Archive for the ‘仕事・成功’ Category

30代のころに幸福の科学に出合い、信仰生活を続けてきたNさん。
「生涯現役」の教えを実践したいと、55歳で起業し、不動産賃貸業を始めました。順調に事業を拡大しているNさんに、成功の秘訣を聞きました。
N・Nさん(愛知県)
月刊「幸福の科学」371号より転載・編集

体験談55歳からの起業で収入が倍増!

私が幸福の科学に入信したのは、37歳のときです。教えを学ばせていただいたおかげで、人生の悩みや仕事の問題を乗り越え、幸福な人生を歩んできました。
そして定年が近づいた55歳のとき、大川隆法総裁が説く「生涯現役人生」を実践していきたいと思い、不動産賃貸業の勉強を始め、ついに起業したのです。

経営書の学習会で成功の鍵を発見

しかし、最初はなかなか満室にならず、苦労しました。

そんなときに問題解決の道を示してくれたのは、やはり大川総裁の教えでした。

私は幸福の科学の中部正心館で開催されている、大川総裁の経営書の研修に毎月参加しています。そこで『社長学入門』のなかの、「『わが社は何のためにあるのか』という理想、経営理念をつくらなければならない」という教えを読んだとき、改めて自分の経営を深く見つめ直すことができたのです。

(これまで「満室経営」を目標にしていたけど、それは自分の都合でしかなかったな……)

私は、お客様の立場に立てていなかったと気づき、反省しました。そして、「くつろぎと安らぎの住空間」を提供することでお客様に満足していただき、関係する業者の方々にも喜んでいただくことを経営理念に加えたのです。

自社の利益だけ考えるのではなく、不動産会社や管理会社など、他社と一緒に発展していこうという思いで、取引先を訪ねるようにしました。すると、次第に良い関係を築くことができ、新規のお客様を紹介してくださったり、仕事がスムーズに進んだりするようになったのです。

仕事が若返りのきっかけに

一緒に研修に参加している法友(ほうゆう)(※)から、成功のヒントをもらうこともあります。エステサロンの経営者と話しているときに、住宅にも「美」の観点が必要だと気づいたのです。

そこで、仕事を手伝ってくれている妻と一緒に、いろいろなマンションを見学したり、最新の部屋のデザインを学んだりと、今まで以上に「美」を意識した部屋づくりを工夫するようになりました。センスを磨こうと努力すると、気持ちも若返り、元気になります。

さまざまな改善に取り組むうち、入居者数も物件数も増え、所有する8棟すべてがほぼ満室に。気づけば収入も倍増しました。

これもすべて、大川総裁の教えのおかげです。今後はさらに事業を拡大し、社会に貢献できる会社に成長させていきます。

※同じ法を学び、学びについて語り合える仲間のこと。

書籍で学ぶ愛ある発展

『発展思考』(大川隆法 著/幸福の科学出版)「第7章 飛翔あるのみ 2 愛ある発展」より抜粋したメッセージ

愛ある発展

愛とは、仏から出発して、数多くの人間に流れきたり、行きわたったものであり、仏から発された「愛の思い」が人間の心に宿ったものです。

その「人間の心に宿った愛」が、数限りなく、多くの人々に向かって放射されていく姿こそ、発展の姿であると思うのです。

そうです。愛そのもののなかに、発展はすでにその原形を宿しているのです。さすれば、私たちの求めている発展は、常に愛に裏打ちされたものでなくてはなりません。

「愛なくば発展は死である」という言葉もありますが、これは、単なる言葉として述べているのではなく、「発展そのものが、実は愛のなかにあるのだ。愛の形式としての発展があるのだ。

発展とは、愛が成長していく姿なのだ」ということをも意味しているわけなのです。

「人を愛そう」と思ったならば、「ただ一人の人を愛するよりも、二人の人を、三人の人を、十人、百人、千人、一万人の人を愛そう」という方向に動いていくのは当然のことでありましょう。

みなさんの人生は、限られた数十年の人生です。その間に出会う人の数も限られています。そうした限られた時間を、限られた空間のなかで生きているみなさんにとっては、一日一日の時間が、金の砂の一粒にも似て、限りなく愛おしいものです。

この金の砂の一粒にも似た一日を無駄にせず、仏への感謝の思いを込めるためには、「愛は発展を願う」ということを知る以外に道がないと私は思うのです。

 では、なぜ発展が必要なのでしょうか。それは、人間の心に愛があるから、その愛は仏から頂いたものであるから、そして、人間は仏が創られたものであるからです。だからこそ、愛は、成長を欲し、発展という姿をとるのです。

さあ、私の述べていることがお分かりでしょうか。「脱け殻のようなかたちのみの“発展”を求めても、そのなかに愛を伴わなければ、何の意味もない」ということを私は述べたいのです。

すなわち、真理を広げようとしているときであるからこそ、その行為の一つひとつのなかに、限りなく愛を込めていくことが大切なのです。

「人生の問題集」を見つけ、解決しませんか?

