Archive for the ‘夫婦・結婚’ Category

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第144号より転載し、編集を加えたものです。

Mさん(40代・女性)

私はダメな子

私はダメな子なのかな—。物心ついたころから私は、自分のことをそんな風に思っていました。 なぜなら、母から私自身を「否定」されるような言葉を言われ続けて育ったからです。

「あなたはほんとにダメな子なんだから—」

私の両親は、父は新聞社の印刷工員、母も飲食店の店員をしていて共働きでした。そのため長女の私は、小学校の低学年の時から家の掃除をしたり、夕飯のしたくの手伝いをしたりと家事をしなければなりませんでした。私に少しでも落ち度があると、母は私を厳しく叱り、その度に「ダメな子」呼ばわりするのです。

父はそんな時、「言いすぎだ」と言って、私をかばってくれました。でも、父とは喧嘩が絶えなかった母は、父の言葉など聞く耳をもちません。ある時など、ちょっとお使いが嫌だと言っただけで、突然の体罰。私には何が理由でそこまで怒っているのか分かりません。それ以後、いつ叱られるかとびくびくするようになりました。

「なんでそんなに怒るの? 私、そんなにダメな子なの?」

恨み心を募らせて

それでも私は、母に優しくしてほしい一心で、子どもながらにいろいろな努力をしました。お手伝いは、掃除でも料理でも、自分なりに工夫。だんだん、手早くやれるようになっていきました。勉強の方は、通信簿が「2」ばかりでしたが、頑張った結果、高学年になると「4」や「5」をとれるようになりました。

運動も人一倍努力。生まれつき股関節に障害がある私は、他の子のようには走れません。
でも、毎日、夕方、家の周りを走りこむうち、マラソン大会で上位に入るようになったのです。そんな私を、母はほめてくれますが、至らないことがあれば、ものすごく叱責され、全人格を否定するようなことまで言われます。

「なんでそこまで私をひどく言うの?」

いつしか、私は母に反感を募らせていったのです。

早く家を出たい

中学生頃まではおとなしくしていた私も、高校生になると反抗するようになりました。

「いちいち、うるさいっ!」

そんな私に、母も怒りをぶつけてきます。私は高校を卒業し、一般企業に勤めた後、音楽教室の講師になり、子どもにピアノなどを教えるようになりました。アパート暮らしも始め、ようやく家を出ることができたのです。

そして24歳の時に、中学の同級生だったTさんと結婚。夫は国家公務員ですが、海外任務も定期的にあります。結婚してすぐアメリカに行くことになりました。長男が生まれると、母は英語も話せないのに、アメリカまで来て子育てを手伝ってくれました。でも、そんな母に私は、感謝の言葉も、ねぎらいの言葉も、かけたことすらなかったのです。私は依然として、母に心のわだかまりを持ち続けていました。

ほんとうの愛

結婚6年目に入ったころ、夫との関係が冷え切ってしまうということがありました。苦しんでいる私に、子ども同士が同じ保育園ということで知り合ったSさんが、幸福の科学の『太陽の法』という本を勧めてくれたのです。予想だにしなかった本の内容に私は引き込まれました。

「みかえりを求めることは、ほんとうの愛ではありません。ほんとうの愛とは、与える愛です。与える愛とは、すなわち、無償の愛です」「にせものの自分の筆頭とは、他人から愛をもぎ取ることばかり考えている自分です」『太陽の法』より)

私は夫との関係に思いを馳せました。夫は、優秀な人なのに入省の経緯から出世コースからはずれていたことを、心の中で責め続けていたのです。夫にも伝わっていたに違いありません。私は、自分が「奪う愛」の塊だったこと、夫の愛情や優しさも見失っていたことに気づきました。

私、仏の子だった!

驚きはそれだけではありませんでした。

「人間の魂は、仏からわかれてきたものであり、仏の自己表現の芸術であると、言ってよいでしょう」『太陽の法』より)

人間は「仏の子」であり、「魂の親である仏」を目指して無限に向上していけることが、理路整然と書かれていたのです。

「私、間違ってた! 私、ダメな人間なんかじゃない!」

私は、いつか「自分が素晴らしく変われる」という希望を胸に幸福の科学に入会したのです。

心はつながっていた!

まず夫への反省をしました。夫の出世に執着していた自分。私は、幼いころから抱いていた劣等感を、夫の出世で埋めたかったのです。家族のために身を粉にしている夫に、申し訳なさでいっぱいになりました。

すると不思議なことが起こりました。夫が単身赴任先のイランから電話してきて、「二人で出直そう」と言ってくれたのです。こんなにも心はつながっているのかと、驚くばかりでした。

親を選んでくる?

