?がんばってね」と、スーツ姿の男性が話しかけてきました。

「なんか、あたたかい感じの人だな」

Kさんと初めて会った時、私は何とも言えない親しみを感じました。彼は、その学校を経営している会社の社員で、同じビルで働いていました。ビル内で会うとニコニコ話しかけてくる彼。その後、デートに誘われ、お付き合いをするようになりました。

15歳年上の彼のことは、「Kさん」と、先輩みたいに呼んでいました。話題豊富な上に、包み込むような優しさを持っていて、私はだんだんと心ひかれていきました。
付き合い始めてしばらくした頃、彼が言いました。

「Yちゃん、実はね、自分はC型肝炎という肝臓の病気なんだ」

病名は耳にしたことがありましたが、詳しいことは知りませんでした。彼は、子どもの頃の輸血が原因でC型肝炎になったこと、肝硬変や肝臓ガンになる可能性があることを教えてくれました。

「輸血のせいなんて、ひどいじゃない」
「仕方ないよ。人より身体には気をつけないといけないけど、おかげで酒もタバコもやめられた」

明るく淡々としている彼を見て、心の広い人なんだなと思いました。やがて、彼からプロポーズ。年齢差や病気のことから、私の家族は賛成しかねていましたが、私は彼と結婚する道を選びました

肝臓ガン

結婚後、私たちは4人の子宝に恵まれました。しかも、全員男の子。心配に思われた主人の身体も、特に問題を起こすこともなく、ふつうに会社勤めを続けていました。

しかし、ある夏のこと。体調不良を感じた主人が、念のために大学病院で検査入院をすると、ガンが発覚してしまったのです。肝臓ガン—最も恐れていたことが現実となり、私は目の前が真っ暗になりました。

翌年2月、主人は実家に帰省している際に吐血をしました。静脈瘤が破裂したのです。現地の病院にそのまま入院し、余命1年と告げられました。悲嘆にくれる私に対し、主人のほうは少しも弱気になりませんでした。

「一番下の子が、20歳になるまでは、絶対に生きるからな」

そう言って、東京に戻ってから他の病院で違う治療を試みたりしました。痩せて別人のように頬がこけ、腹水のせいでお腹が張っているにも関わらず、「疲れてないか? ずっと看てなくていいから、休みなよ」などと、いつも私のことを気づかってくれました。

6月、主人は家族に見守られながら息を引き取りました。4人の子どもたち一人ひとりに声をかけ、「子どもたちのことを頼んだよ」と私に言い残して……。

観てもらいたい映画

主人の死後しばらくは、葬式などで忙しく、落ち込んでいる暇がありませんでした。しかし、やがて落ち着いてくると、まるで心に大きな穴があいたようになり、何も手につかなくなりました。

「あぁ、もうこんな時間……夕飯の準備しなくちゃ……」

ふと気がつくと、一人でボーっとしている私。主人の面影を感じるものを目にしては、泣いてばかりいました。このままじゃいけないと思い、私は、休職していた保険関係の仕事を再開することにしました。また、結婚前に鍼灸師の資格を取っていたことから、近くの鍼灸院でお手伝いを始めました。

そんなある日、「子ども会のプリントを持ってきました」と、近所に住んでいるMさんが訪ねてきました。Mさんのお子さんと、我が家の三男は同級生。何かと相談相手になってくれていました。そんなMさんから、映画に誘われました。

「実はね、Yさんに、ぜひ観てもらいたい映画があるの」

彼女が誘ってくれたのは、「黄金の法」という映画でした。映画なんて久しぶりです。気晴らしになるかと思い、私は、彼女と一緒に行く約束をしました。

止まらない涙

映画の数日前、Mさんから「急用ができて一緒に行けなくなった」という連絡がありました。申し訳ないと詫びるMさん。どうしようか迷いましたが、チケットは私の手元にあります。もったいないし、せっかくだから行ってみようかなと、私は映画館に足を運びました。

始まってしばらくすると、スクリーンいっぱいに神秘的な宇宙の映像が展開され、その美しさに圧倒されました。

「すごい!いったい、何が始まるの」

まるで子どものように、期待で胸が高鳴りました。主人公の少年少女がタイムマシンに乗って、釈迦、イエス、モーセといった過去の偉人たちの時代へと旅立つ—。手に汗握るストーリーに釘付けになるとともに、登場人物たちのセリフが心に残りました。

特に、現代の日本に仏陀が生まれていること、人間は魂の成長のために何度も生まれ変わっていることに、心を激しく揺さぶられたのです。涙がとめどなく流れました。こんなに何かに感動したことは生まれて初めてのことでした。

大川総裁のお話

その後、Mさんから電話がありました。

「映画、どうだった?」
「それがね、感動して泣きっぱなしだったの。自分でも驚いた」
「えー、ほんと!よかった!今度、大川隆法総裁のお話が聴けるんだけど、Yさんも来てみない?」
「うん、行ってみる」