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この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第151号より転載し、編集を加えたものです。

Tさん(40代・女性)

家庭の平安を取り戻すまで

飛び交う罵声、壊される壁。家庭が荒れ、私は20年以上に渡って、心安まらない日々をすごしていました。

我が家が平安を取り戻すまでのストーリーをお話しします。

気性の激しい主人

主人と私は中学時代からの幼なじみです。主人は当時から、地元で有名な「暴れん坊」。社会人になってからも、外でお酒を飲むと、決まって他のお客と喧嘩を始める人でした。

「なんやお前! 表出ろや!」

主人は力自慢で負け知らず。最後に地面に沈むのは、いつも相手の方でした。

(またや。ええかげんにしてほしいわ)

喧嘩のたびにうんざりしましたが、そのうち落ち着くだろうと思い、主人が27歳、私が28歳の時に結婚したのです。

結婚―暴言を吐く夫

結婚後は、2人で食肉卸の会社を始めました。子供も次々と3人授かり、子育てに仕事に、朝から晩まで働き詰めの日々。やがて従業員を雇うようになると―。

「そんなことも覚えられんのかボケ!」

容赦なく怒鳴りつける主人。「そんな言い方せんでも」と、私も思わず口をはさみます。

「うるせぇっ、 おまえは黙っとれ!」

激する主人。顔つきも変わり、切りつけるような言葉を次々と浴びせます。

夫の怒りで家庭は地獄に

主人の怒りは家でも爆発。仕事が思うように進まなかった日は特に、おかずの品や箸の置き方にまで因縁をつけてきます。

「おかずがないやんか!」

「こんなに並べてあるやろ」

「肉がないやろ、肉が! 分からんのか!」

あまりの理不尽さに、私も怒鳴られる一方ではいられません。

「そんなことで怒鳴らんといて!」

「なんやお前!」

バキッ!と携帯を折って床に叩きつける主人。主人は物に当たるため、わが家の壁やテーブルは、穴だらけでした。

幸福の科学に入会

そんなある日のこと。集金の合間に書店に立ち寄ると、1冊の本の題が白く光って見えました。それが、幸福の科学の『仏陀再誕』という本でした。私は思わずその本を買って帰り、主人や子供が寝静まってから読み始めました。

その時の感動は忘れられません。そこには、人が生きる意味や、正しい心のあり方などが、心に染み入る言葉で語られていたのです。

主人にも読んでもらおうと思いました。しかし主人は、「アホか! 宗教なんて弱い人間がすがるもんや!」と一蹴。私は仕方なく、1人で幸福の科学に入会したのです。

「悪霊を追い出さなあかん!」

幸福の科学の「仏法真理(ぶっぽうしんり)」を学ぶうち、人間の魂は永遠の生命を持つことや、間違った心で生きた人が死後、「悪霊」となって地上の人間に取り憑き、人々を不幸にしている事実を知りました。悪霊に憑依された人は、人が変わったように怒ったり、他人を攻撃する特徴があるそうです。

「それ、まるでパパやん! 悪霊の影響やったんか・・・」

さらに、悪霊に憑依される原因は本人の心にあり、「波長同通の法則」といって、怒りや憎しみ、猜疑心などを持っていると、同じ心の悪霊を引き寄せてしまうというのです。そのため、お祓いなどで悪霊を取っても、仏法真理に沿って自分の心を変えない限り、悪霊は戻ってきてしまうというわけです。

「家の中から悪霊を追い出さんと―。パパも仏法真理を学んでくれたらなぁ」

まず、私が変わろう

主人に変わってほしいと思いましたが、仏法真理では、「まず自分が変わることが大切」と教わります。

「パパのいいところって何やろ?」。そう考えてみると、主人は1日中、家族のために働いてくれています。普段は子供を釣りやテーマパークに連れて行ってくれる、家族思いの優しい人です。帰宅した主人に心を込めて伝えました。

「パパ、いつも働いてくれてありがとな」

主人は、さかんに照れながらも嬉しそうでした。私は主人の好きな肉料理を毎回作るなど、主人の喜ぶことを実行しました。すると、いつもなら爆発する場面でも、落ち着いていることが多くなったのです。