さらには支部の皆さんと、総本山の精舎を巡り、研修にも参加するようになりました。精舎で瞑想していると、何ともいえないあたたかな光を心に感じ、魂が安らぎに満たされていったのです。

「私、仏と一体なんだ。仏とつながっているんだ—」

仏の偉大さ、教えの威力に感動していった私でしたが、一つだけ理解できないことがありました。それは、「生まれる前に親を選んでくる」という教えです。あの母を、自分が親に選んだということに、私は納得がいきませんでした。

ある日、支部で先輩会員と話していると、ある方が何気なく口にした、「親子関係の改善は『感謝』がキーワードよね」という言葉に心が留まりました。そこで私は、日中、家事をしながら、母がしてくれたことを一つひとつ思い出してみることにしました。最初は、いやな記憶ばかりよみがえりました。幼いころ、わけも分からないまま髪を引っ張られたこと、足蹴にされたこと・・・。でも、「お母さんも仏の子。仏を信じるなら、お母さんの仏性を信じよう」と思い、1週間、2週間とトライし続けました。

父に泣かされていた母

すると、私が小学生の時の母の姿を思い出しました。仕事から帰ってくると、私と妹をつかまえて、冗談を言ったリ、「ひょっとこ」みたいなおかしな顔をして、よく私たちを笑わせていた母。私は妹と二人、心から笑っていました。そんな合間、母はよく「私にはおまえたちが宝物なんだよ」と言っていたことも思い出したのです。

競馬にお金をつぎ込んでいた父に泣かされていた母。

「家計を支えるために、つらいことがあっても私たちのために、一生懸命働いてくれてたんだ。私につらく当たったのは、きっと夫婦仲が悪くて、さみしさのあまりだったからに違いない・・・」

私はさらに、母とのことを思い出していきました。

「星を授かった」

ある日の昼下がり。居間でくつろいでいると、ふと、私の誕生について、母から聞いた話を思い出しました。

「Mちゃんがお腹に宿る前、3度も流産してね。もう子宝は授からないって諦めてたら、おまえを身ごもったんだよ」
「それからは、心にいつも星が輝いているみたいな気がしてね。だから、私は星を授かったんだ、この子は私のスターなんだ、と思ったよ」

母はおだやかな笑みを浮かべ語っていました。

「ごめんね、Mちゃん」

しかし、そうして生まれてきた私には、股関節に障害がありました。「おまえの足は、私のせいだよ。ごめんね」と、ことあることに言っていた母。障害のことを医者から告げられたとき、母はどんなにショックだったことでしょうか。

私も母親になった今では、その気持ちが痛いほど分かります。幼いころ、母は私をおんぶして病院を回りました。診察室で「先生、どうかこの子の足を治してやってください」と頼みこんでいた母の姿が思い出されました。

また、別の光景もよみがえってきました。小学校の高学年で、運動会の応援に母が来てくれた時のこと。私は長距離走で、一番でゴールしました。

「Mちゃんが一番で戻ってきた!」

母はそう言って、大粒の涙を流しながら、子どものようにはしゃいで喜んでくれました。

その泣き顔を思い出した時、私が障害を持って生まれたことに母がどんなに負い目を感じ、どれだけ「ガンバレ、ガンバレ」と心で応援してくれていたか、心底分かりました。厳しい母だったからこそ、私もここまで頑張ってこられたのだと—。母も私を信じてくれていたのだと今は思えます。

どんなにつらい境遇の中でも、明るくエネルギッシュだった母。そんな母から私は、「強さ」を学び、引き継がせてもらったのかもしれません。

「そうだ! 私はこの母のもとで、努力の喜びを知るため、親になってもらうよう、生まれる前にお願いしてきたんだ!」

この母の子でよかった

ほどなくして、母が遊びに来てくれた日。私は心にあふれる感謝を、ありったけの気持ちをこめて伝えました。

「お母さん、私を生んでくれて、ここまで育ててくれて、本当にありがとう。今まで全然感謝もしないで、本当にごめんね」

突然の私の言葉に、あっけにとられていた母。やがて、ポタポタと涙をこぼしはじめました。

「私は、おまえから感謝してほしくて頑張ってきたわけじゃないんだよ。でも、そう思ってくれて本当にうれしいよ」

母と抱き合い、二人とも言葉もなく涙を流し続けました。

その日を境に、母とぶつかることはほとんどなくなりました。あれから数年。母は、孫の顔を見るのが何よりの楽しみ。二人の息子もおばあちゃんが大好きです。孫たちと一緒に幸せそうな母の姿を見ていると、私もとても幸せな気持ちになります。この母の子として生まれることができたことを、今では誇りに思います。

そして、こんなに素晴らしい幸福を授けてくださった仏に、心からの感謝を捧げます。

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第137号より転載し、編集を加えたものです。

Hさん(30代・女性)

夫の実家で同居することに

私は18歳の時に上京して、25歳の時に結婚しました。主人とは、幸福の科学支部で知り合いました。

妊娠5カ月頃から、経済的な理由で主人の実家に同居することに。

私自身、同居に対して抵抗はありませんでした。私の母が隣の家に住む舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)と仲良くやっている姿を見ていたので、自分も何とかなるだろうと楽観的に考えていました。