あんなすごい映画をつくっている幸福の科学って、いったいどんなところなんだろう。この目で見てみたい—。そんな思いで、幸福の科学の支部に行ってみると、私が思い描いていた宗教のイメージとは違い、とても明るい雰囲気で驚きました。

「人間は霊的な存在であり、そちらのほうが本質です。人間は、長年、霊として生活しているのであり、それがほんとうの生活なのです。……新しい人間関係や物質環境の変化のなかで生きてみて、新しい経験を得て、また霊界に還ってきます」(『神秘の法』第2章「憑依の原理」より)

やさしい語り口でありながら、なぜか心に響いてくるお話でした。

「霊界って、ほんとにあるんだ。そこに還れば、主人にもまた会うことができるのかな」

その後、Mさんとは以前にも増して、家族ぐるみでお付き合いするようになりました。

「長男の就職のこととか、気になることも多くて……」

そう打ち明けると、Mさんのご主人が、長男に会って気軽に相談に乗ってくれたりしました。夫のいない私にとって、Mさん一家は頼りになる心強い存在でした。

「こんなに何でも話せる人ができるなんて。法友(同じ法を学ぶ友人)ってすばらしいな」

感謝の気持ちでいっぱいでした。

思いがけない一言

幸福の科学で学び始めるようになると、信仰を持つことによって、心に安らぎが得られていくのを感じました。

しかし、末っ子のTが小学校4年生の時です。一緒に同級生の家に遊びに行くと、思いがけないことが起きました。Tが、同級生のお父さんにぴったりくっついて離れないのです。私の目には、まるで父親に甘えているように映りました。「やっぱり、さみしいんだ」と、複雑な気持ちになりました。

さらに、自宅で戦争の不幸を描いたアニメを一緒に観ていた時のこと。

「Tくん、この時代と違って、今は食べるものがいっぱいあって、幸せだよね」
「僕は幸せじゃないよ。だって、お父さんがいないんだよ」

思いがけない一言に、私は、ショックで言葉を失ってしまいました。

今でも両親がいる私に比べ、こんなに早く片親になってしまった子どもたち。幸福の科学で、「夫婦や親子の縁は、天上界で約束して生まれてくる」と学んでいましたが、Tのさみしそうな姿を見るにつけ、私たちの子どもとして生まれてきて本当によかったのだろうかと、自信が持てなくなりました。

家族の絆が心にしみて

「精舎でじっくり心を見つめると、人生についてのヒントが得られるよ」

法友のみなさんにそう勧められて、私は総本山・正心館で開催されていた「反省の指針・十箇条」を受けてみることにしました。研修の中で、自分の過去を振り返っていくと、ふと主人と交わした会話がよみがえってきました。

「不思議だけど、Yちゃんと結婚することは、決められているような気がする。こういうのって運命というのかな」
「うん。私も、そう思うよ」

それから、その言葉通りに結婚した私たち。主人と初めて会った時に、とても懐かしい気持ちになったことが思い起こされます。お互いに、目に見えない絆で結ばれていることを感じていたんだと、主人との縁の深さを感じて、胸が熱くなりました。

さらに、4人の子宝に恵まれたことへの感謝がこみあげてきました。私はもともと身体が弱い方で、中学生の頃から、点滴や鍼灸の治療を受けながら学校に通っていたぐらいです。初めての出産で、検査のために採血した時など、貧血で倒れてしまったこともありました。

「考えてみれば、あんなに身体の弱かった私が、4人も無事出産できたなんて、奇跡だわ。よっぽど、縁のある子たちに違いない。それに、あの子たちが生まれる前、すでに主人は病気だった。それを承知で、苦労するのを覚悟で、私たち夫婦のもとに生まれてきてくれたんだ……」

子どもたち一人ひとりの顔が思い浮かび、愛しくなりました。

「みんな、お父さんとお母さんを選んで生まれてきてくれてありがとう。お母さん、がんばるからね」

懐かしい声

また、支部で「霊人直伝メッセージ公案研修」を受けた時のことです。公案にそって、静かに自分の心を見つめていくと、主人の懐かしい声が心に響いてきました。

「自分はとても幸せだった。いつも見守っているから、がんばるんだよ。ほんとうにありがとう」

入院中はげっそり痩せていましたが、元通りのふっくらした笑顔が心に浮かんできました。「Kさんなのね? また会えてよかった—」涙がこぼれました。

それからというもの、私は、子どもたちに仏法真理の話をするようになりました。特に、ご本尊(家庭用の祭壇)を拝受してからは、いつも仏の優しいまなざしを感じて、自然に信仰の話ができるようになりました。
Tの前で、御本尊に向かって拝礼してみせる私。

「Tくん、さみしい思いをさせてごめんね。でもね、お母さんたちには、“魂の親”がいるから、ほんとうはさみしくなんかないんだよ」
「それにね、お父さんも、いつもあの世から見守ってくれているんだよ」
「えっ、ほんと!お父さん、いるんだ」