荒れつづける夫

そんな努力を続けて2年ほど経った頃。「ママは最近、俺の気持ちが分かるようになったやないか」と言ってくれるようになり、主人が幸福の科学に入会したのです。

(よかった! これでわが家も安泰や)

―しかし、現実は甘くはありませんでした。

「こんなもん食えるか!」

虫の居所が悪いと、お膳に並べた料理をぶちまける主人。クモの子を散らしたように自分たちの部屋へ逃げ込む子供たち。それが度重なると、私も我慢の限界です。

「ほんなら食べんでええわっ」。私も流しに料理を叩きつけます。怒り狂った主人が壁に鉄拳を打ち込むと、中の耐火ボードまで破壊されました。まさに生き地獄―。

泣きながら車で走った夜の街

そんな時、私は車で家を飛び出し、夜道を運転しながら大声で泣きました。カーステレオからは大川隆法総裁のご法話が聴こえてきます。

「大事なことは、心に曇りをつくらないこと、毒を食わないことです」「他人の心は変えられなくても、自分の心を変えることはできます。しかし、自分の心が変わることによって、そこから発散される善念、善なるエネルギー、光が、実は他人を変えていくのです」(『理想国家日本の条件』より)

ご法話を聴いていると、不思議と心が鎮まっていきます。

(そうや。私まで心を乱しとったら、それこそ悪霊の思う壺や。負けられん! どんな時も仏の教えを守っていこう)

主人と喧嘩しては家を飛び出し、ご法話を聴いて気を取り直して家に帰る。そんな生活が数年続きました。

まさかの子宮破裂!

「い、痛い・・・!」

それは突然の出来事でした。ある日、下腹部に激痛が走り、大量に出血。私はその場に崩れました。意識がもうろうとするなか、なんとか車を運転して病院へ行くと―。

「Tさん、原因は分からないけど、子宮が破裂しています。絶対安静。入院です」

医者はそう言いますが、仕事は休めません。重たい体を引きずりながら家に帰り、仕事を続けました。主人の言葉の毒を溜め込んでいるから、病気になったのだと思いました。

心が病気を作っていた

そんなある日、幸福の科学の書籍の中に、こんな言葉を見つけました。

「ご主人が怒ったとしても、それはほんの3秒や5秒です。このことを、奥さんは1日24時間、忘れないわけです」(『人生の発見』より)

ハッとしました。まさしく私のことです。

確かに、主人は一日中怒鳴っているわけではありません。私が怒鳴られた場面を反芻(はんすう)し、恨みを募らせていたのです。

そう気づいたら、主人を恨む心が、ふっと解けたような気がしました。心の持ち方が幸不幸を分けることを、身を持って知ったのです。

研修で激変した夫

私は、主人にも心を変えるきっかけを得てほしいと思い、総本山・日光精舎の「八正道研修」(※1)に参加することを勧めました。

嫌々出かけた主人でしたが、帰ってきた時は見違えるほど清々しい表情をしていました。そして、「人のいいところを3つ見つける」など、研修での決意を書いたカードを、見せてくれたのです。

「研修受けて気づいたんや。俺は人に対する感謝が足りん。だから、感謝することを忘れんよう、紙に書いて持っとくわ。もし俺が忘れてたら、言ってくれよ、ママ」

その日から主人は、従業員に注意する時も言葉を選んだり、怒りをぐっと我慢したりと、自分を変える努力を始めたのです。

※1 自分の心や言葉や行いを、8つの項目に沿って反省し、自分を見つめていく研修。

祈りの力で悪霊を飛ばす

しかし、しばらくすると主人はまた、以前の姿に戻ってしまいました。

主人が暴れると、私と子供たちは2階に上がり、声をひそめて「悪霊撃退の祈り」(※2)をあげます。

「主よ 我に 悪霊撃退の力を お与えください・・・」

すると突然、階下から叫び声がします。

「祈るなー! 気持ち悪いー!」

お祈りの声が聞こえるはずはありません。祈りの力を受け、悪霊が苦しんでいるのだと思いました。

お祈りを終えて下に行くと、主人はすっかりおとなしくなっています。

「パパ、さっき何であんなに怒ったん?」

「うん、何でかなぁ? よう分からん」

(憑くと憑かんとでは、こんなに変わるんや!)