何も言い返せない私

ところが、いざ同居を始めるとちょっとしたことが気になり始めたのです。

義母は、明るくざっくばらんな性格で、私たちの生活に自由に入ってくる人でした。

「Hちゃん、食器洗ってなかったから、やっておいたよ」

私は、すみません・・・としか言えず、二世帯住宅で別々の台所なのにどうしてこうなるのかと思いました。

それ以外でも、頼んでいないのに主人の靴を磨く義母。

まるで、私が家事をサボッているように思えて、義母の善意であってもいたたまれない気持ちになりました。

そのうえ、長男が生まれると、私たちの部屋にノックをしないで入ってくることも度々。

面と向かって言い返せない私は、いつも黙っているしかありません。

そんなある日、私の母乳をたまたま目にした義母から、水みたいで薄くないか、と言われました。

まるで自分自身を否定されたように感じてショックでした。

私は主人に泣きつきましたが、主人にすれば、私が大げさすぎるとのこと。

私はますます苦しくなっていったのです。

居場所がない

そのうち、私は義母と接するとビクビクして、「おはようございます」のあいさつさえ言えなくなりました。

義父が「Hちゃん、最近、笑った顔をみないけど大丈夫か?」と心配してくれましたが、どうにもなりません。

ちょうどその頃、夫が車を買い、車の中だけが私たち家族の空間のような気がしました。

「ねぇ、どこかに行こうよ」

家に居るのが嫌で、車で外出するのをせがむ私・・・。

また、子どもを連れて実家に帰る頻度も高くなっていきました。

ある時、実家から帰ってみると驚くべきことが・・・。

「えっ、いったいどうしたの!?」

私たちの部屋のカーテンやソファーのカバーがすっかり模様替えされていたのです。

夫に聞くと、義母がやってくれたとのこと。

帰ってくるなり自分の居場所がなくなった気がして、落ち込みました。

幸福の科学で、「嫁と姑は実の親子より縁が深い」「互いに学び合うことが多い」と学んでいましたが、素直に受け入れられませんでした。

姑の立場に立って考えるようアドバイス

落ち込んでいる私を心配して、東京に住んでいる姉が相談相手になってくれました。

姉は、私に幸福の科学を紹介してくれた人でもあります。

「今度、うちで地域の方の集いがあるから、Hも来てみない?きっといろいろ参考になると思うよ」

姉に誘われて、幸福の科学の集いに参加してみると、そこに来ていた支部長が相談にのってくれました。

「私、お姑さんといると、自分が嫌われているような気がして、つらいんです」

支部長は、私の話を受けとめるように聞いてくれます。

「Hさんは、お姑さんの立場に立って考えたことがありますか?」

私は、はっとしました。そんなことは思ってもいなかったからです。

「お姑さんがどんな気持ちでいるのか、どんな人生を送ってきたのか、相手の立場に立って考えてみてはどうでしょうか。きっと、今まで見えなかったものが見えてきますよ」

義母は、思ったことを口にするタイプ。義母の言葉を一つひとつ考えれば、もっと理解できるような気がしました。

私は、支部長に言われた通りにやってみることにしたのです。

義母のさみしい思い

以前、私たちが家族でドライブに出かけようとしたとき。

玄関で見送る義母の顔が、とてもさみしそうに見えました。

私は以前聞いた義母の話を思い出しました。

「私は結婚しても、“母子家庭”みたいだったのよね」

義父は仕事が忙しく、家族で出かけることはほとんどなかったそうです。

(お義母さんにさみしい思いをさせていたかもしれない)

今まで義母から逃げるように出かけたり、実家に帰っていたことに対して、申し訳ない気持ちになりました。

(そういえば、お義母さん、最近元気なさそうだ。私のこと、気にしているのかな)

帰宅後、私は、義母との関係を振り返ってみました。

違って見えた義母の姿

私は、今まで耳にした義母の話を思い返してみました。

とても働き者で、六十半ばを過ぎても家庭保育の仕事をしている義母。

自分の子どもを育てるだけでも大変なのに、一時期、姪を預かって育てていたといいます。

(ほんとうに子どもが好きな人なんだ。)

ノックなしで部屋に入ってくるのも、孫へのかわいさ余っての行動に思えました。

子育てについて口出しするのも、保育のベテランとしては当然のことかもしれません。

また、数年前、義母は次女を病気で亡くしていました。彼女と私は同じくらいの年齢。

(私のことを実の娘のように思って、いろいろしてくれていたのかも知れない)

そんな思いが、ふと心によぎりました。食器を洗ってくれたり、主人の靴を磨いてくれたり—。義母の行動の一つひとつが、今までとは違ってみえてきたのです。

「部屋の模様替えをしたのも、実家から帰ったHを元気づけてあげたいと思ってやったことなんだよ」

主人からそう聞いて、思わず涙ぐんでしまいました。

おすそ分けし合う棚に好物のメロンパンが

台所が別々のわが家には、お互いに食べ物などをおすそ分けし合う棚があります。ある日、そこに私の大好物のメロンパンが置いてありました。

私の顔から笑顔が消えて、誰よりもショックを受けたのは義母ではないか、と思いました。

「・・・お義母さん、ありがとうございます。」

すぐにお礼を言うと、義母は照れくさそうに笑います。

「私ね、この間、Hちゃんが私とケンカして、家を出て行ってしまう夢を見たのよ。ほんと嫌だったわ」

「そんな・・・。私こそ心配かけちゃってごめんなさい」

久しぶりに義母とおだやかな気持ちで話すことができたのです。

「実は私も、お義母さんに怒られている夢を見ることがあります」と言うと、「お互い様ね」と二人して笑いました。

その後も、時々、私の好きなメロンパンと大学芋がそっと置いてあることがありました。

母の日の手紙

私は、今までの反省と感謝の気持ちを込めて、母の日に手紙を書いて渡しました。

「おかあさん、突然、笑えなくなったり、あいさつできなくなったりしてごめんなさい。
私は、今までおかあさんの愛に気づかず、心の中で反発していました。
でも、いまは一緒に暮らせることに対して感謝の気持ちでいっぱいです。
きっと、おかあさんからたくさん学ぶことがあって、今世、家族になることができたんですね。
おかあさんの笑顔、ほんとうに素敵だと思います。
これからも明るい元気なおかあさんでいてください。」

