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28 September

肝臓ガンで主人を亡くして【幸福の科学 信仰体験】

この記事は、隔月発刊の機関誌「ザ・伝道」第124号より転載し、編集を加えたものです。

主人を肝臓ガンで亡くした当時、私は、4人の子どもたちを抱え、将来の不安でいっぱいでした。しかし、映画「黄金の法」をきっかけに、仏法真理と出会い、人生のほんとうの意味を知ることができたのです。(40代・女性)

出会い

23歳の時のことです。当時、私は仕事帰りに、都内にあるクッキングスクールに通っていました。いつものようにエレベーターに乗っていると、「ここの生徒さん?がんばってね」と、スーツ姿の男性が話しかけてきました。

「なんか、あたたかい感じの人だな」

Kさんと初めて会った時、私は何とも言えない親しみを感じました。彼は、その学校を経営している会社の社員で、同じビルで働いていました。ビル内で会うとニコニコ話しかけてくる彼。その後、デートに誘われ、お付き合いをするようになりました。

15歳年上の彼のことは、「Kさん」と、先輩みたいに呼んでいました。話題豊富な上に、包み込むような優しさを持っていて、私はだんだんと心ひかれていきました。
付き合い始めてしばらくした頃、彼が言いました。

「Yちゃん、実はね、自分はC型肝炎という肝臓の病気なんだ」

病名は耳にしたことがありましたが、詳しいことは知りませんでした。彼は、子どもの頃の輸血が原因でC型肝炎になったこと、肝硬変や肝臓ガンになる可能性があることを教えてくれました。

「輸血のせいなんて、ひどいじゃない」
「仕方ないよ。人より身体には気をつけないといけないけど、おかげで酒もタバコもやめられた」

明るく淡々としている彼を見て、心の広い人なんだなと思いました。やがて、彼からプロポーズ。年齢差や病気のことから、私の家族は賛成しかねていましたが、私は彼と結婚する道を選びました

肝臓ガン

結婚後、私たちは4人の子宝に恵まれました。しかも、全員男の子。心配に思われた主人の身体も、特に問題を起こすこともなく、ふつうに会社勤めを続けていました。

しかし、ある夏のこと。体調不良を感じた主人が、念のために大学病院で検査入院をすると、ガンが発覚してしまったのです。肝臓ガン—最も恐れていたことが現実となり、私は目の前が真っ暗になりました。

翌年2月、主人は実家に帰省している際に吐血をしました。静脈瘤が破裂したのです。現地の病院にそのまま入院し、余命1年と告げられました。悲嘆にくれる私に対し、主人のほうは少しも弱気になりませんでした。

「一番下の子が、20歳になるまでは、絶対に生きるからな」

そう言って、東京に戻ってから他の病院で違う治療を試みたりしました。痩せて別人のように頬がこけ、腹水のせいでお腹が張っているにも関わらず、「疲れてないか? ずっと看てなくていいから、休みなよ」などと、いつも私のことを気づかってくれました。

6月、主人は家族に見守られながら息を引き取りました。4人の子どもたち一人ひとりに声をかけ、「子どもたちのことを頼んだよ」と私に言い残して……。

観てもらいたい映画

主人の死後しばらくは、葬式などで忙しく、落ち込んでいる暇がありませんでした。しかし、やがて落ち着いてくると、まるで心に大きな穴があいたようになり、何も手につかなくなりました。

「あぁ、もうこんな時間……夕飯の準備しなくちゃ……」

ふと気がつくと、一人でボーっとしている私。主人の面影を感じるものを目にしては、泣いてばかりいました。このままじゃいけないと思い、私は、休職していた保険関係の仕事を再開することにしました。また、結婚前に鍼灸師の資格を取っていたことから、近くの鍼灸院でお手伝いを始めました。

そんなある日、「子ども会のプリントを持ってきました」と、近所に住んでいるMさんが訪ねてきました。Mさんのお子さんと、我が家の三男は同級生。何かと相談相手になってくれていました。そんなMさんから、映画に誘われました。