※2 三帰誓願者に授与される『祈願文①』に所収されている祈り。読む者の信仰心の強さに応じて、悪霊の影響を断ち切る力が与えられる。

焼け落ちた工場

そうして、一進一退の闘いをくり返すなか、私は40歳を過ぎて4人目の子供を出産しました。末っ子の可愛いさに喜ぶ反面、体はとても疲れやすくなりました。いつもなら聞き流せるような言葉でも、疲れた身には突き刺さります。

(この人は何も気遣ってくれん。もう限界や。離婚した方が楽や)

仕事は事務員に任せ、私は家事と育児に専念。主人がどんなに怒っても、取り合いませんでした。

私が離婚を決意して数カ月ほどたった頃。夜に突然、家の電話が鳴りました。

「大変や! あんたの工場、燃えとるで!」

家と工場の間は、車で5分ほどの距離です。駆けつけた時、工場はゴーゴーとうなる真っ赤な炎に包まれ、私たちの目の前で、無残にも焼け崩れていきました―。

消火が終わり、焼け跡に足を踏み入れると、点々と光っている物があります。不思議なことに、幸福の科学の根本経典である『仏説・正心法語』や宝具だけは、全くの無傷で残されていたのです。それだけは邪悪なものも手出しができなかったかのようでした。

焼け跡を見つめる主人の顔は、「憑き物が取れた」ように、しっかりと前を見つめていました。

「お客様に迷惑かけんよう、最善を尽くそうな、ママ」

悪霊にそそのかされていたのは私

夜が明けると、火事を知った知り合いが、次々と駆けつけてくれました。

「ほんま大変やったなぁ。大丈夫か?」

お金や食べ物を差し入れてくださったお得意さん。冷蔵庫を貸してくれた同業者。多くの人の厚意に助けられ、近くの工場を借りて、仕事を続けることができたのです。

私は火事の前に、主人を見限ったことを悔やみました。そんな気持ちになった私こそ、悪霊にそそのかされていたに違いありません。

パパ、辛かったんやね・・・

私は主人のことを理解するため、主人が育った環境に思いを巡らせてみました。主人の両親は、気性が激しい方々だったと聞いています。主人が赤ちゃんの頃、夫婦喧嘩で父親がふり下ろしたビール瓶が頭を直撃し、大怪我をしたこともあったとか。言葉もきついのが当たり前。幼い主人は何を感じてきたのでしょう・・・。

「今はあんなに強がっているけど、辛かったやろなぁ。かわいそうやったなぁ」

主人の気持ちを考えつづけていくうちに、自然と主人を恨む気持ちが薄らいでいきました。むしろ、主人の心の傷や苦労の多い人生を、丸ごと抱きしめてあげたいと思うようになったのです。

すると、主人にも変化が現れました。

「ママいつもありがとう。感謝しとるわ」。そんな言葉をかけてくれます。

夫婦は本当に合わせ鏡で、愛と信頼があると、悪霊は入ってこれないのだと実感しました。

念願の新工場建設

その後、主人は自分から研修に参加するようになりました。研修での気づきを、ノートにたくさん綴(つづ)ってきます。

「相手を理解できずに、猛烈に批判し、他の人を不愉快な気持ちにしてしまう自分が、今、すごくダメであると痛切に思います」

「我が強いから、相手を認めることができないんだろうなー。自分だって賞賛されたら嬉しいくせに。常に賞賛する努力をしないといけないなー」

主人は研修を通して、どんどん変わっていきました。それに呼応するように仕事の面でも道が拓かれていき、たくさんの方々の協力を得て、ついに念願の新工場を建設できたのです。そこで、地域の皆様への恩返しの思いを込めて、新工場の一間を幸福の科学の布教所とさせていただきました。

遠ざかっていった悪霊

それからの主人は、昼休みに布教所でお祈りをしたり、心をふり返ったりするようになりました。

「祈りはええなぁ。心が落ち着く。イライラする自分がちっぽけに思えるわ」

主人が自分の心を調(ととの)えるにつれ、悪霊の影響も影をひそめていきました。周りの方にも「すいぶんおだやかな顔になったな」と驚かれるほどです。

結婚してから、かれこれ20年以上、地獄のような日々を乗り越えてこられたのは、仏法真理のおかげであると確信しています。

私たち家族を救い、導いてくれた幸福の科学の信仰を、たくさんの方々にお伝えしていきたいと思います。

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お母さん社長の奮闘記【体験談】
最愛の妻をがんで亡くし、生きる気力を失ってしまったA.Nさん。悲しみの底で、大川総裁の教えを学び続け、やがて、新しい人生に踏み出そうと決意を固めます。
第2の人生をスタートさせたNさんに、お話を伺いました。
(A.Nさん/男性/東京都)
月刊「幸福の科学」368号より転載・編集