義母がどんな反応をするのかドキドキしましたが、「心のこもった手紙ありがとう。うれしかったわ」と言われて、私のほうがうれしくなりました。

それ以来、義母との距離がだんだんと縮まっていきました。

「Hちゃん、今晩のおかず、一品いただけないかしら」

「いいですよ。でも、その代わりお義母さんのつくったけんちん汁をくださいね」

おかずの一品交換が、わが家の習慣になりました。

特に、義母は揚げ物や餃子、カレーなどはあまりつくらないので、私が担当すると喜んでくれます。

また、義母のつくるけんちん汁はとてもおいしく、主人も大好き。マネしようとしても同じ味にならず、いつもおすそ分けしてもらっています。

(台所が2つあるって、考え方によっては便利なことだな)

料理をきっかけに、義母と気軽に話せるようになっていきました。

いつまでも元気でいてね

翌年、義母と一緒に総本山・正心館に参拝に行きました。

わが家には、義母の母親で、現在102歳の“大ばあちゃん”がいるのですが、一家全員での参拝です。

義母は、最近膝の調子が悪く、歩くのが辛いということで「無病息災祈願」を受けました。

「ありがたいねぇ」と仏に手を合わせている義母。

「お義母さん、また来ようね」

「そうだね。これからもHちゃんと一緒にいろんなところに出かけたいからね」

ニコニコした義母の笑顔がとても輝いて見えました。

いま、私は義母と同じ、家庭保育の仕事をしています。家事のみならず、仕事の先輩としてとても頼りになる存在です。

「やっぱりお義母さんとのご縁ってとっても深いんだなぁ」と、知らず知らずに影響を受けている自分に少し驚いています。

「お義母さん、いつまでも元気でいてくださいね」そう心から願っています。

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独身時代の私は、結婚に消極的でした。

しかし、仏法真理に出会ったことで、人生が180度変わったのです。

ショッピング三昧で青春を謳歌

私は高校を卒業すると、地元で公務員になりました。

平日は仕事をバリバリこなし、休日の一番の楽しみはショッピングです。月に数回は、銀座にまで出かけていました。

「いらっしゃいませ! 冬の新作が届いてますので、どうぞお試しください」

「まあ、いいデザインね」

お気に入りのブティックやデパートを回って、洋服、靴、バッグ、スカーフなどを買うのです。もちろん、すべて有名ブランド品でした。

ところが、どんなに気に入って買っても、新しいものが出たら、また欲しくなります。

家には服やバッグも山のようにありましたが、次から次へとショッピングする私に、「また買ってきたの」と母もあきれ顔。

「だって、ステキなんだもん」

一人娘の私。自分のお給料を全部、お小遣いに使って、青春を謳歌していました。

いまのまま独身でいたって十分幸せだわ

「Y、いいお見合いの話があるのよ」

母がしきりに縁談をすすめるようになりました。それにもかかわらず、気のない返事をくり返す私。

母はよく「もう、Yったら。お母さんは、あなたのことが心配で、夜も眠れないのよ」とこぼしていました。

「私は、別に結婚なんかしなくたっていい。仕事だって楽しいし、生活は困ってるわけじゃないし。いまのまま独身でいたって、十分に幸福だわ」

それに、「結婚して家庭におさまる」というのが、あまり魅力的に思えません。

「いつも家の掃除して、ご飯作るだけなんて・・・それより、ブランド品を身につけて、さっそうと仕事に出るほうが、ずっと私に合ってるわ」

大川隆法総裁の霊言書籍にドキッとした

そんなある日、以前、仲良くしてもらっていた職場の先輩と、久しぶりに食事をする機会がありました。

「最近、どう?」「おかげさまで。楽しくやってます」と、近況を伝えあっているうち、ポロッとグチが出ました。

「母が『結婚、結婚』って、うるさいんですよ。独りだっていいと思いません?」

先輩は笑いながら、カバンから本を取り出しました。

「これ、おもしろいから読んでみてね」

大川隆法総裁の霊言書籍でした。

帰宅後、なにげなく読んでみると、女性の幸福について書いてありました。

そこには「主婦業や子育ては、会社の仕事より勝るとも劣らない」とあります。

まるで自分のことを言われているように感じて、ドキッとしました。

私の今後のために、なにかヒントがあるかもしれないと思った私は、大川隆法総裁の本をかたっぱしから読みはじめ、半年後、幸福の科学入信したのです。

これからどう生きていくのが一番いいんだろう

「私はこれから、どうして生きていくのが一番いいんだろう・・・」

外側の華やかさばかりに目が向いていた私が、仏法真理に触れて、もっと内面の深いものに惹かれるようになりました。

それと共に、ブランド品を買いあさっていた自分が、薄っぺらい感じがしてきたのです。

仏法真理を学んで、いちばん新鮮だったのは、女性の生き方でした。

楽しく働いて、自分の買いたいものを買って、という生き方と比べて、専業主婦はつまらないと思っていたのですが、家庭を守る仕事は、値打ちのある尊い仕事なんだと思うようになりました。