うれしそうなT。
いつしか、子どもたちも御本尊に手を合わせ、お祈りするようになりました。20歳になった長男も、弟たちの父親代わりをしてくれるようになりました。Mさんのご主人の経営する不動産会社に就職した長男は、高校に合格した三男に対して、「よくがんばったな。合格おめでとう」と言って、お祝いのプレゼントを買ってあげるなど、家族を支えてくれています。以前に比べ、わが家は明るい笑顔があふれるようになりました。

苦しみを癒したい

信仰のおかげで家庭も落ち着き、私は自宅で、以前から準備していた鍼灸の仕事を始めることができました。毎日、様々な患者さんが訪れますが、そのなかには心に悩みを抱えている方がたくさんいます。治療中、ある患者さんが言いました。

「主人をガンで亡くしてから、もう、あっちこっち痛くて。なんで、私ばっかりこんな辛い思いをするんだろうね」
「実は、私の主人もガンで亡くなったんですよ。でも、私、主人があの世で見守ってくれていることを信じているんです。そうすると、また会える日まで、がんばろうって気持ちになります。死は永遠の別れではないんですよ」

真理の話をすると、その方は涙を流しながら聞いてくれました。「以前の私のように、真理を必要としている人がたくさんいる。もっと伝えたい―」。悩み苦しむ患者さんたちを、少しでも癒すことができればいいな、と思って仕事に励んでいます。

信仰は、私の人生に大きな希望をもたらしてくれました。
主人を亡くし、子供どもたちの将来に不安を感じていた私が、一本の映画との出会いによって、人生のほんとうの意味を知り、幸福への道を歩み始めることができたのです。

幸福の科学の映画には、人生を変える力が秘められています。私がそうだったように、これからも、映画をきっかけとして、人生に希望を持てる方がたくさん出られることを心から祈っています。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第122号より転載し、編集を加えたものです。

私は、自分が小さい頃に養女に出されたことを、不幸だと思っていました。しかし、幸福の科学との出会いを通して、自分自身の境遇に対する見方が全く変わり、心から感謝できるようになりました。
きょうは、私のたどった心の軌跡をお話しします。Hさん(40代・女性)

夫の浮気、離婚・・・

いまから十数年前、私は離婚しました。長年、前夫の浪費癖や夜遊びなどに悩まされてきましたが、3人の子供のためを思って、ひたすら耐えていました。

しかし、そのなかで夫の浮気が発覚。さらに長男が成長するにつれて、「おまえなんか!」と父親に反抗するようになったのを見て、「もう限界だ」と別れる覚悟を決めたのです。

私は子供たちを連れて実家に戻りました。長男は中学に入ったばかり、下の娘はまだ幼稚園でした。

愛を裏切られて・・・

前夫と出会ったのは20歳の頃。彼は遊び仲間のグループの一人でした。彼はとてもマメな人で、「体調が悪い」と言えば薬を買って車で届けてくれるし、よく高価な宝石を私にプレゼントしてくれました。スキーで捻挫したときは、毎日、会社まで車で迎えにきてくれました。

そんな彼の強烈なアプローチに押されたカタチで結婚。

ところが、塗装工をしていた夫はバブル崩壊のあおりで仕事が激減しました。極端に少ない額のお給料では足りず、私たち家族は一日1000円に満たない倹約生活でした。

彼はアルバイトもしましたが、そのお金を生活費に回してくれず、ブランド物を身につけ、夜も遊び回って帰ってこなくなりました。そして浮気—。

「こんなはずじゃなかった・・・」

幼い頃から人一倍、愛を求めていた私。実は生後すぐに養女に出されてしまい、心に寂しさを抱えていたのです。「こんなに強く私を愛してくれる人なら大丈夫だろう」という夫への期待は、見事に裏切られました。

養女と知った日

私が初めて、自分が養女だと知ったのは、小学校3、4年生ぐらいの夏だったと思います。東京の下町で育った私は、毎年夏になると、栃木にある母の田舎に遊びにいきました。

一人娘の私にとって、大勢のいとこたちと一緒に自然豊かな山や川で遊び回る日々は、とても楽しみでした。

ある日、一緒に遊んでいた3歳年下のいとこが、思い出したように言いました。

「ねぇ・・・ほんとうは、Hちゃんってさ、私のお姉ちゃんなんだって」

突然の言葉にびっくりしましたが、幼いなりにも、それがどういうことか、なんとなくのみこめました。

「いとこが私の妹・・・じゃあ、田舎のおばさんが私のお母さんってこと?」

口数の少ないおばさん。私から話しかけたりすることもあまりなく、なんだか自分の母親という実感がわきません。おじさんはすでに亡くなっていました。

私はいらない子

「私はお母さんのほんとの子供じゃないんだ。もらいっ子なんだ」

頭のなかで「もらいっ子、もらいっ子」という言葉がぐるぐる回り、ほんとうにショックでした。

ちょうどテレビでは、山口百恵が養女役のつらい境遇を演じる連続ドラマを放映していました。養女というイメージは私の心に暗い影を落としました。

「田舎は4人もきょうだいがいるのに、なんで私だけ養女に出されたの?私はいらない子だったの?」

「私はいらない子」という独り言を、何度つぶやいてきたことでしょう。

養女の事実に気づいて以来、心の底に「私は親から必要とされていなかった存在」という孤独感がありました。そんな私の心を満たしてくれるような、ほんとうに愛してくれる人を求めて、前夫と結婚したのです。