体験談妻との死別を乗り越えて見つけた第2の天職―。

2013年3月29日。その日を境に、私の人生は一変しました。25年間連れ添った妻が、50歳の若さでこの世を去ってしまったのです。

多発性骨髄腫(こつずいしゅ)という血液のがんにかかった妻は、毛髪がすべて抜け落ちるほど大量の抗がん剤治療を受け、肉体的にはとてもつらい状態に耐えながら、入退院を繰り返していました。それにも関わらず、妻はいつも明るく、私や当時高校生だった娘に心配をかけないよう、闘病中も笑顔を絶やしませんでした。

「……確かに痛いのは嫌だけど、あの世に還るだけだから―」

私たち家族は幸福の科学の教えを通して、「人間は死後、魂となって霊界で生き続ける」と学んでいました。だから妻は、死への恐怖を乗り越えていたのだと思います。余命宣告も冷静に受け止め、延命治療を続けるより、自宅で最期を迎えることを望みました。

妻が亡くなる3日前。その日はちょうど、私たちの25年目の結婚記念日でした。

「Aさんと結婚してから今まで、本当に幸せだったなぁ……」
そうつぶやいた妻の姿が、通夜や葬儀の間も、何度も脳裏によみがえってきました。

妻のいない空虚な日々

齢60にして治療室開業の 夢を実現できた!【体験談】

「ただいま―」
仕事から帰っても、当然、笑顔で迎えてくれる妻の姿はありません。

(ああ、本当に逝ってしまったんだな……)
私は、疲れた体を引きずり、買ってきた食材を抱えてキッチンに入ります。妻がいなくなってから、わが家の家事は私が担当。

料理の経験はありませんが、大学に通う娘のために、ネットでレシピを調べながら何とか夕食を作ります。その後、娘とテレビを見ながら夕食をとり、11時ごろから残りの家事を片づけます。

娘も母親を亡くしてつらいはずなのに、そんな様子はおくびにも出さず、気丈に振る舞っていました。そんな娘の存在がなければ、私は妻のいない寂しさに押しつぶされていたと思います。

とはいえ、遅くまで会社の仕事をした後に、慣れない家事全般をこなすのはかなり重労働で、けだるい疲労感が抜けません。

(でも、妻は毎日、こんな生活を送っていたんだよな……)

妻は生前、障害児支援の仕事に就きながら、家事や子育てを一手に引き受け、一時は認知症になった私の母の世話までしていたのです。一方私は、ウェブクリエーターの仕事が忙しく、家を空けてばかりでした。

(すまない……。俺は全然、力になってやれなかった……)
仕事や家庭の過負荷が原因で、妻が病気になったのではないかと、後悔や自責の念が後から後から湧いてきます。

職場に行っても、以前のように向上心や使命感を感じられず、その日その日の仕事を何とか消化するようなありさま。よく、「心に穴が開いたよう」と言いますが、まさにその状態で、何をしても心が満たされない日々が続きました。今振り返ると、私は鬱になりかかっていたのだと思います。

半年の苦悩の末に―

(俺は一体、どうしたらいいんだ……)
当時の私にとって唯一の救いは、大川総裁の書籍を読み、仏法真理を学ぶことでした。「人生の意味」や「死後の世界」について学んでいる時間だけは、心に暖かな光が差し込んでくるようで、癒されるのです。

太陽の法

ある日、『太陽の法』をひもとくと、その一節が私の心を捕らえました。

「苦悩には苦悩の意味があり、悲しみには悲しみの意味があるのです。つまり、苦悩や悲しみがあるということは、私たち人間に、選択をせまっているのです。選択とは、何か。
つまり、私たちのひとりひとりが、与える側の人生を選ぶか、与えられる側の人生を選ぶか。その選択です」

(与える側か、与えられる側か……)
そのとき、ふと妻の姿が浮かびました。

妻は、人の役に立つのが何よりも好きで、いつも家族や友人たちの悩みを聞いては元気づけていました。それは、がんになっても変わらず、同室の患者さんや、看護師さんたちの悩み相談に乗り、たくさんの人から慕われていたのです。

(妻は自分が病気で苦しくても、「与える側」を選んでいた。俺も彼女のように「与える側の人生」を生きたい―)鬱状態になって半年以上、大川総裁の書籍を読み続けたことで、やっと心が上向き始めたのを感じました。

57歳からのチャレンジ

生涯現役人生

さらに、私に立ち直る契機を与えてくれたのが、『生涯現役人生』という書籍でした。
「『「21世紀中に、おそらく、平均的に百歳まで生きるようになるだろう」ということが科学的にも言えるので、いま、現役で活躍中のみなさんは、百歳時代に対応できる考え方、心構えを持つべきである』ということです。これを持っていないと、大変な晩年がやってくることになると思います」
(そういえば、俺ももうすぐ定年だ。この先、年金をもらえる保証もないし……)