「女性には、いろんな生き方があるけど・・・やっぱり私も“結婚”して、家庭ユートピアを創っていく生き方がいいかな」

しかし、なかなか思うようなチャンスはありませんでした。

30歳が目前にせまったとき、母が思いあまったように言いました。

「Y、30になって結婚が決まってなかったら、この家から出て自立しなさい」

私のために言ってくれていると分かってはいても、やっぱりショックでした。

「私も考えていないわけじゃないのよ。いい人がいたら、するわよ・・・」

私が25歳を過ぎたころから何度も縁談を持ちかけてきた母。いつもはぐらかしていた私に、ついに厳しく出てきたのです。

しかし、とうとう30歳の誕生日を迎えてしまった私。

母から「出て行くように」と言われた期限が過ぎてしまいます。

「このままじゃいけない。なんとかしなくては・・・」と思い、お正月を迎えたときに「今年、絶対に結婚する」と一大決心をしました。

「どなたか紹介してくださいませんか」

どうしてうまくいかないのか、改めて考えてみると、ひとつ、分かったことがありました。私は受け身だったのです。

「誰か、いい人いないかなぁ・・・」と、自分を幸せにしてくれる人が、いつか現れるのを期待して待っているだけでした。

仏法真理では、夫婦の魂は天上界で約束してくると説かれています。でも、それはあくまでも予定であって、今世の生き方によっては変わってくる可能性もあるといいます。

だから、100パーセント決まった運命のように思い込むと、なにも努力しないでも自然に出会えると誤解する場合があるようです。

「待っているだけではダメだわ。自分から動かないと。それに、大川隆法総裁も言っているように、『幸せにしてもらいたい』じゃなくて、『私が相手を幸福にしてあげたい』と思わなきゃ。これからは与える自分になっていくんだ」