「実はね、Yさんに、ぜひ観てもらいたい映画があるの」

彼女が誘ってくれたのは、「黄金の法」という映画でした。映画なんて久しぶりです。気晴らしになるかと思い、私は、彼女と一緒に行く約束をしました。

止まらない涙

映画の数日前、Mさんから「急用ができて一緒に行けなくなった」という連絡がありました。申し訳ないと詫びるMさん。どうしようか迷いましたが、チケットは私の手元にあります。もったいないし、せっかくだから行ってみようかなと、私は映画館に足を運びました。

始まってしばらくすると、スクリーンいっぱいに神秘的な宇宙の映像が展開され、その美しさに圧倒されました。

「すごい!いったい、何が始まるの」

まるで子どものように、期待で胸が高鳴りました。主人公の少年少女がタイムマシンに乗って、釈迦、イエス、モーセといった過去の偉人たちの時代へと旅立つ—。手に汗握るストーリーに釘付けになるとともに、登場人物たちのセリフが心に残りました。

特に、現代の日本に仏陀が生まれていること、人間は魂の成長のために何度も生まれ変わっていることに、心を激しく揺さぶられたのです。涙がとめどなく流れました。こんなに何かに感動したことは生まれて初めてのことでした。

大川総裁のお話

その後、Mさんから電話がありました。

「映画、どうだった?」
「それがね、感動して泣きっぱなしだったの。自分でも驚いた」
「えー、ほんと!よかった!今度、大川隆法総裁のお話が聴けるんだけど、Yさんも来てみない?」
「うん、行ってみる」

あんなすごい映画をつくっている幸福の科学って、いったいどんなところなんだろう。この目で見てみたい—。そんな思いで、幸福の科学の支部に行ってみると、私が思い描いていた宗教のイメージとは違い、とても明るい雰囲気で驚きました。

「人間は霊的な存在であり、そちらのほうが本質です。人間は、長年、霊として生活しているのであり、それがほんとうの生活なのです。……新しい人間関係や物質環境の変化のなかで生きてみて、新しい経験を得て、また霊界に還ってきます」(『神秘の法』第2章「憑依の原理」より)

やさしい語り口でありながら、なぜか心に響いてくるお話でした。

「霊界って、ほんとにあるんだ。そこに還れば、主人にもまた会うことができるのかな」

その後、Mさんとは以前にも増して、家族ぐるみでお付き合いするようになりました。

「長男の就職のこととか、気になることも多くて……」

そう打ち明けると、Mさんのご主人が、長男に会って気軽に相談に乗ってくれたりしました。夫のいない私にとって、Mさん一家は頼りになる心強い存在でした。

「こんなに何でも話せる人ができるなんて。法友(同じ法を学ぶ友人)ってすばらしいな」

感謝の気持ちでいっぱいでした。

思いがけない一言

幸福の科学で学び始めるようになると、信仰を持つことによって、心に安らぎが得られていくのを感じました。

しかし、末っ子のTが小学校4年生の時です。一緒に同級生の家に遊びに行くと、思いがけないことが起きました。Tが、同級生のお父さんにぴったりくっついて離れないのです。私の目には、まるで父親に甘えているように映りました。「やっぱり、さみしいんだ」と、複雑な気持ちになりました。

さらに、自宅で戦争の不幸を描いたアニメを一緒に観ていた時のこと。

「Tくん、この時代と違って、今は食べるものがいっぱいあって、幸せだよね」
「僕は幸せじゃないよ。だって、お父さんがいないんだよ」

思いがけない一言に、私は、ショックで言葉を失ってしまいました。

今でも両親がいる私に比べ、こんなに早く片親になってしまった子どもたち。幸福の科学で、「夫婦や親子の縁は、天上界で約束して生まれてくる」と学んでいましたが、Tのさみしそうな姿を見るにつけ、私たちの子どもとして生まれてきて本当によかったのだろうかと、自信が持てなくなりました。

家族の絆が心にしみて

「精舎でじっくり心を見つめると、人生についてのヒントが得られるよ」

法友のみなさんにそう勧められて、私は総本山・正心館で開催されていた「反省の指針・十箇条」を受けてみることにしました。研修の中で、自分の過去を振り返っていくと、ふと主人と交わした会話がよみがえってきました。