私は、これから先の「第2の人生」について、真剣に考えるようになりました。
(定年後も、何か人の役に立つ仕事ができないだろうか)

さまざまな職種を検討するうち、以前、趣味で習ったことのある鍼灸マッサージの仕事が選択肢として浮かんできたのです。

(そうだ。マッサージの仕事なら自分も好きだし、人のお役にも立てるんじゃないか)

ネットで調べると、自宅から30分のところに有名な鍼灸マッサージの専門学校があり、3年間通って国家試験に受かれば、鍼灸師の国家資格を得られると分かりました。

(よし。心機一転、頑張ってみよう)
私は、新しい人生を切り拓く覚悟を決め、会社に相談して、後任となる新しいエンジニアを雇ってもらいました。その人が私の代わりに仕事ができるようになるまで、半年かけて育成したのです。

そして翌年3月、長年勤めた会社を57歳で退社し、翌月から、若い人たちに交じって、鍼灸マッサージの専門学校に通い始めました。

立ちはだかる試練

齢60にして治療室開業の 夢を実現できた!【体験談】

専門学校は週6日で、朝9時から昼ごろまで。午後は、生活費の補てんと勉強を兼ねて、知人のマッサージ治療院で受付や雑用のアルバイトをさせてもらいました。
というのも、学校を無事卒業して国家資格を取得できても、そのとき私は60歳。この年齢では、なかなか雇ってはもらえません。そのため、初めから自分の治療室を開業することを目指そうと考えました。そこで、治療院でバイトをしながら、施術の流れや予約の取り方などを学んで、将来に必要な経験を積んでおきたいと思ったのです。

しかし、学校の勉強にバイト、そして家事全般と、“三足のわらじ”を履く生活は、想像以上に大変でした。

(忙しくて目が回りそうだ。でも、天国の妻に心配かけないためにも、何とか頑張るぞ)
そして、定期試験が近づいた6月のこと。
以前勉強した範囲を復習してみると……。
「あれ? おかしいな。ちゃんと覚えたはずなんだけどな……」

試験では、何百もある骨や筋肉の名前とその位置、膨大な数の病名と症状、対処法などが問われます。私は一生懸命勉強してきたのに、なぜか、覚えたはずの内容が半分も頭に残っていないのです。

(そんな、もうすぐテストなのに……)
ものすごい不安に襲われました。もし赤点をとり、追試にも落ちたら、翌年すべての授業を受け直さなければいけません。

気を取り直して、何度も反復して勉強しましたが、1週間も経つと、暗記した内容がほとんど抜け落ちていることも。底なしの桶で、水をすくっているような感覚です。

(やはり、この年じゃ無理なのか……)
すっかり自信を失い、とぼとぼと帰り道を歩いていたある日の午後。
学校から歩いて数分の場所に、幸福の科学の精舎があることに気づきました。精舎というのは、幸福の科学の礼拝(らいはい)施設です。私はさっそく、その精舎の礼拝堂に入って、空いている椅子に腰かけました。
(ああ……。心が落ち着く。こんな感覚、久しぶりだなぁ)

深呼吸を繰り返すうちに、焦りや不安で波立った心がスーッと静まり、溜たまっていたストレスが流れ落ちていくようです。すると次第に、体に力が戻ってきて、失いかけた希望がよみがえってきたのです。

(そうだ、あきらめるのはまだ早い。もう一度、頑張ってみよう!)

その日から私は、授業が終わってバイトに行くまでの時間、精舎のフリースペースで、勉強や読書に励みました。精舎にいると、不思議なことに、短時間で驚くほど集中でき、とても勉強が進むのです。

疲れたり、弱気になったりしたときは、礼拝堂で心を静め、「将来、多くの方の心と体を癒す鍼灸マッサージ師になる」という夢をありありと思い描きました。すると、「勉強の大変さ」が、「夢に向かうための土台作りなんだ」と思えるようになり、勉強が“苦痛”ではなく、喜びに変わっていったのです。
精舎のスタッフの方々も、いつも笑顔で声をかけてくださり、私が勉強するのを温かく見守ってくれました。

(よし、この調子で頑張るぞ)
その後も私は、記憶力の衰えと闘いながら勉強を続け、年3回ある定期試験では、常に上位三割に入る成績をキープし続けることができたのです。

多くの方に、心と体の健康を

齢60にして治療室開業の 夢を実現できた!【体験談】

そして、2017年の3月末。私は、国家試験の結果をパソコンで確認していました。

「あった―」
見事合格! 60歳の鍼灸マッサージ師の誕生です。その後、私は、自宅の近くに小さな治療室を開業し、5月から仕事を開始。おかげさまで、来てくださる患者さんも少しずつ増えています。