清水の舞台から飛び降りる心境で、私は行動を開始しました。

「あのー、折り入ってお願いがあるんですが・・・。私、結婚したいんですけど、どなたか紹介してくださいませんか」

「そうだねぇ・・・いい人がいたら紹介するよ。ほかの人にも声かけてみるね」

職場の上司や親類、法友―いろんな方に頭を下げて回りました。

真剣にお願いすると、みなさん、ちゃんと話を聞いて、協力を約束してくださいました。

「やっぱり、行動してよかったわ」

さらに、天上界からのご指導をいただけるよう、幸福の科学で、「結婚祈願」をしました。

「縁あって出会った方と、家庭ユートピアを創ることを誓います・・・」

自分から行動を起こした努力のかいがあったのか、それから、縁談を紹介してくださる人が増えてきました。

ティー・パーティでの出会い

「Yさん、今度、うちでティー・パーティをやるんだけど、あなたにぜひ紹介したい人がいるの」

近くの法友から、お誘いがかかりました。

なんだか、ときめく感じがします。

その当日―。

「Yさん、こちら、Kさんよ」

「こんにちは。初めまして・・・」

その瞬間、さわやかな風がサァーと吹いてきたように感じました。

Kさんは落ち着いた、もの静かな感じの人でした。

「あっ、いいなぁ・・・」と、わけもなく思いました。

「転勤で、最近、近くに越してきたばかりなんです。どうぞよろしく」

彼も幸福の科学の信者でした。

初対面なのに、不思議と会話が途切れません。帰り際に、お互いの連絡先を交換しました。

そこから始まった私たちのお付き合い。一緒に海を見に行ったり、大川隆法総裁の御法話拝聴会に出かけたり―。

彼に対しては、以前、お見合いした人たちとは明らかに違うものを感じていました。彼といる時間は、自然体でいられます。話をしていても、分かりあえる気がするのです。

以前のときは、いくら「条件がいいから」といわれても、2、3回会うと気持ちが重くなってしまうことが多かったのですが、彼はその逆でした。

カレンダーを眺めては、次のデートを待ちこがれる日が続きました。

やがて、私は、彼との将来を思い浮かべるようになりました。

「結婚式、新婚旅行、子供が生まれて大きくなって、子供が巣立って、私たちがおじいさんと、おばあさんになって・・・」

想像していくと、どんどんストーリーが展開します。

大川隆法総裁も、「心のなかで結婚生活をイメージしてみよう。年をとっても、相手と一緒に暮らしている姿を想像できるか」と説かれています。

「彼となら、死ぬまで一緒に居られそう。結婚する相手って、こういう人のことをいうのかもしれない」

大晦日のプロポーズ

その年の大晦日でした。

お店で、Kさんと2人で年越しそばを食べていると、彼がひと言。

「2人なら、きっとうまくやっていけると思うよ」

プロポーズでした。喜びが込みあげてきます。もちろん、私はOKです。

「はい・・・よろしくお願いします」

その夜、除夜の鐘を聞きながら、父と母に報告しました。

「きょう、Kさんからプロポーズされたの。私も、結婚したいと思ってる」

両親は、とても喜んでくれました。

彼から自宅に何度か電話がかかっていたので、親も人柄を知っていたようです。

新年の誓いから、ぴったり1年。

「やっと、肩の荷が下りたわ」と笑顔の母。ひとつ親孝行ができた気がしました。

幸福の科学の支部で結婚式

私たちは、幸福の科学の地元の支部で結婚式を挙げました。

「おめでとう!」

「とってもキレイよ!」

法友のみなさんが、ウェディング・ドレスやベール、ブーケから、お料理も全部、用意してくださいました。

歌あり、笑いあり、お祝いのクス玉まで準備してあったのには、びっくりです。

アットホームなあたたかい祝宴で、みなさんの気持ちが胸にしみました。

「こんなにしていただいて、ありがたいね。幸せな家庭を築いて、ご恩返しをしよう」と彼。

私もまったく同じ気持ちでした。

“家庭”という幸福のなかで

結婚後、大らかな主人のおかげで、私たち夫婦は、ケンカもしないで暮らしてきました。

2人の娘に恵まれ、その子供たちも、はや小学6年生と4年生になりました。

夢中で子育てをしているうちに、13年の月日が過ぎていったというのが、正直な感想です。

育児で悩んだ時期もありましたが、そのたび、主人や母に相談したり、幸福の科学の研修を受けたりしながら、一つひとつ乗り越えてきました。

いつも信仰を支えに生きてきた私たち。いまは、家族そろって精舎に参拝するのが喜びになっています。

そして、主人―。

忙しくても、可能なかぎり家族と話す機会を作り、相談ごとにもキチンと応えてくれている主人を、私は心から尊敬しています。

最近、主人が言ってくれた言葉―。

「家庭は、僕のよりどころだよ。仕事でどんなに疲れていても、家に帰ると安らいで、回復するんだ。また頑張れると思う。家族がいたから、いままでやってこられた」

私はうれしさでジーンとなりました。

結婚してよかった。今ではしみじみと思います。

家庭生活には、いろんな宝物が埋まっていて、毎日が発見の喜びの連続です。今後、子供たちが成長していくと、もっと楽しみが増えることでしょう。

これからも、夫婦で力を合わせて、信仰心あふれる愛に満ちた家庭を築いてまいります。

そして、私たち家族の姿が地域を照らすまでになれたら、と願っています。

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アルコール依存症

「Tくん・・・君、アル中やで」

今から10年以上前のことです。ある日、職場の同僚がしんみりとした口調で忠告してくれました。

そう言われたものの、「別に朝からカップ酒をあおっているわけでもないし、そんなはずないだろう」と思っていました。

しかし、夜な夜なスナックに行ってはボトル2本を空けていた自分。間もなく「アルコール依存症」の疑いで入院し、結婚したばかりの妻にも離婚されてしまいました。

夜、真っ暗な病院のベッドの上で、僕はひとり後悔の涙を流しました。

ひと夏の恋

僕が酒におぼれはじめたのは、専門学校1年のときの失恋がきっかけでした。

相手は、夏休みに大阪から兵庫に帰郷した際、スーパーのバイト先で出会った可愛らしい女性。僕と同い年で、向こうから声をかけてきたのが始まりです。明るくて積極的な子でした。

楽しかった夏休みはあっという間に過ぎ、僕が大阪の専門学校に戻るとき、彼女は「また手紙を書くね」と言いました。

それから何度か手紙のやりとりをしましたが、2カ月が過ぎたころ、急にパッタリと連絡が途絶えてしまいました。

気をもんだ僕は、直接、彼女の職場まで行ってみました。

「—やあ、久しぶりやな」

僕が声をかけると、彼女は一瞬びっくりして、目をそらしました。

「ちょっと・・・今日は帰らなあかんねん」

すると、突然そこに知らない男が近づいてきて、いきなり僕に見せつけるようにラブシーン・・・。あまりのショックに声も出ませんでした。

彼女は僕が大阪に戻ってすぐ、別の男をつくっていたのです。それからというもの、失恋がすっかりトラウマになってしまいました。「もう彼女なんか作らん」と、恋愛から遠ざかって勉強に専念しようと自分に言い聞かせました。

医療系の専門学校で、3年間がんばって国家試験に通れば、臨床検査技師の資格がとれるはずでした。

学校の女の子から交際を申し込まれたことも何度かありますが、いつも僕は「ハハハ・・・」と笑ってごまかすばかり。新しく好きな女の子もできました。でも、傷つくのが怖くて、友達以上の関係になるのを意識的に避けていました。

「もう誰とも付き合わない」と言い聞かせる自分と、異性を求めてしまう自分。二つの心が激しく葛藤していました。

夕方、下宿で独りっきりになると、気持ちが沈んできます。ふらりと近くの酒屋に足が向き、いちばん安いハイニッカ2級とセブンスター1箱を買うのでした。三畳一間の部屋にこもると、ヘッドホンでローリング・ストーンズを聴きながら、タバコを吸っては黙々と酒を飲みます。おつまみなどありません。

女の子のことを忘れたくて飲んでいるのに、酔っ払ってくると、決まって好きな子のことを悶々と考えていました。

次第に酒量が増え、勉強に身が入らなくなってしまった僕は、2年生を2回留年し、退学になってしまいました。

「また仕事やめたんか!」

失意の帰郷—。しばらくは何もする気が起きず、ボーッと1カ月過ごしました。

「そろそろ、なんか仕事でも見つけないと・・・。とりあえず車の免許とろう」

自分から教習所に通い、職安にも行きました。そうして見つけた初めての仕事は、養殖魚のエサに添加するビタミン剤を製造する会社でした。

初めての社会人生活。けれども、毎日働いていても、これを一生続けていくのかと思うとピンきません。人間関係も表面的で、仕事を離れたお付き合いもありません。結局、1年でやめてしまいました。