「不思議だけど、Yちゃんと結婚することは、決められているような気がする。こういうのって運命というのかな」
「うん。私も、そう思うよ」

それから、その言葉通りに結婚した私たち。主人と初めて会った時に、とても懐かしい気持ちになったことが思い起こされます。お互いに、目に見えない絆で結ばれていることを感じていたんだと、主人との縁の深さを感じて、胸が熱くなりました。

さらに、4人の子宝に恵まれたことへの感謝がこみあげてきました。私はもともと身体が弱い方で、中学生の頃から、点滴や鍼灸の治療を受けながら学校に通っていたぐらいです。初めての出産で、検査のために採血した時など、貧血で倒れてしまったこともありました。

「考えてみれば、あんなに身体の弱かった私が、4人も無事出産できたなんて、奇跡だわ。よっぽど、縁のある子たちに違いない。それに、あの子たちが生まれる前、すでに主人は病気だった。それを承知で、苦労するのを覚悟で、私たち夫婦のもとに生まれてきてくれたんだ……」

子どもたち一人ひとりの顔が思い浮かび、愛しくなりました。

「みんな、お父さんとお母さんを選んで生まれてきてくれてありがとう。お母さん、がんばるからね」

懐かしい声

また、支部で「霊人直伝メッセージ公案研修」を受けた時のことです。公案にそって、静かに自分の心を見つめていくと、主人の懐かしい声が心に響いてきました。

「自分はとても幸せだった。いつも見守っているから、がんばるんだよ。ほんとうにありがとう」

入院中はげっそり痩せていましたが、元通りのふっくらした笑顔が心に浮かんできました。「Kさんなのね? また会えてよかった—」涙がこぼれました。

それからというもの、私は、子どもたちに仏法真理の話をするようになりました。特に、ご本尊(家庭用の祭壇)を拝受してからは、いつも仏の優しいまなざしを感じて、自然に信仰の話ができるようになりました。
Tの前で、御本尊に向かって拝礼してみせる私。

「Tくん、さみしい思いをさせてごめんね。でもね、お母さんたちには、“魂の親”がいるから、ほんとうはさみしくなんかないんだよ」
「それにね、お父さんも、いつもあの世から見守ってくれているんだよ」
「えっ、ほんと!お父さん、いるんだ」

うれしそうなT。
いつしか、子どもたちも御本尊に手を合わせ、お祈りするようになりました。20歳になった長男も、弟たちの父親代わりをしてくれるようになりました。Mさんのご主人の経営する不動産会社に就職した長男は、高校に合格した三男に対して、「よくがんばったな。合格おめでとう」と言って、お祝いのプレゼントを買ってあげるなど、家族を支えてくれています。以前に比べ、わが家は明るい笑顔があふれるようになりました。

苦しみを癒したい

信仰のおかげで家庭も落ち着き、私は自宅で、以前から準備していた鍼灸の仕事を始めることができました。毎日、様々な患者さんが訪れますが、そのなかには心に悩みを抱えている方がたくさんいます。治療中、ある患者さんが言いました。

「主人をガンで亡くしてから、もう、あっちこっち痛くて。なんで、私ばっかりこんな辛い思いをするんだろうね」
「実は、私の主人もガンで亡くなったんですよ。でも、私、主人があの世で見守ってくれていることを信じているんです。そうすると、また会える日まで、がんばろうって気持ちになります。死は永遠の別れではないんですよ」

真理の話をすると、その方は涙を流しながら聞いてくれました。「以前の私のように、真理を必要としている人がたくさんいる。もっと伝えたい―」。悩み苦しむ患者さんたちを、少しでも癒すことができればいいな、と思って仕事に励んでいます。

信仰は、私の人生に大きな希望をもたらしてくれました。
主人を亡くし、子供どもたちの将来に不安を感じていた私が、一本の映画との出会いによって、人生のほんとうの意味を知り、幸福への道を歩み始めることができたのです。

幸福の科学の映画には、人生を変える力が秘められています。私がそうだったように、これからも、映画をきっかけとして、人生に希望を持てる方がたくさん出られることを心から祈っています。

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