患者さんの大半は主婦の方ですが、皆さん家事や育児だけでなく、お仕事や親御さんのお世話など、いくつもの役割を背負っておられます。私も今は、その大変さが痛いほど分かるので、少しでも心身の苦痛を和らげることができればと、心を込めて施術をさせていただいています。

私が第2の人生をスタートできたのは、常に私を支え、導いてくれた大川総裁の教えがあったからです。また、私の夢を後押ししてくれた娘や、天国の妻、多くの法友、そして、神仏のご加護に心から感謝しています。

今後は、一人でも多くの患者さんの心と体を癒せるよう、心を磨きつつ、「生涯現役」で治療室を続けていきたいと思います。

書籍で学ぶ『生涯現役人生』

『生涯現役人生』(大川隆法 著/幸福の科学出版)5 生涯現役の心構え
より抜粋したメッセージ

新しいことに興味・関心を持ちつづける努力を

大学の先生でも、定年退職後は、本が出なくなっていくことが多いのですが、それは、「勉強を続けることの難しさ」を意味しています。

現役時代に、研究の対象が大学で授業を持っている分野などに固まっていて、それ以外のことに関する知識のストックがなく、研究対象を広げていなかった人は、現役を引退すると、勉強がそれで終わってしまうのです。

つまり、大学の仕事が終わった段階で、勉強も終わってしまうことが多いわけです。

興味・関心の範囲がもう少し広い人の場合は、本を読みつづけることができるので、定年退職後、10年たっても、本を書いて出したり、座談会を開いたり、テレビに出たりすることができます。そういう人は勉強を続けているのです。

しかし、そのような人は数が少なく、百人に一人もいないかもしれません。大学の先生でも、率としてはそのくらい少なくなるので、自由業と言われるような職業の人の場合にも、そういう面はあるのではないかと思います。

たとえば、作家などは、若いころから大学の先生と似たような生活をしているのかもしれませんが、その人の生産物を見れば、その人が遊んでいるのか、勉強しているのかが分かります。

とにかく、つねに、新しいことに興味・関心を持ちつづけ、新しい分野の研究を続けていくことが大事です。

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Hさん(70代・男性)

勤務先の倒産

「今月で店をたたむことになった。Hさんにも辞めてもらわないと・・・」

10年以上前のことです。勤めていた老舗(しにせ)和菓子屋が倒産しました。

「またか・・・」。実は、以前勤めていた店も経営不振で廃業しており、私にとっては2度目の経験だったのです。その時私は61歳。普通に考えたら、再就職は非常に難しい状況です。

しかし、私は信じていました。「あきらめなければ、必ず道は開ける」と。その強い思いを支えてくれたのが、幸福の科学の信仰でした。

15歳で和菓子の道へ

今でこそ、「和菓子作りが天職」と信じる私ですが、職人の道に入ったのは自分の意志ではありませんでした。

私が生まれたのは、第二次世界大戦が始まる2年前の1937年。生後2カ月で母を亡くし、父と祖母の3人で東京の本郷に暮らしていました。祖母といっても、祖父の後妻に入った人で、血のつながりはありません。私はいつも、母のいない寂しさを抱えていました。

小学2年生になる時、群馬の叔父の家に移り、ほどなくして終戦。同じ頃、祖母は他界し、父は東京に働きに出て、私は一人、居候として肩身の狭い生活を余儀なくされたのです。

一日も早く独立したいと思った私は、中学卒業後、銀座の和菓子屋で住み込みの仕事に就きました。屋根裏部屋で寝起きし、早朝から深夜まで、雑用や力仕事をこなす日々。銀座という土地柄、深夜に料亭から注文が入ることも多く、12時過ぎに配達に出ることも珍しくありませんでした。

孤独な職人時代

20歳になる頃、ようやく仕事場に入ることを許されました。といっても、まずは洗い場です。上下関係がはっきり分かれている厳しい世界でした。

道具が汚れていると、げんこつが飛んできたり、餡(あん)のでき栄えが悪いと、容赦なく投げ捨てられたりもしました。

職人の技も、当時は盗んで覚えるのが当たり前。残った餡で、夜中に丸めたり包んだりする練習をしたものです。

そうして、10年20年と腕を磨いていった私ですが、心はいつも孤独でした。生い立ちへの引け目から、自分に自信が持てず、修業に打ち込むほどに、他人に心を閉ざすようになっていったのです。

28歳の時に結婚しましたが、数年で離婚。母の記憶がない分、お嫁さんを大事にしようと決めていたのですが、現実は思うようにはいかないものです。その挫折体験が、人間不信に拍車をかけました。