僕はすぐに職安で別の仕事を見つけました。今度はスーツの縫製会社です。僕は内職先に車で材料を配送する係で、前より人間関係もよく、毎日の仕事にとりたてて不満はありませんでした。

でも、あちこち車を走らせながら思うことは、「理数系が得意だったし、なにか化学方面の仕事をやってみたい。もう一度勉強しなおそうか」ということです。

1年後、大阪の専門学校を受験し、合格。仕事を辞め、下宿先まで決めました。

ところが、実際に下宿先に行くと、ガチャガチャとやかましく、とても勉強に集中できそうな環境ではありません。急に強い不安がこみあげました。

「これじゃ昔の二の舞になる・・・もうあんなの二度といやや!」

意欲が萎えてしまった僕は、入学を取り消し、実家に帰ってきてしまいました。

それからは、ありとあらゆる仕事を転々としました。工場の流れ作業、スーパーの裏方、営業職、病院の事務、水質分析、浄化槽の清掃汲み取り・・・僕もまだ若かったですし、好景気の時代でしたので、行けば雇ってもらえます。でも、どこも長続きせず、半年続けばいいほうでした。

「また仕事やめたんか!」と、いつも親にうるさく怒られます。しかたなく次の仕事につきますが、どこに行っても腰を落ち着ける気にはなれません。

「収入さえ得られれば、仕事なんてなんでもいい。いつか物書きにでもなりたい」。そうはいっても、実際にコツコツ作品を書きためるわけでもありません。

相変わらず酒ばかり飲んで、たまに気が向けば文学賞に応募するといった具合でした。専門学校を退学になってからの毎日は、いきあたりばったりで過ぎていきました。

新婚生活もつかの間・・・

「おまえもそろそろ身を固めたらどうや」

相変わらず、すぐに仕事をやめてしまう僕を両親は心配し、20代後半になると何度もお見合いさせました。

ちょうど30歳のときのお見合いは、いつになく両親の気合が入っていました。僕が相手の女性と向かい合っている隣のテーブルでは、両親同士がもう結婚式の話をしているのです。

(この子と結婚することになるんかな)

僕としても別に嫌いなタイプではなかったし、お見合いからわずか3カ月後には結婚式を挙げていました。そして、ほどなく妻は妊娠。新しい生活は順調にスタートしたかに見えました。

ところが—。出産のために里帰りした妻は、そのまま二度と帰ってきませんでした。

「あの子が『離婚したい』と言っています」

妻の母親から言われました。わずか1年の結婚生活でした。

離婚の原因は、やはり酒でした。

妊娠中、僕は妻に優しい言葉も何ひとつかけず、いつもほったらかしで飲みにいきました。スナックでは、毎回ボトル2本は空けました。酔うと、とにかくだらしなくて、いつも意識がなくなるまで酔いつぶれ、朝帰りもしばしばでした。

そして妻が里帰り中のある日、僕は急に体も気持ちもしんどくなり、二日酔いのまま退職届を提出・・・。身重の妻が今後の生活に強い不安を抱いたとしても無理はありません。

「えらいことやってしまった・・・」

間もなくアルコール依存症の疑いで検査入院することになった僕は、ベッドで後悔の涙を流しましたが、いまさら手遅れでした。

姿の見えない不気味な声

幸い依存症のほうはまだ軽度だったようで、入院後は禁断症状が出ることもなく、酒からは自然に離れていきました。ところが、アルコールよりもっと深刻な問題が起きました。退院を境に、突然、変な声が聞こえはじめたのです。

姿は見えませんが、部屋の窓の外のあたりで女の人が3~4人集まり、離婚の噂話とか下品なことを話しているのです。

(やめてくれ! なんなんや、いったい)

テレビを観ても、車のラジオをつけても、道で人とすれ違っても、コンビニの店員も客も、みんな僕を指さして悪口を言っているような気がしました。

幻聴は目が覚めると同時に始まり、1日中ひっきりなしに続きます。頭が変になりそうでした。

病院で神経薬をもらっても、全然効きません。でも、薬を飲むと、やたらとお腹が空いて、すぐに眠くなってしまいます。体重はどんどん増え、動くのもめんどうになり、疲れやすくなりました。

もうまともに働くこともできません。正社員になるのをあきらめ、3時間程度のバイトを探しますが、どこに行っても聞こえてくる幻聴に耐えられず、勤めてはすぐに辞め・・・をくり返しました。

こんな僕の状態を、両親はまったく理解できません。

「おまえ、なぜ働かんのか。普通にしゃべって、メシ食って、車も乗れるやないか」

(こんなん、どう言ったって理解できへんやろ。話してもムダや・・・)

説明する気力もなく、両親に責められても、ただ貝のように黙っていました。

どん底で出会った言葉

2年、3年とたつうち、ほとんど仕事をすることもできなくなり、家にこもって臥せるようになりました。朝起きてから眠るまで聞こえる声。みんなが僕の悪口を言っているようで、恐怖心で誰も信じられなくなりました。自殺をしかけたことも何度かあります。