結婚前、私を追いかけ回していた彼。それを私は、自分だけに対する特別な愛情の証と信じ込んでしまったのでした。

「いらっしゃいませ」

離婚後、子供を連れて戻った私を、養父母は黙って迎えてくれました。何のあてがあるわけでもありません。

ただ、失意のなかにも、一条の希望のようなものが胸の内に宿っていました。その一条の希望—私の心の拠りどころとの出会いは、離婚の2年前、偶然とも言えるきっかけからでした。

ある日、いきつけの美容室に行ったところ、お店が閉まっていました。

「あー休業日かあ。どうしよう。また出直すのも大変だな。うちの子が待ってるし、次いつ来られるかわからないし・・・」

CLOSEDの札を眺めながら、しばらく店の前で思案していると、前に見かけた美容室をふと思い出し、そのお店に行ってみることにしました。

「—いらっしゃいませ。こちらは初めてですか?」

雰囲気のよい店内。店長さんらしき男性が迎えてくれました。初めての店だと、なかなか思うような髪型にしてもらえないことも多いので、ちょっと不安でしたが、私の要望をよく聞いてくれ、素敵にカットしてもらえました。思いきって来てみて正解です。

すっかり気に入った私はリピーターになり、店長さんとも顔なじみになりました。

けれども、これがのちのち私の人生を大きく変えていく出会いであったとは、この時点ではまだわかりませんでした。

運命のトビラを開いて

ある日、店長さんに髪を切ってもらいながら世間話をしているうちに、いつのまにか家庭の悩みを口にしていました。

「実は夫とうまくいかなくて・・・」
「そうなんですか。それは大変ですね」

店長さんは鏡ごしに心配そうな表情を向けました。

「—あ、そうだ。そういうことなら、いい本がありますよ。よかったら読んでみますか?きっと何かしら参考になることがあると思いますよ」
「えっ、本ですか?私はちょっと・・・」

子供の世話で、毎日てんてこ舞い。ぜんぜん本を読む余裕などなさそうでした。でも、美容室から出たあとも、店長さんの言葉が気になってしかたありません。

結局、それから何日かたって、やっぱり貸してもらうことにしました。本を適当にパラパラと開いてみるうち、いつのまにかひきこまれていきました。

「夫の愛情不足を嘆く人は、あちらにもこちらにもいます。・・・女性はどうやら愛情に飢えている動物であり、愛情が与えられないと、“飢え死に”をしてしまうもののようです」『「幸福になれない」症候群』第3章

自分に語りかけてこられるような感じがして、不思議なくらい早く読み終えることができました。店長さんにお礼をいって、本を返しました。

「おもしろかったですか?まだほかにもいろいろ本があるから、貸しましょうか」

こうして私は大川隆法総裁の本を読むようになったのです。

大川総裁の話のなかには、愛についての話がたくさんあり、気になります。「与える愛」とか「奪う愛」とか、まだよくわからないながらも、ここに自分の求めているものがあるような気がします。

私は未来への期待感を抱いて、幸福の科学に入信しました。

その後、離婚など、つらい出来事もありましたが、幸福の科学と出会っていたことが、そうした日々のなかで私の心の支えとなったのです。

心のなかの変化

ある日、玄関チャイムの音がしました。

「こんにちは。私、幸福の科学の者ですが・・・」

幸福の科学に入ってしばらくして、近所の信者さんが訪ねてきてくださいました。近くで集いを開いているそうです。新たな人たちとのご縁は、私にとって、とても新鮮でした。

幸福の科学の人と出会って、私のこれまでのお付き合いとは違うと思ったのは、心を開いて何でも話し合える雰囲気があることでした。

私もみなさんと一緒に集いに参加したり、支部の活動に出たりしているうちに、だんだん新しい生活のリズムができ、気持ちにも余裕が出てきました。

ある日、支部で、ある方から、「一度、これまでの人生で、自分が人に与えた愛と、人から与えられた愛を、全部書き出して比べてみるといいですよ」とすすめられました。

私は、そのやり方をヒントに、心に引っかかっていた前夫について考えてみることにしました。彼と出会った頃からの出来事をいろいろと思い出していくうち、(彼にはけっこうお世話になってたなあ)と、あらためて思いました。

そのわりには、「してもらって当然」という思いで、ぜんぜん感謝してなかった私がいました。なぜそんな態度になってしまったのかを、さらに考えていくうち、恐ろしいことに気がつきました。

「あなたが追いかけまわしたから、私は結婚してあげたのよ」

心の底に、常にそんな思いが潜んでいたことに気づき、ゾッとしました。自分が夫に愛されることばかり考え、思い通りにならなくて苦しんでいましたが、自分から夫に何かしてあげようとは思っていませんでした。