53歳にして人生観が転換

そんなある日のこと、一つの新聞広告が目に留まりました。大川隆法総裁の講演会の広告でした。心惹かれるものを感じ、当日、一人で会場へと向かいました。

「これは本物だ・・・」。説法の力強い言魂に心打たれた私は、ほどなくして入会支部の皆さんと一緒に、本格的に教えを学び始めたのです。

とくに感銘を受けたのは、「人間は永遠の生命を持って転生輪廻している存在であり、人生には目的と使命がある」という霊的人生観です。

53歳にして、人生観が180度転換しました。

亡き母への思い

心の修行を深めたいと思った私は、家庭御本尊を自宅にご安置して、朝晩、経文を読誦(どくじゅ)するようになりました。

御本尊をいただいて1年くらい経ったある日のこと。いつものようにお祈りをしていたところ、ふと、亡き母のことが思い出されました。

「十分に面倒をみてやれなくて、すまなかったね」。そんな母の思いが、心の中に流れ込んできたのです。まるで黄金色の光に包まれているような感覚でした。

「自分は母に愛されたことがないと苦しんできたが、母は、自分を宝だと思って生んでくれたのだ。自分は愛されて生まれてきたのだ・・・」と、涙があふれて止まりませんでした。

子供の頃からずっと、心のどこかに引っかかっていた、「自分は価値のない人間だ」という思いが消えた瞬間でした。

「母が私を愛してくれているように、仏はすべての者を愛してくださっている。この世に価値のない人間なんていないのだ—」

仏への感謝、そして今まで出会ったすべての人への感謝でいっぱいになりました。

天命の発見

自ずと、仕事に対する姿勢も変わっていきました。以前は、ただ見栄えよく作ればいいと思っていたのが、「買ってくださる方が、このお菓子で、少しでも幸せになりますように」と、一つ一つ心を込めて作るようになりました。

「和菓子を通して世の中に幸福を広めることが、自分の天命だ—」

仕事仲間への接し方も変わりました。以前は、後輩の指導でも、相手を突き放し、失敗すると分かっていても、わざと教えないこともありました。

しかし、相手も仏の子であると思うと、相手を思いやる気持ちが湧いてきます。 「餡の量を減らしたほうがいい」「こっちの材料を使ったほうがいい」など、丁寧に教えるようになりました。

また、若い人やパートさんのアイデアも、頭ごなしに否定せず、よいと思ったことは、積極的にほめるようにしたのです。

いつしか、孤独な職人は姿を消し、「分からないことがあったら、Hさんに聞けばいいよ」と、皆さんに頼っていただけるようになっていました。

会社再建—副工場長へ

何より和菓子が好きな私は、定年後も嘱託社員として働きつづける道を選びました。しかし、その矢先に店が倒産—。

年齢を考えると、そのまま引退することもできましたが、私は、「必ず道は開ける」という心の声を信じつづけました。

そして数カ月後。店の再建の知らせが入ったのです。新社長の面接を受け、私はなんと副工場長として再雇用されることになりました。

製菓から箱詰め、発送作業と、連日深夜までフル稼働する生活は、六十過ぎの体にはこたえましたが、苦労のかいあって、年々経営は安定していきました。しかし、私にはさらなる試練が待っていたのです。

お返しの人生

「Hさん、おかげで店も安定して新しい人も増えてきた。そろそろ、副工場長を若い人に譲って、嘱託に戻ってくれないか」

65歳の時のことです。いままで指示を出していた自分が、一転、一番下で指示を受ける立場に。そのギャップに戸惑い、「いっそ引退しようか・・・」という思いが何度も心をよぎりました。

その迷いを断ち切るきっかけとなったのは、その頃、支部で聴いた大川隆法総裁の法話でした。

「65歳が一つのラインです。若い人にも力があることを認め、若い人を立てる考え方をすることです。引き際の美学というものを知らなければいけません」(「『ティータイム』入門」より)

この言葉が決め手となり、私はプライドを捨て、恩返しの気持ちで、後進の指導に当たる決心がついたのです。

店にテレビの取材がきた時には、「職人代表」の立場で、インタビューを受ける機会もいただき、そのお役も無事に務めることができました。

心の発展は無限

人間はいくつになっても、どれだけ心を高めることができるかという、心の発展は無限だと思うのです。

来世、来々世と、無限の未来が待っていると思えば、何歳からでも夢を描き、努力を始めることができます。

私自身、「生涯、努力精進」の気持ちを忘れず、体の動く限り、多くの人を幸せにする和菓子を作りつづけていきたいと思います。

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