「もう限界や。どうしたらええんや・・・」

幻聴に対抗するすべもわからず、気力も体力も尽きかけていました。

ある日、僕はフトンにあお向けになり、大川隆法総裁の本を読んでいました。何年か前から、ときどき本屋で買っていたのです。

ボーッとした頭で『太陽の法』のページをめくっていると、

—我を信じ、集い来よ—

という言葉が目に飛び込んできました。

ハッとしました。

まるで今の自分に向かって呼びかけられているように感じられたからです。

何も信じられず怯えていた自分の心に、「こちらに来なさい」という言葉が優しく響き、わけもなく涙が流れてきました。

(この方の言葉を信じたい。この言葉を信じて、素直についていってみよう)

僕は思いきって、本の巻末に載っていた幸福の科学の電話にかけてみました。そこで地域の支部を教えていただきました。3日後に支部を訪ね、入会をしました。

僕のために泣いてくれた

僕は毎日、すがるような思いで、幸福の科学の経文『仏説・正心法語』や『祈願文』を読みました。

しばらくして、自宅の近くに幸福の科学の拠点が開設されました。僕が拠点を訪ねると、黙々と仕事をしていた女性が手を休め、快く迎えてくださいました。拠点長のKさんです。

はじめ僕はあまりうまくしゃべれませんでした。Kさんも戸惑ったと思います。

「僕、実はアル中で、なんか変な声が聞こえて・・・ほとんど寝たきりなんです」

自分の状態を少しずつ話していくうち、Kさんは涙を流されました。僕のために泣いてくださる方がいる・・・そのことに胸が熱くなりました。僕も泣いてしまいました。

「Tさん、これから、どんどん幸福になっていきましょうね」

「はい、よろしくお願いします」

拠点に行くと、Kさんはいつも懇切丁寧にアドバイスしてくださいました。

「少しずつでもいいですから、仏のお役に立てるようになりましょう」

「僕も何かお手伝いさせていただきます」

それから、週に1~2度、体調のいい日に、拠点で軽いボランティアをさせていただくようになりました。買い物を頼まれたり、布教誌の仕分けや拠点のスタンプを押したりしました。といっても、まだ寝たり起きたりの毎日でしたので、最初はほんの1時間お手伝いをしただけで疲れてしまい、その場で横にならせてもらったりしました。

家に帰ってきたら、お祈りをし、真理の書籍を読み、過去の反省をしました。

また、精舎に行き「両親に対する反省と感謝」研修なども受けました。両親や妹たちに迷惑をかけせたこと。妻に対して思いやりがなかったこと・・・。研修で教わったとおりに、人生を5年ごとに区切って振り返っていきました。

必死に取り組むうち、徐々に体調も上向きになり、拠点に行ける回数も、ボランティアの時間も増えました。活動によって、僕の心に張りが生まれました。

幸福の科学の仲間に励まされ・・・

幸福の科学のみなさんは明るくいい人たちで、僕は拠点にいるときがいちばん楽しい時間でした。しかし、幻聴はやみません。

「拠点の人たちが自分の悪口言っているんやないか」という思いに執われてしかたないこともあります。

そんなときは自分に言い聞かせます。「いや、ほんまは違うんや。こんないい人たちが悪口言うはずないんや。大川先生も、他人は自分が思っているほど気にしていないものだと言われてる」。

アルコールを飲みすぎると悪霊に憑依されやすくなることも学びました。

苦しいときには『幸福への道標』という本が心の支えになりました。「自分も仏の子であり、ダイヤモンドのように輝く仏性が宿っているんだ。それを磨いていけばいいんだ」と、何度も何度も自分を励ましました。

「Tさん、3冊でも5冊でも、布教誌を地域の方にお届けしていきましょう」

Kさんと布教誌の配布も始めました。

日々、着実に心身の調子が回復しつつあるのを感じました。さらに、同じ拠点の方から「Tくん、これ聴きいな」と、大川隆法総裁の法話のテープを勧められました。

それまでは幻聴のせいでよく眠れなかったのですが、法話を寝る前に聴くと、気持ちも楽になって、すごくよく眠れるのです。ほとんど毎晩のように聴きました。

何かが耳から抜けた

数年前からは、食料品の行商をしている両親に「僕も仕事を手伝わせてください」とお願いしました。朝早く起きて市場に仕入れに行ったり、車に品物を積んで家を回ったりしはじめました。

しばらくして、幸福の科学に興味を持った妹が入信。半年後、両親も入信してくれました。家庭で信仰の話が自然と出てくるようになりました。

そして、就寝前に大川隆法総裁の法話テープを聴くようになってから2年あまりが過ぎたある日のこと。

いつものようにテープをかけて目をつぶっていると、コーラの栓を抜くみたいに、右の耳の穴から何かがスポーンと抜ける音がしました。その3日後に、左の耳からも抜けました。

その日を境に、長い間苦しんだ幻聴とも完全に訣別することができたのです。

幸福の科学でよかった

いまは拠点での活動を中心に、同じ信仰を持った仲間たちと充実した毎日を送っています。両親もあちこちの精舎を巡るようになりました。精舎から帰ってくると、いつも晴れやかな顔をしています。

先日、父がしみじみとつぶやきました。「うちは幸福の科学でよかったな」と。

僕も心からそう思います。幸福の科学は、人生の希望と、たくさんの人と支え合って生きる喜びを与えてくれました。

大川隆法総裁、そして父と母、妹、拠点のみなさん、僕を根気強く導いてくださり、ほんとうにありがとうございました。僕はまだまだこれからですが、今後の人生を本番と思って、いっそう前向きに生きてまいります。

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