こういうのが「愛を奪っている」ということなんだと気づき、このままではいけないと思いました。

私はさらに反省していきました。もしかしたら、前夫だけではなく、他の人にも知らないうちに「奪う愛」になっていたかもしれない—。

これからは、私も愛を与えられるような人になりたいと思いました。

新しい生活のなかで

その日以来、私は他の人の幸せを意識するようになりました。でも、思いを切り替えるというのは難しいものです。

泉からあふれ出る水のように、愛を与えられる人—そんな理想のイメージにはほど遠く、「私のことをわかってほしい」という思いが先に立ってしまいます。つい人の目を気にする自分がいました。

私は幸福の科学の活動をしたり、仲間にアドバイスをもらったりしながら、少しずつ自分を変えようと努力しました。

仲間のなかでも特にお世話になっていたのが、私に幸福の科学のことを教えてくれた美容室の店長、Sさんでした。

Sさんは私に困ったことがあると、よく相談に乗ってくれました。何より、同じ信仰を持っていることで、互いに気持ちが通じ合えるのです。子供たちもSさんと親しくなりました。

私も彼の誠実な人柄にひかれるようになり、離婚から3年後、再婚することになったのです。

その後は、初めから家族だったように自然で、みんなで車に乗ってスキーに行ったり、テーマパークで楽しんだり、温泉を巡ったり・・・わが家のアルバムに楽しい思い出が追加されるたびに、私は「幸福の科学に出会ってから、ほんとうに幸せなことが増えたなあ」という実感をかみしめました。

また、可能なかぎり幸福の科学の精舎研修にも、主人と2人で参加していきました。

前夫への反省を通してはっきりしてきたのは、私の「愛されたい」欲求は根深く、それはやはり養女という生い立ちからきているということでした。

自分の過去をしっかり見つめたい—。私は、精舎で開催されていた「両親に対する反省と感謝」研修を受けにいくことにしました。

父母の本心

養女と知った当時、私は子供心に「聞いてはいけないんだ」という気持ちがして一人で抱え込んでしまいました。それが自分の正直な気持ちにフタをしてしまった最初だったと思います。

以来、私も親類も正面からその話題を出さないながらも、話の端々にチラチラにおわせることで、いつしか暗黙の了解のようになっていったのです。こうして親類のような親きょうだいのような、微妙な感じが続いていました。

でも、私の心の影は置き去りにされたまま・・・。

研修中、「大悲(だいひ)父母恩重経(ぶもおんじゅうきょう)」を唱え、心を鎮めて瞑想していると、突然、心のなかにある光景が浮かんできました。田舎の家の広い座敷に寝かされている赤ちゃん—それは私でした。実の両親が私をのぞき込んでいます。

両親は顔を見合わせて、ため息をつきました。しだいに私を渡す日が近づき、どんどん無言になっていく両親。もうしばらくすると娘を手放さなければならない・・・。

寂しく悲しい気持ちになっている2人の心の内が、手にとるように感じられます。

「私のこと、いらなかったんじゃなくて、あげたくなかったんだ」

私は涙があふれ出し、嗚咽が止まらなくなりました。以前、上の姉が何気なく言っていた話の断片を急に思い出しました。

「父ちゃん、Hをあげたあと、心配でそっと東京まで見にいったんだよ。そしたらKおばさんが、Hを背負って鼻歌うたいながらおむつを洗濯していたから、安心したって」
「でもね、Hをあげたあと、父ちゃんと母ちゃんは寂しくて悲しくて、結局もう一人産んだんだよ。生まれた妹を抱いてね、『かわいかんべぇ。東京に行ったHに似てるべ』って、近所を歩いて回ってたんだよ」

早くに亡くなってしまった実父。写真でしか知らない人が、まぎれもなく私の父親であるということが、このとき初めて実感として迫ってきました。

そして実母。4人目の私を妊娠したとき、農家の嫁として朝から晩まで働きづめだっただけに、ずいぶん悩んだようです。

ある日、畑から戻った母は慌てました。高い縁側のふちで、3歳児だった長女が生まれて間もない次女を必死でつかんでいたのです。一人で床を這い出した次女が落ちかかっていたそうです。

「仕事が忙しくて、子供たちの面倒もろくにみてやれない。こんな状態で産んでもかわいそうだ。・・・いっそ子供のいない妹夫婦に預けたほうが、ずっと大切にしてくれるんじゃないか」

私を養女に出したのは、苦悩の末の決断でした。

田舎に行くと、いつも田や畑に出ていた実母。野良仕事から帰ってくると、「来たかぁ。ほら、とうもろこし茹でたぞ。食べろ」とすすめてくれました。

無口で、いつもニコニコ微笑んでいる人。親子の会話は少なかったけれど、やりとりの一つ一つがあたたかい・・・。あの母が苦しんで苦しんで、ほんとうに私のためを思って養女に出した気持ちを思うと、泣けてしかたありませんでした。

そして考えてみると、養父母も優しい人で、私を大切に育ててくれました。小さい頃、私の洋服は全部、養母のお手製でした。大好きだったキリンや馬のぬいぐるみまで作ってくれていたのです。

私は気づきました。「私は恵まれていた! 私には母が2人もいて、他の人より2倍も愛されていた」—そう思ったとき、長年ひきずっていた心のなかの影は消え、あたたかい気持ちで満たされたのです。

研修のなかで、私は実母に手紙を書きました。「お母さん」と呼ぶのは初めてです。

「お母さん、私を宿し、10カ月大切に育て、無事産んでくれてありがとう。私の幸福を願い、信じ、東京に養女に出してくれてありがとう。お母さんが私の幸せを心から願いつづけてくださったお蔭様で、今の私があります。心から感謝しています。ありがとう。—あなたの娘・Hより」

実母は80歳。帰省時には、いとおしむように2人のときを過ごしています。またこの体験を通じて、私を慈しんで育ててくれた養父母への感謝もいっそう深まりました。

魂の絆をかみしめて

再婚後、わが家はもう1人、男の子に恵まれ、4人の子供になりました。その子もいま、小学校2年生。明るく活発で、わが家のアイドル的存在です。

ほかの子供たちも主人とほんとうの親子のように暮らしているのを見ると、血の繋がりを超えた深い絆を感じるのです。

幸福の科学では、親子の魂は天上界で約束して生まれ合わせてくると学んでいます。肉体的な血縁があってもなくても、確かに魂の深い縁で結ばれている人たちがいるのだと実感しています。

最後に、幸福の科学と出会えた幸福に対し、天上界に心から感謝申し上げます。

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結婚後のユーウツ

忘れもしない、主人との出会いは20歳のころ。
友人に紹介された彼は、写真が趣味という医大生。

「写真のモデルになってくれませんか?」
「えっ・・・私が、ですか?」

正直、人に撮られるのはあまり気が進まなかったけれど、とても育ちのよさそうな雰囲気の人でしたので、OKしました。

それから撮影で何度か会ううち、私たちはお付き合いするようになったのです。
ちょっと強引なところのある彼。
しょっちゅうケンカもしましたし、別れようかと思ったことも何度かありました。

でも、「大学を卒業するまで待ってくれ」という彼の言葉を信じ、私はひたすら待ちました。
そして6年後に結婚・・・。
長かったです。
ようやく訪れた新婚生活。
いちばん楽しい時期のはずでした。
ところが、私はすぐにユーウツになってしまったのです。

それは、義母のこと。

義母はお茶の先生です。
立派な方だと思っていましたが、いざ自分の姑となると厳しくて参りました。
世間体を気にする人で、“嫁はこうあるべき”と、あれこれと細かく注意してくるのです。

「進物は、M家として恥ずかしくないものを送りなさい」
「お正月の三が日は家から出ないように」

礼儀作法に始まり、家計、隣近所のこと、親戚付き合い、進物の内容や金額、冠婚葬祭の衣装・・・義母はしょっちゅう電話をかけてきます。
明るく伸び伸び育ってきた私には、窮屈でしかたありません。

ちょっと外出して電話に出ないと、「どこ行ってたの?」と問いただされます。
しかし、頼みの主人は、病院の勤務医をしていて忙しく、1週間のうちの半分は家に帰ってきません。

私は主人が帰宅すると、すぐに訴えます。

「聞いて。今日、お義母さんがね・・・」
「そんなこと言うたんか・・・。まあでも、嫁なんやから、ちょっとは我慢してくれ」

主人はぶすっとして、それ以上聞きたくないという顔をします。

「あなたからもお義母さんに、なんとか言ってよ」

何度も主人に訴えましたが、義母に話をつけてくれることはなく、いつも私のところで話を収めようとします。
私は次第に鬱憤(うっぷん)が溜まっていきました。

どうしてかばってくれないの

さらに長男が生まれると、義母は子育てにも介入してくるようになりました。

「お義母さん、それはちょっと・・・」

ある日、我慢できなくなった私は、義母と口ゲンカをしてしまいました。
主人にもこれまでの不満をバーッとぶつけると、主人はすごく怒りました。

「もう、何も言うな!」
「どうしてお義母さんじゃなくて、私のほうをかばってくれないの? そもそも、あなたが『どうしても』って望んだから結婚したんやないの。こんな状態やったら、なんで私がお嫁さんでなければならんの」

義母への不満は、だんだん主人への不満へと変わり、私たち夫婦は必要以外に会話することがなくなっていったのです。
主人は多忙にかこつけて病院に泊まり込むようになり、そのまま1カ月くらい家に帰ってきませんでした。

もう限界・・・。
こんなんなら、もう別れたほうがいいんやないか。
と言っても、子供もまだ5歳やし、自活なんてできそうにないし・・・。
一人で何カ月か悶々とした末、いつも私の相談にのってくれる弟に訴えました。
弟は黙って私の話を聞いてくれました。

「そういうことなら、いまのお姉ちゃんの気持ちに、ぴったりの本があるよ!」

弟は『仏陀再誕』という本を渡してくれました。
大川隆法総裁の本でした。
大川総裁の本は、これまでも弟の勧めで何冊か読んでましたが、心が安らぐ感じがして大好きでした。
『仏陀再誕』を開くと、なんだか懐かしい感じ—。

「私は、おまえたちが涙しているのを黙って眺めていることができない。・・・私は、必ずおまえたちの涙を見つけるであろう」

優しい言葉に、胸がいっぱいになり、涙がボロボロあふれました。

主人を許せない気持ちでいっぱいだった私。
自分の気持ちをわかってもらえなくて、孤独感と寂しさを抱えていました。
でも、こんな私を、じっと見守っている方がいる。
私は一人じゃない—そう思うと、あたたかい気持ちになりました。

魂の縁がある!?

「私も幸福の科学に入りたい」と思いました。
けれども、主人に話をするのは、ちょっとためらいがありました。

以前、幸福の科学の本を主人にも見せようとしたら、「本読むだけで人が幸福になるんやったら、問題は起こってないんちゃうか。そんな簡単なものやない」と反発されていたからです。

「あのー、私、幸福の科学に入ろうと思うんやけど・・・」
「そうか。君の自由にしていいよ。けど、僕にはすすめないでくれ」

主人は、自分まで巻き込まれたくないという感じでしたが、思いのほか、すんなりと許してくれて、ホッとしました。
それから私は、幸福の科学の法友と一緒に学びはじめました。
私にとっては新鮮な驚きと喜びの連続でした。
そのなかでも、いちばん大きな発見は、「魂の縁」ということでした。

「なぜか気が合って友人となったり、夫婦となったり、師弟となったりすることがありますが、これは単なる偶然ではありません。過去の幾転生の過程で、親子や兄弟、友人などであった縁が、くり返し出てきているのです」『釈迦の本心』

「ということは、主人やお義母さんとも?」

これまで私は、「間違ったところに嫁いでしまったのではないか」と思えてなりませんでした。
でも、はっきり「縁がある」といわれてみると、「この苦しみも何か学べということかな。もうちょっとこの家で頑張ってみようか」と思い直したのです。

しかし、そうは思っても、夫婦の関係は相変わらずギクシャクしていました。
口を開けばケンカになってしまうのです。

なぜトマトはおいしいの?

ある日、私は大川総裁の法話を聴きながら、家事をしていました。

「なぜトマトはおいしいのですか」

先生の問いかけが、一瞬、私の耳をとらえました。
ハッとしました。
そんなこと、考えたことありません。

「人間の食用に供される彼らは、おいしさというものをまとって現れてくるのです。ここにもまた、一つの愛があると私は思うのです・・・愛とは、自分のためではなく、他のものに尽くしたいという思いなのです」『愛の原点』

私は家事の手を止めて、しばらく考え込みました。

「トマトはおいしくてあたり前—そうじゃないんだ。トマトだって多くの人に喜んでもらえるように、おいしくなろうと努力しているんだ」

トマトがなんら見返りも求めず、他のものの喜びを、素朴に自らの喜びとして育っていくさまを想像してみました。
私は急に恥ずかしくなってきました。
いつも主人に不満ばかりぶつけていた自分。

よくよく考えてみたら、「たまには“いつもよくやっているね”って、ねぎらってくれてもいいじゃない。私はお義母さんの言うとおり頑張って、ちゃんと奥さん業してるやないの」という思いで、主人に愛情の見返りを求めていたのではないかと気がつきました。

「これって、まさに幸福の科学でいわれてる『奪う愛』や。仕事が忙しくて、なかなか帰ってこれへんのに、疲れ果ててやっと家に帰れば、私がワーワーお義母さんの文句言って・・・。これじゃ、主人だって面白くないよなあ」

なんだか主人に申し訳ない気持ちになりました。

私、変わらなあかんわ

「なかなか家庭ユートピアが築けないんですけど」

たまたま支部長と話をした機会に、夫婦のことを相談してみました。

「Mさん、ご主人の肩を揉(も)んであげたりしたこと、ありますか?」
「いいえ、私はこちらから近づいて何かするとか、甘えるとかはできない性格なんです」

 

支部長は少し考えて、こう言いました。

「あの世から見れば、人生というものは、映画のなかで、ひとつの役割を演じているようなものなんですよ。ここは役者になったつもりで妻を演じてみてはどうですか」
「役割を演じる? そんな考え方があるんだ」

女優のように夫婦という役割を演じているイメージを思い浮かべると、肩の力が抜けていく感じがしました。

「『私はこんな性格やから』と、ちょっと意地になりすぎていたかもしれへん。いままで作ってきたモノサシを、いったん全部はずして、私、変わらなあかんわ」

あたたかい空気

まずは外見から—。

私は髪を明るく染めて、フワッとしたヘアスタイルにしてみました。
服装も明るい色調のものを身につけました。
以前、「髪の毛、染めたらええんちゃうか」と言っていた主人の言葉を思い出したからです。

「主人はお堅い私を求めているわけではないんだわ」

結婚してからの私は、義母からきちんとするようにと言われるうちに、いつのまにか気持ちが萎縮し、服装や髪型まで地味なものを選ぶようになっていました。

でも主人は、結婚前の私のように、明るく華やかな感じのほうが好きなのではないかと気づいたのです。

次に表情。
このところ険しい表情になりがちだったのを反省し、いつもにこやかでいられるように意識しました。

そして会話。
「私の話を聞いてほしい」という思いを抑え、まず主人の話をていねいに聞くよう心がけました。
「いってらっしゃい」「お帰りなさい」というあいさつにも愛を込めました。

とくに力を入れたのはお料理です。
以前、味付けの好みで、主人と対立したこともありましたが、こだわりを捨てて主人の好みに合わせ、心を込めて作りました。
「どうしたら主人が喜んでくれるだろう」と考え、徹底して努力していきました。

しばらくすると、主人は時折、「おや?」という表情を見せるようになりました。
気がつくと顔がほころんでいたり、なんだか機嫌がよかったりと、主人の様子が変わっていくのがわかりました。

私も、ニコニコしている主人を見るとうれしくなります。
「よし、もっと頑張ろう」と、いっそう思いを込めて取り組むようになりました。

1年が過ぎると、家庭にあたたかい空気が流れだしました。

あたたかい空気

あるとき、実家の母と話していたら、思いがけないことを聞いたのです。

「この前、Tさんが、あなたのこと、『最近、料理がすごくおいしくなった。幸福の科学のおかげかな』って言ってたよ」

主人は私には直接なにも言いませんが、うれしさでいっぱいになりました。

「ちゃんと認めてくれてた。よかったぁー」

私も、主人のために努力を積み重ねていくなかで、自分が変わっていく喜びと楽しみを味わうことができたのです。

また、この間に義母への反省も深まりました。
私の気持ちが素直になってくると、義母からの言葉も、私が恥をかかないように助言してくれていたんだと、感謝で受け入れられるようになったのです。
そんな思いで義母に接していると、「Mさん、たいへんでしょ。よくやってるわね」と励ましてくれるようになりました。

主人の本音を知ってまもなくのこと、大川隆法総裁の講演の上映会があり、私はドキドキしながら主人を誘いました。

「こんど、大川総裁のお話があるんやけど、行ってみいひん?」
「・・・うん、ええけど」

主人は、意外にすんなり承知してくれたのです。

それをきっかけに、主人も時折、支部に足を運んでくれるようになり、エル・カンターレ祭のときに、入会したのです。

主人ってすごい!

冷静でものごとを論理的に詰めていく主人。
幸福の科学についても、書籍を読んで知的に学ぶことから入りました。
そんな主人も、精舎に行くようになると、頭だけでは理解できない、新たな発見があったようです。

初めて二人で受けた精舎研修—。
総本山・未来館の公案研修で、主人は心が解放されたように、とてもリラックスしていました。
そこで、「理屈ではない感覚的なものの重要性を感じた」のだそうです。

やがて仕事の話もポツポツ話してくれるようになった主人。

「子どもの悩みを抱えている患者さんがいるけど、どんな本が向いてるのかな」

患者さんのなかには、生活面の悩みを抱えている方がとても多いようで、相談にのることもしょっちゅうあるそうです。
私も自分のわかる範囲で考えたり、幸福の科学のお友達に聞いた話を伝えたりしていました。

あるとき、内科医院を開業した主人の在宅診療についていったことがあります。
看護師の資格を持っていないのでテープを切るぐらいの手伝いしかできませんが、私は主人の後ろで控えていました。

「調子はどう? まだ痛い?」

分刻みで動き、食事をとる暇もないほど忙しく働いています。
仕事に取り組む姿を初めて見て、心から感動しました。

「この人は、毎日、人助けの尊い仕事をしているんだ・・・」
「奥さん、お宅の先生は本当に患者さんのために心を込めて接してるんですよ」

主人への尊敬の気持ちでいっぱいになりました。

13年目の宝物

ある日、なんの脈絡もなく、なぜか心にふっと女の子の名前が浮かんできました。

「ねぇ、『○○』って、なんかええ名前や思わへん? 私、好きやわ」

そんな話を主人にしていたら、後になって、私の妊娠が判明したのです。
長男誕生から13年目のことで、びっくりです。

「今度、生まれてくる子が天上界からインスピレーションを下ろしてくれたのかもしれない」

2002年3月、予想通り、女の子が誕生。
義母もたいへん喜んでくれました。

子どもたちが、将来、社会のお役に立つ人間に育ってほしいと願わずにはいられません。
主人は相変わらず仕事が忙しい毎日ですが、子どもを学校に送ったり、できるかぎり協力してくれています。

いま私たち夫婦は“信頼”という絆で結ばれている実感があります。
こんな家族になれたのも、幸福の科学に出会ったからです。

これからも信仰を中心にして、わが家をますます輝かせていきます。
そして私が得た経験と学びを生かして、幸せな家庭がたくさん増えるように信仰の素晴らしさ、尊さをお伝えしてまいります。

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